中級魔法
マギア王立学院の大図書館は、一学年百人以上を優に飲み込んでしまうほど広く、そして静寂な空気に満たされた間だ。
閉ざされた神秘性が垣間見えるその場所には、世界中の情報が集められており、ダンジョンについても豊富な攻略情報が蓄えられている。
「眠いんだが」
「私も」
「二人ともしっかりしてください! 特にアーシェ、リュートさんと一緒に学院会で仕事をしたいって話をしたじゃない……!」
最後の小声は、アシェリィの耳元で囁かれた。
「そ、そうだった。ほらリュートもシャンとしなさい!」
「ぐはっ、背中が……」
思い切り喝を入れられた背部をさすり、リュートは書物に目を通す。
その書物は一年生貸し出し禁止とシールが張られており、大図書館でしか閲覧できない代物なのだ。
ここから分かるように、《カオスネスト》は高等部二年生の後期から攻略し始める場所だ。リュートたち新入生が足を踏み込んでいい場所ではない。
加えて、ダンジョン攻略にかかる平均的な期間は約半年。下手をすると一年以上かかる魔窟である。本来なら高等部卒業試験のようなもので、新入生が一ヶ月で踏破するのは分の悪すぎる賭けだ。
そこを大真面目に攻略しようとしているのがリュートたちなわけだが。
「出てくる怪物は……スライム、ゴブリン、スケルトン、リザードマン、他多数の基本的な種族……なんだ随分と普通だな。カオスなんて言うからもっと大層なもんだと思ってた」
「種族の統一がなってないからカオスと呼ばれているそうですよ」
その他にも地下へ下っていく構造。暗闇の中、視界不良で罠にかかる攻略生徒も少なくないとか。聞けば聞くほど設計者は陰湿陰険な人間だろうと予想がつく。
「罠も気にかける必要はあるが、問題は階層主と呼ばれる奴らとダンジョンの最期にいる門番か……」
正攻法で行くなら、最大火力のアシェリィを温存しつつ、攻略していくことになるだろう。搦め手は考えないでもないが、即席のパーティーで変な真似はしないほうが良い。
「私とリュートさんで雑魚を露払いですか……一緒に頑張りましょう、リュートさん!」
「お、おう、そうだな」
エリーナは「一緒に」のところで異様に語尾を強めた。その威圧感に相槌しか打てない。
「ふふん、私が主力ってことね、任せなさい!」
「役割分担の結果だ。こなせなかったら罰として毎日パンツの色を占ってやる。安心しろ、結果は俺の心の中にしまっておくからな」
「~~~っ! バカッ!」
アシェリィは顔を真っ赤にして大図書室から走り去ってしまった。
「リュートさん」
「……何だ、エリー」
もしや怒られるのだろうかと身構える。
「私のパンツの色を当ててみてください。ついでにブラジャーも」
「お前は何を言っているんだ」
あいにく、迫られて下着を見る趣味はない……ないが、エリーナの圧力にいつまで耐えられるだろうか。
これが《運命力》なのか、と感嘆と畏怖を抱くリュートだった。
どうやらアシェリィはお花を摘みに行っていただけだったようで、大した時間も経たずに戻ってきた。出会い頭に張り手されたのは言わずとも知れていた。
リュートは片頬を赤く腫れさせながら、テーブルに肘をついた。
「さて、エリーナ、アシェリィ。俺たちは確かに作戦を立てたが、これは現状の戦力を使った掘っ立て小屋のようなもんだ。ちょっと突けばあっという間に自壊する……例えば、戦いの中、混乱して味方への誤射とか。考えられるのはいろいろだ」
リュートは用意した紙の上にそれぞれ各人に対応する駒を置く。
「布陣は基本、前衛に俺、中衛にアシェリィを置いて、後衛をエリーナに任せるだろうな」
「私を守る陣形ってことね」
「そうだ。状況に応じて中衛と後衛が入れ替わることもあるだろうが、戦闘スタイルは大きく変わらない」
紙の上に線を引き狭い道を描き、「通路」と書いた。そこに新たな色違いの駒が置かれる。
「ここに俺たちの進行方向から敵がやってきたとする。これは相当に強い敵でない限り、対応を変えないものとする」
リュートは、自身の前衛の駒で敵を蹴散らす。
「こうやって俺が全部倒せればよし。無理ならエリーが後ろから魔法で援護してくれ」
「任せてください! 背中は絶対に守ります!」
「……よし、その固い決意は受け取っておこう」
エリーナの目が輝くほどやる気を掻き立てる何かがあるようだ。爆発的に湧き上がるオーラを見て、人間の不思議を垣間見た気がした。
「そして、アシェリィ。お前は特に気にすることなく守られてろ。いいか、俺たちが傷つくことに対して、間違っても「可哀想」なんて思うな。作戦は守らなければ機能しないことを覚えておくんだ」
「う、うん。分かった」
そこではじめて自分の役割の重さを痛感したのだろう。
アシェリィはオーラごと身を固くした。
「ああ、悪い、そう緊張するな。要は頼りにしてるってことだ、自信持ってくれ」
「……っ、そうよね! もう最初っからそう言いなさいよね、もう!」
ぱあっ、と明るくなる表情とオーラ。小さくまとめたツーサイドアップが、ひょこひょこと嬉しそうに揺れている。
なんとなく、この少女の扱いを心得てきたリュートだった。
*
学院には、訓練施設の密集した棟が三つ並んでいて、手前から三年・二年・一年と奥へ続いている。
設計上、上級魔法を数発受けてもびくともしない造りになっているらしい。
「すっごーい……」
アシェリィが間の抜けた声で呆けている。
「俺とアシェリィはある程度実力を探り合っているから、今回はエリーナの……って聞いてんのか」
「あ、ごめん、うちの訓練場よりもしっかりしてるから驚いちゃって」
それを聞いて貴族の凄さを思い知るが、それよりも設備が上の学院はさすが王立と名付けられるだけはある。
「……ところでエリーナ、得意な魔法とかはあるか?」
「う~ん、ない、かなあ」
「マジか? なんか一つくらい……」
「あ~……」
問い詰めている最中、アシェリィが苦笑していた。
「あのね、エリーはどんな属性でも中級までの魔法を使えるんだよ。魔力量もかなり多いし」
「は? それってつまり」
「全属性をそつなくこなせるから、何が得意っていう認識がないの……」
ふっ、とアシェリィが遠い目をしている。優秀すぎる幼馴染を持つと苦労するのだろう。もしかしたら、前にアシェリィが言った『釣り合わない二人』というのは、自身の経験から出た言葉なのかもしれない。
リュートは、七色オーラすげえとただただ感心する。
「とんでもない成績優秀者ってことか。ま、希望は多い方が良い。サポート期待してるぜ」
「は、はい! 私、がんばりましゅ!」
「気張りすぎるのも、ほどほどにな……はは」
「ううう~」
すっかり縮こまって小動物のようだ。
「じゃあ、風系魔法中級のゲイルストームを見せてもらおうかな」
「は、はい」
手のひらが広い空間に向けられ、詠唱が始まる。
「偉大なる風精よ、集い給え、切り裂き、舞い踊るは嵐」
中級は魔法言語を繋げた四節から成る。その難度は初球の数段上なはず、よくここまですらすらと言えるものだ。
「ゲイルストーム」
轟! と吹きすさぶ風が、訓練場に生まれる。
「訓練棟壊れねえだろうな!?」
「わかんなあああい!」
発生地を削り取っていくその様は、まさに嵐。リュートの髪は緩く縛っているのでまだいい。アシェリィの髪は逆立つように巻き上げられ、小柄な体が持ち上げられそうになっていた。
「ようやく収まったか……ってエリーナ、フラフラだけど大丈夫か? オーラ薄まってるぞ?」
「一発限りの中級魔法なんです……私の魔力量だと、これ以上は……」
「なるほどな。しゃべらなくていいから休んでな、肩を貸すぜ」
「あっ……」
腕を回すとエリーナが顔を赤らめたが、リュートは気づかなかった。立っているのもつらそうなので壁際まで移動させる。
「うーん、あの威力がせめてもう一撃いければ、切り札を変えてもよかったんだが、やっぱり作戦はさっき決めたままで行こう」
「お役に立てずすみません」
「だーかーらー、謝んな。元から俺を助けてほしいって言っただろ、エリーナは頭いいんだから、そういうところで助けてくれ、な?」
そう言って肩を叩く。
「リュートさんはズルいです」
「何がだ」
「何でもないですー」
「なんだよそれ」
弱弱しくも笑顔で返す少女を見て、ドキッとしてしまった。
「もー! リュートー、こんどは私のスキルの確認でしょ!」
「お、おう。今行く。じゃあゆっくり、エリー」
「ええ……」
エリーナとの話を打ち切り、リュートは手を腰に当ててオーラ全開のアシェリィに歩み寄る。
すると発せられる一言。
「ねえ、エリーと何話してたの?」
「言う必要ねえだろ」
「ムカつく……そうだ、他に人がいないときは、私のことアーシェって呼びなさいよ」
「なんで?」
「一歩リードしてる気分だし!」
リードしている対象になんとなく見当はつく。それで機嫌が収まるなら安いものだ。
「はいはい、ならアーシェ。お前のスキルを詳しく教えてくれ」
「う、うん」
エリーナ以外に愛称で呼ばれたのは初めてなのか、アシェリィはもじもじしていた。
リュートは、これはこれで変な気分になるのを感じる。
「自分で言っておいてオーラまで赤くすんじゃねえや、こっちが照れるだろうが」
「う、煩いわよ。それで私のスキルなんだけど」
「魔力保有量系の奴か」
「正式には《マギアストッカー》って呼んでるかな」
その後の解説で、なんと自身の一ヶ月分の魔力を貯めることが可能という、とんでもない魔力タンクであることが判明した。
「まじか……そいつはすごいな。それならあの魔力の無駄遣いも納得できる」
「無駄遣いって酷い!」
事実、中級魔法並みの魔力を無理やり注ぎ込んでいるのだから、無駄呼ばわりも納得してもらうしかない。
「ということは、アーシェのネックは魔法技術の方にあるってことか。エリーナの魔力量と同じで、一朝一夕には解決できそうにないな……」
「なんかごめん」
明るい赤から赤褐色にしぼんでいくオーラを見ていられなかった。
「人間不得意なんてあって当たり前だ。でもな、その中でアーシェにしかできない役割があるんだ。たった一つでいい。支えになる自信を持っていれば、人間何とかなるもんさ」
ぽかん、とするアシェリィの視線が恥ずかしくて「まあ、お客の受け売りだけど」とごまかす。
「ううん。受け売りでもリュートが言ったんだから、それはもうリュートの言葉でしょ!」
「……そう、かもな」
「そうよ!」
「「……ははははは!」」
「いいなあアーシェ、楽しそう」
訓練場で笑いあう二人を見て、少しもやもやを覚えるエリーナだった。