最古の魔法
「セイッ!」
稲妻を纏った一閃がドレイクの眉間を貫いた。力なく倒れふす巨体。
リュートは、目元に飛び跳ねたドレイクの血を親指の腹でぬぐう。
「おつかれ、リュート! どうよ、私の援護は!」
「ああ、凄かったぞ……援護って威力じゃなかったけどな」
二頭いたドレイクの一体はムニエル状態で転がっている。《マギアストッカー》の魔力量にものを言わせて放つフレアシュートは圧巻だった。
横ではエリーナが座り込んでしまっている。
「私、そろそろ足が棒になってきました」
「かれこれ三時間近く進みっぱなしだもんね、しょうがないよ」
みんな疲れ果てている。
リュートもそうだ。《オーラシー》の使い過ぎで目の下のクマが酷く、そして視界がかすみつつある。こめかみを押さえて疲れを振り払おうとするが、スキルで溜まった疲れはそう簡単に取れない。
だが、この冒険の終止符は見えている。
「ようやく到着だ。第三階層、試練の関門だ……うっ」
リュートは頭痛を覚えてふらついた。
目の前には、いかめしい龍頭が飾られた関門が構えている。これをくぐれば、最後の階層主とダンジョンの制御コアがあるはずだ。
「リュートさん、回復を……」
「いや、戦いのために魔力を温存しておいてくれ。アシェリィを一番サポートできるのは中衛のエリーナなんだからな」
エリーナの申し出をさりげなく拒否し、頬を叩いて気合を入れるリュート。
「開くぞ」
今、最後の関門が開かれる。
まず聞こえたのは、マグマが噴き出していると思うほどの不気味な寝息。
錆びた扉を開き切れば、その先には赤い鱗に身を包んだドレイク……否、赤竜がうつぶせで気持ちよさそうに眠っていた。
尻尾は巨躯の内側に丸まって隠されており、全貌まで分からないのがおしい。
荒い鼻息を噴き出す鼻孔からは、ちりりと火の粉が舞う。
「グウゥ……グウゥ……」
「第三階層の階層主、ハンガリーレッドドラゴン。テメエが、最後のお客だ!」
「リュートさん、声っ、声っ!?」
エリーナの抑えも虚しく、赤竜の目がパチリと開く。
「グオ? ……グオオオオオン!」
ダンジョン全体を揺るがしているのではないかという咆哮。怪物の中でも最強種の中に分類される竜種が鎌首もたげ、リュートたちを睥睨する。
そして、その裂けた口には、紅蓮の炎が蓄えられる。
「ブレス来るぞ、エリー!」
「っ、光精集い、我を護れ、ブライトシールド!」
「――バアッ!」
エリーナが光の守護防壁を召喚した直後、赤竜のファイアブレスが放たれた。
光壁と炎の吐息が拮抗する。いや、光壁がやや押されているだろうか。輝きを放ち、リュートたちを守るブライトシールドだが、防御力に難ありのようだ。ところどころひびが入ってしまっていた。
しかしながら、熱気ごと遮断してくれるブライトシールドをチョイスしたのは好手だ。選択を誤っていたら熱中症で三人とも倒れていたことだろう。
「睨みあっててもしかたねえ、俺が引きつける……いつもどおりの戦術で行くぞ!」
「え、でも……」
真正面からいくの!? という表情をしたアシェリィの反応はもっともだ。
正しくは、リュートに他の手段がない、だろう。もう正面切って戦うしか道が見えていないともいえる。
「さあ、」
爬虫類の怪物には氷系統の魔法が一番と相場が決まっている。リュートは一息にブースト、アイシクルオーラを詠唱。赤竜が立つ足元まで、全力で駆けていく。
「邪魔しに来てやったぜ!」
氷の手刀の一薙ぎ。
竜の脛のような部分を傷つけた。
「グル!?」
豪快なブレスが途切れ、赤竜の目が見開かれた。
赤竜は手持無沙汰にしていた尻尾をリュートに叩き付ける。
「クッ、あ……!?」
リュートは避けようとしたが、膝に力が入らなかった。
全身を打つ強い衝撃。魔力で強化しているとはいえ、しょせん人間の躰。リュートは軽々と吹き飛ばされ、喀血した。
リュートを呼ぶ少女たちの叫びが試練の間に木霊する。だが、助けには来られまい。前衛のリュートがやられたとなれば、次の目標はエリーナたちなのだから。
「リュートさん、起きてください! リュートさん!」
「ちょっと寝てんじゃないわよっ! こっちも動けないんだから!」
またも繰り広げられるブレスと光の壁の対決。アシェリィがロングレンジから、苦手ながらもアイスシュートを放ち、赤竜を牽制している。
「俺も、行かねえと、ぐっ……」
肋骨の下あたりがじくじくと痛む。かなりのダメージを貰ったようだ。
負傷を推してでも戦場に戻らなければいけないのは百も承知。だが、連続した迷宮潜りの疲れは、確実にリュートの体をたたっていた。
「足が動かねえ。占いばっかしてたツケだな、こりゃ……」
ごまかしの自嘲は、真剣みを帯びていた。
よろめきながら立ち上がるリュートだったが、すぐに膝をついてしまう。
(占い屋も学生も半端だった俺には、無理なのか……)
やっと学院で認められるようになったのは、ただの幻想に過ぎなかったのか。
ここまでこれたのは確かに少女二人の力が大きい。しかし、本当にそれだけなのだろうか。
リュート自身が変わろうと、ダンジョンを攻略してきたことは無駄ではないはずだ。《オーラシー》のなしではなにもできないような無能に成り下がるわけにはいかない。
(違うよな、そうじゃないだろ! 占いも、学院生活も全部手に入れてやればいいじゃねえか!)
もう一度トライしうようと力を入れたたとき、躰がふっと軽くなるのを覚えた。
「……アーシェ」
「バカリュート、あんたが倒れたら《オーラシー・アイズ》は崩壊しちゃうじゃない! 意地でも立ち上がりなさいよ!」
アーシェが涙目になりながら怒っている。
ここに彼女がいるということは、エリーナが一人で赤竜を引き受けているということだ。幼馴染を危険にさらすのは本望じゃなかったはず。
だが、アーシェはリュートの救援に来た。
この意味が分からないほど、リュートは唐変木にも、鈍感にもなった覚えはない。
「すまねえ、肩まで借りちまった。後でパンツの色占ってやっからそれで帳消しな」
「もう! くだらないこと言うくらいだったら、さっさと立てばいいのよ!」
「いてぇ!?」
バシンと背中にモミジの跡を付けられては、気合を入れて立つしかあるまい。
リュートはボロボロの躰で赤龍に向き直る。彼の双眸には《オーラシー》の不思議な輝きが秘められていた。
「《オズのオーラ占い》の店主、《オーラシー》の魔術師がテメエを占ってやるよ……赤トカゲ」
「ガア……?」
赤竜は矮小な人間に侮辱されたのを理解したらしい。ブレスを止め、不快に避けた口元を歪める。次いで怒号の如き咆哮を上げ、リュートを睨めつける。
「言葉が分からねえか? なら言うのは一度だけにしといてやるよ」
精一杯の虚勢だったが、それでもリュートは自分のペースを取り戻していた。
「お前のオーラ濁ってるぜ? 死相には気を付けなっ!」
「グルアッ!」
赤竜は長々とした挑発に我慢ならなかったのだろう。尻尾の叩き付けが迫り、数瞬前まで二人が立っていた床は派手に砕け散った。
自信満々に二人を仕留めようと憤っていた赤竜の横っ面に、冷水がかけられる。エリーナのアクアシュートだ。
二手に分かれたリュートとアシェリィは、敵の外周をぐるっと回りながらサインを送る。
「ナイスアシストッ!」
「氷精集い、敵を穿て、アイスシュートッ!」
エリーナの反対側からはアシェリィの特大霰が飛び、赤竜の柔らかな胴を的確に直撃。試練の関門に苦悶の叫びが響き渡り、遅々とだが成果を感じさせた。
赤龍が悶絶している間に、リュートはエリーナと合流。
彼は震える膝で手刀を構える。
エリーナに背を向けて立つ姿は、少々不格好だが、令嬢を護る騎士然としていた。
「よお、エリー」
「心配しましたよっ」
そう言いながら、エリーナはアクアシュートを打つ手を緩めない。
「悪かった……こんなこと頼めた義理じゃねえが、エリーの知識を借りたい。なにかいい魔法知らねえか?」
「魔法、ですか? おっと!?」
アシェリィとエリーナを交互に攻撃する赤竜。
敵は強化されており、想像以上のタフネスを備えている。アシェリィの魔法攻撃すら、決定打になっていない。打ち破るには、欠けているキーをどうにかする必要があった。
「ああ、なんでもいい! エリーが使えなくたって構わねえ、そこは俺がなんとかする!」
「そんな……でも上級魔法はまだ習ってないですし……あっ」
エリーナはハッと表情を変えた。
あるではないか。とっておきの奇跡の魔法が、一つだけ。
昔の読んだ絵本に書いてあった、しかしながら、現在に使われているところを見たことが無い古代級魔法。
「……イノベートエクセキューション!」
「なんだそりゃ? 強いのか?」
「私が知ってる中では、一番……だと、思う」
途端、口ごもる。実際に存在しているかも、発動するかもわからない以上、責任を負いきれない。
不安に駆られるエリーナだったが、リュートは笑って頷いた。
「いいね。今、エリーは《運命力》に真っ向から抗った。俺は、そんなエリーナが信じた道が一番だと信じる……なんて、占い屋の言葉じゃねえか」
「リュート、さんっ……」
エリーナが涙を堪え切れそうになかったので、頬をぺしんと叩いてシャキッとさせる。
一応、敵は目の前で昂っているのだから。
「あう」
「ほら、泣くのは後でもできるだろ。教えろよ、その呪文を……!」
「は、はい!」
エリーナの返事を機に、赤竜の意識が二人に向く。
同時に狙われてはまずいので、こちらもそれぞれ二手に分かれた。幸い狙いはリュートに行ったので、エリーナは指示を出すことに集中できる。
「まず、至高なる精霊よ、集い給え――」
「いきなりか、上等! 至高なる精霊よ、集い給え――がはっ!?」
リュートは赤竜の猛攻を援護ありきで凌ぎつつ、詠唱を紡ぐ。……が、最初の二節だけで、莫大な魔力量が持っていかれそうになった。
魔力が暴発してダメージがフィードバックしてきたほどだった。
「おいおい、俺の魔力操作技術で魔力節約しても使えねえってどんだけバカげた魔法だよ……」
「リュートさん! これは全八節からなる古代級魔法です! やはり使うのは……!」
「全八節!? そりゃ、血反吐も吐くわけだ!」
初級で二節、中級、上級はさらに二節ずつ詠唱を加えていく。今回は、上級の六節を超えた八節、古代級魔法を実現させなければならない。
必要魔力量も、魔法技術も。その難度は、エリーナが息を切らしていた中級魔法の遥かに上。
「魔力が足りねえっ……もうガス欠寸前だってのに!」
「やっぱり私が中級魔法で……!」
「いや、まだなにか、なにか……!」
「ちょっとー! 何かやるんだったら早くしてよぉ!?」
リュートが頭を悩ませていると、龍を隔てた向こうから煽りが聞こえた。
「わ、わりい! 今……」
いまだ元気に赤竜から逃げ続けるアシェリィに視線を向ける。
なぜ彼女を忘れていたのだろう。《マギアストッカー》の有り余る魔力。今こそ頼るべきだった。
リュートは大声でアシェリィを呼び寄せる。
「お前の力がいる! アーシェ、こっちに合流してくれ!」
「ひいい、わ、わかってるけどぉ!?」
悲鳴を上げ、リュートたちに向かって走るアシェリィ。だが、そんな獲物の隙を赤竜ほどの怪物が逃すわけもなかった。
赤竜の咢から炎が見えた。
「アーシェ、後ろ!」
「――!」
エリーが警告するが、彼女は振り向かなかった。全力で一歩でも早く仲間の下に向かうために。
「グルアッ!」
「水精集い、敵を穿て、アクアシュート!」
炎の吐息に水弾が立ち向かうが、呆気なく蒸発して消える。
「クソッ、アーシェ!」
「私は……諦めない!」
あと数歩で手が届く距離なのに。無情にもアシェリィは炎に飲み込まれそうになるが、その目は閉じなかった。
「最後まで目を閉じるな、って特訓した甲斐があったねぇ、ゲイルストーム」
試練の関門入口の方から突風が吹き荒れ、暴風は豪炎と真正面から衝突。その凄まじい威力に赤竜のブレスは押し敗け、あっさりと吹き散らされる。しかも、ゲイルストームは赤竜の顔面に幾つも傷をつけ、片目まで潰した。
リュートとエリーナはおろか、駆けていたアシェリィまで足を止める。
こんなことが出来る人物は一人しかいない。だが、ゲイルストームの一撃を放った者は、すでに関門の入り口から姿を消していた。
今は風に揺れる松明があるだけ。
「たく、あのロリ教師は……」
リュートは悪態をつく。
勿論相手は、最高の場面で、一番映える手の出し方をしてくれたロリ教師だ。
しかしその助力があって、アシェリィは無事二人のもとに辿り着いていた。
「ただいま、怖かったよー!」
「「おかえり!」」
もう少しで炭の塊にされるところだったのだから、アシェリィの足が震えているのは仕方がない。
リュートはアシェリィの肩を抱いて、今一度頼む。
「よく来てくれた……都合のいい話だが、お前の魔力当てにしていいか?」
「当然! そのための《マギアストッカー》で、あたしでしょ!」
アシェリィは胸を張って答えた。
彼女の力強い頷きに、リュートも覚悟を決める。
「見せてやる、赤トカゲ。俺なりの切り札の切りどころってやつを!」
リュートはアシェリィとエリーナをぐっと引き寄せた。二人は若干顔を赤らめながらも、なにかを察したみたいだった。
「さあ、エリー、アーシェに呪文を!」
「はい! いくよ、アーシェ! 紡いで呪文を、奇跡を……!」
「まっかせて!」
唯一古代級魔法を知るエリーナが、詠唱の先導を始める。
「「至高なる精霊よ、集い給え」」
カノンのように詠う二人の詠唱。同時にアシェリィからぐんぐん魔力が吸われていく。
傷付いた赤竜は、歌声に気付いて片目を向けた。
「「魔を滅し、邪を祓い」」
第三節目に入って、リュートがアシェリィの肩に添えた手に意識を集中する。
(さあ、ここからは俺もやったことがねえ一発勝負!)
他人のオーラに干渉し、自分のオーラと同様に操作する。そうすれば、アシェリィの魔力操作技術でも、古代級魔法を顕現させられるはずだ。
「頼むぜ《オーラシー》、全開だ!」
リュートの双眸の灰色が明るく輝き、強まった。アシェリィの膨大な魔力が、彼女の体内で渦巻いているのがわかる。このままでは、あまりの魔力使用量に彼女の精神力が耐え切れないだろうことも。
「ちょっとごめんな、アーシェ」
「んっ! なに、これ……リュートの魔力が、私に入って……!」
艶っぽい声音で呟くアーシェ。
リュートは残り少ない魔力をアーシェの中に注ぎ込み、魔力の誘導をしているのだ。
一歩間違えれば、両者の精神を壊してしまう程の危険な行為だったが、《オーラシー》の魔術師たるリュートがそんなヘマをするはずもない。
紡がれゆく古代の奇跡。
「「頂に坐する愚者を貫け、革新は常に我とあり」」
《マギアストッカー》が一ヶ月分貯めていたはずの魔力は、もう残量を半分以上を切っていた。
この時点で一般的な魔法師二十人分の魔力が消費されている。
アシェリィは玉の汗を掻いていた。ここまで消耗したこと自体初めてなのだろう。
膨大な魔力を操るリュートもまた、膨大な負荷を感じている。疲労でいつ倒れてもおかしくない。
「「大志は砕けぬ、其は打ち払う者なり」」
「グルルル」
赤竜は高密度の魔力に反応し、喉を鳴らす。その腹部が膨らみ始める。
今までで最大の、三人を消し炭にするブレスを放つつもりなのだ。
決着をつけようとする赤竜に、リュートはにっと笑みを見える。
「一つ占ってやる」
「グル……?」
赤竜が首を傾げる。言葉がなんとなく通じるくらいの知性はあるのかもしれなかった。
だが、もう対話の必要はない。
じき奇跡が成る
「俺にはテメエが負けることまでお見通しなんだよ! さあ、やっちまえ二人とも!」
「「ええ!」」
盛大な啖呵を切って、額から汗水を垂らして、《オーラシー》の魔術師は叫ぶ。
「「――イノベートエクセキューション!!」」
「ぐ、おおおおお!」
最後の仕上げに、魔法の向かう先を赤竜へと定める。
七色の閃光が迸った。
「グオオ!」
古代級魔法が顕現する同タイミングで、ブレスも解放された。
しかし。
「《オーラシー》、打ち破れ!」
「グルア!?」
炎のブレスの一番威力のない場所。赤竜自身が、最後に掘った墓穴を魔術師が突く。
勝敗を決するに至る、情熱的なドラマなどない。
ただ断罪の閃光が群がる炎を搔き消した。
いや、正確には純粋な魔力へと変換しているのだ。古きを新しきにしてしまう。それが古代級魔法イノベートエクセキューション。
「グル!? グ、ァ……!」
膨大な虹色の光たちは赤竜をも包み込み、強靭な肉体も竜鱗も等しく魔力へと還した。
臓物、竜骨すら魔力へと変わりなにもかもを魔力へと変える奇跡の魔法。
赤竜の姿形はどこへやら、跡には地面に赤い球体が転がるだけだ。大きさは人が抱えられるくらいはある。
「もしかして、あれが……う」
ダンジョン制御コアか。と言おうとした矢先、リュートは眩暈を起こした。魔力を使いすぎたこと、精神力が極限まで擦り切っていたこと、プラスアルファで躰の限界。この三重苦を、今のリュートが絶えられるわけがない。
「く……そ、あと、もうちょっと……なのに……」
「リュートさん!?」
「リュート!」
無念さを感じる暇もなく、リュートの意識は落ちていく。静かになったダンジョンの最奥で、ゆっくりと落ちていくのだった。
《カオスネスト》第三階層、試練の関門、赤竜ハンガリーレッドドラゴン撃破。
ダンジョン《カオスネスト》の攻略が果たされた。




