いざ、第三層!
第二階層の試練の関門は、幽霊が湧きそうなくらいひっそりとしている。関門内は松明で照らされるだけ。
空間の九割を岩肌が占める中、薄明りに男女の姿がある。
壁際で眠り続けるリュートとエリーナは、健やかに寝息を立てている。
「すう、う……ん」
エリーナは後頭部に違和感を感じて、ぐずるように覚醒しようとしていた。
寝ぼけまなこで薄ら目を開けるが、まだよく見えない。
だんだん世界の輪郭が定まって、ハッキリと瞳に映り込むようになっていく。
「……え?」
目の前にリュートの寝顔がある。まだ体のダメージが抜けきらず、眠りこけているのだろう。
一瞬で、エリーナの脳内処理が追い付かなくなってしまった。
「へ、え、リュートさんっ……って寝てる?」
「う~ん……アーシェ、そこは……」
寝言でアシェリィの名前が出たその時、エリーナの昂っていた感情はさっと落ちた。
「む~、なんでアーシェなんですかぁ、リュートさんのバカ」
リュートの頬を指先で弄る。すると楽しくなってきたエリーナは、他にも変な顔をさせてみたりし始めた。
「そうだ、寝てるんだったらなにしてもバレない、よね?」
相手が無防備なのをいいことに、自分の頭をリュートの下腹部辺りにすりすりと寄せて甘えてみる。
異性だとはっきり理解できてしまう、骨格や筋肉のつき方。なにより大好きなリュートに思いっきり甘えて見たかったという欲望が満たされていく。
「むふふ、癖になっちゃいそうです……」
そんな遊びを数分楽しんだあたりだろうか。
リュートは、度重なる刺激で、とうの昔に目を覚ましていた。無論、エリーナに認識されない形で。
ここで緊急クエスト発生。
(この状況、俺はどうしたらいいんだろう!?)
自分のお腹に頭を擦りつけて甘える、この可愛い生物をどうしてくれようか悩む。しかもエリーナが動くたび、女の子の優しい花の香りが理性を攻撃してくるのだ。
生殺し状態で耐え続け、我慢の限界が近づいてきたとき、リュートは薄目を開く。
エリーナは丁度、リュートに顔を向けていた。当然、二人の目が合う。
虹色のオーラは見事にピタリと硬直している。
少女の顔がシクラメンの花のように色鮮やかに染まる。
「お、おはよう」
精神安定のため、ひとまず愛想笑いと挨拶で切り抜けようと手を挙げた。
「お……」
「お?」
「起きているんだったら早く言ってくださいよ!」
「そんな理不尽な!?」
とんだ無茶なお願いをするお姫様である。
「貴族の息女として大恥をかいてしまいました。もう私、お嫁に行けないです、お父様……」
乙女座りで、泣きを入れるアシェリィ。なんと声を掛ければいいのやら。
リュートは、赤面中のエリーナをフォローしようと会話を続ける。
「まあ……誰も見てないし、いいだろ。たまにお嬢様が平民に甘えるくらいさ……」
(なにカッコつけたこと言っちゃってんの俺!?)
占い中でも言ったことが無いような言葉をポンポン吐く口が憎い。
「そう、ですよね。もう少し甘えても……いいですか?」
今日のエリーナは積極的で、潤んだ瞳していた。
リュートの黒色の瞳は吸い込まれるように、その碧眼に誘惑される。
二人の視線が絡み合い、一つになったとき、自然と二人の唇も近づきつつあった。
「エリー……」
「リュート、さん……」
互いの心臓の鼓動で情熱のシンフォニーが奏でられそうなほど燃え上がる劣情と欲情。
エリーナが目を閉じる。
もうリュートの理性は吹っ飛んでいた。
金属扉の錆びた蝶番が、古めかしい音を立てた。
「おーい、二人ともー!」
「「――っ!」」
続くはきはきとした呼び声に、急接近していた二人は跳ね起きた。
軽快な足音をさせ二人に近寄ってくるのは、制服を乱れさせたアシェリィだった、
「ん、どうしたの? 調子悪い? もしかして怪我してる!?」
二人の様子がおかしいことに、アシェリィが慌てている。そのボロボロの制服を見るに、ここまで必死にたどり着いただろうに、リュートたちの身を先に案じてくれていた。
その心配りに、二人はなんとも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「アーシェこそ……こんなに傷だらけじゃない」
エリーナは治癒の光系魔法を詠唱し、小柄な身体にできた無数の傷を癒していく。
「えへへ、二人が《カオスネスト》に閉じ込められたって聞いて、いてもたってもいられなくて」
はにかみながら照れるアシェリィがとても愛おしい。こんないい子を放っていい雰囲気を作っていた自分たちを思わず殴りたくなるほどだ。
「おう、俺もお前が来てくれて嬉しいよ。悪かったな、置いてきぼりにして」
リュートがオレンジ色の髪をくしゃくしゃにしながら頭を撫でると、アシェリィは多少困った素振りを見せたが、受け入れていた。
とにもかくにも、ようやく当初のパーティ三人組が揃った。
第三階層からの再出発となるわけだが、その前にアシェリィからの積もる話を聞くことになった。
パステルが一緒に来ていたのは予想外だったが、それもその後、飽きたからついてくるのをやめたという話を聞いて、不思議と納得してしまった。
「しかし、ダラスが会長にボコボコにされたってのは残念だな。後で俺が一発殴ってやろうと思ってたのによ」
などとうそぶくリュートだが、帰ったら遠慮なく拳の一つでもくれてやるつもりである。
掌に拳を打ち付けるリュートにエリーナとアシェリィは苦笑していた。
「それはそれとして……」
「アーシェ?」
「あたしたちのパーティって名前ないよね?」
神妙に疑問を口にしたアシェリィに、ぽかんとするリュートとエリーナ。
「必要か……?」
「めっちゃ必要だよ! あたしたち三人の絆を深めるためにね!」
扁平な胸を張る少女の言うことは一理ある。
これから最終階層をクリアしなければいけないのだ。互いを信じあえるキーワード、パーティの名前を考えておくのはいい。
元気のあり余るアシェリィがぶんぶんと腕を振り回す。
「私は、エリーナと愉快な仲間たちで!」
「却下だ。アーシェが愉快なのは認めるが、俺まで巻き添えにするんじゃない」
「ケチ」
「んだとコラ」
二人してデコをかち合わせていると、エリーナがオーラ全開で主張する。
「《オーラシー・アイズ》って、どうでしょう!? パーティリーダーはリュートさんですし、アイズ、なので私たち二人も仲間になった感じがします!」
「お、俺がリーダーか。それはむず痒いな……」
照れ臭そうに頭を掻く《オーラシー》の魔術師を、少女二人が微笑ましそうに見つめている。
「で、どうなのよ。あたしはこれ以上の名前はないと思う!」
「……《オーラシー・アイズ》。いいじゃねえか、俺たちにピッタリだ」
三人は円陣を組み、手を重ねる。
紅、虹、そして明るさを取り戻しつつある灰色。
それぞれ個性的なオーラが重なり合い、織り成す三重奏。
新生パーティ《オーラシー・アイズ》の攻略が再出発しようとしていた。
混沌の巣窟、第三階層は最も単純な支配構造と言っていい。
馬鹿みたいに幅広い通路を闊歩するのは、最強種の一角を担う怪物。
曲がりくねった悪魔のような角。分厚い鱗がチェインメイルの如く並ぶ皮膚。鉤爪は獲物を引き裂くためのもの。ぎらついた楯割れの眼は、己より矮小な存在を許さない。
竜の中で最下級でありながら、その強さは一級の魔法師たちにも引けを取らない。
その名もドレイク。
「ふう……行ったか」
《オーラシー・アイズ》の面々は物陰に隠れ、四足歩行するドレイクの行進を見送っていた。
一度戦ってみたのだが、第三階層のドレイクたちはタフで強靭。一々相手にしていたら体力がいくらあっても足りないのだ。
必然、慎重な攻略を迫られることになる。
幸いリュートの《オーラシー》は相手の接近を感知するので、このような攻略でこそ真価を発揮すると評しても過言ではない。
「初級魔法が鱗を剥がす程度しか効かないですし、攻略情報よりずっと強化されていますね」
「ああ、正直俺も《オーラシー》無しじゃ攻略できる気がしないな」
冷汗をかくリュートは、一息ついてから進み始めた。
「天然のダンジョンってこんな感じなのかもね」
「ん? 本物はもっとやばいぞ」
「えっ?」
言ってから、失言に気づいて口を塞ぐリュート。
依頼人に連れられて、天然のダンジョンにいったというだけである。だが、天然のダンジョンに潜っていいのは、きちんとした魔法師の資格、マギア・プロフェッショナルを持つものだけである。
それはどの国でも共通だ。
マギア・プロフェッショナルは、当然学院を卒業した者にしか発行されない。しかしリュートは中等部時点で、危険極まりない天然のダンジョンに足を踏み入れていたのだ。
白い目が突き刺さる。
「ちょっと、リュートォ?」
「まさか、《オーラシー・アイズ》のリーダーが前科一犯だなんて……」
「まてまて、誤解だ! 俺は依頼人についていっただけだ!」
二人の疑いを晴らすべく、必死の抗弁を振るう。
「しょうがないなー、そういうことにしといてあげるわよ」
「アーシェ、すっごく偉そうだね……あはは」
「納得いかねえー……ま、いっか」
貴族の令嬢二人に知られて、お咎めなしなだけ上出来。
ちなみに依頼主というのは、今は第一階層で昼寝中のパステルだ。あれはリュートにとって中々の黒歴史なので、あまり弄られたくないことだった。
「それよりも、とっとと《カオスネスト》の攻略を終わらせて……アーシェ止まれ! そこには罠が!」
「ほへ?」
カコンッ、と足元で音がした。
すぐ右の壁が崩壊した。土煙が立ち、暗い洞窟内の視界を更に悪くした。
「なんだ、大したこと……」
崩壊した壁の向こうに無数の邪悪なオーラが揺らめく。ドレイクが十体以上詰められれた状態でこちらを凝視していた。
「……あるみたいだな、二人とも逃げるぞ!」
「アーシェのおバカー! 上げた株を下げてどうするのー!?」
「ごめんエリー!」
三人が突っ走る後から、大ボリュームの地鳴りを響かせ、ドレイクが爆走を開始した。獲物は柔らかそうな肉の三人組。
リュートは思い切り悪態を吐く。
「クソッ、あんな数相手に出来るか! エリー、魔法で奴らの意識を逸らせるか!?」
「この一本道ではとても……!」
「だよな、無茶言って悪かった!」
このままダンジョンの袋小路にでも会えば全滅してしまう。だが、地図を見ている余裕はとてもない。
(せめて道が二つに分かれれば、俺が引きつけることも――ん?)
自己犠牲が美徳にならないことは承知の上だが、戦力を残す上では重要な選択だ。だが、リュートが犠牲になるシナリオは、まだまだ来るつもりはないらしい。
(道のど真ん中に、濃度の薄いオーラ……そうか!)
おそらくはトラップ。しかし、トラップがいつでも挑戦者に牙を剥くとは限らない。時に、リュートのような賢しくクレバーな占い師に利用されるときもある。
「二人とも壁際を走れ! いいか、良しと言うまで絶対に中央は踏み抜くんじゃねえぞ!」
「はい!」
「なんかよく分からないけど了解!」
十人が整列して通れるほど広い通路で二手に分かれるエリーナとアシェリィ。そしてリュートは、二人が目標地点を突かするのを確認して、ドレイクたちの方へ転回する。
手招きしてドレイクたちを挑発。
「ほら、うまい肉はここにいるぜ」
「ギャアアアアア!」
耳障りな咆哮を受けながら、リュートは足裏にオーラを集中。そのままドレイクたちを飛び越えるように盛大にジャンプした。
目標を失ったドレイクたちは、次にエリーナ太刀を追いかけようとするが――
「大所帯様、落とし穴へご案内だ」
宙で翻り、天井に手刀でぶら下がりながら、リュートは不敵に笑う。
「ガア?」
ドレイクたちは足元が扉のように開け放たれたのに気付かず、落下していく。次々と底に叩きつけられ、自重と仲間の落下の衝撃で潰れていく。
「つーか、落とし穴なんて天然のダンジョンにしかねえはずなんだが」
リュートは、改めて凶悪なトラップに目を細める。これもダンジョンの異常が関係しているのだろう。
「よっと……」
天井から飛び降りて、地獄の底状態となっているドレイクたちの蟲毒穴を覗き込む。
「リュートさん、これは……」
「トラップを利用させてもらった。正直、落とし穴が仕掛けられているとは思わなかったよ。おかげで助かった感はあるがな……」
ようやく静かになった穴の中を、アシェリィがまじまじと覗く。
ふと、真剣な表情で一言。
「ねえ? 落とし穴って皆かかったことがあるものだよね?」
「……アーシェ」
アシェリィはアホの子過ぎた。リュートの冷たい視線が発動。
「そんな目であたしをみないでよー!」
駄々っ子のようにされても、アホの勲章は消えたりしないのである。
「さ、いくぞー、エリー」
「エリー……リュートが、リュートがあ~」
「あはは、はは……」
乾いた笑いしかでないエリーナの引きつった頬が、なにもかもを語っていた。




