援軍
《カオスネスト》の深淵の入り口に立って、暗闇を覗き込む三人。それぞれ魔装具を装備して、いつでも攻略に出発できる状態だった。
「さて、準備はいいかい」
「いつでもいいわぁ」
「あ、あたしも!」
洞穴の底から邪気が溢れている。
神妙そうなライラの表情が事の深刻さを表していた。
「今、ダンジョンは一度入れば封鎖される仕組みとなっている。一度入ればクリアされるまで出られないだろう」
「なにそれ楽しそお、私今からゾクゾクしてきたわあ……!」
戦闘狂のパステルは狂ってしまったダンジョンでさえ、ただのアトラクションにしか思っていないようだった。
容易に踏み込めない雰囲気のはずだったのに、このロリ教師の発言で台無しだ。
「そういえば、リュートも怪物たちのオーラが凶悪になってるって言ってた」
「《オーラシー》の魔術師の発言、か。気を引き締めていった方がいいね」
女三人の長旅になりそうだった。
カッカッカッと軍用ブーツを鳴らしながら、速攻でダンジョンを駆け抜けていく。
「う~ん」
大鎌が一閃薙がれる度、ゴブリンの首が跳ね飛ぶ。死神を連想させる狂気が怪物たちを処断していく。パステルの行く道には屍の山ができあがる。
「どうかしましたか?」
ライラの繰るウィップ型の魔装具がスライムを弾けさせた。
まるで女王様のような空気をまとい、怪物たちを仕置きしている。男を椅子にして高笑いでもさせれば絵になりそうだ。
そして、後ろを付いて行くだけのアシェリィ。
「す、すごい……」
ダンジョンを駆け抜けていく二人の実力にただ感心するばかりだった。しかし、ついてきているだけのアシェリィも相当レベルアップしている。
学院主席の実力者と戦闘狂教師の攻略スピードについて来ているのだから。
「さて、そろそろ……のはずなんだけど」
息つく暇もなく試練の関門の前までやってくると、異常な光景が広がっていた。
アネモニースライムが関門に腐食攻撃を仕掛けていた。明らかなアルゴリズムの異常に三人とも言葉が見つからない。
最初に復帰したのは会長であるライラ。
「まずいね……まさか、ダンジョン外に出ようというのか……怪物が?」
「ふうん、それは面白く無いなあ」
「お、面白さ?」
「だってそうでしょお?」
パステルは珍しく不快な表情を露わにした。
それは、快楽主義者に残った一つの矜持なのだろう。
「戦いの空気を戦場以外に持ち込むなんてぇ、無粋じゃなあい……!」
「あ、パステル先生!? ……今のボスは危険です!」
「関係ないわぁ!」
一人駆けだすロリ教師は、後陣の制止を気にも止めず飛び出した。
「風精集い、切り裂け、ストームオーラ」
詠唱される呪文は、リュートが得意としているはずのオーラ技術の粋を使った魔法のもの。
常人に使えないはずの魔法を、しかしパステルは見様見真似だけで再現したのだ。
生まれながらの天才。戦闘関してのみ与えられた、パステルが持つ天賦の才。
「なんだ、あの呪文……僕が聞いたことが無いだと?」
「あれは、リュートの……!」
大鎌は暴雨を味方に付けており、触れただけでも細切れにされそうだった。
パステルは無詠唱で身体強化魔法まで扱い、確実に戦闘のギアをあげていく。
とても教師とは思えない、幼くも凶悪な微笑がアネモニースライムに向いていた。
「はぁっ、今日は気持ちよくなれそぉ!」
「寝れそう、じゃないんだ……」
「まあ、ザラトーラ女史だしね……」
アシェリィが突っ込み、ライラが呆れていた。
「ぷじゅ? ぷっじゅー!」
今まで扉の破壊に務めていたスライムの王が、気泡を弾けさせてパステルの方を向く。獲物を見つけたからか、それとも侵入者への怒りか、突如興奮したように触手を振り回し始めた。
「あっはあ!」
幾本もの触手をかい潜り、パステルは大鎌の内刃を閃かせた。
腐食の体液が飛び散るが、すでにパステルは反対側に回り込んでいた。
そんな攻防が、何度も繰り返される。
もともとスライムは鈍足だが、それにしても一方的な速度勝負となっていた。アネモ二ースライムはなすすべなく体積を削られていく。
「ぷじゅっ、ぷじゅっ!?」
「おっそいわね~」
パステルほどの手練になれば、学生用に配置されたダンジョンボスなど多少強かろうが関係ないといういい証明だった。
ひゅっと風が抜けていく音が、アネモニースライムの横を駆け抜けたと思うととどめとばかりに大鎌が振り上げられる。
「もう、決めるね……」
「えっ……?」
大鎌の魔装具が暴風を放つ。
「ゲイルストーム」
近接戦闘で撹乱してから、ゼロ距離で無詠唱の風系中級魔法をぶっ放す。
パステルが最も得意とする、十八番の戦術の一つ。
「うわっ……」
「容赦ないな、ザラトーラ女史」
皮膚を波打つほどの風速が傍観者二人に吹き付ける。
スライムの王は暴風に押し上げられ、身を切り刻まれながら上昇し、天井でその巨体を散らした。
「あ~……きったなあい」
核からの魔力供給が絶たれ、腐食の効力を失った紫色の体液を被るパステル。これで相手が人間だったらと思うと身が凍る。
「お疲れ様です、ザラトーラ女史」
「期待したほど強くなかったよお」
「そうですか、それは残念でしたね」
なにが残念なのか、アシェリィには理解不能だ。
「だからあ、私ここに残って待ってるからぁ、どうせ下のも大して強くないわぁ」
「はあ…………はあ!?」
ここでパステルがまさかの離脱宣言。
ライラは教師が教え子を放置するという予想外の返答に困惑を隠せなかった。
「ああ、もう。この人はホントに自由人なんだから……」
「諦め早い!」
そこは説得の道を選ぶべきではと提案するが、ライラは黙って首を横に振った。
「もう慣れた」
「慣れ……そっか、慣れって怖いもんね」
訓練で地獄をたっぷりと見てきたアシェリィは、ダンジョンの岩肌に遠い目を向けるのだった。
話し合いもないが、パステルは第一階層においていくことになったわけだが……。
「じゃあねえ、お二人さあん」
本人はこの調子だ。
パステルはひらひらと手を振り、横になった。
スライムの残骸が散らばる試練の関門のど真ん中で、横になって昼寝を始めるロリ教師。肝の太い女性だ。
アシェリィは呆然としながらも口を動かす。
「会長。リュート、アレに勝ったことあるらしいよ、中等部のときに」
「マジかい? にわかに信じがたいね。流石、リュート君だ」
ライラが驚愕を示すくらいだパステル相手に勝利するというのは、本当に驚くべきことなのだろう。
「さて」
突如、パステルがパーティから脱退することになったが、まだライラ・トゥルー・アトレーという学院屈指の実力者がいる。
ダンジョンの怪物たちが強化されているとはいえ、そうそう苦戦することはないはずである。ライラもそれが分かっているから、パステルの愚行を許している。
「さあ、ここから先が第二階層だ」
試練の関門のぉ空路を進んだ先に、さらに下へと続く門がある。そこにスライムの王の残した紋章かざすことで、扉は開かれる。
金具の軋む音。
階段を下りていくと、ウェブスパイダーの巣が通路の天井、隅に捨て置かれているのが目についた。辺りにはスケルトンの骨が散乱し、リザードマンの脱皮殻が落ちている。
平気な様子でそれらを眺めるアシェリィ。
「……大丈夫そうかい? 報告ではこれだけで腰を抜かしたって効いているけど?」
「う~ん、なにも感じないなあ……」
アシェリィは、苦手な光景だったはずの第二階層を見ても臆していない。恐るべしはパステルが強いた地獄の特訓か。
なんにせよ課題のひとつはクリアされた。
二人は広い空間を目指して進む。
「……怪物がいるね、リザードマンだ」
「……!」
爬虫類が不得手なアシェリィは身を強張らせた。
トカゲの戦士が広間から狭い通路へと躍り出る。口からちろちろとみえる赤い二股の舌。青い鱗に覆われた肢体。
丸楯とブロードソードを持ち合わせているのがやけに人間的だ。人によってはやりにくいと思う者も多いはずだ。
「ふむ……」
「ギエッ……」
ライラの繰るウィップが空を切った。
しなやかに伸びた鞭はリザードマンの逞しい首を撫で、そのまま切り落とす。鞭の表面は紙やすりの目のようになっており、それが鱗ごと撫で切ったのだ。
ライラは、冷めた瞳でトカゲもどきの首を一瞥するだけだ。
「どうだい、これが君の怖がっていた怪物さ」
まだ残骸として残るリザードマンの頭を足元でごろごろ転がすライラ。
「怖くないどころか、ライラ会長がやっつけちゃったおかげですっきりした!」
アシェリィはにっこり笑顔のまま答える。
これがパステルの特訓で死の淵まで追いやられた人間の反応だと思うと、ライラのまなじりに涙が浮かんできた。
「会長、どうかした?」
「いいや……ただ、慣れって怖いなって思っただけさ」
人間は死が一番怖いものだ。死の恐怖を何度も味わったアシェリィは、苦手という概念すら克服してしまったのかもしれない。
「ザラトーラ女史の犠牲者か……また乙女が一人、散ってしまったな」
しみじみと呟くライラの声がアシェリィに届くことはなかった。




