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シャボン玉キチの正一  作者: 一齣 其日
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一期一会


夜もだいぶ更けてきた。物書きがそろそろ物を書くのをやめにし寝ようとした。その時戸がどんどんと音を鳴るのが聞こえる。友人でも来たのかと彼は変に思いながらも戸を開けた。しかしそこには彼の見知った人物はいない。代わりに血に濡れた男がそこに立っていた。その様相に物書きは驚きつつも長年人間をやっているからか動じることはなかった。

「どうなされた」

「……匿ってくれ」

言うなり男は物書きを押しのけ、だが律儀に草履を脱ぎ揃え土間に上がれば押入れの奥へと身を隠した。男は刀を持っていなかった。その間に血がぼとぼとと落ちていた。少しもの恐ろしくなる。だが彼が尋常ではない事に巻き込まれたことがわかった。物書きは急いで手拭いを取り出し、押入れにいる男に差し出す。だが、男は頑なに受け取ろうとしない。物書きも物書きで諦めが悪い。未だ手拭いを差し出そうとする。

「血を止めないと、身体にさわりますぞ」

そうは言えども受け取ろうとはしない。物書きは痺れを切らして、その手拭いで男の傷口を無理やり押さえつけてしまった。男はやめろと反抗はするものの、物書きも意地になってしまいとうとうその手拭いで男は自らの傷を塞ぐことを余儀なくされた。

この短い間に物書きは男のことを、どうやら誇りはあるが自分に危害を加える気はないと確信した。だからなのか、彼は酒を升とお猪口を持ち出した。それぞれに並々一杯、とくとくと酒をいれる。そして升の方を男に差し出した。男はじろりと物書きを見る。だがしかし、物書きは屈託のない笑顔でお猪口を手に持ち酒を仰いでいた。そして満足そうにこう言うのだ。

「この酒は美味いぞ」

物書きは口元を袖で拭う。やはりその顔には笑みが浮かんでいた。男は升に入った酒と物書きを用心深く見合わせた。そして、彼は不思議そうにこう聞いた。

「……貴様はなぜ怯えない」

物書きは目を丸くしたが、すぐに笑みを見せて口を開く。

「貴方は、私を斬るつもりがありますかね?」

質問を質問で返され少し不快感を覚えたが、男は首を横に振る。それを見た物書きは頷いて言った。

「それが答えですよ」

空になったお猪口にまた酒をいれて飲む。その姿には簡単には言い難い年季というものがあった。

男はやはり中々酒に手を出せずにいたが、物書きの様子を見てようやく、

「頂戴いたす」

と升の酒を浴びるようにその口にいれる。いい呑みっぷりであった。それを見ていた物書きはほんの少し嬉しくなった。

「もう一杯、いけますかな?」

「いや、すまないが酒はもう結構だ。だが代わりに茶を所望したい」

「ではすぐに淹れましょうか」

物書きは慣れた手つきでお茶を淹れる。その間に二人は口を交わすことはなかった。どうにも他人の深いところには踏み入らないという気分が二人にはあった。茶は程なく淹れ終わり、男の前に差し出された。男は茶を啜る。苦味はあるが旨かった。

「……様々な御好意、かたじけない」

ふと、彼の口からそのような言葉が洩れた。思いがけない言葉に物書きは、つい男の方に目を向けた。けれどすぐに表情を戻して彼は言った。

「客はもてなすものですよ」

「……客、ですか」

「そうですよ、私にとっては」

柔らかい口調でそう言うので、男は呆気にとられつつも未だ飲みかけの温い茶を啜った。

りんりんと、外から虫の声が聞こてくる。夏も終わりかけ、秋の雰囲気がもう近づいていた。


まだ日は昇らないが、外はだんだんと薄明るくなっていた。いつの間にか眠りに落ちていた物書きはその重い瞼を開く。目を擦って起き上がり、男がいるはずの押入れを見た。しかしそこには誰もいなく、代わりにかたじけないと書かれた紙が置かれていた。それを拾って読んだ物書きは、照れ臭そうに頭を掻いた。せめて酒でも持っていけば良かったのに。

ふと見れば、まだ墨が乾ききっていないことに気づく。もしかしたらまだ追いかければ会えるかもしれない。物書きは昨日の残りの酒を持ち、外にでてあの男を追おうとした。

だが外に出た直後に物書きが見たのは、血の海を拡げ倒れている男の姿だった。そしてその向こうにシャボン玉を吹く武士が、血に染まった刀を拭っていた。

あまりの光景に物書きは言葉を失い、べしゃりと腰を落とす。その音で気づいたのか、武士はこちらに目をやった。目をやっただけで、その刀で彼を斬ろうする様子は見せない。興味が無いようだった。

物書きは、この武士が男を斬り殺したと容易に理解できた。だからと言って非力な物書きはどうすることもできなかった。ただただその手足を震わすばかりで、立ち上がることすらままならない。

血を拭い終わった刀を納め背を向けた。が、彼は何かを思い出しかのようにこちらに顔を向け、

「……勝手に葬りゃあな」

とだけ言って武士は去った。何者かはわからない。けれど物書きは、彼から滲み出る異様な冷たさを感じずにはいられなかった。

男の血はそんな中でも止まることなく広がりつつある。物書きはハッとして男に手を伸ばし、触れる。しかしもうそこに体温はなく、ただひんやりとした感触があった。

そこにもう男はいない。あるのはただの亡骸だった。




掘った穴の中に丁寧にその亡骸を寝かせた。血を多く失ったせいか、顔は青白い。

「……」

物書きは唇を噛んで、亡骸を埋めるために土を被せる。涙一つ流れない。ただ黙々と被せていく。青い白い顔が土の中に隠れていく。とうとうすっぽりと亡骸は土の中に収まってしまった。そこに墓石代わりの石を乗せ、線香に火をつけてそこにさす。最後に物書きは男に渡そうと思った酒を、とくとくと墓石に掛けた。墓石を伝って流れる酒を土が余すことなく飲んでいく。

「……」

何かしら言葉をかけようとしたが、どうにも浮かばない。物書きは結局手を合わせることしかできなかった。けれど、これだけは思えた。人というのは無情だと。あの武士しかり、言葉をかけれない自分しかり。

線香の煙は朝焼けの空に昇っていった。



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