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吉岡綾乃は魔女をやめたい  作者: 椿 雅香
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覚醒

Ⅵ 覚醒


ダルマストーブに火が燃えている。今時、ダルマストーブはないだろう。しかも、夏なのに。先生の後ろ姿にオレンジ色の暖かな光が模様を付ける。

窓の外は雪。ん?本当の世界は五月なのに。

この前まで空いていた私の隣の席に静香が座っていて、「安本先生は、雪がお好きだから」と、小声でささやいた。あの先生は安本という名なのだ。初めて知った。

黒板に、『しゅけんの後』と、書いてある。

「じゃあ、今日は、『しゅけんの後』について、お話しましょう。

先の見学で分かった通り、『しゅけん』の一族は魔法憲章擁護派で、一族に一般人の血を入れない方針でした。でも、『しゅけん』が一般人と交わって殺されてしまいます。後に生きていたことが分かったのですが、死んだ振りをして隠れて暮らしましたので、死んだと思われました。彼は優秀な若者でしたので、周囲は残念に思いました。

どちらの部族も魔法使いの血筋を守ることを目的としていたわけですが、そこに至る手法めぐって戦いにあけくれ、結局、若者が激減してしまいます。『しゅけん』の後も戦いは続き、それによって生じた結果に愕然としたわけです。そして、ようやく間違いに気付きます。

そうして、両者は和解し、若い魔法使いに魔力の衰退を防ぐための教育を施すことにしました。同時に、若者を一堂に集め、魔法使い同士の結婚を推奨することにしたのです。

戦後、日本国憲法の下、引っ越しの自由や婚姻の自由が謳われるようになると、若い魔法使いも魔法使いとの結婚に固執しなくなり、引っ越しも自由に行うようになりました。そのため、両部族は、魔法使いの遺伝子を有する者の情報をデータベース化し、子供が十五歳になると、能力判定を行い、能力のある個体に魔法使いとしての教育を受けさせることにしたのです」

「先生。どうして、十五歳なんでしょう?基本の魔法教育は小学校からしているんですから、小学校からでも良かったでしょうに」

松村が手を上げて質問した。

この人の声は懐かしい響きがあって好きだ。スカーフの色は、橙と青。つまり、太陽と水の魔法を使うのだ。

「いい質問ですね。皆さんもご存知のように……」

先生は、当然、全員が魔法教育の仕組みを知っているかのような調子で説明を始めた。

(先生!みんなは知っとるかもしれんけど、私は知らんのや。ちゃんと説明して!)

心の中で叫ぶと、安本先生は私の声が聞こえたかのように微笑んだ。

「魔法使いの一族は小学校、中学校にも影響力がありますので、この地域の小学校では、総合の授業で初歩的な魔法の授業を受けます。赤い金魚を黒い金魚に変えたり、光を作ったり、物を空中に飛ばしたり、物をどこからかともなく現したり、そういう基本的な魔法です。

そうして、中学で才能のある子だけ同じクラスに集めて、総合やホームルームの時間を通じてどんな特徴があるか調べます。

初歩的な魔法だけ使う者、初歩的な魔法の他に虹の色のどれか一色の魔法を使う者、初歩的な魔法の他に虹の色の何色かの魔法を使う者、パーフェクトの者などです。

高校に入ると、校区も広くなりますし、生徒達が複数の高校に分散しますので、一つ学校では対応できなくなり、いくつもの高校で横断的に教育が行われることになります。そこで、魔法使いの生徒には選択授業で書道を取ってもらいます」

そういえば……今頃気が付いた。選択課目は、私が選んでもないのに書道だった。

「魔法を使わない生徒は書道を選ばないよう魔法をかけてありますので、書道の選択者は魔法使いの生徒だけになります。

初歩的な魔法だけを使う生徒は、そこで、週に一度、魔法の授業を受けます。

初歩的な魔法の他に虹の色の魔法を使う生徒は、同じように書道を選択してもらいますが、その時間に、総論の魔法使いの歴史と魔法の理念については担任の私が授業をし、各論の各色の魔法の使い方についてはそれぞれの色の魔法の授業を受けてもらいます。そういう授業は現実の高校ではできませんので――魔法憲章第二条ですね。不自然なことを行わない、です――時空旅行の魔法を使って、生徒達をこのクラスへ集めたり、それぞれの色の授業へ飛ばしたりすることになります。つまり、それぞれの色の授業は、学校の枠を越えたクラスで、時空を越えたところにあるわけです」

ったく、こんな無茶苦茶してるのに、よくもまあ教育委員会――ひいては文部科学省が黙っているものだ。魔法使い社会って、よっぽどこの地域の学校教育に影響力があって、なおかつ、秘密を漏らさないシステムになっているのだ。と、妙なところで感心した。

でも、私は、書道の授業でここに来ているんじゃない。何の脈絡もなく、突然、このクラスに来たのだ。それに、静香の説明じゃ、手品部の時、このクラスの授業を受けるって話だった。

話が違うやない!

「ですから、三色の能力のある人は一時間で三時間分の授業を受けることになりますし、四色の人は四時間分の授業を受けることになります。その方法は想像できるでしょ?時空を越えて一時間を何回も使い回すのです。ただし、重複する回数が増えるほど消耗が激しいのは確かです」

じゃあ、私は一時間で七時間分の授業を受けなきゃならないのだろうか。とんでもない話だ。

書道の時間に七時間分の授業を受けたら体力が保たないから、クラブの時間とか、生徒総会の時間とかで配慮してもらってるんだろうか。

でも、こんなのって配慮と言えるんだろうか。

「で、ここからが、松村さんの質問です。確かに、松村さんの言う通り、魔法教育は小学校の時から行われているわけですから、小学校入学時に能力の判定をするのが望ましいという考え方もあります。

でも、吉岡さんのように、他所の地域に住んでいる人には小学校での魔法教育は行われません。つまり、魔法教育を通じての能力判定ができないのです。

そこで、魔法の能力が顕在化するのは何歳か、という研究がなされて来ました。

現在では、概ね十四、十五歳だという説が通説となっています。十五歳は、論語の『吾 十有五にして学に志す』でもあるように、志を持つ年です。また、元服に因んで行われる立志式は十四歳です。その辺に関係するんじゃないかと言われているのですが、いずれにしろ、眠っていた魔法使いのDNAが発動して顕在化する最大かつ最後の時期が、この年頃になります。

ですから、皆さんの中には、中学までの魔法の成績がパッとしないのにこのクラスに入った人もいると思いますが、それは、魔法の能力を判定する者がその生徒の十五歳前後の成長を認めたことによるのです」

ここで、先生は一同を見渡して、優しく微笑んだ。

「つまり、能力を表す色の数がこの一、二年で増える人もいる、と言うことです。ですから、皆さん、現状に満足せず一生懸命勉強して、総合力のある魔法使いを目指してください」

こんなふうに魔法使い社会の極秘事項を次から次へと教えられると、魔法使いじゃない友人達に口を滑らせたらどうなるんだろう、と気になってたまらなくなった。

「先生!魔法使い社会の秘密を漏らしたらどうなるんでしょう?」

思わず手を上げて訊いた。

「そのことを知り得た一般人の記憶を消すことになりますが、故意に秘密を漏らした人は、場合によっては口を封じられることになります。魔法使いの掟の全てがそうであるように、魔法憲章第三条です。一般人に魔法の存在を知られてはいけないのです」

思った通りだ。

向こうで小西が、「バーカ。聞くまでもなかろうが」と、顔で言った。

小西の顔を読むのは、心を読むより簡単だ。

「パーフェクトっていっても、何にも知らないし何もできないんだから」

「一般人の街で育ったんだから、仕方がないさ」

「でも、あれで本当に霊力があるの?あるようには見えないけど」

「いずれにしろ、魔女が一人増えるんだ。優秀な子孫を残す相手が増えたってわけだ」

 生徒たちの私語が聞こえるのと同時に、いろんな声が頭の中へ流れて来た。達也くんのときと同じだ。耳で聞くんじゃない。頭の中に響くのだ。生徒達が口にする以上のこと、心で思ったことが、そのまま流れ込んで来る。そのどれもが、パーフェクトに対する羨望と何もできない私を見下す優越感に満ちている。

あまりのことに、息ができなくなった。

ここの人達は、みんな、こんな目で見てるんや。

何もできない一般人の娘が、何故かパーフェクトだということで特別扱いされている。そもそも、『しゅけん』とナミさんの子孫ってことは純血種じゃない。血の濃さ云々と言うなら、血統も大したものじゃないし、正統派パーフェクトの静香と同列に扱われるのもおこがましい。

軽蔑しきった視線に体がすくむ。金縛りにあったようだ。息苦しくて、一刻も早く逃げ出したくなった。

肩をたたかれたような気がした。思わず振り返ると、小西が笑っていた。少し下卑た感じの笑いで、目の前に映像が押し寄せて来る。

小西が私の肩を引き寄せる。目を見ながら、唇を寄せる。ん?このリアルさは、何?あいつの唇の感触まで分かる。達也くんとだって、キスしたのは最近なのに……。

あいつの手が体中をまさぐって……。 

「手前ぇ!言ったやろ!やらしい妄想にふけったら、ギトギトにしたるって!」

体中から怒りが込み上げた。握った拳が震え、体が火を噴いた。

この場合、文字通り『火を噴いた』のだ。小西の体が燃え上がる寸前、あいつが水の魔法を使って消火した。全身ずぶ濡れだ。

水?水なら電気だ。立ち上がって、睨み付けた。

「綾乃ちゃん、やめて!」

静香の悲鳴が聞こえたような気がしたが、構わず睨み付ける。閃光が走って雷が落ちた。

静香が両手を広げてそれを止め、ピシャリと言い放った。

「綾乃ちゃん!ピ●チュウみたいなこと、しないの!」

「だって、こいつ、やらしいこと考えたんや!許せへん!」

小西を指差して叫ぶと、教室中がざわついた。

「覚醒した」

「さすがだ」

「パーフェクト……」

「とんでもないパワーだわ」

「すごい……」

さっきとはうって変わって、生徒達が尊敬の目で私を見た。

先生がにこやかに笑って私を制した。

「吉岡さん。あなた、もう少し力を操れるようにならないと、周りが危なくてしょうがないわね」

そうして、静香に、

「静香さん、吉岡さんの指導をお願いね。それと、小西くんの指導も。小西くんは吉岡さんを覚醒させるために、ワザと思考を注入したんでしょうね」

と言い、小西を見て微笑んだ。

「小西くん。吉岡さんのパワーは並じゃないから、今後、そんな危険なことはしないように」

外は雪。全身ずぶ濡れになりながら、小西はどこから取り出したのだろう?タオルを使っている。体中のところどころが赤く腫れている。火傷したのだろう。

先生が杖を振ると、小西が瞬時に乾いて、火傷も元に戻った。これが、魔法だった。




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