別れ(その2)
夏休みも残り少なくなった。
えらいことだ。宿題を完全に忘れていたのだ。調べてみると、とんでもないことに、数学が大量にあった。もっとも、夏休みの終わり近くまで一顧だにしなかった私も悪いのだが……。
私は天を仰いだ。そして、緑池の畔で宿題とジタバタ格闘した。
中島が来て手伝ってくれた。小西と静香は、小太郎達をタツヤに会わせない方がいいだろうと言うことで、来なかった。
「助かった……」
ひたすらノートを写す私を横目で見ながら、中島は、タツヤととりとめのない話をしていた。この二人(?)、結構気が合うみたいだ。
中島が自分とタツヤに透明の魔法を掛けて、タツヤの背に乗って飛んだ。いいなあ。中島は宿題が終わったから、タツヤと遊べるのだ。私は、自分が遊び倒したせいだと言うことも忘れて、中島を羨んだ。
数学は、ノートの書き写しだけで、五時間も掛かった。結局、この日は遊べなかった。でも、とりあえず宿題が終わったから、良しとするか。と無理矢理納得すると、中島が、「宿題テストがあるから、これ、理解してないとヤバイぞ」と言うので、頭を抱えた。
これ以上、どうしろって言うんだ?今からこの膨大な数学を理解するのは不可能だ。分かるところだけ出題されることを祈ろう。
中島がニコリと笑って言った。
「教えてやろうか?」
「頼める?」
と、すがるように見た。
「ああ。友達なんだ」
透き通るように笑った。ものすごくありがたくて、中島が神さまに見えた。
次の日、中島が最初のページから教えてくれた。一つ一つ噛んで含めるように教えてくれる。助かった。思わず時間が経つのを忘れた。
お腹がすいたので、気が付いた。もう三時回っていた。朝の九時からお世話になってるのに。
問題越しに中島を見て、その容貌の素晴らしさに圧倒された。
静香と一緒にいたかっただろうに。私のために、悪いことした。タツヤがあんな異常な行動を取らなければ、中島も小西や静香と一緒にいられたのに……。中島の紳士然とした優しさに、胸が痛む。
中島も小西も静香が好きなのだ。タツヤが小太郎子を好きになっても、遠慮してもらわないといけないのと同じだ。
あんまり一緒にいてもらうのも悪いので、適当に引き上げてもらった。
小太郎の池へテレポテーションで送るけど、あんまり上手じゃないから、麓になったり、どっかその辺りだったりしても許してね。そう言うと、爽やかな笑顔が返って来た。
「綾乃。もう、そんな魔法覚えたのか?大したものだ」
中島を飛ばすと、タツヤが不思議そうな顔をした。
「綾乃は、カオルのことは好いておらんのか?」
「好きだよ」
「じゃあ、折角なのに、どうして帰したんじゃ?」
「あいつがシズを好きやから。悪いやろ?」
「人間の遠慮か?」
「そうとも言える」
タツヤが気の毒そうに私を見た。龍に同情されるなんて。でも、タツヤの暖かさが心地よくて、その大きな体に寄り掛かった。
「魔法使いは嫌い」
そう言うと、タツヤは愛おしそうに私を見つめた。
ふと、タツヤの気配が変わったのに気が付いた。タツヤが人の形になっている。
「珍しい。どうしたん?」
「綾乃。ワシはお前が好きじゃ」
そう言うと、すっぽりと包み込むように抱きしめてくれた。
何となくタツヤの目がいつもと違っている。見つめられると力が抜けた。
「綾乃!何してるんだ?」
遠くで小西の声が聞こえた。
いつの間に来たんだろう?テレポテーションでもしたんだろうか?
「タツヤ、龍が人間の女に手ぇ出すんじゃねえ!このスケベが!」
小西が、タツヤの後に回って、思い切り蹴飛ばした。
つんのめったタツヤは、一呼吸して龍の姿に戻る。
「お前にそんなこと言う資格はない。静香を争っておるくせに。静香が駄目じゃったら、綾乃に言い寄るつもりか?」
タツヤは、私を抱いたまま、平然と言った。
「綾乃は、魔法使いの、宝だ!」
痛いところを突かれたのだろう。小西の声が震えた。
「魔法使いの宝……か」タツヤが、ふふふと笑った。「綾乃はワシの宝じゃ。お前達にはやらん」
私を抱えたまま上空に舞い上がったタツヤが、きっぱりと言い切った。
「トオル。ワシは、綾乃がプラトンの言う半身じゃと見極めたんじゃ」
「ほざけ!綾乃は龍なんかの半身じゃない。魔法使いの半身なんだ!」
ここで、小西が気付いて叫んだ。
「何で、お前がプラトンなんか知ってるんだ?」
おいおい、気がつくのが遅いって。
「綾乃は魔法使いは嫌いじゃと言うておった」
「そんなに……魔法使いが嫌いか?」
小西が驚愕して私を見、一瞬で私の心を読んで合点した。
「そうか、『しゅけん』を見捨てたからか。お前の先祖だ。あの時見捨てたら、お前は生まれて来なかった。確かにそうだ。でも、シズが手伝っただろ?」
「トオル。この件については、お前にもカオルにも発言権がないんじゃ」
タツヤが悠然と飛びながらたたみかける。ときどき目が妖しく光って、意識が遠くなる。
「タツヤ……トが……可哀想や。あんまり……無茶言わんの」
どうしたんだろう?眠くて眠くて、目を開けていられない。
「あんたが、人なら……私、あんたが良かったんやけど……龍と人じゃ、無理や」
やっとの思いで言うと、タツヤの声が遠くで聞こえた。
「伏姫は犬の八房と夫婦になったんじゃ。犬より龍の方が霊力が高い。綾乃は龍王の妃とする」
タツヤが暴走してしまいます。




