龍(その3)
魔法の授業が終わった後で、私は松村に声を掛けた。
「松村さん。私に、初歩的な魔法、教えてくれへん?」
松村は、ニコリと笑って、「私で良いなら」と、答えた。
授業が始まる前に、安本先生に、実用的な初歩的魔法を習いたいと言ったら、松村を推薦してくれたのだ。
松村は、終戦前後に十五歳になった人で、その時代の魔法使い社会は、教育にまで手が回らなかったのだ。そのため、当時の長老が、いろいろな時代に何人かずつ教育を委ねたそうだ。時空を越えたクラスだからできることだ。
それで、実用的な魔法という意味では、彼女が適任だろう、と言われたのだ。
魔法使い三人組は、私が自分達以外の魔法使いと親しくするのが信じられないのだろう。遠巻きにして眺めていた。
この前、おばあちゃんも魔女だったことを初めて知った。そして、おばあちゃんに、光を作る魔法を教えてもらった。光がないと、暗い山道を歩けないからだ。
今日は雨の中で濡れずにすむ方法を教えてもらおう、と決めていた。雨の中で、バリアを張ったみたいに、雨を除けて歩きたいから。小西が大阪で使った魔法だ。
松村は、笑いながら杖を振った。かなり年代物の杖だ。私のも、おばあちゃんにもらったツゲの古い杖だ。おばあちゃんがときどき頭や体を掻いたんだろう。てっぺんに脂が付いて飴色になっている。
松村が、教室の外――小さな小学校の校庭って感じで、隅っこにブランコや滑り台や鉄棒があった――へ出て、雨を降らせた。彼女は青の魔法を使うので、雨はお手のものだ。そうして、バリアの呪文を唱えた。
「呪は、魔法では呪文、陰陽道では呪と言うの。効力を増してくれるものではあるけど、それ自体、超常現象を具現化するものじゃないわ」
「?」
「要は、霊力なの。呪文はあくまでも助けるものなの」
なるほど。この人の説明は分かりやすい。
「杖があるってのは意外だったわ。あなたって、思ったより合理的だったのね」
そう言いながら、何度も呪文を唱えて杖を振る。雨の中でやっているのだ。二人ともずぶ濡れだ。いや、正確には、松村はときどき濡れる程度で、私が最初から最後までずぶ濡れなのだ。
一時間近く掛かって、何とかそれらしいものを作れるようになった。
安本先生が私達を呼んでダルマストーブの側に座らせ、魔法で乾かしてくれた。そうして、オレンジ色の液体の入ったマグカップをくれた。
三人組は待っててくれた。でも、今の私には煩わしいだけだ。心がかたくなで、受け入れることができない。
静香が悲しそうな目をしていた。中島が非難するような目で睨み、小西が何ともいえない虚ろな目をしていた。
「龍が見つかるまで、僕達と付き合わないつもりか?」
一同を代表して中島が詰め寄る。
「放っておいて欲しいんやけど……」
「何故?」
静香が涙をためた目ですがるように見る。
余りの美しさに心がくじけそうになる。でも、負けちゃいけない。
「そもそも、シズもトオルも私の心を読むのに、私があんた達の心を読めんってのがフェアやない、と思う」
小西は、いつもの『ト』じゃなくて、『トオル』と呼ばれたので青ざめた。
「僕は、読めない」
「カはいいんや。あんたの心は読めるから。でも、私は読まない。それなのに、この二人は、当然のような顔をして、自分の心を隠して私の心を読むんや。だから、嫌なん」
「どうして、あなたに龍が要るの?」
「友達が必要やから。口先だけやない、本当の友達」
「私達は、あなたの本当の友達になりたいって思ってるわ」
「だったら、心のガードを止めたら?」
私は残酷な笑いを浮かべた。
この二人にガードは外せない。外すと、静香も小西も誰が好きなのか、外へ流れてしまう。そしたら、三人のあやうい友情は壊れてしまう。
「できないやろ?だから私には、心をさらけ出してくれる龍が要るんや」
小西が怒ったように言った。
「お前が龍を探すのは勝手だ。でも、お前は、ここから一人じゃ帰れない。ここは、時空を越えた場所だ。俺かシズがいないと、帰れないんだ」
「先生に頼んでみる。先生、時空旅行の力があるって、言うてはったから」
そう言うと、回れ右して先生に頼みに行った。
後で、静香がくずおれて、中島と小西が両脇から支えるのが見えた。
先生が私を送ってくれると約束してくれたので、三人組は私を待たずに帰ることになった。
ショックだったのだろう。静香が恨めしそうな目で見て、
「綾乃ちゃん。どうして?」
と言って、泣きながら帰って行った。
静香、可哀想に。でも、言えるわけない。達也くんが駄目になってから、私は中島や小西に好意を持ちつつある。魔法使いの中じゃマシな感性の持ち主だから。でも、あいつ等は静香が好きなのだ。どちらも互いに遠慮して口には出さないけど、静香のために、守護者というとんでもない立場に甘んじている。
静香も小西も心にガードを掛けて読ませない。ということは、そういうことなのだ。これほど、雄弁な告白はない。あやうい三角関係だ。
ここで、私がどちらかを好きになったら、その均衡が破れてしまう。
知らなければ良かった。私が知らないで恋をすれば、後で申し訳なく思ったとしても、それだけだったのに。
龍が欲しい。と、また思った。
魔法使い社会で、私は異質だ。
いくら三人組が仲良くしようと言ってくれても、どうすることもできない。無理やり魔法使い社会に合わせる気もないし、できれば一般人の社会へ戻りたい。
そうだ。『しゅけん』がナミさんを護ったみたいに、魔法使い社会に私のことを忘れてもらって、一般人の社会へ戻ればいい。でも、一般人の社会へ戻ったとしても、魔法の能力が覚醒してしまったら、以前と同じってわけにはいかないだろう。
そもそも、『しゅけん』と違って、私にはそんな魔法をかける力はないのだ。
白い羊の群れの中の黒い羊は、群れの中では異質だ。でも、その羊を黒い羊の群れに入れると、今度は、心が白いから浮いてしまう。私は、心の白い黒い羊だ。どっちの群れにいても、異質で浮いている。
魔法使いの集団にいても、一般人の集団にいても、浮いているのだ。
その日、私が元の世界に帰ると、部室には誰もいなかった。机に静香の涙の跡が残っているように感じた。
「シズ、ゴメンネ。龍が見つかったら、私、どっちも好きにならずに、あんた達と付き合えるような気がするんや」
小さな声で言ってみた。
三人組と綾乃ちゃんの関係がややこしくなってきます。




