白いモノ
黒森さんに指定された家に入ると、吐き気のするほどの血生臭い匂いが漂っており、玄関には血で私には読めない文字が書いてある。
「この文字……暗号だね」
サルビアは頭を捻りながら言う。少し、考えた後、サルビアはさらなる言葉を紡ぐ。
「ここに書いてあるのは『この先に立ち入ってはいけない。立ち入った者には絶対の死を齎すだろう』だってさ」
立ち入るなと言われると入りたくなる。だけど、死を齎すという言葉が引っかかる。こんなことを黒森さんの知り合いが書くとは思えない。
私が考えていると、サルビアが私に話しかけてくる。
「人払いの結界が張ってあったってことは、”あの人”が何かを遠ざけている訳ではないね。奥に行く? それとも、逃げ出す?」
サルビアのこの口調からして、私を奥に連れていきたいのかもしれない。逃げ出すなんて言い方は煽っているとしか思えない。となると、サルビアが敵か味方かと言う部分が大きい。私と契約をしたということは味方だと考えるのが自然だろう。
「行こう」
サルビアは返事をせずに、私の前を行く。奥に行けば行くほど血の匂いが強くなる。それと共に私の吐き気も増すばかりだ。
「ククッククッ」
何やら不気味な声が聞こえてくる。
「来てしまったのね」
女性の声が聞こえ、奥に行けば奥に行くほどその声が近くなっていく。その人物にどんどんと近づいていっているのだろう。
「この家、広すぎない?」
「拡張魔法でも使っているんじゃない。あいつは拡張魔法を不得意としていたはずなんだけどな……」
「ご名答」
先程の声が目の前から聞こえる。
「クーレア。久しぶり」
目の前の女がクーレアらしい。緑の目で値踏みするように私をじっと見つめてくる。
「これがあなたの契約者ねぇ」
綺麗な顔に薄ら笑いを浮かべて言う。私は念のため、ポケットの中に黒森さんから貰ったお札があるのを確認する。
「貴様がサルビアか。初めまして……じゃないか」
前に見た黒服の男が突然出てきて、クーレアの横に並ぶ。
「拡張魔法のタネはそういうことね」
敵は二人。お札は一枚。どうにかならないものか……。逃げても拡張魔法がある限りは逃げられないだろう。どうしようか……。サルビアを頼るにしても少しきついところがある。サルビアの魔法は精神を弄るのが得意とは聞いたが、魔女には効かないらしい。なぜなら、解呪を使えるからだ。
「どうしたものかなぁ」
サルビアが声を漏らす。サルビア自身も何かがわかっていたのではないのかと思っていたが、そうではなかったらしい。こちらが考えている間も目の前の二人は悠長に待っている。良い案が出るわけがないとでも思っているのかもしれない。
「そうだ! 明日香。代償をくれない?」
代償?代償のいらない仮契約じゃなかったっけ?
「命は大きすぎる……。臓器も少し大きいか……。血ならいい?」
血……。サルビアが代償を要求するということは、状況打破の糸口があるのかもしれない。いや、本契約をすれば、あるのだろう。
私の方に鞘に収まったナイフが飛んでくる。
「これで何処かを切ってくれないかな」
「お勧めは?」
軽く言葉を返してみる。
「お勧め……ね。顔はお勧めしないかな。女の子の顔に傷を付けるのは少し心が痛むし」
ナイフを手に取り、迷わずに左手の甲に傷をつける。血がドクドクと溢れんばかりに出てくるが、その血は煙となって消え、傷口が塞がる。案外痛くなかった。
「ありがとう。明日香」
その言葉と共に薄っすらとサルビアの周囲に色が出る。白い。白が何を示しているのかはわからないが、新雪みたいに真っ白だ。
「何も起きなかったじゃないの。つまらない」
クーレアが明らかに不満そうな口調で話す。
「いや、それは違う」
サルビアがクーレアの言葉を否定する。サルビアの”色”がどんどん濃くなっていく。
「ねぇ明日香。白が何かわかる?」
わからない。サルビアが何を考えていて、何を思っているのかわからない。
「白はどんな闇でも塗りつぶせる希望の色さ!」
サルビアがドヤ顔で言う。
希望の色……か。道端でも白を纏っている人々は少なからずいた。何か希望を持っていたのだろう。
私の口元に薄っすらと笑みが浮かぶ。私は何も信じずに、生きてきた。”無色”な人間だったが、私の周囲が白くなってきた。サルビアの余裕が私に希望を与えたのだろう。
私の手の甲を刺したナイフが浮かび、形を変える。それが、白い柄のみとなり、それをサルビアが手に掴む。
「ふふっ。これで終わりだよ。君たちが何を考えていたかは知らないけど、この家の主を殺したのは確かだ。私はクロモリに殺せと頼まれているのでね。過去に何があったかは知らないけど」
「クロモリの娘を生贄にして実験を行ったのが問題だったのかしらね。それはサルビアのせいに出来たと思ったんだけどな」
サルビアは怒りの表情を浮かべ、柄だけのはずの物を振るい、クーレアの腕を削ぎ落とす。血が溢れんばかりに出るが、それも直ぐに止血された。
「何なのそれは」
「無色透明の刀身だよ。いいでしょ」
サルビアがお茶目に言う。だが、怒りは隠せていない。昔に黒森さんとペアを組んでいたはずのクーレアがサルビアに一方的にやられている。黒服の男はそれを感化しない。黒服の男は闇を纏っているように見える。漆黒の闇。何を示しているんだ?少し怖くなり、私はポケットからお札を取り出す。そのまま、黒服の男に貼ろうとするが、足を払われ、転ばされる。
「残念だったな。女、そこの魔女と同じで貴様も死にたいようだな」
手を前に差し出し、何かをしようとしたらしいが、残念ながらそれは出来ない。なぜなら、足にお札を貼ったからだ。黒服の男は足の方から徐々に朽ちていき、最終的には全身が消え去った。お札に全身が持っていかれたように見える。
「よくやったね。明日香」
サルビアが言う。サルビアもクーレアを仕留めたらしい。黒服が消えたときは、少しトラウマになりそうな光景だったが、記憶なんて脆いものなので、直ぐに消え去るだろう。
「明日香。それにサルビアもよくやったね」
「ありがとうございます。それと、話が一つ」
「ん?僕に話かい?」
「いえ、サルビアにも」
私は言葉を止め、サルビアと黒森さんの真剣な顔を見て、直ぐに続ける。
「契約を止めにしたいです。目の前の白いものが邪魔で邪魔でしょうがないので」
「そりゃそうだろうね」
「えーそんなぁ~」
サルビアは嫌がったが、結局契約は解かれ、私のつまらない中にちょっと希望のある生活が私の手に戻ったのだった。