異界のエトランゼ
都会のど真ん中…と言うにはおこがましいけれど、それなりに栄えている私たちの街。
そんな街の商店街の中、地元の子供たちが噂する、ちょっと変なお店。
ドアを開けて中に入ると、鼻をつく独特な古本の匂い。
物がいっぱいあるけど、それでいて散らかっているというようには見えない整頓された店内。
ここが私の職場。
カランコロン…
ドアの鐘が鳴ると私はこう、声を上げる。
「いらっしゃいませ!ようこそ、黒森魔法店へ!」
☆ ☆ ☆ ☆
話は数週間前まで遡る。
春真っ盛り、桜がひらひらと舞う中、高校2年に進級して間もない私は1人家へと歩を進めていた。が、突然私の背中が小突かれる。
「ねーねー、明日香!バイト先決まった?」
話しかけてきたのは怜奈、倉敷怜奈。私のクラスメートだ。
「ううん…。まだ決まってない」
「えー、そうなの?明日香ならすぐに見つかりそうなのに」
なにを根拠に…。私はそう思ったが、もちろん口にはしない。
「夏休みまでに皆でお金貯めるって約束なんだから、早く決めてね」
そう。私は自ら望んだわけでもなく、かと言って家庭の事情でもないのにも関わらず、アルバイトをすることを強要されていた。というのも、始業式の日にクラスメートの女子の間でとある約束がかわされたのだ。
「ねぇ、今年の夏さ、皆で旅行に行かない?それも、南の島、とかさ?」
口を開いたのは飯島愛子。
学年の中でも一二を争うほどの発言力を持った女子だ。クラス分けを見た時点でギョッとしていたのだが、やはり面倒なことに巻き込まれてしまった。
クラスの女子の半分以上は既にアルバイトをしていたが、残りはその経験すらなかった。私もそちら側に含まれる。
私自身は決してコミュニケーションが苦手という訳では無い。…少なくともそう自負している。
「いいねぇ…!行こうよ、南の島!ね、皆?」
が、こういう時の女子特有のノリは昔から苦手だった。
必ずこの手の女子には「取り巻き」が現れる。そんな奴らの、周りへの同調を求めるその口調に一々腹が立つ。
「わかってるって…」
口を尖らせながらも一応返事をしておく。
というのも、この女、怜奈がその取り巻きの1人であるのだ。その女を前にあまりに反抗的な態度を示せば、今後の学校生活にも影響を及ぼしかねない。そういう意味では私は狡猾であったと言える。
「あ、そうだ!せっかくだから私がいいところ見つけてあげるよ!」
「え」
しまった。完全に予想外だった。しかし、時既に遅し。
その気になった彼女はスマホを取り出すと、素早くなにかしら操作を始めた。
「お、この近くの商店街にあるみたいだよ!えーと…時給1530円だって!なにコレ、すごくない!?」
それ、明らかにブラックなお仕事じゃない…?
まあ、いいや。こう言った人を落ち着かせるには一通り付き合ってあげるに尽きる。
私は今日の放課後の自由時間を潰す覚悟を決め、怜奈に先導されながら目的地、商店街へ向かった。
自慢ではないが、この街の商店街には昔からアーケードがついている。雨の日でも買い物ができるように、と当時の市長が自腹を叩いて取り付けたそうな。
今ではそういったところも増える中、未だに多くの住民が感謝している。
目的地までの道のりは、距離にしてはさほどではなかったが、それ以上に疲れてしまっていた。元から話好きな怜奈は途切れることなく、なにかを話しかけ続けていたからだ。私はそれを適当にやり過ごしていた。頷いたり、曖昧にも返事をしたり。
そして、目的地についた時、その疲れがさらに倍増するような気分になった。
「え…ここって…」
商店街の中でも特に古い建物。木造で、火事が起きれば数時間と持たないような外見だった。一方でそれとは不釣り合いに、割と新しい看板。…とはいえ、それは私が小学校の頃から変わらないのだが。
「黒森魔法店…」
小学校の頃からいろんな噂話がするお店だった。古書売買を主に、骨董品やら日用品まで様々なジャンルのものが、 その時によってひどく偏りながら陳列されている、変なお店だった。
意外と客足はあるそうだが、子供は絶対に近寄らない。実際、私も一度も入ったことがない。
そんなお店だった。
「よかったね、見つかって!じゃあ、あたし帰るね!」
呆然とする私を尻目に、玲奈はスタスタと歩いていってしまう。
「え、待ってよ!ちょっと…」
取り残された私は入ろうか入るまいか躊躇していた。
ここで帰っても、明日になって「決まらなかった」と一言いえば済む話なのだが。
「うーむ…」
まるで誰かが私を引き込むかのように、私の足はそこから離れようとしなかった。
そんなふうに躊躇っていると、突然店のドアが開いた。
カラン…
「…おや?」
小気味良いドアベルの音と共に出てきたのは一人の青年だった。腰にエプロンを巻いているところを見ると、おそらく店員だろう。
「あ、あの…」
咄嗟のことに、しどろもどろになっていた私は、なかなか言葉を発することが出来ずにいた。
「…フフッ。アルバイトの申し込みかい?」
青年は微笑み、そして、私の心を見透かすようにそう言った。
驚く事にその後のことは、凄まじいほどのペースで決まっていった。
出勤日や、時間帯だけでなく、学校次第で出れないこともあるかもしれないなどといった細部に至るまでが一瞬のうちに決まっていったのだ。
いや、個人的に驚くべきは、その青年が店主だったということだった。
白髪、色白な華奢な青年。その容姿はよく良く見てみればモデルのような美しさで、ベタに言えばイケメンであった。青年の名は黒森紀輔。年齢までは聞けなかった。
一応、私の名誉のために補足するが、決してバイトを決めた理由が彼だった訳では無い、ということは明らかにしておきたい。「流れ」でそうなってしまったのだ。
早速、次の日から私のアルバイト生活が始まった。仕事を覚えるのには少し時間がかかったものの、それなりに、的確にこなせる様にはなっていった。
店内は外見からの想像通り、至るところに年代を感じさせるものが見受けられた。が、それは単に掃除が行き届いていないだけでもあった。そして、それがアルバイトを雇った理由でもあったそうだ。
「明日香ちゃん、向こうの棚の掃除よろしく」
はじめ、時給を聞いた時に想像したとおり、仕事自体はキツかったものの、私自身が掃除好きであるというのと、その店の中が妙に懐かしいという事もあって、それほど苦痛には感じなかった。
そして、夏前にして目標金額をゆうに超える額の収入を手に入れていた。
このアルバイトには高収入の代わりにいくつか条件があった。
1、休日に呼び出されたらすぐに駆けつけること。
2、店に友達を呼ばないこと。
3、仕事中のことを口外しないこと。
4、店の奥の書庫は紀輔に許可された時以外に出入りしないこと。
基本的にこの四点さえ守れば問題ないという。
1を聞いた時にはブラックなお仕事を予想したが、ここ2ヶ月の間には、そのようなことは一度もなかった。
それ以外の項目を破るようなことはないと、私は高を括っていた。
が、その余裕はひょんな事で崩れ去ってしまった。
七月に入って、湿気が多くなる季節になっていた。
この仕事は古書を取り扱うゆえ、湿度は最大の敵とも言える。そして、この店も例外なく、その対応に追われていた。
「明日香ちゃん、僕が奥で作業している間、店番ヨロシクね」
そう言って黒森さんは店の奥に引っ込んでいた。
昼過ぎになって、一本の電話がかかってきた。外の天気が怪しくなってきたので、雨宿り客が増える事を予期した矢先だった。
「お電話ありがとうございます。黒森魔法店です」
『ノリさん、いる?』
やけに親しい口調の電話主。おそらく黒森さんの知り合いだろう。
「少々お待ちください」
私は受話器を置いて、保留ボタンを押す。
「黒森さん!電話ですよー!」
声を上げるが、返事がない。
やむを得ない。幸いにして店にはまだ誰もいないので、直接呼びに行くことにした。
「黒森さん?電話ですー」
何度か呼びかけるが、返事がない。
ふと見れば、一つのドアが少しだけ開き、中の光が漏れている。
さては、居眠りでもしているんじゃなかろうか。
扉を開けようとして気づいた。そこは普段は閉じられている奥の部屋だった。入ることを禁じられていたが、電話を待たせてしまっている以上、起こさざるを得ない。
私は、部屋の中に足を踏み入れた。まるで、なにかにその思考を導かれるように。
ギシ、ギシ、と床が鳴る。それほどに古いのだろう。だが、乱雑な店内に比べ、部屋の中は異常なまでに綺麗に整っていた。陳列が、という訳では無い。ホコリひとつすらない程に掃除が行き届いているように見えた。
何気なしに棚を見て回る。
ハードカバーの本はもちろんのこと、何故か棚の高いところには、化学の実験とかで使うようなガラス製と思しき器具が並んでいた。
思わず目的も忘れ、ふと、目に付いた本を取り出す。
「わぁ…」
子供の頃、絵本の中で見たような洋書だ。訳もなく欲しがっていた事もある。
「…あれ?」
表紙をめくったページは白紙。
「あれれ?」
その次も、またその次も白紙が続いていた。表紙も装飾だけで、文字の類は見受けられない。
まさか、と思って、その棚の本を全て見てみるが、すべて白紙の本だった。
ぞくりと背筋が震える。
「誰…?」
一瞬だが、なにかの視線を感じた。
鋭い、まるで私を狙っているかのような狩人を思わせる視線だ。
この部屋は何かがおかしい。
私はこの部屋に入った事を後悔しながら、手にした本を棚に戻そうと…。
「……っ!!」
本棚に空いた1冊分の隙間。その隙間の向こうにそれは居た。
丸い二つの目が私を見つめていたのだ。
「きゃあッ!」
驚いてそこから飛びのけた私は、図らずして後ろの本棚にぶつかってしまった。
その拍子に棚がバランスを失い、私の方へ倒れてきた!
「きゃあああっ!」
「どうした!?」
血相を変えた黒森さんが部屋に飛び込んでくる。
が、私はそれどころではなかった。
「っつぅ…!」
棚に乗っかっていたガラス器具が床に落ちていた。そして、そのうちのいくつかは割れてしまっている。その破片が私の手元まで飛び散っていた。
その破片で私は中指を切ってしまっていた。深い傷ではないが、それなりに血が出ている。
「馬鹿!お前、勝手にここに入るなって…!」
私の様子を見た黒森さんが言葉を切る。
いや、正確にはその目は私ではなく、私の手に向いていた。
ふと、持ち上げた手から血が滴り落ちる。
それは棚から落ちた拍子に、その勢いで開いていた1冊の本、勿論白紙であるページに赤い染みを作った。
しまった。
そう思った時には既に遅い。私は自分のミスで商品(?)を汚してしまったのだ。
「危ない!伏せろ!」
が、そんな私の自責の念を吹き飛ばすかのように黒森さんの鋭い声が飛ぶ。
ボンッ!
何かが弾ける音と共に目の前が白い閃光で塗りつぶされた。
まるで五感の全てが塞がれたかのような衝撃に、黒森さんに言われるまでもなくその場に伏せていた。
徐々に回復する視界の中に「彼女」はいた。
「タァッーリホーゥッ!よーやく外に出れたぜ!」
ショートカットの銀髪、紅より深い赤の瞳、透き通るような白い肌のその美女は、その外見に似つかわしくない雄叫びを上げながら、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。
そして、ひとしきり飛び跳ねた後、放心状態の私に向かって彼女はこう言った。
「お嬢ちゃん、魔女と契約する度胸は、あるかな?」