5:ファイブ・ヘッド、パンプキン・ナイト(2)
『さぁ、それではー……いよいよ五頭龍祭、スタートでぇす!』
やや窄まった視界の向こう側、司会進行役と思しきねーちゃんが高らかに声を張り上げ、選手の一人が早速パイを投げようと振りかぶる。
それは翠色の髪を伸ばした少女が間近に現れ、パァンと嫌な感触が顔面で弾けるのと同じ瞬間であった。
「……へっ?」
「お借りしますね」
呆気に取られる暇もなく。少女のたおやかな指がするりと彼が構えていたパイを奪っていったことに気付くのは、次の人間が彼と同じように脱落してからである。
「ん、んなっ!」
べっとりとかぼちゃペーストのこびりついた顔を驚愕に染め、また別の男が叫びを上げた。
少女――アニーゼがやってる事は単純だ。パイを投げ、それを追いかけるように走る。当たったらそいつの分のパイを奪い、次の相手に向かって投げつける。
選手たちはそれぞれ10歩づつくらい離れているが、それはアニーゼに取って何の障害にもなるはずがない。
投げる、走る、奪う。投げる、走る、奪う。その一動作ごとのつなぎは、アイツの動きを見慣れてる俺が岡目八目で見てるからこそ辛うじて分かるのだ。
初見で、それも全くの意識の外から知覚しろと、ただの人間に要求するのは酷だろう。
「ひぃぃッ!」
だから、10人目が咄嗟に頭を下げてかわす事が出来たのは、偶然と幸運が重なった結果だ。
それも自分の分のパイを投げ捨てて、とにかく頭部を守ることだけに集中しようやくの事である。
「あら、外しちゃいました」
このスタート地点にいる20人くらいであれば、同じ手段で全滅させられると考えていたのだろう。
アニーゼは僅かに唇を尖らせて、気付かれない程度に尻尾を下げる。
ここまでで5秒。投げ捨てられたパイが地面に落ちる前にキャッチし、少女は竦み上がった獲物にパイを叩きつけた。
「おじ様のようには出来ないですね。ここからどうしましょうか」
一瞬の出来事に目を白黒させていた他の選手たちも、そろそろ正気を取り戻すころだろう。
指に付いた脂を、ペロリとなめとる。幾らアニーゼと言えど、ルール上手元にパイが無ければ反撃することも出来ない。
場内には細かく補給地点が用意されており、そこを巡る攻防が五頭龍祭の一つの目玉でもあるそう、だが。
「……ま、やっぱ格がちげえよなあ」
オペラグラスから目を離し、それ以上先を見る気を無くした俺はため息混じりに呟いた。
嘯いた通りになって、ちょっと安心したのはここだけの秘密である。たまに人類の突然変異かと思うくらいその道に特化した達人が混じってたりするんだよ。
「見終わったなら返せ! 僕の持ち物だぞ」
「あぁ、はいはい。悪かったよ」
しかし幾ら俺が(勝手に)拝借したからとはいえ、体を押し付けてでも手を伸ばしてくるのはどうかと思うぞ、トロワ。
おかげで豊満な色々な所の肉が俺の身体にジャストフィットだ。どうやら本当に意識してないらしく、色気でくたばっちまうことは無かったが。
しかしなぁ、曇りも歪みも無いガラスに銀をふんだんに使ったオペラグラスって、高いもんだろうに。
トロワの奴、本当に儲かってるんだな。以前タカっていった分の金返せちくしょうめ。
「しかし、こんなもんどこに売ってたんだ?」
「何言ってるんだい、観劇と言えばオペラグラスだろ? 真っ先に買ったさ」
それはそれは、セレブリティな趣味ですこと。おーおー、スタート地点に残った半分の奴らも中々頑張ってやがる。
「あの娘はヤバい」という認識で一致団結できたのか、どうにか逃げまわりながら挟み撃ちに出来るよう立ちまわってるようだ。
……だが結局、脱落させるためにはアニーゼに向かってパイを投げなきゃいけない時点で詰んでんだよな。
わざわざ自分を射抜くための矢弾を相手にプレゼントしてるようなもんだぜ、そんなん。
『か、開始30秒にしてB地点の竜が決定しました! 早い! 早過ぎるぞアニーゼ・ネフライテ! 少女は牙を隠していた! 通りを悠々と歩き、今、中央に向かうーッ!』
ステージ上のねーちゃんは、今もどうにか実況を続けている。呆気に取られながらも、そこはプロの仕事だな。
一分にも満たない早業だ。何が起こったか分からないというのはあるだろう。そもそも、B地点を見てすらいなかった者も居たかもしれない。
しかしまぁ、それにしたって場内は静まり返っていた。戸惑い気味が声がポツポツと上がる程度で、誰もが反応に困っていることが伺える。
度肝を抜かれたか。あるいは、自分があの嵐の前に立つことを想像したか。会場の空気は沈み、歓声も聞こえてこない。
「……なるほど……あれが四世勇者、その筆頭ね」
「意味深に呟くのは良いが、お前その後の台詞ちゃんと考えてるか?」
「ククク……ちょっと言ってみたかっただけ。でも、デュティちゃんも負けてないよ?」
その静けさたるや、人のひしめき合う観客席にも関わらず隣人のつぶやき声が聞こえるほどだ。
犠牲者諸君に関しては、まぁ、仕方ないと諦めてもらおう。お嬢と同じスタートになった時点で、運が悪かったと思うしかない。
あれでも、一応【光刃貴剣】は縛っているんだがね。お屋敷一つを両断できるあれを、まさか町中でぶっ放す訳にも行かんしな。
しかし、あいつの姿を見てよりいっそう士気を上げる者も居る。
濡羽色の髪と銀の翼をはためかせ、飛び交うパイを眼下に見下ろしながら、デュティはアニーゼの所業を鼻で笑った。
「『おあずけ』がなってないわね、アンフィーナーゼ……エンタテイメントってものがわかっちゃいない」
退屈そうに呟くデュティには、己が貴人であると言う自負があるのだろう。
先に待つアニーゼとの決戦は楽しみではあるが、それはそれとしてこれはハムサタウンの住人によるお祭りなのだ。
そこを忘れて勝利にがっつくのは、優雅とは言えない。まぁ、大方そんな考えだろうか。
「とはいえ、見てるだけと言うのも退屈ね……ほら聞きなさい、下々の者ども!」
器用に指先で回していたパイ皿を掴みなおし、腰掛けていた塀の上に改めて起立する。
スタートして2分、特に動いていないにも関わらず、未だデュティに向かうパイの弾は無い。
それは彼女のネームバリューによるものか、あるいは身体に交じる竜の血が人間に自然と畏れ多く思わせるのか。
どちらにしろ、酷く退屈には違いない。
「何のゴホウビも無しに、『竜姫』と相対しようなんて気にはならないのでしょう? もし、ワタシにパイを当てることが出来る猛者が居たなら、傅いて口付けをする権利をあげるわ!」
「「おーッ!」」
挑発的な宣言に、その場の男たちがにわかに盛り上がる。
それにしても、あの【白刃銀麗】にしちゃ随分身体をはった事を言うもんだ。
以前ははしたないとかなんとか言っていた癖に、これもトロワと交じり合った影響だろうか。
『おーっと、竜姫様これはまさかのキス宣言! この栄光を掴むのは一体誰になるのか? あ、もちろん祀男、祀女の称号も大切ですんでそっちも忘れずにお願いします!』
実況のおねーさんが状況を読み上げたことで、観客席のこちら側でも一気に歓声が上がった。
なるほど、大した人気である。それもこれも隣の次代魔王が用意したもんだってのが、ちょっと怖いがね。
「……お前さぁ、一応ウチの第二位に何吹き込んでんだよ」
「ふふ、ひーみつ!」
殴ったろうか。
もっとも、デュティの方もそう簡単に褒美を与えてやるつもりも無いらしい。
やっと飛んできたパイ弾をヒョイと避け、かぼちゃ味の分厚いキスを次々と男たちの顔に叩き込んでいく。
「さあさあ、他に我こそはと言う益荒男は居ないのかしら!?」
「益荒男て」
偶に思うが、あいつの偶に妙に古めかしい言葉遣いするよな。いったいどこで覚えたんだろうか。
とりま、これならアニーゼとやりあう前に脱落なんて情けない結果にはならなさそうだと安心していると、唐突に見知らぬおっさんがでっぷりとした腹肉を揺らし、こちらへ駆け寄ってきた。
「おお! これはこれはトロワ様。こんな所で奇遇ですな」
「……なんだ?」
「あぁ、ラモール商会の人か。気にしないでアジンド、僕の知り合いだ」
そうなのか。いや、別にこいつが誰と付き合ってようが知ったこっちゃ無いんだがね。
ラモール商会といやぁ、"血族"が供与した印刷技術なんかを一手に纏め上げて運用してるっつー、やり手のとこだったはず。
このおっさんのことは知らんけど、そっちなら俺でも知ってるよ。それに様付けで呼ばれるたぁ、ほんとに何やってんだコイツ?
「つきましては、少々ご相談したいことが有るのですが……」
「おいおい、それはどうしても今じゃなきゃダメなのかい。今日は我らが姫の晴れ舞台なんだよ?」
「いやはや、それもそうですな。ではまた後ほどお伺いさせて頂きます」
おっさんの方も本気で手を煩わせる気は無かったらしい。
一言二言交わしただけで、また腹を揺らしてあっさり引き下がっていった。
やれやれ全く空気が読めないな、と愚痴りながら会場に向き直ったトロワが思い出したように手を叩く。
「しまった。どうせなら君にも挨拶させれば良かったかな」
「俺がか? 勘弁してくれ。男の癖に甘い香水付けやがって、鼻が曲がるかと思った」
「おいおい、本気で大儲けしたいならああいうのとも付き合っていかないとやって行けないぞ?」
「……やっぱ泥臭くやってる方が性にあってる」
俺はこう、濡れ手に粟とか棚から牡丹餅が好きなのであってだ。
あんなおっさん共と仲良くやって、必死におこぼれを貰うような儲けはノーサンキューなんだよ。
「まー、お前らがやたら羽振りの良い理由は分かった。ったく、ちょっと前まで飢え死にしかけてたくせに、どこでそんなコネ手に入れたんだか」
「ん? 羨ましい? 羨ましいかい? ま、デュティの元々の働きと、後は色々さ。ほらなんたって僕、美しいし」
「息をしてなけりゃな」
言うなら「口を開かなきゃな」なんだろうが、こいつジェスチャーだけでも充分うざったいしな。
声を出さずにブーイングの意思を見せるトロワを無視している内に、またワッと観客席から歓声が上がった。
どうやらデュティの奴も順当に勝ち上がりを決めたらしい。動き始めてから5分もかかってないな。
もちろんそれだって、及第点以上に早いタイムなのだろうが。
「『アンフィナーゼと比べるのは酷だな~』とか、思ってそうだね」
「……そりゃ、な。いや実際、弱いわけが無えよ? 【次席】なんだぜ?」
30人弱居る同年代の中で、1、2を争う資質の持ち主だぞ。
生々しい話だが、アニーゼに万が一があった時の代わりでもあるし、そりゃあ強くなきゃ務まらない。
……実際、勇者の二世三世と張り合っても遜色無いだけの才能は持ってる筈だ。三席、四席まで見ても申し分なく、「今世は黄金世代だ」なんて声もあるほどである。
だがそれだけの能力でも、【四世筆頭】と比べたら格が落ちるのが血族全体の見解でもあった。
「プライドが高く、能力が高く、だが決して胡座をかく事はなく努力家で。ほんと、頑張ってるとは思うんだけどなぁ……」
「意外だね。君はもう少しデュティを……馬鹿にしてると言うと語弊があるが、嘲っているのかと思った」
「いやほら、それはそれとしてからかうとリアクションが面白いから。ま、努力してるってだけならお嬢も一緒だがね。基本、ウチじゃ才能を腐らせるような真似はさせてくれねーよ」
そんな贅沢させられるほど余裕がある訳でも無いのが実情だ。
町が空を飛んでいると言えば格好良いが、その上でだって人は飯を食って水を飲んでる。
そりゃもう色んな不都合がある訳で、「開拓・振興の為の派遣」名目で口減らしだってするさ。同じ家の血を煮詰めてばっかいる訳にも行かねーしな。
「……大婆様曰く。デュティに足りないものって、なんだと思う」
「それは勇者としてかい? 僕、そっちには詳しくないけど」
「『絶望感』――世の中であいつだけは敵に回したくねぇって思わせる感覚だとよ。あぁそうさ。だから勇者は、苦境の中で頼もしく見えるし……だから排斥されるんだ。戦いが終わった世の中からな」
アニーゼは。そんな大婆様の薫陶を、とても素直に受け入れている。
「生まれた順番が違えば、もーちょい良い友人になれてたかも知れんがね」
デュオーティに不幸があるとすれば、後からアンフィナーゼという化け物が生まれた、その一点だろうか。
しかし、過去改変能力など勇者のチートにだって有りはしないのだ。
バレルで買った揚げとうもろこしを頬張り、俺は会場中央で相打つ竜と獣の影を追った。
□■□
「ワクワクしますね、ディーちゃん。私、なんだか嬉しくなって来ちゃいました」
会場中央に、未だ二人以外の人影は無い。
大勢の観客が息を呑んで見守る中、ひときわ大きな「ご神体」の像を挟み、アニーゼとデュティは向かい合っていた。
普段、憩いの場として使われるだろう広場に、今日だけは大量のパイが布の上に敷かれて置いてある。見慣れぬ俺からすれば、異様な光景だった。
「ふん、好きなだけ楽しめば良いわ。大勢の観客の前での、惨めな敗北となるけどね」
「……? それって、楽しい物なんですか?」
「皮肉よ、もう! 不思議そうな顔をしないで!」
二人の顔をよく見れば、そこに浮かぶ表情は正反対。
デュティは怒気を溢れさせながらもどこか緊張が滲み、柔く微笑むアニーゼは、しかし眼光の奥で期待と喜びが燃え上がるようであった。
ペースに呑まれる訳には行かないと気張っているのだろう。デュティはあえて目の前の少女を指差し、鼻で笑い飛ばす。
「それに何? あの戦ぶりは。相変わらず、空気の一つも読めはしないのね」
「い、いつもはもうちょっとマシですもん……あれはその、誰かが待ってると思ったらちょっと気がはやっちゃって。楽しみにしてたんですよ? いつかこう、ちょっと拗らせたディーちゃんが闇討ちしかけてきてくれないかなーとか」
「あんたワタシをなんだと思ってんの!?」
デュティには冗談ですよと笑いかけてるが、月の無い夜にどことなくウキウキしていた事を俺は知っている。
まぁ、尻尾を逆立て怒る「龍人」のお嬢様にとっては、知ってたからなんだという話だろうが。
「……やらないんですか?」
「やらないわよ! この、誇り高き翼に賭けてッ!」
至極残念そうに首を傾げるしな、この勇者筆頭。こいつちょっと、ニホンのサブカルとやらに悪い意味で毒されてないか?
まーいいか。被害を受けるのは俺じゃない。揚げとうもろこしの袋に向け、虫のようにはい寄ってくるトロワの手を引っ叩きながら、俺は嘆息した。
実のとこ、俺はあんまりマンガとかの話には詳しく無いのだ。
さしものアニーゼも、元ネタが分からん奴に対してネタを振りまくるようなことはしない。
【設定辞書】あたりと混ぜると変な化学反応起こしそうで怖いけどね。
アイツは世の中のあらゆるデータを書き出すのが仕事のはずなんだが、それ以上に読書フリークで、それに何より俺に対する性格が悪い。
俺とトロワが袋の上で熾烈な取り合いを繰り広げている内に、あちらもそれぞれにパイを構えた。
彼我の距離はおよそ10メートル。こっちの単位じゃおよそ30フーロか? 馴染みが無いんだよな、この単位。
「あ……そうだ、最後に一つ」
「なによ。何を言った所で、いまさら容赦はしないんだからね」
張り詰めた弦が今にも弾かれようとした矢先、尻尾を振りながら笑顔を咲かすアニーゼが、敵を見据えた。
「楽しみだったのは本当ですよ。ほら私、『誰かに立ち向かって貰える』のって結構久しぶりですから」
「……その上から目線ごと、塗りつぶしてあげるわッ!」
そして、互いにかぼちゃ色の弾丸が飛んだ。
『おぉっと、中央では既に他の参加者を待たずしてぶつかり合いが始まっている模様! 第一投はそれぞれ空中でぶつかり合い、デュオーティ様は像の台座に用意された補給所へ……あ、いえ、すでに二つ目のパイを手にして投げました! 対するアニーゼさんは……あれ? 消えた?』
「あれ? さっきまであの酒場っぽい看板の影に居たよね」
「既にそこは飛び出してってご神体像の上だ。首を蹴り飛ばして強引にデュティの斜め後ろに着地。
そこからパイを投げたけど避けられそうだったんで即座にもう一度ジャンプして今あそこの屋根に居る」
「……実況解説、変わってあげた方が良いんじゃないの」
やだよ、面倒くせぇ。勇者二人の動きに追いつけず、目を回しているねーちゃんはご愁傷様だとは思うがね。
特にアニーゼは平然と空中で軌道を変えられるからな。慣れない内は視点が追いつかなくて当然だろう。
「……チートは封印してるんだよね?」
「今んとこはな、純粋な体術だよ」
大きな尻尾をムチのようにしならせることで、上手いことなんとかやってるのだそうだ。
詳しい理論を俺に求められても困るぞ。アニーゼが言うには「弓使いの人が弦を弾いた反動で浮遊するのと同じ要領」だそうだが、まず俺は弓使いが空中で静止したとこを見たことがない。
……ま、そういう摩訶不思議な体術は初代勇者の十八番だったらしいし、空中で軌道を変えるくらいなら多分デュティだってできるだろう。
体術の中じゃ基本動作なのかもな。俺はできないけど。
「大剣も使えば合わせて三段跳び出来るらしいぜ、あいつ」
「すごい……意味分かんない……」
そうだよなぁ。ちょっと練習したけど俺も分かんねぇわ。
ただ、翼のあるデュティと違って旋回や滑空までできる訳じゃないんで、あくまで空間戦闘の手札の一つに過ぎないらしいが。
「どうやら魔王は、垂直に飛び上がってから自由落下より早く斜め下に落ちたりする真似はできないらしいな。ちょいとばかり安心したよ」
「あ、うん……僕は魔法で普通に浮遊するから……」
飛翔呪文はそれなりに高度なんだが、そりゃ魔王を名乗るからにはそれくらいできるよな。
どうやら次期魔王様はある意味キモい動きの勇者特有の体術にドン引きらしい。フードから覗く唇を引きつらせて、珍しくマジの声色であった。
「あ、ほら今空中で三角飛びした」
「ダッシュキャンセルって奴? ……ちなみにあれ、チート解禁したらどうなるんだい」
「全身の好きな位置から好きな量の謎エネルギーを出せるんだぞ? 軌道を変えるどころか、空中で『踏み込む』のだって余裕だよ」
でなきゃ空飛ぶ敵とかどうすんだって話でもある。格下相手なら、剣閃を飛ばしてなんとか出来ないこともないのかも知れんが。
初代様は普通に仲間に飛翔呪文かけてもらってたらしいから、そっちのが賢い方法では有るんだろうなぁ。
でも俺、飛翔呪文までは使えないんだよね。純粋に魔力量が足りてないらしい。
「お嬢が自力で覚えるっつー手もあるが、だったら『駆け上がって』いった方が早いだろうしな」
「……デタラメだね、溜め息が出そう。兄たちは、そんな化け物と戦えって言ってたのか。無責任な」
「化け物、か。まぁそうだな……」
勇者八系、百年の血族。そん中でも、アニーゼはとびっきりの化け物であることに否やはない。
それをあいつが悔いているかと言えば、そんな事も無いのだろう。
「勇者らしくあれ」と、むしろあいつは、俺にも自分にも強いてきている。
――天空という空の端に追いやられてもなお、世界が期待する「役割」を果たせと。
「……くそったれだぜ、女神のケツめ」
口の中で湿らせたウェットシガー(薬巻たばこ:火をつけないタイプを指す)が、酷く苦かった。
「お前達にゃ謝らなきゃならんかもな、トロワ」
「うん? そりゃまたどうして」
「デュティはなんか勘違いしてるみたいだが、別にモンスターを倒すのが勇者のお仕事って訳じゃ無えんだよ。そりゃ、地元の人間の手に負えないようなら助けもするがね……」
ぐるり、と会場を囲む観客たちを見渡す。内壁の上に集まって、よくもこうゾロゾロと雁首揃えているものである。
手を振り上げながら興奮している彼らには、様々な人間が居るのだろう。子供も大人も。男も女も。職人も商人も。
そして、善も悪も。
「俺達もそろそろ、『一旗揚げろ』ってせっつかれてるんだ」
世界を救い続ける為に、勇者様がやるべきこと。
それは、何よりも「知らしめる」ことにある。
□■□
『おーっと、これはどうしたことでしょうかー!』
竜人の少女がかわしきれず銀色の翼に命中したパイが、黄色の飛沫を上げて弾けた。
流れるような黒髪の下、暗紫に揺らめく瞳が屈辱に歪む。
『押されています、デュオーティ様が! あの、竜姫様が! 相手は全くの無名、飛び込み参加の少女に一方的な展開だ!』
薄っぺらい身体を伝って落ちる、かぼちゃ餡入りのパイに当たったのはデュティ――そして、勿論当てたのはアニーゼだ。
ルール上、頭部へのクリーンヒット以外は服の染みになるくらいの意味しか無いとはいえ、戦闘の展開は自明の理。実況のねーちゃんが拡声器を握って叫ぶ通り、さ。
デュティの身体には幾つもの命中痕が残ってるにも関わらず、アニーゼが着るふわっふわのバトルドレスに黄色い染みはゼロ……それがそのまま、二人の実力の差と言っても過言ではないだろう。
『いえしかし、この子もタダの少女と言うにはあまりに語弊が有る――というか、こっから見ていても何回か消えてるんですけど!? ニンポ? ニンポでしょうか!』
「勇者ですよー……と、言っても聞こえませんよね」
四代に至るまでの交配の中、勇者八系「忍」の血も多少は混じってるだろうから間違いとも言い切れないけどな。
こっちの大陸で極東諸島と交流を持ってるのは神聖帝国くらいなもんだ。この辺の連中にとっちゃ、東の果ても天空の街もそう変わらない不思議存在である。
とはいえ、流石のアニーゼも勇者として極めた体術をニンポにされるのは不服らしい。
まだ投げていないパイを片手でくるくると弄びながら溜め息を吐いた。
――その仕草が、またデュティの癪に障る。飛膜に残る汚れをふり落とし、息も荒くアニーゼを指差す。
「アンフィナーゼ、あなたッ!」
「はい?」
「バカにしているの!? 今までに何回も、あなたの速さならパイを叩き込めるタイミングが有ったはずよ!」
「ええ、まぁ、そうなんですけど」
本気じゃ無いのは確かだが、それを侮辱していると取られるのは心外なのだろうか。
デュティに睨みつけられたアニーゼは、唇を尖らせて拗ねるように頬を膨らませた。
「せっかくのお祭りなら、もう少し楽しんでいたいですし」
「何を言って……」
「それにディーちゃんが本気なら、もっと疾く、もっと強く動けるはずです。なのにさっきからちっとも空を飛ばないじゃないですか。立派な翼が付いてるのに」
……そう、それがまた、アニーゼが物足りなさそうな理由であった。
二人がやり取りする武器がかぼちゃのパイなのは、この際良い。どうせ命の取り合いまでする訳じゃないのだから、木剣でもよく焼けた小麦生地でも本質的には変わりないだろう。
舞台がお祭り騒ぎに利用されてるのも構わない。そもそもアニーゼとて四世勇者候補、その筆頭の【光刃貴剣】なのだ。いつまでも人の目を恥ずかしがっているようじゃ俺だって困る。
アニーゼが不満としているのは、竜人たるデュティの両足がいつまでたっても地面から離れようとしない所だ。
怪我をしている訳でも無いだろうに、先程から延々と空間戦闘を仕掛けるアニーゼに対して、デュティは頑ななまでに上方の空間を利用しようとはしなかった。
上空からの攻撃を無理に地面の上でかわすものだから、避けきれなくてシミが増える。せっかくの全力機動ができそうな相手なのにそれは無いだろうと、アニーゼの碧色の眼が雄弁に語っていた。
「……この翼は、誇り高き龍の証よ。地を這う獣相手に、パイを投げ合うという遊戯で使えるわけ無いでしょう?」
「なら私も、それ相応に手加減すると言うことで、ほら、おあいこですよ。ディーちゃんと戦う機会は、ちょっと残念ですけど……確かに、お祭りではしたない真似をする訳には行かないですし?」
肩を竦めて首を振るアニーゼを見て、俺は思わず声を漏らした。
従順に頷くふりをして小さく嘲笑するような、普段の彼女なら絶対に文句を付ける「品の無い」煽り方――ぶっちゃけ、俺のやり方そのまんまである。
いや、当然といえば当然だが、子供はよく見てるもんだな。自分のよくやる仕草ってのは、傍目で見るとどうも恥ずかしいし、ニヤニヤと肘でつついてくるトロワが非常にうざったい。
だが少なくとも、誇り高き竜人の少女には一定の効果が有った。遠い内壁の縁からでも、額に青筋が浮かぶのが見えた気がした。
「――良いわ。あなたがそこまで言うなら、空を支配する龍の恐ろしさを思い知らせてあげる。負け惜しみなんて聞かないからね!?」
「わぁーい♪」
「くっ……ああもう、これだからこのケダモノッ!」
そこまで宣言して、やっと体よくノセられたことに気付いたのか。
悔し気に歯を食いしばりながら、銀翼の竜は天へ舞う。その残影を追いかけて、翠金の狼もまた跳躍した。
『おおっと、デュオーティ様、ここで飛翔開始! 龍の翼をはためかせ、空へと舞い上がっていきます! 同時にニンポ少女も、速さをましたような……あれ、なんか薄っすらと光ってるように見えるのは気のせいでしょうか? いえ、どう見ても銀色と金色に光って――うわっ、速ッ! 速いですお二人とも! もう完全に私にはわかりませぇん!』
「……ねぇあれ、チート漏れてるけど。良いのかいアジンド」
「気が昂ぶるとしょうがねえんだよ。あいつら、そういう生き物なんだから」
特にアニーゼは、ここの所パワーを持て余し気味だったからな。一応釘を刺したものの、最後まで我慢できねーだろうなと思ってはいたさ。
アニーゼが薄っすらと纏う光刃は、アイツの心が奮えれば奮えるほど力を増す。
その用途は主に破壊力や推進力として打ち出されるが、やろうと思えば器用な使い方もできる。
チートによる身体強化も相まって、もはや二人の闘いは会場内では収まらなくなってきたようだ。
金と銀の閃きが交互に煌めいて、まるで花火でも見上げているかのような気分である。
「うわー……駄目だ、もう僕でも全然目が追いつかないや。ねぇ君、実況してよ」
「嫌だよ舌噛み殺させる気かテメェ。ふたりともいっしょうけんめいたたかっています、以上」
「ど・りょ・く!」
んなこと言ったって、俺が一言喋ってる内に3回くらい攻防が終わってんだぞ。
だが場を空中戦に限れば、直線運動しかできないアニーゼよりデュティの方がやや有利なのか。あるいは単に、精神的なタガが外れたせいか?
先程まで防戦一方だった割に、二人とも互角に戦えるようになっているじゃないか。
『デュオーティ様、がんばれーッ!』
『負けるなー、竜姫様ー!』
何が何だか分からなくとも、何か凄い闘いが繰り広げられていることは分かるのだろう。
会場を囲む観客席では、旗や簡素な楽器をふりあげて声援を送るファンらしき連中も散見できる。
あちらこちらから上がる応援の声を一通り見回して、俺は改めて感嘆の声を漏らした。
「……人気モンだねぇ、お前が用意した英雄は」
「そうだろう? これでも結構大変だったんだぞ。博打に近い部分も何度かあった。ところで、あの高度でパイを投げ合ってるなら流れ弾の一つくらい飛んできそうなものだけど……全然こないね?」
「それはな、互いが投げたパイをお互いキャッチして再利用してるからだ。わざわざ地面まで取りに戻るの面倒なんだろ」
「うわぁ、なんだいそのイカれたドッジボール……」
実際には既に5~6個くらいのパイがあの空間で行き来しているので、ドッジボールですら無いんだがな。どっちかと言えば最高にクレイジーなお手玉といった所だ。
しかしドッジボールとは、また妙にマイナーなスポーツ知ってるな。魔族の文化圏じゃ流行ってるんだろうか?
弾をお互いはじき合いながらの攻防とか、ボス戦のお約束と言えばお約束っぽいが。
『も……もう私は全く追えてませんけど! それでも応援の声が会場のあちこちから届いております! 私達はあなたの勝利を信じているッ! 負けないで下さい、デュオーティ様ー!』
「凄いですね。大人気じゃないですか、ディーちゃん」
「そうよ、だからワタシは負けないの。アンフィナーゼ……!」
「うん……ちょっと、羨ましいかな」
――そして、街に響く民衆の声援は、二人の居る空にまでも、しっかりと届いていた。
ああ、この声の一つ一つが、地上に降りてからデュティが積み重ねてきた功績と信頼の証なのだろう。
最初の動機こそアニーゼから仕事を奪うためとはいえ、こいつもこいつで、一時期は目の下に隈まで作りながら必死に世界を救ってきたのだ。
そんなことは、誰に言われなくても分かっている。俺も、アニーゼも。
「でも」
ズドン、と音がして。デュティが己の視界からアニーゼが消えたと思い、目を見開いて後ろへと振り返る姿が見えた。
「それはやっぱり、『勇者』とは違うんです」
「がッ……!」
前へ向けたはずの背中から、重く衝撃が響く。パイを叩きこまれたことによる痛みで翼はピンと伸び、稲妻が走ったかのように小さく痙攣する。
なんということはない。アニーゼは強引に後ろを取るふりをして相手の死角に潜り込み、すぐに元の位置へ戻ったのだ。
それは、今まで散々【光刃貴剣】の速度で振り回していたからこそ虚を突ける一手。
ほんの僅か翼が機能不全に陥ったことで、デュティは銀の尾を描きながらきりもみに落下する。
「何が……違うと言うのよ。何が足りないと言うのよ! ワタシと! あなたに!」
「足りないも何も。そもそも、その道の先に私は居ませんし」
アニーゼの声は優しげで、慈愛と慰めに満ちていた。
遊んでやったのか、遊んでもらえたのか。どちらにしろ、竜にとっては屈辱的だ。
大翼で風を受けながら、揺らぐ姿勢をどうにか安定させようとデュティは藻掻く。
「『私達が居る』と言う絶望。『私達が来る』と言う諦観。正義を守る盾では無く、悪を絶つ剣であることこそが『勇者』であり」
瞬間、風が強く吹いて。まるで竜の息吹のように、彼女の背を押し上げた。
風を操作する能力など、デュティもアニーゼも持ち合わせちゃいない。それは会場を支配する熱気によるものか、あるいは本当にこの場だけの祝福か。
よく焼けたかぼちゃの香りと共に、遠くなったはずの歓声が届く。
「まだよッ! まだ終わっちゃいない!」
「いいえ、そろそろ私たちは退場しましょう。このお祭りは、本来街の人々のためのもの」
であればその注目も、精一杯の名誉も、その街で日々暮らし営む人間のものであるべきだ。
いくら好意に甘えさせてもらった身とはいえ、果たして結末まで貰っていくべきか。
芽吹く青葉の色でそのまま絹糸を染め上げたような、滑らかなアニーゼの髪がばらけ、風を受けてはためく。
声援が強く満ちる。その内、アニーゼへとかけられる声は、未だ無い。
「『勇者が居るから安心だ』ではなく、『勇者が居るから悪いことは出来ない』と思われるのが、世の中の為には重要なこと。ディーちゃんはきっと、そこの所を勘違いしているんです」
「アンフィナーゼェー――ッ!」
この瞬間、デュティはきっとアニーゼの碧色から金へと変わる瞳を見た。
アニーゼの背中から溢れた金の霊波が、一瞬樹木のように導線を描き、すぐに業火へと形を変えた。
「だから――あなたはそのまま、英雄をやってる方がお似合いですよ?」
……今にして思えば、それはあいつなりの、精一杯の嫉妬だったのかも知れないけれど。
「あなたはまた……ワタシより高くッ!」
「ありがとう。お誘いが嬉しかったのも、楽しかったのも……一応、全部ホントですから」
金色の杭に貫かれるように、銀の竜姫は地に堕ちて。
紫の瞳も、濡羽色の髪も、すべて黄色く塗りつぶしたパイの破片は、アニーゼが纏う金色に弾かれ、そのドレスにシミ一つ残すことなく消えた。
――【設定辞書】のデータ解説 vol.8――
二段ジャンプ ―― 【スキル】
あるいは空中ダッシュ。ニホンでは、極まった退魔師は垂直跳びからの急降下で走るより早く移動できるらしい。
「忍」の娘はそんな馬鹿なと思ったが、敬愛する主人が言うことなのでとりあえず練習してみることにした。
それから百年。やればできるものだ。
勇者 ―― 【名詞】
勇気ある者。女神の使い。特定個人において、種馬。
『さては興味ないな、お前?』
※次回更新は12/27です。