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4:よもやまの夜すら明けず(2)

 気付いた頃にはいつの間にか、辺りはすっかりと暗くなっていた。

外は雷雨に阻まれて月明かりすら漏れず、雨が窓を叩く音、そしてたまの雷鳴だけが夜をつんざいて聞こえてくる。

廊下を照らす蝋燭の灯りが、随分と頼りなく感じるぜ。こういう時、アニーゼが居てくれりゃあ勝手に照らしてくれるから楽なんだがなぁ。

火力不足はもっと深刻だ。銃やナイフじゃ、アンデッドを動けなくするには心許なさすぎる。生物相手にゃ丁度いいんだがな。


「婆さん。おい、婆さん!」


 そう広い屋敷じゃねえ。探索開始後、すぐに俺は廊下にぐったりと横たわる家政婦の婆さんを見つけることができた。

一応、いつでも投げつけられるように燭台は構えておく。最悪すでに仲間入りしてる可能性も有るわけだからな。


「……死んでる訳じゃねえな。寝てんのか?」


 そろそろと足でひっくり返してみると、その身体は微かに呼吸を繰り返していた。……見た感じ、襲われた痕跡は無さそうだが。

警戒しながら様子を見守る俺に、影がもう一つ近づいてくる。


「おお、お客人、なにかご不便でも有りましたかな」

「不便もクソも有るかよ、この屋敷、ゾンビがうろついてるかも知れねえんだぞ」


 廊下の壁に備え付けられた燭台に火を灯し。廊下に倒れた自分の妻も顧みず、にこやかに話しかけてくる執事の爺。

……確定と言うわけじゃねえが、正直かなり胡散臭い。


「ははは、そんなまさか。もしそうだとしたら、私も無事では済みませんよ」

「おい、ここで眠りこけてる婆さんが見えないのか!? 無事じゃねえだろ、どう見ても!」

「婆さんなら今頃夕飯の準備でしょう。今日は寒いですからねえ、温かいシチューなどどうかと申しておりました」

「オイオイオイオイ、言葉通じてるか、爺さん!」


 だが、このチグハグさはどういうこった。操られているとか、そんな感じでもない。

……くそ、考察は後だ。考えたところで、現状どうしようもないな。

まずはとにかく情報が居る。今、「誰に」「何が」起きている?


「ホールドアップだ。手を上げて、ゆっくりと壁に付けろ。分かるか? 銃口だ。分かんねえか?」

「お客人はパンがお好きですかな? それとも燕麦のビスケット? ワインなどが飲めるようでしたら、サラミもお切り致しましょうか」

「銃じゃダメか? ナイフならどうだ? ほら、喉元に突きつけてんぞ。危ないと分かるな?」

「この間、619年の良いのを手に入れましてな。領主様はあまりお酒は嗜まれませんで、少し寂しいくらいでございますよ」

「……初見の相手に大した歓迎っぷりじゃねえか。クソッ、なーんかおかしいとは思ってたんだ」


 ダメだな、まるで会話にならん。まるで、自分にとっての「いつもどおり」しか見ていないかのようだ。

目の前で手の平を振ってみても、瞳孔の反応はどことなく薄い。こいつ、本当に俺と話してんのか?

まぁ、少なくともこれで家政夫妻黒幕説は消えたと思っていいだろう。そしてもう一組の旅人も既にああなってしまっているとすれば……ヤベェな、こりゃ大チョンボやらかしたかもしれん。

視界からさっと回り込むと、爺はこちらを振り向きもせず再び廊下に灯りを灯すルーチンへと戻っていった。明らかに様子がおかしいが、その顔はどことなく満足気だ。


「俺を見てるのに見ていない、夢見心地って奴だな」

「ん、まさにそんな感じなの。やっぱり頭は回るのね、勇者のおじさん」


 唐突な声に振り向けば、無邪気な笑顔の中に白い牙を潜ませて、メリーとかいうガキが赤い瞳を輝かせ笑っていた。

……さてさて、まさか雑魚より先にいきなり相手から乗り込んでくるとは。どうするべきかね。


「俺ぁ……勇者じゃあ無いんだが。血を引いてるだけだっつの」

「でも、その血が厄介なのよ。トゥリーネ様……今はトロワだっけ? あのお方を追ってきたつもりだけど、とんだ獲物が巣にかかってくれたの」


 あぁはいはい、やっぱりそっち関係ですか。

トロワっつーのはついこの間出会った純魔族で、次期魔王の座を示す刻印ごと夜逃げしたせいで実の兄から命を狙われてるらしい。

こっちの実家にも連絡したし、アニーゼの(自称)ライバルこと「竜人」家のデュティに保護させてるから、そうそう万が一は無いと思うがね。


「参ったねぇ。その様子、お嬢ちゃんが動く屍どもの親玉かい」

「親玉と言えるほどの数は用意してないの。あくまで、バレない程度に拠点として使わせてもらうつもりだったし。……ま、雷雨に紛れていつでも手駒を増やせる程度の仕掛けはしてたけど」


 つまり家政夫妻を操って、問題にならない程度に旅人を呼び込んではアンデッドとして使役してるってことか。

家政夫妻をアンデッドにしないのは、おそらくそうすると一発で悪行がばれちまうからだろう。

……ヤバいな、こいつ、頭が回る。策士として一流な訳じゃないが、隠密とはなんたるかをちゃんと理解してやがる。

既に殺気を隠そうともしない金髪のガキは、剣呑にこちらを睨みつけながら問いかけてくる。


「メリーの名前を頑なに呼ぼうとしなかった頃から厄介だとは思ってたけど。呪い発動のカギが『メリー()』の名前を呼ぶことにあるって、いつ頃から気付いてたの?」


 ……んん? 訂正。こいつ頭は回るが、回りすぎて偶に空回るタイプらしい。


「いや、悪い。そりゃあ単にたまたまだ。そもそも俺はあんまり人を名前で呼ぶタイプじゃなくてな。

 しかしそうか、お前の名前を呼び返すと、あそこの爺みたいにされるって訳か?」

「……」


 ガキの余裕綽々そうだった動きがピシリと固まる。

ドヤ顔で吐いた台詞が的外れだった時って、人はこういう顔をするんだな。


「おじさん、メリーの名前はメリーよ。"コールバック(呼び返して)"・メリー」

「呼ばねえよ」

「ぬかったの……!」


 いや、地団駄踏んで悔しがられても呼ばねえよ。

状況は依然として悪いが、相手の奇跡的な自爆によってちょっと打開策は見えてくれた。

実は、魔族の中でも精神系の術に適正の有るやつらはそう多くない。そんでもって、状況や身体的特徴と合わせて考えれば……


「そうか、夢魔か! 面倒くさい相手だな、おい」

「ふん、正解なの。そして正解ついでにひとつ教えてあげるわ。メリーの能力は、眠りの呪いと眠らせた相手に『良い』夢を見せてあげること。夢はとっても素敵な世界なのよ?」


 夢魔。吸血鬼ヴァンパイアの亜種で、弱点がちょいと減り、催眠能力が増えたぶん肉体的には脆弱になった種族だ。

吸血鬼のように蝙蝠になったり高速・怪力での大立ち回りなんかは出来ないとはいえ、厄介であることには代わりはねえな。

特に、何らかの条件に引っかかって眠らされちまったら即アウトだ。生半可な精神耐性じゃこいつらの夢には逆らえない。


「夢のお代は、夢遊病めいてお前に都合のいい行動か。自己紹介とは親切なこったな。それとも、それが魔族の流儀なのか?」

「流儀? まぁ、そうね。……聞こえる悲鳴は、大きければ大きいほど良いもの」


 だろうなぁ。こういう奴らが正体を表す時ってのは、大抵相手に「詰み」を理解させるためのダメ押しだ。

逆に言うと、どんなに上手く隠蔽してても、詰みの段階に入ったら姿を表さずに居られないのが魔族全般の弱点でもある。

それで勇者にひっくり返された事も何回かありそうなもんだが、もう本能レベルでそういうふうに出来てるんだろうな。

……状況は既に、気づかぬ内にグッポリ咥えこまれて相手の巣の中だ。逆に言うと、抜け出すならここでやるしか無い。

お互いに想定外の遭遇戦みたいなもんだが、それだけに仕込みはあっちの方が上手でいやがる。


「お嬢はどうした? 流石にちゃちな催眠に引っかかるような奴じゃ無いと思うんだが」

「ふぅん、他人任せ? でも期待するだけ無駄なのよ。夢遊病には持っていけなくても、ぐっすり眠らせることはできるの。だって、眠りたくない生き物は居ないもの。リラックスして、幸せな夢の中ならなおさらだわ」


 ちっ、これで欲をかいて「勇者」を操ろうとするような奴なら楽だったんだが。

下手に手を出したら噛み付かれかねないと見て、できる範囲で行動を封じてきたってとこか。

まったく、本当に俺としたことが大チョンボだよ。どこまでやれるのかね、あの【光刃貴剣エンチャントノーヴル】無しで?


「俺が眠くて仕方がなくなるより、引き金を引くほうが早いと思わないか」

「やってみたら? 案外、どうにかなるかもなのよ」


 裏の読み合い、化かし合い。んなもん相手の土俵もいいとこだ。

勇者の戦いは前進制圧、まぁ俺にはんな火力は無いんだが、準備をしこめば多少はマシってな!


「ならやってみるかね! 【十中八駆ベタートリガー】ッ!」


 狙いも程々にブッ放された黒色の弾丸は、夢魔のガキの幻影をかき消して床を強かに打ち付けた。

だが込めてきたのは通常の鉛球じゃねぇ、「魔導」家特性のスーパー弾性(Bound Ball)弾よ。危なっかしくてチート併用じゃなきゃ使いようも無いが、壁だの天井だので散々跳ね返ってかっ飛んでいく弾丸は――!


「グァァッ!」

「ビンゴだ! そこにいたかもう1体ッ!」


 俺の頬をかすめ、後ろから迫ってきていた動く屍に直撃した。

体勢が崩れた相手を、壁に押し付けてすかさず蹴り潰す。ブラッドサッカーはカサカサに乾いているから、こういう時あんまり汚れを気にしなくてすんで楽でいい。


「っし、これで手駒は片付け……!」


 後は屋敷のどこかに潜んだ本体を引っ張りだして、どうにか肉弾戦にまで持ち込めば。

そう思った矢先、カラ、カラカラと一番聞きたくなかった音が響き渡る。


「……あのガキ、露骨にメタ張ってきやがった……」


 手の平に粗末なナイフを括りつけ、操り人形のように動かされる人の骨。

どこに埋まってたかは知らないが、スケルトンが数体、廊下の奥から俺に向かって雪崩れ込んできていた。

手慣れた戦士にとっちゃ大した相手じゃ無いが、俺のような弓兵アーチャーには酷く嫌な相手だ。何が嫌って、スカスカだから矢とかすり抜けるんだよアイツら。

十中八駆チートを使えば8割は当てられるが、心を奮わせることでほぼ無尽蔵にエネルギーを生み出せるアニーゼならともかく、俺程度だと使用回数は有限だ。

「あにめ」風に言うならMPみたいなもんが有るんだよ。必殺技ゲージでも良いけど。


 すけこまし(タダヒト)がその辺りに付け込まれて窮地に陥った記録があるから、向こうには向こうなりの対勇者ドクトリンができているんだろう。リソースの使用を強いる、と言うやつだ。やっぱアホじゃあねえな、面倒な相手だぜ。

だが、さっきも言った通り、スケルトンそのものは大した相手じゃない。そして俺もまた、自分の弱点が分かってて対策してこないほど馬鹿じゃないんだ。


「仕方ねえ、この手はあまり使いたくは無かったが」


 先程、キッチンに置いてあった余りもので作り上げたそいつに、最後の仕上げを行う。

ああ、有り合わせにしては驚くほど素直に仕上がってくれたもんだ。これなら多少は、威力の程にも期待できるかもしれねぇ。

さて、後はいい感じに広がってくれるかどうか。慎重に狙いを見図らないながら、俺は手に持つ物を投擲した。


「火を放てーッ!」

『ちょっ!?』


 喰らえッ! 火酒と布と酒瓶で出来た俺の火炎瓶メラを!

床に叩きつけられて割れた瓶から炎が広がり、俺とスケルトンどもの間に炎の壁が広がる。範囲攻撃だからどっちかと言うとギの方かも知れんが、まぁ正直どうでも良い。

どっかから耳元に響いてくる、あのガキの声もまぁいいさ。どうせ、見てるとは思ってたんだ。


『信じられないの。領主のお屋敷の中なのよ!?』

「領主のお屋敷だからやるんだろうが! へへー、立派な毛足の長い絨毯なんざ敷きやがって、よく燃えるぜこいつはよぉ! 心配すんな! 何かあったら全部お前と魔族のせいにしてやる!」

『げ、下衆なの!』


 知らんな、勝てばいい、俺の命は何よりも優先されるのだ。

おぉ、酒が染みこんで乾いた骨がよく燃える。雨の中保管されてた割には保存状態が良かったんだろう。

そういやスケルトンってどいつも綺麗な白色してるし、カビると使い物にならなくなったりするんだろうか。

想像すると案外世知辛えな、アンデッドの世話ってのも。


『か、火事になったらどうするつもりなのよこの人。連れのおねーさんだってまだ眠ってるのに』

「はっ、お嬢が火事如きで死ぬタマかよ。あぁいや、お前はこの屋敷を拠点として使うつもりで色々仕込んでたんだったか? わはははは、オマケだ! もう1本、いや2本喰らえ! 【十中八駆ベタートリガー】ァー!」

『やーめーろーなーのー!』


 ま、そこは領主の別荘、火付け対策くらいバッチリされているんだろうけどな。

壁や床材は頑丈な石造りだし、絨毯が敷いてあるとはいえ廊下に木造の家具はない。おまけに外は雷雨だし、全焼するような事にはならないはずだ。

流石に木造の家だったら俺もここまでやらかさねえさ。それを一々相手に伝えてやるメリットは無いんで黙っているが。

なんだかんだ、むき出しの火というのは人も魔族も焦らせる原始の力がある。これで判断力が奪えりゃ上々と言うわけだ。


「さーて、今のうちに退くか……ちくしょう重てえな、この婆さん!」


 とはいえ、床に転がってる婆さんまで燃え盛る骨どもの中に置いてくわけには行かない。

爺さんの方までは最早面倒見れないから、夢の中でも上手くやってくれることを祈るのみだ。幸い、利用価値はあるようだからあっちも無駄に犬死にさせたりはしないだろう。

……敵の善意を信じるしか無いってのが、能力が弱い奴の辛いとこだな、まったく。






 □■□






 景気良く皿やカップの割れる音があたりに響いた。


 食堂正面、分厚い引き戸の前に(おそらく観賞用がメインの)重い食器棚を引き倒し、ようやく俺は一息つく。

人一人運んだ上にバリケード作成の重労働、これで飯も抜きだってんだからやってられねえ。

ようやくウェットシガーを噛み締め苦味と辛味を堪能する俺に向かって、虚空からの声が語りかける。


『ほんと信じられないのこの人。今しがた粉々になった食器に一体どれだけの価値があると思ってるのかしら』

「俺の懐に関わってこない金額を想像したって仕方ねえだろ? なぁ、多数の屍を操り領主の屋敷を乗っ取らんとした凶悪な純魔族サマよ」

『冤罪! 冤罪なの!』


 知らんな。この家の持ち主様には、正義の前には多少致し方ないダメージだったと諦めて貰うしか無いだろう。

それにお前がちょっかい掛けてこなけりゃ、俺だって好んで食器をぶち割る趣味はないさ。なのでやっぱりお前のせいだ。

火の壁、物理的なバリケード、そして俺。この三重の備えはアンデッドどもに早々抜かれるようなものじゃない。スケルトンは身軽でタフだが、その分火力そのものはそれほどでもない種族だ。

手に直接短剣を巻きつけていることで分かるように、物を握れない上にあんまり重いモンは持ち運べないのである。


『……一部屋に立て籠もって、籠城戦のつもりなの?』

「そっちこそどうなんだ、こそこそ隠れて王様気取りはそろそろ止めるか?」

『お爺さんを助けなくて良いの? 勇者の癖に』

「勇者じゃ無えよ、血が繋がってるだけだ。こっちの婆さんは救えそうだったから救った、あっちの爺さんまではちょっと救えなさそうだった。それだけだろ」


 どんだけ強かろうと、救えない奴は居るもんだ。どうあがいても無理って奴だけじゃねえ、すぐそこでちょっと目を離した隙に死んじまう奴も居る。ましてや、俺のように強くもないなら尚更だ。

結局の所、巡り合わせだと思うしかない。あとちょっとの所でと思ったやつも、案外手を伸ばしてみたらやっぱり救えなかったり、代わりに別のやつが死んじまったりすることも有るだろうぜ。

ま、試してみた事が有るわけじゃないんだが。


「感謝はしてるが、手が届かないなら仕方ねぇさ。実際婆さんを放置していく訳にもいかん……延焼の可能性は0じゃねーしな。クソッ、一体誰がこんなことを」

『被害者ヅラやめてくんない?』

「被害者だろーが、ったく。それより今は、俺のぺこちゃんなお腹を救って欲しいね……お、氷砂糖あるじゃーん」


 火酒のツマミにでも置いてたんだろうか。夕飯としてはあまりにわびしいが、とりあえず空腹は紛れるだろう。

いやー、他所の戸棚を漁るのってなんでこんな楽しいんだろうな。本能かな。

この場にアニーゼが居たらたしなめられるだろうが、そもそもアニーゼが居れば俺がこんな目には合って無かったのだ。不甲斐ない自分が悪いと反省して、俺へのお咎めは無しにして貰いたいね。


「で、どうすんだ。このままお互い千日手を続けるか? さて、時間はどっちの味方だろうな」

『言ってろなの。まだ夜は始まったばかりなのよ? 半日も邪魔が入らないんであれば、いくら勇者様だって制御下におけるの』

「そうかい、んじゃ実際に出来たら教えてくれ。指さして笑いに行くからよ」


 相手がこういう風に言ってくるってことは、実際にやるつもりはないと言うことだ。

成功すれば限りなくリターンは大きいだろうが、失敗したときのリスクも命がけ。あっちはおそらく、そういう賭けをしてくるタイプじゃない。

手駒に寝込みを襲わせるのももってのほか。アニーゼは確かにぐっすりと眠ってるだろうが、あくまでそれは「寝てるだけ」だ。

アニーゼが一度目覚めれば、後はもう如何に損切りできるかの話になる。そん時に、どうあっても逃げ切れない位置――例えば、アニーゼの真ん前とかに居るのはできるだけ避けたいと思うのが人情だろう。いや、人じゃないが。


 となれば、後は膠着状態だ。夜が明けるか、アニーゼが目覚めるまでどうにかこの場で状況を維持する。

好転させよう、なんて思っちゃいけない。アンデッドの物量に対して、俺の火力は確実に足りていない。こういう時、不安に駆られてアドバンテージを欲張らないのが長生きの秘訣なのだ。


『……認めるの。あなたって、ほんとーに厄介な人ね。あなたのようなタイプが品行方正な勇者様の隣に居るって、きっとこの先すっごい面倒くさいの』

「品行方正ぃ? あいつが? ……ま、いいや。それならどうするね」

『この場で殺すわ、確実に』


 ドガン、と大きく響いて、俺の目論見と同時に壁が崩れていく音がした。

煉瓦を更に塗り固めたはずの壁をぶち抜き、攻城用かと見紛うばかりの槌が窓のあった壁と床をえぐりとる。

当然、俺も無傷では居られない。直撃こそ避けたものの、吹き飛んできたデカい瓦礫に身体をめちゃくちゃに打ち付けられ。


『行くのよ、トロルゾンビ。砦の奇襲に使うつもりだったけど、こうなったら望み通り、このお屋敷ごとめちゃくちゃなミンチにしてあげるの』

「……オイ、ゲホッ、オイオイオイ」


 死ぬわ俺。

崩れた跡に俺の足よりも太い手指がかかり、のそりと上半身が這い上がってくる。あのさ、一応ここ2階なんですけど?

流石に狭すぎて完全には入ってこれないようだが、こんな状態で腕をひと薙ぎされたら避けるスペースなんて無いも同然。扉は今しがた自分の手で塞いだばかりだし、そもそも初撃でのダメージがデカすぎる。

一応、最後っ屁で指先や目に向かってナイフを当ててはみるものの、唯でさえデカい上にゾンビじゃ怯む様子も無いときた。

……うん、ヤバいなこれ。詰んだか?


「ええいクソ、ふざけんじゃねえ。まだ路銀も使い切ってねえんだぞ、財布が空になるまで死ねるか!」

『そのセコさはいっそ一回りしてド根性ね。でも、根性だけで怪物が倒せたら勇者なんて要らないのよ……!』


 ズキリと痛む足を抑え、転がってきた椅子を杖に俺はなんとか立ち上がる。まったく、視界はくらくらするわ腹は痛いわでヒデェ目にあった。

やられてたまるかクソったれめ、俺だってチート持ちだぞ。こっちにも希望が無いわけじゃねーんだ。

火炎瓶の火が回ってからそれなりに時間は立ってる。あとほんの少し、いや、女神が寝てねぇなら今ここで……!


『……!? ゲホッ、なに!? ゴホゴホッ、こんなところにまで煙が……!? それにこれ、普通の煙じゃない……!』


 ごろうじろ、だ。サンキュー女神! 尻でもなんでも舐めてやるよ!

変に双方向の通信魔術なんか繋ぎ続けているおかげで、こっちからもお前の様子が筒抜けだぜ。

痛む腕でシケったウェットシガーを取り出し、気付けに強く噛みしめる。じわりと、口の中に苦味と辛味が広がった。

何が起きてるのかよく分かってねーって風だな? オーケイ、なら一回だけ手前らの流儀に則ってやろうじゃねえか。


「【十中八駆ベタートリガー】。おめでとさん、8割の『当たり』だ」

『ケホッ……何の、ことなの……!?』

「飛び道具だよ、そいつは。風の流れとか、湿気とか、まぁその辺がうまく行ったんだろう。俺の能力チートは『当てる』ことじゃねえ、『当たる』ことなんだよ」


 【設定辞書データブック】の奴が言うには、命中補正ではなく展開補正に分類されるらしい。

その場の思いつきがうまく行く能力。ピンときただけの直感がそのものズバリな勘の良さ。

初代勇者様が持っていたそれらの能力チートを、「適当でも遠距離攻撃が効果を与える」という形でしょぼく劣化させて受け継いだのが俺のチート。


「あの火炎瓶はお前に『当たる』ように投げた。普通ならどう頑張っても不可能でも、俺のチートは威力まで保証しない。煙だけならまぁ、運が良ければ当たらなくも無かったわけだ。レッドビーク(唐辛子)入り酒の風味はどうだい?」

『ゲホッ……なに、それ。ありえないわ、そんなの! どう考えたっておかしいのよ!』

「おう、そうだな」


 間違っても技術スキルじゃねえ。一概に才能センスなんて言うには、あまりに語弊がある。


「だから改造(チート)呼ばわりされるんだろうさ、勇者ってのは」


 女神に愛されてるからこそ許される、世界の法則をちょっとだけ曲げる権利。

ずるい、えこ贔屓だ。ああ全くその通り。悪いとは思うが悪びれる気はない。

清く正しく、社会の為に使い潰されてやってんだ。多少楽をするくらいは許して欲しいもんだね。


『ふざけ……ゴホッ、トロけほっ、トロルげほッ、ゲホッ! 殺し……えふっ、えほっ、ろしなさい! 早く!』

「おいおい大丈夫かぁ? もう少しちゃんと命令してやらないと、こいつハテナマーク浮かべてるぜ」

『~~――ッ!』


 あんまり頭を良く作ってやらなかったのが失敗したな。

トロルゾンビと言えば格好はつくが、こんなもん、言ってしまえばただのフレッシュミート・ゴーレムだ。

ひょんな事で自分ごとヘシ折られないためには、それなりに強固な安全装置が必要だったんだろう。


『ふざけないで! ただの煙なら、換気してしまえば……!』


 どこかの窓が、カタンと開く。あぁ、それこそまさに、ジャックポットって奴だよ。

雷雨の音に紛れて俺には届かないが、きっとこの夜のどこかに居る「アイツ」の耳にはよく聞こえた筈だ。



「聞こえたなッ、アニーゼ! 『今開いた窓の部屋』だ!」



 はーいっ、と。やっぱりそんな、間延びした返事は俺には聞こえなかったが。

その瞬間、太さが千年樹の丸太ほどはある黄金光の奔流が、雷雲と、屋敷と、ついでに俺の近くに居たトロルゾンビを両断し、やがて一条の閃光を残して消えた。






 □■□






「なんと、そのような事が……」


 雨が上がり。爛々と輝く月に照らされる、壊滅した食堂の中。

目を覚ました婆さんと、正気に戻った執事の爺さんが、揃って崩れた室内に慄いていた。


「あー、だからその、屋敷がこんな状況になったのは全部あの魔族が悪い。砦を一つ崩せそうなトロルゾンビまで潜ませてたんだ。領主さんには悪いが、堪忍してくれよ」

「……まぁ、勇者様を疑うわけではありませんが、信じるしかありませんな。

 なんせ巨大なトロルの死体が、まさにそこに転がっているのですから……領主様にも、そう報告を出しておきます」


 俺は荷物にいくらか用意していた神薬エリクサーで最低限の回復をし、爺さん婆さんに戦闘の様子を正確かつ克明に伝える。

真摯なジャーナリズムが功を奏したのか、爺さんたちの中では、領主の別荘が一つ壊滅しちまったのはお咎め無しにする方向で動いてくれるようだ。

いやー、良かった。俺的には今夜一番の山場を切り抜けた気分だぜ。


「うむ、なんだ。もしどうにもならないようだったら、この辺に居るウチの血族の奴に改めて話を通してくれ。クソ目立つ竜人が、まだうろちょろしてるはずだから」

「おじ様ったら、またそうやってディーちゃんに押し付けて……」


 ふぅ、と呆れ顔でため息を吐くアンフィナーゼの美貌も、今日はどこか曇り気味である。

精神的になんかあったというよりも、完全に物理的な問題だけどもな。


「あら、動いちゃだめよ。可哀想にねぇ、折角こんなに綺麗な髪なのに、煤まみれになって」


 煤けた髪を婆さんに梳かされ、アニーゼはくすぐったそうに身震いした。

そこは家政婦、毛並みを触られることに関しては厳しいアニーゼがこうも安々と気を許すとは。流石プロの技か。


「とはいえおそらく、あのメリーと名乗る夢魔は倒しきれなかったと思いますが」

「なんと……! 勇者様のお力をもってしても叶わぬのですか?」

「と言うよりは、単純に特性の問題でな。ああいう奴らは自分の灰と魂がどっかに残ってれば、そこから復活できんだよ」


 吸血鬼系魔族の一番厄介な点は、そのしぶとさに有る。タフと言うよりも、弱点が多い癖にとにかく殺しきるのが難しいのだ。

かつて初代勇者が旅をしていた頃も、その特性を存分に活かして最初期から魔王城での決戦に至るまで、ずーっと顔を出し続けてきたヴァンパイアが居たらしい。

ま、居るも何もぶっちゃけそいつの娘さんが「半魔」家の嫁なんだけどな。あそこの家は夜に生きるだけあって、全員透き通るような肌の美人だから、勇者タダヒトもその辺にコロリとやられたんだろう。

アニーゼの翡翠色の髪に櫛を通していた婆さんが、やれやれと呟く。


「私どものような老いぼれのために、女の子がこんなに汚れてまで戦うなんてねぇ……」

「大丈夫です。この汚れは、魔族のせいではありませんから」


 ね? とにこやかに笑いかけてくるメリーゼから、俺は目を逸らした。

あの時、眠らされていたはずのアニーゼが起きていた理由がまさにそれ。

俺が投げた3本の火炎瓶のうち、2本はあの夢魔へ、もう1本はアニーゼに当たる事を願って投げていたのである。

文字通り、煙にまかれて呑気に寝ていられる奴はそういない。ま、寝てる方が悪いのだ。俺は悪くないね。


「ああ、怒ってる訳じゃないんですよ」

「……ならいいんだが」


 そう言われてホッとしてる現状も、なんか情けない。


「しかしですねぇ、勇者様。この匂いまではそうそう落ちそうにはありませんよ。やっぱり身体を拭くだけじゃなくて、しっかり洗い流さないと」

「そうですか……では、ここに一泊させてもらいましょう。おじ様の怪我も酷いですし、構いませんよね?」


 まぁそりゃ、幾ら先祖代々貯めこみっぱなしのエリクサーがちょいちょい有るといっても、こんな大怪我した直後に夜の峠をかっ飛ばすなんざ過剰労働も良いところだがね。

今のお嬢には香辛料入り火酒の臭いがたっぷり染みついてるから、正直あんまり近寄ってほしくないのである。言えないけど。


「でもよ、部屋残ってんの? 崩れそうな部屋でハラハラしながら寝るのはごめんだぞ」


 元は品の良い別荘だったお屋敷は、哀れにも真っ二つの上家具も荒らされて酷い有様だ。更にはところどころ煤まみれで、まるで廃墟同然の佇まいとなっていた。

元からそれなりに頑丈にはられているようだが、食堂なんかまだ良い方だぜ。なんせ完全に天井が崩れてるので、瓦礫が落ちてくる心配がない。


「客室は全滅ですが、幸いにも私どもの部屋と、主人の寝室は無事であるようです。

 主人が趣味で集めた古代の物品などを保管していた隠し部屋は、見事にえぐり抜かれておりましたが……」

「あぁ、そんな所に潜んでたのか、アイツ」


 曰く、本当に大切なのは本宅に貯蔵してあるようで、弁償に関して心配しなくて済むのは素晴らしい。

しかし主人の寝室ねぇ。緊急事態だからと使っていいようなとこなのだろうか、それは。


「ところで、ベッドの大きさは……」

「質素な方でしてな、シングルサイズの物しか」

「……だろーね」


 へいへい、もう覚悟を決めましたよっと。

だからアニーゼ、せめてもう少し尻尾の揺れを抑える努力をしろ。目が覚めてからこっち、随分ご機嫌じゃねえのまったくよう。


「夢見が良かったんですよ。久しぶりに、大好きな人のカッコいい所が見れて」

「あーそう……あン?」


 今の発言は、なにか引っかかるとこが有る気がしたが。

疲れ果てた俺にとっては、もう色々と面倒臭い。風呂にさえしっかり入らせればなんでも良いさ。今日の苦労の受付は終了しましたってなもんだ。

どっかでアニーゼが言ったとおり、俺とアニーゼさえ話題にしなきゃ変に広まるような話でも無いしな。


「……ま、いいか……」


 アイツは英雄だ。こんな夜も、やがては幾千と謡われる物語の中に飲み込まれて行くのだろう。

見上げた空では、月が呆れ顔で俺たちを見下ろしていた。


――【設定辞書】のデータ解説 vol.6――


 夢魔 ―― 【魔族】


吸血鬼と同じく眷属を作り上げたり灰から復活する魔力を持つが、特筆すべきはその催眠能力。肉体的には吸血鬼より数段劣るとは言え、誘惑呪文や死霊術など精神・魂に関することならばむしろ上。

単体であればランクはCだが、潜入・潜伏に優れBランク以上の手駒を複数連れている危険性もある。

ただし魔族の中では比較的人類に友好的であり、今は混血も進んでいるためそこまで力の無い"混じり"も多い。



 十中八駆ベタートリガー ―― 【勇者技能】


【幸運の星】などの展開系能力が非常に限定された形で覚醒した物と言える。

何かを「飛ばす」、あるいは「引き金を引く」などの行為によってのみ発動し、射出された物によって実現可能な範囲で使用者に幸運をもたらす。

方向性は多少定められるが、効果の程は不確定。また、基本的には幸運は「命中する」形に限定されるため、バタフライ効果のように連鎖した形で幸運を授かることは出来ない。

条件を満たしていてもそもそも発動しない場合もあり、発動率はおよそ8割前後。




※次回更新は12/21日です。

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