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3:トロワ・ドゥ・ロア

 暗い、鬱蒼と生い茂る森の獣道を、強化ゴムで造られた車輪が容赦なく踏み荒らして行く。流石は勇者八系の1つ、「魔導」の家の連中が心血注いで作り上げた魔導二輪車だ。多少のオフロードくらいなんともないぜ。

とは言え流石に、走行中は快適とまでは行かないな。特に、後部座席から背中に抱きつくアニーゼの感触が、妙にくすぐったくて落ち着かん。

これでもうちょい当たるものが当たれば、まだしも役得なんだが……と思っていると、腕の締め付けが徐々に圧迫感を増してきた。

とっとと腹に回る手の甲をタップして、降参の意を示す。本当、何で俺の思考がバレバレなんだろうな?


 しかし、こういう薄暗いとこはモンスターが棲家とするにゃ絶好のポイントなんだが、辺りは不気味なほどに静かだ。

これもまぁ、当代次席ことアイサダ・デルフィニィ・デュオーティ(アニーゼに言わせればディーちゃんである)が、目につくボスを狩り尽くしている結果なのだろう。

群れを率いるボスさえ倒せば、その種のモンスターたちは奇妙なほどにあっけなく霧散する。とはいえ、数ヶ月もすればすぐに元通りになるのだが。

その辺の研究もまぁ、「魔導」家の仕事だ。と言うより、生涯を賭けて何かしらの知識を探求しようと言うものは、血筋に関係なく「魔導」の子として扱われると言ったほうが正しい。

あそこの大母は子が為せない代わりに、その知識を継ぐものを子と呼んだのである。


「……あれ?」


 何が楽しいのか、俺の背中にべったりとくっついて満足気に尻尾を振っていたアニーゼが、ふと違和感を覚えて顔を上げた。

俺は慌てて、アクセルを緩める。こんなもんが鳴り響いてるんじゃ、いくらアニーゼでも細かい音なんて聞き取れ無いからな。


「歌声、か?」

「なんでしょう、歌詞までは分かりませんけど、凄く綺麗な声……」


 だが、まだ稼動音が落ちきっていないにもかかわらず、その声は俺にまで聞こえてきた。

決してドでかい叫び声じゃねえ、遠くから囁くような歌声。森の中じゃ、こういうのはえてして化外の仕業だったりするんだが。


「……呪いの類では無いようですね」

「んー、まぁ、お嬢がそう言うなら平気かねぇ……」


 四世勇者筆頭であるアンフィナーゼお嬢様がそう言うのなら、まぁ間違い無いのだろう。

『獣人』家の血を引いた、可愛らしいイヌ科の耳がヒクヒクと音の方向を探る。素のスペックに勇者補正が合わさって、アニーゼの感覚は真っ暗闇の中でも100m先からヒト一人を追いかけられるレベルにある。


「……うん、あっちから聞こえてきますね」

「どれどれ?」


 事実、森の中で反響してどこから聞こえてくるのかも分からない歌声でも、こいつにかかれば問題無い。

興味半分、仕事半分。どうせ暇してるんだし、思わぬクエストの種になるかも知れんと、俺達は二輪車を止め獣道の方へ進む。


「どこの歌姫かは知らんが、相当キテんな。森の熊さんにでも会いたいのかね」


 もしこんにちはした場合、命の保証はしかねる。少なくとも落としたハンカチを拾ってくれるような紳士さは無いだろう。


「でも、上手ですよ。凄く透き通ってるのに、酷く悲しげなような……」


 ま、そのこと自体は否定しないがね。

そうでなくとも、鬱蒼とした森の中は猛獣だのモンスターだのに合いやすいのだ。間違っても、女1人で来るようなとこじゃない。

ま、我らが勇者ならそんな心配も無用だろうが。あるいはその類の、野生化した英雄だったりするのか?




 ……獣道を行き、そう時間も立たない内に、俺達は小川のほとりにたどり着いた。

気取られぬ程度に離れたそこに、誰かが1人座っている。フード付きの黒いローブに身を包んだ、見るからに不審者といった出で立ちであった。

アコースティックなギターと川のせせらぎを伴奏に、歌が響く。川越しに離れ離れになった恋人を歌う、悲しげなセレナーデ。

俺達が一歩近づくと、そいつもこちらに気づいたのかピタリと伴奏を止めた。


「素敵な歌でした。……すみません、お邪魔でしたか?」


 アニーゼの問いかけに答えはない。そいつは顔が見えない角度を維持しながらゆっくりとこちらに振り返ると、手の平を椀のようにしてようやく重い口を開いた。


「……見物料金貨300、ローンも可」

「って金取んのかよ!」


 しかもとんだボッタクリじゃねぇか。さっきまでの神秘的な雰囲気を返せと言いたくなるぞ、おい。


「それはそう。だって、僕は詩人だもの。歌でお金をもらうのが仕事で、お金が無ければ人は生きていけない……これぞ真理?」

「そうは言うが、金貨300はボリ過ぎだろ!?」

「でも、金の価値は状況によって変遷する。この深い森の中、果たしてそれが金塊だろうと、換えるものが無ければいったいどれ程の価値があるのか。その人が今本当に求めているものなら、例えそれが何の変哲もない果物だろうと金貨1000を差し出す人だって居るはず」


 言うが早いか、そいつの腹部の辺りから「くぅ~」と心細く鳴くような音が漏れた。

それにしても、なんて遠回しな要求をしやがるんだコイツ。ちなみに金貨300枚もあれば、30人分の剣と鎧をひと通り揃えられることになる。もしくは、15人の町民が1年暮らしていける金額だ。

なんて高望みをしやがるのか。歌はわりと良いなと思っていただけに、施してやる気も失せたわ。


「……つまり、お腹減ってるんですか?」

「僕は詩人……決して物乞いでは無い。だからこれはあくまで提案だけれど、僕の歌に聞き入った君たちは思わず僕に金貨を差し出す。僕はその金貨を、君たちから食料の代価にするというのはどうか」

「いや、どうもこうもねえよ」

「僕はお腹が膨れて、君たちの胸には思いがけない感動が残る。素晴らしくwin-winな取引だと思うのだけど」

「やらないけどな」

「……つまり今、金貨300という破格の値段でパンとスープを売りつける絶好のチャンス」

「やらないけどな」


 三度の拒否にもかかわらず、黒ローブの表情は(そもそも、こちらからはあまり見えないが)ピクリとも動いた気配は無い。

代わりに、差し出していた手を引っ込めると、その手を弦の上へと置いた。


「……聞いて下さい。作詞作曲僕で、『畑にお肉が実ったら』」

「大豆だな」


 まあ、一曲聞かせてくれても金はやらんけど。

というかそのオリジナル曲はあまりにセンスが無いと思う。悪いことを言わんから、既存のものだけを歌っておけ。


「もう、おじ様! あんまり意地悪ばかり言っちゃダメですよ」

「へいへい、仕方ねえな……ったく、ウチのお嬢の優しさに感謝するんだぞ」

「え? おかわりも良いの?」

「言ってねえよ」


 この状況で謝礼よりも先におかわり宣言とは、本当にいい根性してるぞこいつ。

溜め息を吐きながら非常用の二度焼きビスケットを取り出すと、フード越しにも視線が集中しているのが分かる。


「ほら、三回まわってワンと鳴け」

「ヘッヘッヘ、ボルォーン!」

「何の鳴き声だ!?」


 てっきり少しは嫌な顔をするかと思ったが、まさか真顔でボケ返されるとは思わなかった。

ほっそい身体してる癖に、腹のどこからこんな声出てんだ?


「あー、豆も欲しいか?」

「ポッポー」

「ジャーキーもやろうか?」

「ニャーオゥ」

「リンゴはどうだ」

「キィー、キキィー!」


 うーむ何というか、意外と愉快になってきたぞ。

最低限でいいやと思っていたが、こいつのサービス精神が続くならちょっと考えてやろうか……。



「……あなたが欲しいのは、ムチとアメのどっちでしょうかね?」

「「ワン!」」



 アニーゼからプレッシャーがゆらりと立ち上る。はいすいません、ちょっとふざけ過ぎました。

いやだが、ノってくる方もノってくる方だと思うんだよ、俺はね?


「貴女も。女の方なんですから、そんな誰かれ構わず尻尾を振るものではありませんよ」

「まったくもって。僕は動物ではないのに、そっちのおっさんはひどい扱いをする。皆が恋焦げる愛され系詩人に向かって、さっきからあんまりだ」

「焦げついてんのか、恋」

「モテモテで困っちゃう。特に太陽の愛が熱烈過ぎて思わずこんな道無き森の中を進むほど」


 つまり、日差しを避けて深い森の中を突き進んだ結果、順当に遭難していたらしい。

うん、なんかもう当然すぎると言うか、良く旅を続けてられるなこいつ。

森の中は日が落ちると月の光さえ入らなくなり、本当に真っ暗になってしまう。それで足元まで悪いもんだから、一歩も動けやしないのも当然だ。

アニーゼや竜人のデュティみたいに、【光刃エンチャント】系チートででビカビカ光れればそんな心配も要らなそうだけどな。

俺の「狙った弾丸が8割くらい当たる。ただし威力は保証しない」なーんてしょっぱいチートで楽できよう筈も無いのだ。






 □■□






「……えっとー、簡素なものですが、お口に合いましたか?」

「はぐっ、はぐはぐ」

「分かった、よく噛んで飲み込んでから喋れ」


 スープで解した干し肉に懸命に喰らいつきながら、怪しいフードの女はコクコクと頷いた。

どうやら、腹が減っていたのは本当らしい。ついでに無一文なのも、だ。


「はぁ、助かった。このまま僕が飢え死になんてしたら、危うく世界の損失だった」


 膨れた腹を撫でさすり、のうのうとそいつは言う。


「僕の名はトロワ・ドゥ・ロア。いずれは伝説の詩人として名を轟かせる存在……」

「それ、自作自演って言うんじゃねえか?」


 この世界、英雄譚サーガを歌って聞かせるのは詩人の仕事である。

まぁ、歴史の中には居ないわけじゃねえけどさ、伝説の詩人。グランドピアノを背負いながら世界各地を旅して回ったという、トンデモ系伝説だけど。


「あれ? えっと……女の方ですよね?」

「偽名だろうよ。ったく、やることなすこと怪しい女だな」


 女性名なら、そこはトロエかトロワーネあたりとなるところだ。

まぁ実物を……というか身体の一部見れば嫌でも女だと分かるんだが、アニーゼが混乱したのはそのせいであろう。さっきから羨ましそうに見てるのもそのへんだろう。


「偽名? 違う、ペンネームだ」

「そこに大した違いがねえんだよ!」


 人助けそのものはやぶさかでもないにしろ、こんな胡乱な奴を助けてどうすれば良いのやら。まだしも、罠にかかった狐のほうが恩返しに期待できる気がするぜ。

俺は自分の分のパンをスープに浸しふやかしながら、呆れて溜息を吐いた。


「ったくよ、食べる時くらいフードを脱いだらどうなんだ」


 別に食事マナーにうるさくするつもりは無いが、恵んでやってるのに顔も見せないのはどうかと思う。

だが当の女は一旦食事から顔を上げると、いかにも神妙な口調でこう言ってのける。


「良いの? この封印具を開放してしまったら、僕の美貌で世界がどうなるか分からないよ」

「そこまで大口叩けると逆に凄えわ、お前」

「これが案外本気の話。……まぁ、『勇者様』が居るなら万が一も無いかも知れないけど」

「はい?」


 なんだろうな、この「その方が俺たちのため」とでも言わんばかりの言葉は。

それに、どことなく引っかかる部分がある。勇者だなんだと、そんな自己紹介したっけか?


「ん、分かった。ただし驚かないで」


 そう言い、女がフードをめくる。

……銀の髪が戦乙女のような、美しい女であった。あぁ、確かに、言うだけはある。絶世の美女といえば、なるほどこいつみたいなタイプを言うのだろう。

フードをめくっただけだというのに、鼻をくすぐる薫香がなんとも芳しい。こんな美女が隣に座って酌をしてくれるなら、それこそまさに天国であるとすら――



「おじ様ッ!」



 アニーゼが反射的に息を呑み、腕よりも長い剣を一息に振りぬいた。これもまた、空の上の暇人どもが溢れるカガク技術で作り上げた特鋼剣。銘を「ディファレンチェイター」という、刃渡り1メートル半の大剣だ。

構えた剣に黄金色の闘気が流れ込み、デカい刃を更に覆う。ドレスメイルにも薄っすらと光刃エンチャントを纏い、完全に戦闘態勢、といった状態である。

いや、だがすまん。流石に目が覚めたぞ。女から流れるこの空気。このニオイは……!


「純魔族……ッ!」

「あぁ……そんなに怖い目を向けないで。僕は決して、君たちと戦うつもりは無いのだから。だいたい、勇者のとこには魔族も嫁いでいると聞いたよ?」

「そりゃ、たしかにそうだが……」


 純魔族。女神と対立し、魔族としての血こそ至高と信じ、魔王と邪神を産みだした……人類の敵。

もっとも、全てが全て"そう"とは言い切れないのが難しい所なのだが。言ってしまうと、こいつら幅が広すぎるのだ。

人類と敵対どころか夕飯の材料だとしか思ってないような奴もいれば、ウチのスケコマシが落としたように人に惚れ込んで仲間になるような奴もいる。

ま、殆ど単一種族の人間と違い、何種も何種も居るしなぁ……仕方ない所は有るんだろうが。


「それに僕は人間が嫌いじゃない。どちらかと言えば、むしろ仲良くしたいと思ってる」


 その発言は決して嘘では無いのだろう。

……だがそれでも、アニーゼは剣を降ろさない。降ろせないのだ。この場で感じる瘴気の密度が、あまりに濃すぎるが故に。


「けれど、それでも……貴女から滲み出る力の量は、危険です。例え貴女自身に悪意がないとしても、ここで誅した方が世のためでは無いかと思うほどに」

「お、おい、お嬢」


 その目は完全に本気だった。いや、確かにそれも選択肢の一つでは有るのだろうが。

……どうにもさっきから俺の判断が甘いな。咄嗟に、この女の事を守ろうだとか考えそうになっちまう。おいおい、マジで色香に惑わされてんのかよ、俺?

しかし、先程からアニーゼの殺気を叩きつけられているにもかかわらず、女は完全にどこ吹く風だ。椀のスープを飲み干した後、肩を竦めて軽く笑う。


「人類の為を思うなら、なおのこと僕を殺すべきじゃない」

「……理由は?」

「ある。この『魔王の刻印』こそその理由」

「なっ!?」


 ……あぁ、その手の甲にある印は、確かに文献かなんかで見た覚えがあるぞ。

くそったれ、女神のケツめ。魔王復活だと? 時が来るならもうちょい俺が人生謳歌した後でも良いじゃねえか。


「魔王の刻印は、邪神が復活しつつあることの証。刻まれしものを魔王として、力を与える代わりに魂を吸い上げる」


 凄え力を持つとは知っていたが、なるほど、「魔王」にはそんなメカニズムがあったのか。

てことは、この姉ちゃんが次期魔王? やれやれ、つくづくふざけてやがる。こちとらまだ最初の国すら出てねーってのに。


「……ではやはり、『勇者』はあなたを倒すべきなのでは?」

「それをしても、刻印は他者に移るだけ。今で言えば、おそらくは僕の兄。実際、兄は邪神の復活を望んでいる。そして魔族の復権を。そうなれば、今代の内にまた戦争が起きるよ」


 戦争。そうか、もうそんな近い所まで来ているのか。アニーゼの瞳がキュっと窄まり、目が細められる。

世界の傷は、ようやく癒され始めている途中なのだ。人と魔の問題も、若い連中同士なら即座に石を投げたりはしないような所まで戻ってきている。

そこに再び亀裂が入るようなことがあれば、今度こそ人類は異種族を殲滅し尽くすまで眠ることが出来なくなるだろう。……それは、『勇者』が防がなければならぬ未来だ。


「けれど、僕はそんなのお断り。魔王の依代になんぞなるつもり無いし、力なんて必要としてないもの。だから僕は逆に、刻印から邪神を拒んでる。……もちろん、それが気に入らない人もいる」

「あなたが刻印を持つ限りは、第二の邪神戦争は起きないと?」

「流石に、いつまでもとは言えないけど。……まぁ、100年は持つと思うよ。

 その間に人類は好きにすれば良い、『刻印』の監視なりなんなりを含めて、ね」






 □■□






 ――天気は明朗、活気ある市場の中でも、俺たち二人の間にだけ重い空気が漂っていた。

いくら勇者の血統と言えども、なんだかんだで俺たちは平和の中で育ってきたのだと改めて思う。


「ねえアジンド、あの屋台は何? 美味しいもの? 買ってくれるよね」


 邪神の復活の兆候。その報告を我らが天空街に伝えなければならぬことの、なんと気が重いものか。

四世勇者たるべきアニーゼとて、その気持ちは同じだ。これが後5年、いや10年の範囲に迫ってきているとなれば逆に覚悟が振りきれるだろうが……上手くやれれば、100年後。

それは、俺たち自身が何とかするにはあまりに遠く。かと言って、顔を背けるにはあまりに近い時間の距離。


「ところで今日の夕飯だけど、僕は仔牛のパイが良いな。昨日は鶏のもも肉と白身魚のフライだったし。あれの上にかけられた、野菜を細かく刻んだソースも美味しかったけれど」


 それは俺たちの世代から孫、そしてひ孫の世代に残す責務としては、あまりに憂鬱過ぎる重責だ。

アニーゼなどは特に、自分が動ける時ならと悔しそうにオイふざけんな仔牛の肉とか幾らすると思ってんだやめろ。


「おや、なんだいその顔は。僕にご飯を食べるのを我慢しろと? でも分かって欲しい。僕の1日の健康にはこの世界の10年を続けさせる価値がある。そう、だから僕は健康的に、美味しいものを食べ、よく眠り、ストレス無く過ごす環境が必要……ね?」


 ……アイサダ家は、勇者の血族だ。

唯でさえ俺にとって、面倒くさい首輪でしかなかったそれは、どうやらいつの間にか重い鉄塊がついた足かせへと変わっていた。

アニーゼにとっては、どうなのだろう。俺よりずっと若く、ずっと強く、「勇者」として必ず自身の血を残していかねばならない、たった15にも満たない少女にとっては。


「断固として宣言するが、今日の夕飯は仔牛のパイだ。サクっと噛み切れるパイの生地に、微かに甘くもスパイシーなひき肉が乗ったあの食感。あれを思い出してしまった以上、僕は今日他の物は口に入らないと思って欲しい……




 あ、あのリンゴの蜂蜜漬け美味しそう。あれ買ってアジンド」


「キェェェーァアッ!!」

「おじ様ー――ッ!?」




 色々と臨界点を超えた俺の後ろ上段回し蹴りが、うろちょろする黒フードに良い角度でめり込んでいった。


「テメェいい加減にしろよ毎日毎日……その贅沢に消える金は誰が稼いでると思ってやがる……!」


 まぁ実は俺じゃないんだが、一度俺の懐に入った以上は俺の金だ。

殺意を滾らせ暗紫色の空気を纏う俺の手を、慌ててアニーゼが引き止める。


「お、おじ様……女の人相手ですよ」

「だから何だ。男ならニートで女なら家事手伝いか。あって良いのかそんな事が……!」


 【光刃エンチャント】のチートなんざ持っちゃ居ないが、この時の俺なら怒りでオーラも出せただろう。

贅沢三昧だけならまだ良い。貸した財布は落とすわ、あからさまな詐欺に引っかかるわ、相場の倍の値段で日用品を買って来るわ、こいつが居るだけで懐がずんどこ軽くなって行くのだ。

そりゃあ反比例して空気も重くなるわ。なんだこいつ、貧乏神か何かか。

こいつは悪だ。こんな奴の存在を許してはおけぬ。勇者アニーゼが裁かぬと言うのなら、代わってこの俺が裁く!


「俺は! 俺以外の奴が不労所得でヌクヌクしているのを男女平等に許さんッ!!」

「おじ様ぁ……」


 なんだか凄く溜め息を吐かれた。一回り以上年下の"はとこの子"にこういう目で見られるのは正直きついので、怒りも少しクールダウン。

地面に蹴り倒されたトロワの奴も、それなりにダメージが抜けたのだろう。地面に手をつき、むくりと起き上がった。


「痛いな……何をする」

「それはこっちの台詞だ、ったく。人の世間を満喫しやがって。なんなんだお前は、何をしに来た」

「僕かい? 僕は詩人……世界の声を歌の調べに乗せるエトランゼ。人の領域には、僕だけの美しい物語を探しに来たんだ」

「嘘つけ!」


 ウソジャナーイ、ウソジャナイヨー、と楽器をかき鳴らしながら歌い上げるトロワの鼻を、俺は容赦なくつまみ上げた。

形の良い顔立ちが台無しになるが、知ったこっちゃない。こうしておかねば直視できないというのもある。


「本当のこと言ってみろ。お前アレだろ? 魔王印が出たのをこれ幸いと勇者の家にたかりに来たんだろ?」

「ふがが……ほ、本当らよ、半分くらいは」


 摘んだ手をペチペチ叩かれて、俺はようやく開放してやった。赤くなった鼻をさすり、トロワはフードの縁を直す。

こんな雑踏の中でフェロモン全開にできんから仕方ないとは言え、たったそれだけの仕草で色気を出せるのが物凄く気に食わん。

常時「魅了チャーム」をまき散らしてるようなもんだからな、あれは。抵抗力が無ければ同性でもコロリと行くレベルだ。


「そう認識してるのに躊躇なく顔を蹴りとばすあたり、君は本当に酷い……」

「うるせぇ。もう半分を言ってみろ、コトによっては勘弁してやる」


 何か言いにくい事でもあるのか、トロワはそっと目をそらしながら呟いた。


「……次期魔王に選定されて、これで一生遊んで暮らせるとか思ってたら、実家の対応が思いの外ガチガチで……」

「そうか、帰れ!」

「いやいや、帰すわけにも行きませんから! トロワさんに監視が必要なのも確かでしょう!?」

「ぐぐぐ……」


 まぁ、それもその通りだ。仮に次期魔王の話が嘘だったとしても、このレベルの純魔族が人の生息圏に入ってきてるだけで大問題になりかねん。

かと言って、もう武力でお帰り願う訳にも行かない世の中だ。人魔戦争から約100年、魔王派に与しなかった魔族も居た以上、ある程度の交流は為されている。

実を言えば、僅かに変装しただけの魔族がこの市場に何人か居たっておかしくはない。こんな所に暮らしている以上、だいぶ人の血も混じっているだろうが……一応魔族であることに変わりはないのだ。


 俺が唸っていると、トロワがそっと俺にだけ覗ける角度でフードの縁をめくり上げた。

銀髪の帳の奥に隠れる、潤んだ真紅の瞳と目が合う。ああ、このくそったれ。男がそいつに逆らえないのを知っていながら。


「頼むよ。君たちだけが頼りなの……僕1人で放り出されたら、今度こそのたれ死んでしまうよ」

「ぐぉ、こ、こいつ」


 ちくしょう、クラクラしてきた。息遣いが感じられるほどの距離だからか、やたら良い匂いがしやがる。

トロワの全てを許したくなる。華奢な割に、ごく一部が豊満な身体を抱きしめたくて、脳が甘く痺れていくようだ。

ええいちくしょう、俺だって勇者一家の端くれだぞ。気合を入れようとした手を、トロワの冷たく滑らかな指がそっとなぞる。


「おねがい、アジンド」


 ……あ、ダメな奴だこれ。


 そう思った瞬間、「ぎゃん!」と甲高いイヌのような悲鳴を上げてトロワの身体が仰け反った。視線がこいつから離れて、ようやく霞がかった意識が晴れていく。

尻を抑えてうずくまるトロワの後ろに、黄金色のオーラを纏いながら手をはたくアニーゼの姿があった。

今回はこいつに助けられたな。まぁ、トロワも冗談の範囲だったろうが。


「……トロワさん? そういうことするなら、本当に岩に括りつけて置き去りにして行きますよ」

「え、えぐいよアニーゼちゃん。よくもお尻を叩いたね、母さんにも叩かれたことないのに」

「背が高くて足も長いので、叩きやすい位置に有りました」


 ちなみに、俺とトロワの身長差は5cmから10cm程度。腰の位置に代わりが無いということは、つまりその分俺の胴が長いと言うことになるな。

……うん、こういう冷静な計算は悲しくなるからやめよう。


「いくら私に止められるのが分かってたからって、趣味の良いふざけ方じゃありませんよ?」

「……怖い子だね」

「大きなお世話、です」


 はにかむように笑うアニーゼがおっかないのは、遺憾ながら同意する。

設定辞書データブック】の奴が何か言ってたな。笑いとは本来、狩猟の前動作だとかどうとか。あいつの笑顔ってまさにそんな感じなんだよ。

ふと視線を戻すと、トロワは膝を叩いて起き上がりながら、妙に黄昏れた視線を一方向に送っていた。

その先には、朗らかに笑いながら買い物をする親子。親に手を引かれながら、かごの中の果物を落とさないよう懸命に抱えている。


「……まぁ、帰る場所が無いのは本当。1人で放り出されたら、多分すぐに死ぬだろうことも」

「あン?」

「この手の刻印は、魔族にとっては大事な御旗。万が一の時の為、探知魔術も開発されているくらい。そして、所有権を移すもっとも手っ取り早い手段は刻印の所有者を殺す事だから」


 ふと、子供がよろめいて。一瞬、周辺の誰もがその子の腕から転がり落ちる果物に視線を移した――その瞬きを縫い、群衆から音もなく1人の男が駆け出すとも知らず。

トロワと同じ意匠のフードに、暗器付きの手甲。布擦れの音すら立てないのは、魔術によって消音しているからか。

俺は慌てて、投擲用のナイフを構えた。トロワの真紅の瞳が驚愕に見開かれ、窄まっていく。

そして、そのどちらもが二呼吸は遅い。レザーの手甲から突き出た針がトロワの喉をえぐり……賑わう市場での穏やかな午後を、惨劇の舞台へと変える。


 ――アニーゼがここに居なければ、そうなっていた可能性は非常に高かっただろう。


「大丈夫でしたか?」


 俺たちの戦闘準備が完了するころには、アニーゼは巨大な剣の入った平たい鞘で、男の鼻頭を打ち付けていた。

自身の勢いまで含めて盛大に顔からぶつけられた男が、力を失い崩れ落ちていく。


「な、なんだ……アサシンか? 驚かせやがって」

「うん、僕の兄の差金だと思う。確証はないけど」

「一応、路地裏に引っ張り込むか。人も集まってきそうだし、面倒は嫌だ」


 幾ら人間に比べて頑丈な魔族といえど、頭に鋼の塊がモロに入れば昏倒もするのだろう。

今はまだ、群衆はあっけに取られているだけだ。今なら「蹴躓いたフードの男が、不幸にも"たまたま"持ち替えようとした剣の鞘にぶち当たった」ということで誤魔化せるだろう。

しかし、俺たちが手元で一動作行うよりアニーゼが鉄塊のような剣を振る方が早いのか。分かっては居たが、改めて地力の差を感じるぜ。

俺は物陰に転がした狼藉者を手早く縛り上げると、他にも暗器が隠されていないか確認していく。

おっ、この財布まだ結構入ってるじゃん? 迷惑料として貰っておこう。


「あなた……」

「小銭程度でも金属の塊だからな。手だれの暗殺者なら武器にだって使えるから仕方ない、仕方ない」


 同様に、【気配隠蔽】という剣呑な付与魔法が施されているフード付ローブもいただきだ。これは人の注目を受けにくくなる効果で、町によっては違法だったりもする逸品である。

闇市とかに流れると非常にコトだが、この町の自警団に売りつけてやる分には構わんだろ。なんだかアニーゼが呆れている気がするが、襲いかかってくる方が悪いのだ。勇者だから合法行為。


「それにしても……うむ、やっぱり魔族か。どうやら僕の兄は、人間の英雄譚サーガに憧れる一族の恥晒しに、魔王印を預けておくのがよほど気に入らないらしいね」

「……血を分けた家族から、そんなことを願われるなんて」

「『よくあること』とまでは言えないけれど、物語の題材にはしょちゅうなる程度の出来事だもの。英雄にも、悪役にも、等しく悲しみは振りかかる」


 そう嘯くトロワの奴は、やはりどこか寂しげで。


「勇者の家族は、仲が良い?」

「私は……」

「ま、ほどほどだよ。なんせ一家と言うにはちとデカすぎるからな。仲良い奴もいれば、録に顔も知らない奴もいるさ」

「そうか。それはそれで、楽しそうだ」


 蹴っ転がした暗殺者は、この後衛兵に突き出してやれば良いだろう。

とは言え、この先もこういう奴らが襲ってくるのなら、俺はトロワに言わなきゃならんことがある。

それはある種、アニーゼに言わせるにはキツい言葉だ。まぁその為に俺が居る以上、俺の仕事ってことだな。


「……お前、やっぱりいつまでも俺たちが引き連れて行くわけには行かねぇわ」

「おじ様?」

「ん……どうしてだい?」

「冷静に考えてよ、俺たちゃ勇者だぞ? ゆくゆくはお前の実家に近い、旧魔族領にだって行かなきゃならねー。ただでさえアウェイだってのに、後は着火するだけのダイナマイトなんざ懐に入れて持ち運べる訳無いだろ」


 そう、『勇者』が世界を回るのには、魔族に対する示威行為的な意味も含むのだ。

俺たちはまだこれだけ強いぞ、あっと言う間にお前たちの喉元を噛みちぎってみせるぞと誇示して行かなければ、いずれまた世界のバランスは傾く。

そんな道中にこの次期魔王を連れて行くのは、幾らなんでも危険が過ぎる。刻印を奪取することと次世代の勇者を出し抜くことがイコールで繋がれば、過激派魔族の士気は炎のように燃え上がる。

……別に、魔族全員が過激派ってことは無いんだけどな。戦争が終わってもう100年だ。人と共存してる魔族だって、境界域近くになれば普通にいるだろうに。


「いくらアニーゼが世界最強の勇者っつったって、分断されればそれまでだ。正面対決さえ避けてお前を殺るなら、俺だって手段の10や20考えつく」

「へぇ、怖いね」

「……だけど、放っていくわけにも行かないんでしょう?」

「そりゃあ分かってるがね。刺客を返り討ちにできる実力があって、信頼できて、すぐに連絡つく相手なんて早々――」


 居ないから、将来的にどこかでバイバイする覚悟をしておけ、と続けるつもりだったんだが。


「――いや、居るじゃねえか適当なのが」


 幸いなことに、ポンと浮かぶ顔があることに気付いちまった。

おまけに、間接的にこちらが抱える問題も片付く一石二鳥の策だ。


「そうかそうか、あいつに全部任せちまえば良いんだな!」


 まぁ頼み込むのにちょっと骨は折れそうだが、まず断られはしないだろう。

ニタニタとほくそ笑む俺を、女性陣がなんだか気味の悪そうな目で見つめていた。






 □■□






「ふーん? なによ、急に連絡してきたと思ったら、このワタシにこいつを保護しろってワケ?」

「いやー、ちょっと混みいった事情があってな。大婆様にも伝えてあるから、どうか頼むぜ」

「フン! アナタの頼み事じゃなければ、ちょっとは考えてあげても良かったけど。どうしてもって言うなら、口の利き方ってのが有るんじゃない? このアイサダ・デルフィニィ・デュオーティに対して!」


 黒髪をかきあげ、挑発的に笑ってみせるデュティに対し、俺は爽やかな笑顔のまま頭を下げる。


「いやーそんなこと言わず、どうかお願いしますよ、デュオーティお嬢様」

「け・だ・か・き!」

「いよっ、気高き竜人様! いやーウチのアニーゼは融通が利きませんで。魔族誅すべしって言って聞かないのですよ」

「ほーっほっほ! それじゃあ仕方ないわね、所詮あの子はけだものだもの! お婆様が仰るような高度な政治的判断なんて、できないに違いないわ!」

「いや、まさしくその通り!」


 うむ、竜人はやっぱりチョロかった。

俺はこういう時に売るプライドは腐るほど持ってるからな。これからこいつもトロワに振り回されるのだと思えば、頭くらい幾らでも下げてやるさ。


「いいでしょう。この私が保護してあげる。家事くらいは出来るんでしょうね?」

「――情け深い計らいに感謝致します、竜人の姫よ。歌を紡ぐしかできない身では有りますが、ぜひ御身の輝かしい英雄譚を僕に紡がせていただければ」

「ふふふ、許可してあげるわ! 三千世界に響き渡るような素晴らしいものに仕上げるのよ?」


 膝をついて一礼するトロワも、大概ノリノリだな。

こいつはこいつなりに、ひと目でデュティのことが気に入ったのだろう……無論、おちょくる対象として。

勇者の血が魔王におちょくられてて大丈夫なのかと思わんでも無いが、まぁアレで実力だけは確かな筈だ。

何より、これでデュティも強行軍を続ける訳には行かなくなったろう。モンスター退治の依頼を全部掻っ攫われるような状況も、多少はマシになるはずだ。


「つーことでこれで一件落着……いやー、やっと財布も緩められるなぁ、お嬢?」

「そうですねー。私は融通が利かないですけど、勇者ですもんねー」

「……なんだ、何にじり寄って来てんだ? ひ、久しぶりに豚のげんこつでも齧るか?」

「いえ、せっかく二人旅に戻ったのですし、どうせなら獣らしくあなたに甘咬みでじゃれつこうと思います……がぶ」

「痛い! ガブっていってる! 牙立ってる牙!」


 微妙に黄金色のオーラを纏わせながら、アニーゼがじゃれついてくるのもそれはそれで普段通りで。

おかしな出会いを交えながらも、俺たちの旅はまだまだ続くのである。


――【設定辞書】のデータ解説 vol.4――


 モンスターランク ―― 【設定】


 我々勇者の血族が、ステータスを参照しながら勝手に振り分けたおおよそのランク。

5段階に分かれており、それぞれ以下を目安にして欲しい。


D:1vs1なら武装した一般市民と良い勝負のレベル。ただし群れはその限りではない。ゴブリンやただのゾンビとか。

C:訓練を受けた六人のパーティが被害を出すレベル。トロール、オーガ、成体スライムなど。

B:放置しておくと都市が壊滅的被害にあうレベル。レイダードラゴン、亡霊戦艦ほか。要対処。

A:一国家が危ういレベル。仮に大精霊とかが人類と敵対したらこの辺。至急救援。

X:世界規模災害。つまり邪神と魔王。


ランクB以上で要請された場合、またはランクA以上の危機が確認された場合は問答無用で、血族からの増援が駆けつける手筈になっている。



 特鋼剣ディファレンチェイター ―― 【装備品】


 かつては初代勇者タダヒト用に拵えられた魔法剣特化鋼材オリハルコンを元に、四世勇者アンフィナーゼに向けて鍛造された一品。

個人武勇に極めて優れた彼女の力を、いかに広範囲に、いかに長距離に届けるかをコンセプトとして設計されている。

深く溝を彫られた刃渡りは、効率的に光刃を伝導する刀身にして砲身であり、実のところ切れ味はそれほどでもない。

必要とされないからだ。



※次回更新は12/15です。

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