自由の翼
ナナリーはそれからちょこちょことぼくの家にやってきては、資料をためすすがめつしていた。
持ってきた資料がなくなると、また、じぶんの家の書庫からひっぱり出してくる。
おかげでぼくの家は定期的にほこりまみれになったが、そもそもが男のふたり暮らし。まともに掃除などしているはずもないから、大して気にならなかった。「王女さまって意外に自由なんだね」
ふと思い、いった。深い意味はなかった。
「あきらめてるんでしょう。どうせ言うこと聞かないので」
「不良王女だ」
「なんですかそれ。マンガのタイトルみたいです」
クスリと笑う。
「それで街のイケメンパン屋と恋に落ちるんだよね」
「そうなればいいですけどね」
今度は、先ほどより声を出して笑う。
「門限はないの?」
「ありませーん」
「なんで」
「私にいわれても……」
「向かいの馬車は?」
「こんなボロ家のまえに止まってたら、話題騒然間違いないですね」
「ナチュラルにボロ家っていうな」
あってるけど。
まじめで堅物といってもいいナナリーにしては、めずらしいタイプの冗談だった。
相手に大きく踏み込むタイプのコミュニケーションは、お互いの距離がある程度つまっていることが必須条件となる――要はこいつはなにいっても早々怒らないだろうという安心感。
それが肝要なのだ。
つまり、ナナリーはぼくに心を開いてくれた?
だとすると、うれしいのだが。
「――でも、ほんとに自由がいいんです」
ナナリーはいう。
そりゃそうだろう。立場上、ぼくには及びもつかないしがらみが、たくさんあるにちがいない。
持たざる人ほど求める。
がんじがらめの人ほど自由という芝は青くみえるのだろう。
自由である人は、自由を求めない。じぶんがそうであることにすら気づかない。
つまり、ぼくは「自由でありたい」などという哲学指数が高い悩みを持ったことがない。
それが――あたり前だからだ。デフォルトで備わってしまっている。
もっとも。
制約がないということは、そうまでして守るべきものもないということだけど。
それを恵まれていると思うのか、貧しいと思うのかは人それぞれ。
長い心情描写になった。こんなことだれも聞きたくない。
なんだかんだと長々とじぶんの思考回路を徒然なるままに書いてはみたが、けっきょくぼくは、なにも考えず、ゼロ秒思考でもいえるこんなセリフでお茶を濁した。
つまりここまでの心理的葛藤は、まるまるすべてムダだったということだ。
「王女さまにもいろいろあるんだね」
「それはみんなおなじです」
ナナリーは、幻滅したようすもなくいった。




