表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Samsara~愛の輪廻~Ⅰ(序章)  作者: 二条順子
5/5

05.届かなかった恋文

亜希のもとにアメリカでルームメイトだった由美子から速達が届いた。

中には、彼女のメモ書きと一緒に薄汚れた一通の封書が入っていた。

その差出人の名前を見た瞬間、亜希の心臓は凍りつきそうになった。


     『 アキ、

      この手紙、ずっと迷子になってたみたい。

      郵便屋さんがすまなそうに届けてくれた。

      なんか、長~い長~い旅路の果てにやっと

      ここにたどり着いたって感じ。

      とにかく、送るネ。

                       ユミ 』


由美子が同封してくれたその手紙には差出人の住所はなく、ただ

"Takuya" とだけ書かれてあった。消印の日付けは文字がかすれていて

読み取れない。亜希は手に取った封書を暫くの間、じっとみつめていた。

封を切るのが怖かった。この手紙を開けてしまうと、やっと手にした今の

幸せが逃げていくような気がした・・・

突然、奥の部屋から亮の泣き声がした。亜希は、はっと我に返り、握り

しめた封筒を屑かごの中に捨てた。



「耕平さ~ん、明日は燃えるゴミの日だから、屑かごのもの集めてちょうだい!」

階下から元気な志津江の声が響いた。

かごの中身をゴミ袋に入れようとした時、握り潰されたような封書がこぼれ

落ちた。差出人の名に気づいた耕平は一瞬、頭の中が混乱した。

『死んだはずの奥寺拓也から亜希への手紙!?……』

それは、明らかに誤って捨てられたものではなく、亜希が自分の意志で処分した

もののようだった。耕平は戸惑った。妻宛ての封の切られていない手紙、しかも、

差出人はかつての恋人・・・

黙って開封するのはやはり躊躇われる。だが何故か、このまま処分してしまっては

いけないような気がした。

暫くの間じっと思案していたが、耕平は思い切って封を開けた。



* * * * * * * 



Dear 亜希、

今、空港のラウンジで成田へのフライトを待ちながらこの手紙を書いてる。

メールにしようかと思ったけど、時間はたっぷりあるし、ヘタな字でも、

なんかこの方が俺の気持ちがちゃんと伝わるような気がして・・・

亜希への “恋文” ってとこかな!?


俺のこれまでの人生、すっごい、いいかげんだったと思う。

医者の家に生まれ周りがみんな医者だったから、なんとなく自分もそうした、

って感じで。別に他にやりたいこともなかったし、普通のリーマンよりは

いい暮らしができるかな、みたいな。今度のアメリカ行きにしても、推薦して

くれた教授が親父と古くからの知り合いだから実現したようなもんだし。

その教授の娘と将来は… の話も親同士が勝手に決めたことで、俺は正直、

どっちでもよかった。彼女は一見 “お嬢様” 風だけど、学生時代はそうとう

派手に遊んでたみたいで、まっ、こっちも叩けばほこりがわんさか出るほう

だから、あんまり偉そうなことも言えないし、この辺で手打っとこうか、

みたいな・・・


今まで本気で人を好きになったことなんてなかった気がする。

学生時代は、K大医学部というだけで女に不自由することはなかった。

女子大生、OL、モデル、人妻、家事手伝い… ありとあらゆる種類の女たちが

面白いように群がってきた。けど、みんな同じような化粧して流行のファッション

で着飾ってブランド物さげて… 誰一人として恋愛の対象になるようなのは

いなかった。だから、結婚相手にしても大した期待は持ってなくて、教授の娘なら

上等、くらいに考えてた。


あの日、亜希のピアノに合わせて楽しそうに歌ったり踊ったりしてる子供たちを

見た時、頭にガーンと一発食らった様な衝撃を受けた。クリスが笑ってた。

俺の前じゃ笑顔どころか口もきいてくれなかったあの子が。不純な動機で

医者になり、ただ事務的に患者を診てたヤツが、いくらジョーク飛ばしたって、

死と向き合い限られた命を懸命に生きている子供の心に通じるわけはなく、

あの子の前で俺は命を救ってくれる医者どころか、おどけたピエロにもなれ

なかった。それに比べ、子供たちの心をがっちり掴み信頼され慕われ、なにか

目に見えない絆みたいなもので結ばれてる亜希は輝いてた。神々しいくらいに

綺麗だった。そんな君に俺はどんどん惹かれていった。


それまでの俺は、外見やセックスだけで女とつき合い、飽きたら使い捨て

カイロみたくポイっと捨ててた。相手だって、次の週には別の医大生と六本木

あたりでヨロシクやってるようなのばかりだった。男と女なんて所詮その程度の

もんだと思ってた。亜希と出逢い、それが大きな間違いだと気づいた。

人を本気で愛するってことは、その人をどんなことがあっても守ってやりたい、

悲しい想いをさせたくない、絶対に幸せにしてやりたい、ずっと一緒に生きて

いきたいと、思えることなんじゃないかって。


婚約解消すれば、俺はもう大学病院には戻れないし、教授の息のかかった民間

病院からも相手にされないだろう。むろん、親父からも見放される。

そんなもんには何の未練もない。今一番恐れていることがあるとすれば、それは、

君を失うこと。亜希のおかげで、これまでのいいかげんな自分と決別できた。

だから、君さえずっと俺のそばにいてくれたら、例えどんな辺鄙な山奥の診療所

でも離島の古びた病院でも、医者としてやっていけるような気がする。

 ーー 空気の澄んだ田舎の大自然の中で、俺たちの子供らが元気いっぱい走り

回り、楽しそうに遊んでいる。亜希の弾くピアノ聴きながら、俺はその光景を

診療所の窓越しに眺め、小さな幸せを感じるーー そんな人生もアリかなって。


亜希をリッチな開業医の妻にも、教授夫人にもしてやることはできないけど、

絶対後悔はさせない、それだけは約束する。だから、俺のこと信じてどこまでも

ついて来てほしい。


Love, 拓也


5月10日シカゴにて



* * * * * * *



耕平は何度も手紙を読み返した。そして、この手紙の中に嘘、偽りはないと

確信した。奥寺拓也は真剣に亜希のことを愛していた。

そんな彼がいったい何故・・・

愛する女に対する非情な裏切り、突然手のひらを返したような男の不可解な

行動がどうしても解せない・・・

暫く考え込んでいたが、急に何かに思い当たったようにパソコンの前に座り、

夢中で何かを調べ始めた。


耕平は一つの仮説を立ててみた。

ーーー拓也は、シカゴの空港で手紙を投函してから東京に戻るまでの間に

何らかの事故または事件に巻き込まれ、記憶を喪失する。同時に携帯や

ノートパソコン等の私物を紛失したため、住所、電話番号、メールアドレス、

写真等々、亜希に辿り着く術をすべて失くしてしまうーーー

こう考えれば、音信不通となり、何事もなかったように教授の娘と結婚した

ことにも説明がつく。


十日にシカゴの空港を発てば翌日の十一日に成田に到着する。

そこで、五月十一日の新聞記事を検索し、その日成田空港内で人身事故

あるいは航空機のトラブルがなかったかをチェックした。すると、

それらしいものが一件見つかった。十日の午後シカゴのオヘア空港から

成田に向かったフライトの中に、着陸寸前に突然乱気流に巻き込まれ

乗客に数名の怪我人をだした便があった。怪我の程度は軽い打撲から

骨折まで様々で、空港内のクリニックで簡単な手当てを受けた軽傷者から

救急車で成田周辺の病院に搬送された重傷者もいた。


拓也は、おそらくこの事故で頭部を強打するなどして脳震盪あるいは

一時的に意識不明の状態に陥り、記憶の一部を失ったのだろう。

いわゆる逆行性健忘症と呼ばれる記憶喪失の一種である。

不幸なことに、その失くした記憶は彼が最も大切にし、失うことを

何よりも恐れていたものだった。



* * * * * * * 



「君は、騙されていたわけでも、裏切られたわけでもない!

こんなにも愛されていたんだよ!」

耕平はまるで自分のことのように喜び亜希の前に手紙を差し出した。


「ありがと……」

亜希は拓也の手紙を握りしめた。

頬に伝わる一筋の涙。それは、これまで幾度となく流した悲しみの

涙ではない。拓也の死によって、決して明かにされるはずのない真実が、

耕平の手によって解明された。それは、拓也に愛されていた事実以上に

亜希には嬉しかった。そして、亮はまぎれもなく拓也との愛の証である

ことを、この手紙はおしえてくれた。

不幸な偶然が重なり拓也と結ばれることはなかった。もしかすると、

最初から二人の間に赤い糸は存在しなかったのかも知れない。

耕平とめぐり逢い、愛を育み、彼の大きな愛情に包まれ、亜希は今、

穏やかで確かな幸福を実感している。

これでやっと、拓也と過ごした時間が自分の中で完全に想い出に

変わるような気がした。



休日の昼下がり、庭を元気いっぱい駆け回る舞、そのうしろを亮を抱いて

追いかける耕平、そして、縁側に腰かけそんな三人の様子を嬉しそうに

見守る亜希の姿があった。

頬にあたる風は冷たく地面の所々にはまだ雪が残っているが、真っ青な

空に浮かぶ白い雲の切れ目から零れてくる光は、もうすでに暖かい

春の陽ざしだった。




ー了ー





















Samsara ~愛の輪廻~Ⅱ につづく・・・

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ