氷雪、失敗す
「ではみなさん。今日からは本格的に魔術の展開を始めます」
一限目、秋の晴天を背に向けて、『魔学論理』と『魔術実技』の担当、アデルシア先生が屋外の広場のような場所で生徒を集めて言った。
『魔学論理』とは、主に魔術の構成やイルローガ式魔術で使われる魔術式の研究、魔術展開、魔術構築の論理などを研究する分野の授業だ。
『魔術実技』は読んで字のごとく、魔術の実技を行う授業だった。
その教論である彼女の、腰まで伸びる栗色の髪は波打つようにうねっていて、それと同色の瞳はいたずらっ子のように輝いているように見える。
エルディス学園編入の紹介状や手続きなどをとってくれた人だ。
実は、母の従姉妹で、何度かあったことがある。
ただ、ずっと以前会った時と、姿が変わっていないのはなぜなのだろう……。
二学年から実技は授業に入ると聞いていたが、セリスが編入した今日、本格的に実技が始まるようだった。
ショーマはセリスから既に離れた場所にいる。
アデルシア先生に何やら言われたらしい。
「まずはじめに、魔術の危険性について皆さんに説明しなければいけません。オルハ、手伝ってもらえる?」
「はーい」
生徒の間を縫ってアデルシアの元に歩いて行ったのは、寝ぐせのある男子生徒。
よく見れば、朝から居眠りしていた少年だ。
「んじゃ、この術式展開して」
魔術式や術式とは、イルローガ式魔術で使われる魔術展開時に基礎となるモノだ。
これを演唱して世界に展開する事で魔術が発動する。
その理論を説明するのにはなかなか厄介で、私も完全に解っている訳じゃない。
魔術を発動されるための呪文とでも考えればいい。
「えーと? はいはい。あの、これって何の術式ですか?」
「やればわかるわ。はい、みんな離れて~」
「「「はーい」」」
皆が素直にオルハから距離を置いた。
危険な術式なのかな?
余りにも、生徒たちの反応が素早く、セリスは後ろのほうにいたことに感謝しながら少し遅れて離れる。
「ア、アディー先生?危ないんですか?」
「大丈夫よ、大丈夫!」
力強い言葉に、オルハと呼ばれた生徒はホッとする。
が、
「たぶん!」
最後の一言でうろたえた。
「たぶん?!」
いや、そんな事を言われたら、私でもうろたえるだろう。
「あら、どうしたの?」
「いえ」
肩を落とすオルハ。
その様子に黒髪の少年が、がんばってくださいオルハ様!と叫んでいた。
面白い授業だ。
「取りあえず、授業が進まないからやりなさい?」
「…………はい」
しぶしぶながらうなずいたオルハは口を開く。
《Ⅹp>p-―
それは、声にならない、言葉にならない音。
詩のようでいて、まったく違う。
彼の旋律は流ちょうだった。
さらに、延焼は続く。
―△Ⅹ-△←》
これは……。
聞いていて、何か耳障りな物が演唱に混じっているのに気づく。
そして――爆発音が響いた。
酷く、綺麗な爆発が起こった。
瞬間の光とすさまじい爆風が生徒を襲う。
「オ、オルハ様!」
先ほど応援していた男子の声が、爆風の中に聞こえた。
そして、風が収束すると、オルハが一人で焼け焦げた野原に立っていた。
「はい、てな感じで術式を間違うと、爆発したりします。やっぱり調整が必要か。もうちょっと式を改良しなくちゃダメみたいね」
けろっとした様子でアデルシア先生は平然と言う。
失敗する事を知っていながら生徒にやらせたのか。
良く知っている人だと思っていたのに、こんな面があったのかと思わず一歩っ引いてしまった。
「みなさん、気をつけてくださいね~」
「「「はーい」」」
「せんせー、オレの心配もしてください!」
そんな感じで二時間続きの実技授業は始まった。
だが、すぐに問題が起こった。
「では、二人組を組んで、魔術の展開を始めてください」
二人組。
以前も二人組に組むことがあったのだろう。各々の仲のいいパートナーと組んでいく。
それを見かねたアデルシア先生があたりを見渡して、思い出したように言う。
「フレイア、あなた、三人組だったわよね?」
フレイアと呼ばれたのは、セリスの隣になった少女だ。
フレイアは先ほど爆発を起こしたオルハとそのオルハを応援していた少年と共にいた。
「はい。そうですが?」
「セリスと組んでもらえない?」
「嫌です」
即答だ。
見ていてすがすがしいほどの否定。
「どうして?」
「嫌ったら嫌です」
「どうしても?」
「どうしても」
静かに、二人は睨み合う。
「なら、オレがリーシアさんと組みますよ」
「オ、オルハっ?!」
抗議の声を上げるフレイアを押さえながら、セリスの前まで来ると手を出した。
「よろしく。オレはオルハ・デュランダル。オルハって呼んで」
「あ、セリス・リーシアです。セリスでいいですよ」
「わかった。アルク、フレイアを頼むよ?」
「はい、オルハ様」
オルハはセリスの手を取ると、フレイア達から少し離れた場所へ行く。
その途中、何故かフレイヤに挑むような目つきで見られた。
何か気に障る事でもしただろうか?
朝からうるさくしちゃったから?
よくわからない。
歩きながらショーマは、今回の授業でやる術式を教えてくれる。
簡単な炎を出す術だ。
その時、初めてオルハをじっくりと見た。
金髪碧眼の、貴族に多い外見だ。
しかし、そんな事にこだわらず、えらぶった所がない。
貴族に会ったことがないセリスは、貴族とは庶民を見下していてえらぶっている者だと思っていた。少し認識を改めるべきだろう。
意外とがっしりとした体つきで、手にはたこがある。
剣術でもやっているのだろう。
「じゃあ、このへんで始めようか」
「あ、はい」
彼と話していると、落ち着いて来る。
ショーマとは大違い。
そう思ってショーマがいるはずのところを見ると、なぜか後ろを向いている姿が目に入った。
なんでだろ?
あのショーマのことだ、セリスの姿を見逃すまいと見ているかと思ったのだが。
まあ、いっか。
「じゃあ、はじめよっか」
「はい」
そう答えると、オルハはなぜか無言で考え込む。
「敬語」
「え?」
「敬語、やめてくれない?」
「で、でも」
見た目からして、オルハの方が年上のはずだ。
そんな彼に、ふつうに話してもいいのだろうか。
「オルハ君は、私より年上ですよね?」
「え? あ、そう言う事?」
どういう事だと思ったのだろうか。
なぜか、オルハは笑い始める。
「なんだ、そう言う事か。でも、同じクラスなんだし、出来れば普通に話して欲しいな」
「はい。あっ、うん」
また敬語になってしまった。
慌てて言うと、さらにオルハに笑われた。
「『君』も無しで」
「う、うん」
鋭い視線を感じて辺りを見ると、なぜかフレイアに睨まれているところだった。
首をかしげると、彼女はそっぽを向いてしまう。
「どうした?」
「え、あ、なんでもない……それより、やろう」
「そうだね」
じゃあ僕から。
そう言ってオルハが、術式の演唱を始める。
《✡Ⅹ-△←>Ⅹ+✡→》
今度の術式は破たんしていない。
魔術は演唱する魔術式で発動する。
その魔術式が間違っていたら、爆発や予期もしないことが起こる。
ホッとしているセリスの前で、小さな炎がオルハの手から生まれた。
「はい。こんなもん」
「すごい」
「いや、すごくなんてないよ。そもそも、これくらいの術式なら、先生に内緒でみんなよくやってるし」
そ、そうなのか。
飛び級して編入したセリスだったが、実は一度もイルローガ式魔術を使ったことがない。初めての魔術だ。
ぶっつけ本番だから、とアデルシア先生には一応配慮してもらっていたりもする。
でも、理論などは書物で散々呼んで勉強したし、大丈夫だろう。
すこし緊張しながら魔術式を確認した。
そして、演唱。
《✡Ⅹ-△←>Ⅹ+✡→――
鼓膜が破れるのではないかと思うほどの轟音がおこり、肌を切り裂くような暴風がおこる。
本日二度目だ。
思わず腕で顔を庇う。
魔術が暴走して爆発がおこったのだ。
あ、あれ?
どどど、どうして?
「セリスちゃん、大丈夫っ!?」
「ショーマ……」
気づくと、ショーマに抱かれていた。
周りには灰色の煙が充満している。
ショーマはセリスの呼吸を確かめるためか、顔を近づけていた。
赤髪と同色の瞳がよく見える。
赤と言うより、火色の瞳に自分の驚いた顔が映っていた。
「って、オ、オルハ君は?!」
「……知らん」
「え、うそっ?オルハ君?!」
周りを見回すと、ショーマが不機嫌そうにセリスから手を放す。
なぜこんなに不機嫌なのか分からない。
「あー。大丈夫だよ」
「オルハ君!!」
少しずつ薄くなってきた煙の中から、煤だらけになったオルハが歩いて来た。
その横には、いつの間にかアルクが控えている。
アルクの方は、爆発に巻き込まれなかったようで煤だらけになっていなかった。
「君」
「え? あっ、ごめん、オルハ……」
思い出して、すぐに謝る。
「いや。それよりも、すごかったね、爆発」
「ご、ご、ごめんなさい!」
まさか、あんな爆発が起こるなんて。
最初にアデルシア先生がオルハを使って失敗例を見せてくれたのに、なんで失敗しちゃったんだろう。
術式は間違って無かった、はずなのに。
その様子を、ショーマはさらに不機嫌な様子になり、遠くでフレイアが無言で見ていた。
放課後。
セリスはアデルシアの先導によって女子寮の部屋に案内されていた。今後何事もなければ三年間過ごす事になる。
「さあ、ここよ。荷物はもう運んでもらっているわ」
案内された部屋は、二階の一番隅の部屋だった。中に入ると、左に置かれたベッドや机に以前からこの部屋を使っていた人の所有物が置かれていた。
右にはベッドや机があるだけで、その横に小さな荷物が置かれていた。
二人部屋のようだ。
「あの、こちらを使っているのは?」
「あぁ、すぐに来るわ」
「?」
何やらたくらむような微笑みを浮かべるアデルシア先生に若干の戸惑いを受けながらも、部屋の中を見る。
小さなキッチンや、クローゼットの中を見ていると、相部屋の人が現れた。
「アデルシア先生、どうしたんですか?」
――この声は。
「セリスに部屋を案内していたのよ」
「は?」
あちらもこちらを見た。
「二人とも、気が合いそうじゃない」
「気なんて合いません!」
フレイアの、怒った声が響いた。
「よろしく、フレイアさん」
「なれなれしく呼ばないで!」
「え、なんて呼べばいいんです?」
「聞かないでよ!!」
「ままっ、仲良くやるのよ」
アデルシア先生は、笑顔でそう言って去って行った。
残されたフレイアは、セリスを睨んだ後、迷わずベッドに入る。
「着替えないんですか?」
「う、うるさい!」
毛布の端から、フレイアの顔が真っ赤になったのがわかる。
どうしたのだろう。
「あ、そうそう。なんだか、ごめんなさい」
「は?」
「ずっと、私の事不機嫌そうに見てたでしょ?なんか、私しちゃった?」
初めて会った時から、フレイアはセリスに怒っていた。
初対面で失礼なことをしてしまったのか、思い当るところがないセリスは、とにかく謝るしかない。
「なっ」
がばっと起き上ったフレイアは、やっぱり眉を吊り上げて怒ったように言った。
「あなた、節操という言葉を知っているの?」
「えっと、うん?」
「あんな白昼堂々抱き合って、恥ずかしくないの?!」
「え?」
抱き合った?
一瞬なんの事だかわからなかったけれど、すぐに思いす。
ショーマの事だ。
「あぁ、家族だし、小さい頃からのあいさつみたいなものだから……恥ずかしいのかな?」
小さい頃からなので、セリスにとっては当たり前になってしまっていたが、学園内ではそうはいかないようだ。
やっぱり、もっと言っておいて止めさせとけばよかった。
「か、家族?」
「ショーマは私の家族ですよ。お兄ちゃんみたいな、お父さんみたいな」
セリスには父が居ない。
物心ついた時にはすでに亡くなっていた。
ショーマは母の使い魔と言う事情から小さい頃から面倒を見てくれていた。
一人で遊んでいると、相手になってくれたり絵本を読んでくれたりもした。
父の居ないセリスにとって、父親のような存在だ。もしくは、お兄ちゃん。
あの過保護とかは困るが。
ちょっと話しすぎたかな、と思いつつフレイアの顔色を見た。
「そ、そう言う事でしたの。小さい頃から……」
「フレイアさんはなんだと思ったんですか?」
「べ、別に!」
なぜかそっぽを向かれてしまう。
顔が真っ赤になっている。
「熱、あるんですか?」
「ち、違うわよ!」
「?」
どうしたのだろう。
心配になりながらも、セリスは荷物をほどきはじめた。
最初に、写真立てを出して机に置く。
すこし、日に焼けてしまった写真が中に入っていた。
白黒で色彩は分からないが、そこにはセリスによく似た女性と、幼いころのセリス、まったく姿の変わっていないショーマが映っていた。
「よし」
それを見ているだけで、がんばれる気がした。
「がんばるから、お母さん」
フレイアの邪魔にならないように、小声でそっと言った。
そんな様子を、ショーマは窓の外にあるベランダから聞いていた。
セリスが心配だったのだ。
「だいじょぶそうだな」
さて、今日は何処で寝ようか。そう考えながら、ベランダから降りる。
ベランダから降りると言っても、ここは二階だ。
しかし、ショーマは軽く着地すると、何事も無かったように歩きだす。
「あれ、いや、猫の姿になれば、セリスちゃんと……」
「だめよ」
「っ!」
考え込んでいたショーマの腕を、気配を消していたアデルシアがつかんだ。
いきなりの事に、ショーマは驚く。
「ア、アデルシア、殿」
「ショーマには、男子寮で生活してもらうわよ」
「な、なんでだよ!」
「あなたが男の子だからよ」
「ふざけんな!」
「じゃあ、女の子なの?」
「い、いや違うけど。って、なんでそうなんだよっ! 俺が言いたいのは、なんで、セリスちゃんと離れなきゃいけないんだってこと!」
男子寮は、女子寮とは校舎を挟んで反対の所に作られている。
そんな所で寝起きしていては、セリスの危機に間に合わない。
「この学園内で、そうそう変なことが起こるはずないでしょう?」
「ふん! だからどうした。変な事が在ろうとなかろうと、俺はセリスちゃんといるんだよっ。こんな男がうじゃうじゃいる学園じゃ、いつセリスに変な虫がつくともわからねぇだろ!」
「結界もあるし、何より私がいるし……。って、あなた、ちょっと過保護すぎるわよ」
「過保護でけっこう。俺はセリスちゃん至上主義なの」
それを、数秒アデルシアは見る。
なんどか瞬きをして。
「ほら、行くわよ」
「って、無視かよっ! は、はなせぇっ!!」
アデルシアに無理やり引きずられながら、ショーマは男子寮に向かった。
「て言う事で、貴方にこの子の面倒見て欲しいのよ」
「え、ショーマ君をですか?」
オルハは、引き摺られて来たのか、土でだいぶ汚れてしまったショーマを見る。
ショーマは、ぶすっとして言う。
「拒否しろ」
その声には殺気が込められていた。
そもそも、ショーマはオルハにまったくもって良い感情を抱いていない。
セリスちゃんと話した。セリスちゃんとなんか笑ってた。セリスちゃんを名前で呼びやがったっ!
敵認定されていた。
「いいですよ。ショーマ君との相部屋」
「おいっ!」
にっこりと笑うオルハに、さっきの込められた視線が飛ぶ。
「アルクもいいよね」
「はい」
影でオルハに従って立っていたアルクも、対して悩まずに頷いた。
「助かるわ」
アデルシアはそれだけ聞くと、部屋を出て行ってしまう。
「ちょっ、待てよ!」
「あら、いいの? これ以上私に逆らうと、セリスがどうなる事やら?」
「ひひひ、ひ、卑怯だぞ! アデルシア! ……殿」
「あら、震えてるけれどどうしたのかしら?」
「おおお、お、俺は、俺様はてめえの事なんざ、こ、これっぽっちも恐くなんてないんだからなっ!」
オルハは思わず噴き出した。
どう見ても腰が引けてるし、何よりその顔は恐怖に彩られている。
「じゃ、仲良くしなさいよー」
アデルシアは去っていく。
残されたのはショーマとオルハ、そしてアルク。
「テメェら、ざけんなよ。ガキが……」
行き場のない苛立ちは、当然オルハ達に向かっていた。
「うわ、セリスの前にいる時とは別人なんだ」
「黙れ、クソガキ。セリスの名前をその口で言うんじゃねえ」
ただでさえ、オルハは昼間セリスと一緒にいた。
セリスを他のやつらに渡したくない。男なんか近寄ってきて欲しくない。
だからこそ、セリスの自己紹介の後に抱きついたり甘い言葉を言ったりしたのだ。
セリスはいろいろと気づいてくれなかったが。
あれだけしておけば、セリスに変な虫がつかないと思っていたのだが、甘かった。
「これ以上、セリスに近づくな。骨も残さず燃やし尽くしてやる」
「イルローガでは、殺しは御法度だよ」
「知るか」
「アルクも、その物騒な物をしまって」
「……はい」
いつの間にか、護身用の短剣を抜いていたアルクに、オルハは軽くたしなめる。
「ショーマ君はさ……ここにいたほうが、もっといろいろと動きやすくなると思うんだけど?」
「……どういう意味だ」
「そのままの意味さ。オレと仲良くしといて、損はないと思うよ?」
その言葉に、ショーマは何も言わずオルハをにらんでいた。
実は魔術式は暗号になっています。
ただ、三年前に考えていたものだったので解読方法を書いていた紙が行方不明に……。
なんとなくは覚えているんですが……なにを書いていたのやら……(汗)