氷雪、来たる
ウィドール大陸。
魔法が栄え、魔術が盛んだっただったはずの、大陸。
そう、だった『はず』なのだ。
しかし、それは過去の事。
現在、この大陸で魔法や魔術は衰退している。
少女が一人、教師に連れられて教室のたちならぶ廊下を歩いていた。
黒髪にサファイアのような鮮やかな蒼の瞳。色白な肌は、太陽に当たったことが無いような白さの整った顔の少女だった。
その緊張した面持ちで、少々小走りで教師の後を追っている。
「さて、セリスさんはこの学園についてどこまで知っていらっしゃるんですか?」
「は、はいっ」
突然の問いに、少女――セリス・リーシアはびくりと硬直しながらも答えた。
「えっと、ここエルディス学園は……今現在、減少していく魔術師を育成する唯一の国立魔術学園と聞いています、カラスミ先生」
「そうです」
カラスミは、その答えに満足そうに頷いた。
「今、この大陸全土で魔術師の素養を持つ人々が少なくなっています。それに伴い、一時期は数百と在った魔術学園は閉鎖され、今ではかなりの数を減らしてしまいました。それにより、魔術師の素養が無くとも、魔学を学びたいという人々の受け入れ先も減少。ここは、魔術師の素養を持つ者、そして魔学を学びたい者の為の学園です……」
目的地に着いたのか、ある扉の前で立ち止まった。
「さて、セリスさん。心の準備はよろしいですか?」
「は、いっ」
「ようこそ、エルディス魔術学園に――」
開けられた扉の先には、どんな未来が待っているのか。
セリスは、一人足を踏み出した。
私の母は、魔術師だった。
小さな頃から母は私に魔術を教えてくれた。
そして同時に、母がその魔術の基礎を学んだ学園の事を教えてくれた。
その学園こそ――エルディス魔術学園。
魔術師と魔学師を育成する、国家運営の魔術学園だ。
「みなさん。今日からエルディス学園に編入する、セリス・リーシアさんです」
担任のカラスミ先生の声が、若干のざわめきのある教室に響いた。
教室には同い年の子達が三十人ぐらい集まっている。
転入生である私は、こわごわと教室に足を踏み出した。
各々の席に座るクラスメイトの視線が一斉に注がれる。
担任となるカラスミ先生がにこにこと紹介を始める。と、教団の中央に来るようにと手招きをしてきた。
緊張しつつ、そこいく。
人がたくさんいる。
いや、三十人しかいない。けれど、三十人もの人が、しかも同い年くらいの人達がいるところを見たのは初めてで、身体がこわばっていた。
ど、どうしよう。
口を開こうとしても、緊張で何も言えない。
「リーシアさん?」
カラスミ先生が聞いて来るが、答えられない。
ぱくぱくと呼吸が出来ないように口を動かすだけで、しゃべれずにいた。
と、真ん中あたりに座る金髪の少年が、周りの雑音にも気付かず居眠りしていた。
こちらがこんなに緊張しているのに、のんきなもので、周りの人は起こそうとしているがまったく起きる気配が無い。
なんだか、自分だけ緊張しているのが恥ずかしい。
すこししゃきっと態度を改めて、どうにか口を開く。
「よ、よろしくおねがいします。セリス・リーシアです。魔学師を志望しています」
魔術師と魔学師。
よく似ているけど、ぜんぜん違う。
魔術師は魔術を使う人の事。魔学師は魔学を扱う研究者的な人のことだ。
私が魔学師志望と言ったことで、教室のざわめきが少しだけ大きくなる。
魔術師と魔学師の違いはまだある。
魔術師は、魔術を使える人。つまり、素養がある人しかなることができない。
魔学師は、誰でもなることができる。魔術師になりたかったのに魔術の素養がなかったから魔学師になったという人が多い。
しかし、先生の次の言葉で、さらに教室のざわめきの声は大きくなった。
「セリスさんは魔術師の素養もあるんですよ。魔術実技の授業は取っていましたよね?」
「は、はい」
「ということで、魔術師見習いの人も、セリスさんの事を気にかけてあげて下さいね。では、席は――フレイアさんの後ろが開いていますね。一番後ろで角の席です、どうぞ」
「はい」
勇気を出して、足を踏み出した。
これから始まる新たな生活に、一抹の不安と期待を込めっ「セリスちゃぁーん!!」
「セリスちゃん?」
クラスの中で、ざわめきが起こる。
ま、まさか。
冷や汗が、頬を伝う。
そんなセリスの様子に気づくことなく、生徒たちは音の発信源である窓の方を見る。
何かが、窓に張り付いていた。
「やっと見つけたっ。セリスちゃん!!」
いや、何かでは無く、人間だ。正確には人の姿をした使い魔なのだが。
見ると、燃えるような赤髪の少年――ショーマが、外から窓を開け放っていた。
「ショ、ショーマっ」
思わず、額に手を当てる。
絶対に来ちゃダメって言ったのに!!
やっぱり部屋に縛り付けておけばよかった。
いや、それではすぐに抜け出して追いかけてくる……。
ぐるぐると自分に対する後悔と此れから起こるであろう厄介事を考えて、ため息をついた。
「セリスちゃん! こんな所に居たのか? まったく探したんだぞ」
爽やかに言ったのは、セリスの唯一の友達ともいえる存在のショーマだ。
伸ばされた赤髪をなびかせて、窓わきに足をかけるとそんな事を言う。
この教室は四階にあるはずなのだが、どうやって登って来たのかすごく疑問だ。
「なんでここに来たのっ?!」
このままじゃ、平和な学園生活が崩壊するような気がするのは、間違いじゃないはずだ。
ショーマは元々この学園に来る予定じゃ無かったし、そもそも姿を見せないって約束していたはずなのに。
「セリスちゃんの居るところに、俺はどこまでもつき従っていくだけだからな」
セリスの前に立ち頬に手をのせてそんな事を言う。
本人は『決まった!』なんて思っているのだろう。けど、周りの視線が痛くてため息しか出てこない。
「なんで、こういつもいつも……」
半眼になってショーマを睨む。
それなのに、にこにこと笑顔を止めないで、むしろべたべたとセリスを触っている。
「そんな事言わないでよ、セリスちゃん。俺様、セリスちゃんの為なら火の中水の中どこまでだってついていくからねっ」
勢いで抱きついて来たショーマを支えきれず、セリスは押し倒されそうになる。
「や、やめなさいっ!」
「またまた、はずかしがっちゃって」
「恥ずかしくない。それよりも息苦しいの!!」
「はいはい、そこらへんでやめてあげなさい。リーシアさんが本当に窒息してしまいますよ」
カラスミ先生が、セリスとショーマを引き離した。
よ、よかった。このままじゃ、本当に窒息するところだった。ぜいぜいと息をしながらショーマを睨む。
と、肩に先生の手が置かれた。
「で、これは誰だい?」
「あ……」
「テメェこそ、セリスのなんだよ」
なぜ、喧嘩腰。どうしてそう話をややこしくしようとする。
頭が痛くなってきた。
カラスミ先生に向かっていくショーマの首根っこを掴んで、おもいっきり頭を下に下げさせた。
「す、すいません! か、彼は……」
どういえばいいのだろう。
少し悩んでいると、ショーマがセリスを押しのけて言った。
「そんなの決まってんだろ? 俺様は、ショーマ。セリスちゃんの使い魔だ!!」
使い魔。
字のとおり、魔術師が魔術の補助の為に従える魔物や動物の事だ。
一流の魔術師なら、いて当然の存在ともいえる。
「そうですか、使い魔ですか」
「そうさ、俺様は――」
「ショ、ショーマっ!」
一流の魔術師なら、だ。
本来、魔術学を修めていない私のような存在では、使い魔を使役するなんて夢のまた夢の話。
そもそも、魔術協会が認めた魔術師じゃないと使い魔を使役する事は認められていない。
「すみません! すみません! その、ショーマは私の母の使い魔で、私のことを心配して来てしまったんです!」
「ほうほう、なるほど」
真実を言う必要はない。
言えば、いろいろ誤解されるだろうし。
それよりも、問題は周りの視線だ。
「ほんとに申し訳ありません!」
無駄に目立ったしまったせいで、周りの視線が痛い。
こんなにたくさんの人に見られるなんて。と、すごく恥ずかしくて心臓がバクバクしていた。
「とにかく、席は一番後ろですよ」
「は、はい」
「ショーマ君については……あとで話をしましょうか。今はとりあえず、セリスさんの隣にある席、空いてますよね?そこにいてください」
「はい。ほら、いくよショーマ」
「へーい」
若干ショーマを引き摺りながら、セリスはその席に向かう。
一番後ろとだけあって、道のりがやけに長い気がする。
好奇な視線にさらされているのがわかっているので、少し顔を伏せた。
因みに、道すがら男子学生に対して挑発しているショーマには鉄拳が下された。
席に着く。
横に開いた席はあったが、その反対には凛とした少女がいた。
長く淡い金髪に炎のような緋の瞳を持つ少女。どこかの貴族かもしれない。
きりっとした目が特徴だった。
すごい、綺麗な人。
さらに、思わず触りたくなってしまうぐらいサラサラの髪に、ちょっと憬れる。
「よ、よろしくおねがいします」
そう声をかけると、なぜかそっぽを向かれた。
その頬は、なぜか赤い。
「堂々といちゃつくなんて、恥ずかしくないのですか?」
「え?」
恥ずかしい?
「別に……」
「なっ」
ばっと振り返った少女は、わなわなとふるえつつ、言った。
「ば、ばかじゃないの?!」
「?」
なぜ、ばかなのだろう。
少女が真っ赤になっているわけも、怒っている理由もわからないまま、セリスは席についた。