縁は異なもの味なもの
物心ついた時、すでに母は病床で、ついでに古い塔に閉じ込められていた。
日に日に弱っていく母を見て、育った。
当時は母がどうして弱って行くのかを知らなくて、どうしようもなくて、時折訪れる父を待った。
父が来た時だけ、母はいつもと違う笑みを見せるから。父が来ている時だけ、元気になるから。……それが無理をしていることなど、気づけなかった。
母が死んだのは十になる前。
塔を出た俺を待っていたのは、また監禁されたように城に閉じ込められた日々だった。
父の部下達に教育と剣術、魔法をひたすら叩きこまれた。
その中には、あからさまに俺を軽蔑し、母を侮辱する奴らもいたが何も言えなかった。
腹違いの兄達はいじめの対象としかこちらを見なかった。
……自分は、純粋な魔族では無い。それを知ったのはその頃。
母は人で、父に無理やりかどわかされたのだとか。
そして、父が母を殺したことを知ったのも。
直接じゃない。間接的に。
ここは人が住む場所では無い。人の世界とは違う魔族の住む世界。
そこは、人がずっといられる場所では無かった。
その空気は身体を蝕む害となり、その水は毒となる。
母は、良く持った方だという。
十数年。人の世界に戻ることも無く、ずっとこの場所に居た。
だから、母は死んだのだ。
どうして。
それを問う事は出来なかった。
なぜそんな事をしたのかと、聞けなかった。
父は魔族を束ねる王で、俺と話す時間なんてなかったからだ。
だからだろう。
ひねくれて育って、最終的に父と大げんかして、兄達をまとめて陥れて、そして……逃亡したのは、その数十年後。逃亡、というよりも、家出に近かったのかもしれない。
どうせ、すぐに連れ戻されるのなら、と人々の住む世界へと向かった。
それが間違いだったと気づくのに、時間はかからなかった。
人々は、魔族を嫌悪していた。
これまで、魔族が人々を殺してきたからだという。
凶暴で、殺戮をところ構わず行う存在だと、思われていた。
実際、魔族に好戦的な奴等が多いには多いが、そんなところ構わず殺しを行うような種族じゃない。
大方、魔族の世界に居れなくなった奴等がこっちに来て、事件を起こしたせいなのだろう。
まったく、傍迷惑なことに。
気がつくと、目の前に子どもがいた。
まだ幼く、三つにもなっていないだろう。
まあるい目でこちらを見ていた。驚いているのか、興味を引く対象を見つけたと観察をしているのか。
ただ、油断をしていたせいで、その魔の手から逃げることが出来なかった。
「ままー、にゃーこ、いるー!」
「は?」
にゃーこ?
小さな子どもだというのに、まだまだ非力な力しかないというのにその両腕から逃れられなかった。
振り回されるままに持ちあげられて、女性の元へと引き摺られる。
両手のわきの下を持たれてというか、遠慮なく鷲掴みにされてかなり痛いし、引き摺られる足がなんどか子どもに踏まれて痛い。
こっちは猫に化けているから抵抗が出来ない。いや、元の姿に戻ればいいのだが、そうすると、魔族だとばれてしまうかもしれない。
抵抗できず、その少女の母親らしき元に運ばれていく。
とてとてと危なっかしい走りにハラハラしながら、小さくため息をつく。よくもまぁ、転ばなかった。
「あら、赤い猫ちゃんね」
現在進行形で、女性の目の前につきだされている。
そのまま、子どもはそれ以上こっちを持ちあげられられなかったようで落された。
逃げようとすると、すかさず捕まえられる。
なんてすばしっこいんだ。逃げる隙が無いっ……。
「にゃーこだよ!」
「そうね、にゃーにゃーね」
「にゃーこにゃーこ」
「にゃーにゃーね」
親子揃ってなにいっているのだろうか。
ただ、唯一つ、子どもに言いたい。
「俺は男だっ!!」
何度も何度も、にゃーこって呼びやがって。
俺は男だっ。なにが嬉しくてにゃーこなんて呼ばれなくちゃならない。
こっちは怒っているというのに、その親子は一緒になってはしゃいでいる。
「にゃーこ、しゃべったよ!!」
「そうね、猫さんがしゃべったわねぇ」
にこにこ
にこにこにこにこ
不吉な笑みだ。なんだ、こいつら。
人間と言うのはあまりにも理解不能すぎる。
母は、こんな人だっただろうか……。
ずいぶん昔の話で、思い出せないが、さすがにちがった気がする。
どうなのだろう。
理解不能だらけの人間社会。理解不能と言うのは恐ろしいものだ。
がくぶるがくぶる……。
「にゃーこ、さむそう!」
え?
「じゃあ、家に持ち帰りましょうか」
「おもちかえりー」
「なっ?! ちょっと待てーいっ!!」
なんでそうなった?!
ふと、顔を上げると少女の母親と視線が重なる。
なぜか、絶対零度を思わせる、氷のような瞳だ。
「大人しくしていなさい、魔族。……娘に手を出したら……殺すわよ」
「……は、はい」
あれ……?
連れてかれたのは、大層な御屋敷だった。
城に比べれば小さいものだが、かなりの年月を重ねた建造物のようだ。しかも、良く手入れがされている。
少女の母親に抱かれて、そこに至る。
……本気で恐かった。
この女、何者ですか?
ほんと、あの殺気……魔族もびっくりなんですが。
一応、魔王の息子と言う事で、結構強いと自負していた自信が音を立てて崩れて行く。
人間って、なんでこんな恐ろしいのか。
これなら、兄達に遊ばれていた方が精神的に楽だったような気がする。
それはともかく、女は少女に何かを言った。
そのまま、少女と別れて屋敷の奥へ奥へと歩いていく。
「さてと、地下は開いていたわよね」
その声色は、さっきまでの子どもの為の創り物では無い。
ちょ、まって。あの女の子が居なくなった途端に空気変えるのやめてっ。
暗い部屋に、入った。
もう、これからどうなるのかまったく分からなくて、ほんと恐ろしいんですが。
しかも、部屋の中に、異様な形の器具とか、変な場所に刃物のついた機械とか、壁が妙にくすんだ黒いのとか……き、気のせいだよな?
「さて、貴方……魔族でしょう?」
一発だった。
その声だけで、停止魔法をかけられたように身体が動かない。
「あんな町中に居たら、捕まって、殺されるわよ?」
「だ、だから、どうした?」
勇気を振り絞って、聞く。
それだけで、寿命が数十年縮んだ気がする。
「あら、助けてあげたのに、ごあいさつね」
「は?」
た、助けた?
なんで人間が俺を助ける?
そもそも、魔族は敵だろうに。
「あのねぇ、魔族って言ったって、本当に危険なのは魔族の世界から犯罪者として追いだされたはぐれ魔族なのよ。貴方、ただ単に若気の至りで人間界にやって来たくちでしょ?」
「ち、ちげーよ!」
「じゃあ、犯罪者なの?」
「ち、ちがう、けど」
「じゃあ、良かったわね。きちんと魔族について知っている人に拾われて。これでもし、魔族について全然知らない魔術師とかだったら……本当に殺されていたわよ」
「……」
彼女から、思わず離れる。
一歩、一歩と下がっていくと、壁にぶつかった。
「さてと、どうしようか……貴方、魔族の世界に戻った方がいいわ。最近は魔族の襲撃事件が繰り返し起こっていて、あなたたちに対してみんな酷く敏感だから」
「……それは無理な相談だ」
「死にたいのね、解ったわ」
「ちげーよっ?!」
なんでそうなったんだよっ?!
女は平然と、無表情で言って来る。
放出されている魔力と相まって、恐すぎる。
良く覚えていないお母さん……人間って、こんなに恐いんですね。
「ままー、にゃーこどこー?」
「あら、セリス。ミツヤも」
ころりと態度を変えて、女はやって来た子ども達に笑顔を見せる。
子どもが、増えている、だと……。
「あ、その猫がセリスの拾って来た猫ですか?」
「えぇ、そうよ」
黒髪に黒い眼。黒髪だけど蒼い眼の親子とはちょっと雰囲気が違う少年がいた。
もう、十を過ぎた辺りか。年の離れた兄妹らしい。
「にゃーこー! ね、ね、かっていい?」
「ちょっとまってね。ねこさんと少しお話中なの」
「おはなし?」
「そうよ。だから、ミツヤと遊んでちょっと待っててね」
「うん!」
ミツヤとやらに先導されて、セリスとかいう少女は部屋を出て行く。
そして聞いて来る。
「さて、どうしましょう」
「……なにがだよ」
「セリスになんて言い訳をするか」
「……は?」
何を言っているんだ?
「ねこちゃんはちょっと眼を離したすきに、居なくなっちゃいました。うーん、それじゃあ泣いて探しに行っちゃうかもしれないわね。ねこちゃんは他の人に貰われていきました。……ダメだわ。その人の家に押しかけようとしちゃう。ねこちゃんは死にました。仕方ない。哀しむけれどこれが一番良いわ」
「ちょっとまてーいっ?!」
最後の物騒な話に、思わずストップをかけてしまう。
「なにかしら?」
「なんで死んだことにされるんだっ!!」
「だって、貴方魔族の世界に戻るのでしょ?」
「戻らねーよ!」
「死にたいのね」
「死にたくねーよ!」
「ならなんで?」
「……」
家出、なんて言えない。
おやじと喧嘩して、家出して……ちょっと逝き斃れかけていたらさっきのセリスとかいうのに会ったとか、言えないっ。
「もしかして、家出したの?」
「なんでわかったんだよっ?!」
「読心術?」
「なんで疑問形なんだよっ?!」
「そこはまあ、さらりと流しなさいな」
疲れた。この人、一体何もんなんだ。
そういえば、さっきの女の子の名前は解ったが、この人の名前は知らない。
「そうね。私の名前は、セシリアよ。ソルディア家、43代目当主、セシリア・ソルディアよ」
「……」
すごいのだろうか。
たぶん、すっごく自信満々に言っているから、すごいのだろう。
知らないが。
「で、貴方の名前は?」
「俺はる……いや、名前は無い。故郷を出る時に捨てた」
名前は、おやじと喧嘩をしている時に捨てた。
いろいろ言い争ってたら、もう、ほんとどうでもよくなって。
そもそも、あの名前はおやじがつけたらしいし。
もう、あそこには戻るつもりもないし。
「餓鬼のくせにいっちょまえな事を言うのね」
「言っとくが、あんたと同じくらいだぞ、年」
人間で言うところの十八ぐらいに見えるが、実際の年齢とかは全く違う。
人と寿命の長さが違えば、成長の早さも違うのだ。
「で、どうするのナナシ」
「え、俺の名前ナナシ決定っ?」
「あら、他になんて呼ばれたいの?」
「いや、別に呼ばれたい名前なんてないけど」
「でしょ。で、どうするのよ、ナナシ」
何か釈然としない物を感じながら、考える。
が、答えは決まってる。
「あそこには、もう帰らない」
「そう」
って、あれ?
簡単に頷かれたたことに拍子抜けをする。
じゃあ、このまま逃げていいですか。と、ゆっくりと出口に向かおうとして。
「なら、私の使い魔になりなさい。これ、決定ね」
「はぁっ?!」




