氷雪、応える
怖かった。
恐かった。
何度も何度もやめたいと思った。
手が、足が震えて、ショーマが心配そうに顔をのぞいて、言った。
「セリス、大丈夫だよ。絶対成功する。成功しなくても、何が有ろうと俺がセリスを守る」
「……うん」
そう、大丈夫だ。
大丈夫。
「俺は、セルシアス・ソルディアを、何があっても守って見せる。信じろ」
「ショーマ……ありがとう」
セリスはディース城へと足を踏み入れる。
そして、それを言った。
「このたび、ソルディア家の当主の交代を伝えに参りました。そしてもう一つ……あなたと、取引をしたい。イルローガの若き国王、ルシル・J・イルローガ殿」
暗闇で、取り残されたオルハとフレイアが二人で何とか出来ないかと試行錯誤していた。
「セリス……」
どうすればよかったのだろうか。
フレイアは後悔する。
落しものなんてしなければ、夜中に抜け出さなければ、こんなことにはならなかったはずだ。
オルハは隣に居る。いつもなら嬉しいはずの事。けれど、こんなの望んでいない。
それに、最後に見たセリスの横顔は……とても悲しそうだった。
それが、忘れられない。
どういうつもりで最後の言葉を言ったのか、解らない。
「セーリスちゃんっ!」
「っ?! ショーマ?!」
突然扉が開かれ、ショーマが現れる。
一瞬、さっきの魔術師たちかと身構えたが、杞憂に終わった。
「なんだ、行き違いになったか」
が、そう言って扉を閉めようとする。
捕まっているフレイアとオルハの事なんて眼中にない。
「ショーマ。待てっ!」
「……なんだよ? こっちは急いでんだ」
セリスがいる時とは違う。
感情を亡くした様な、無骨な返答。
五月蝿いハエを見るように、二人に視線を向ける。
「急いでるって……こっちの様子を見てもそんなこと言えるの?!」
フレイアは縛られた手と足をショーマは無感動に見ると、一言。
「それが?」
「なっ!」
「セリスはテメエらを置いてったんだろ? なら、関係ないね」
つまり、セリスが置いてった二人を、ショーマは見捨てると言う事だ。
彼女の為、彼女の不利益な物はごく力排除する。
彼女の為、どんな事でもする。
ショーマにとって、一番大切なのはセリスだけなのだ。
「何よ。あんた、セリスの前とじゃ全然違うじゃない!」
「で? 何だよ。ガキに付き合ってられるほど俺は暇じゃねぇんだよ」
たぶんこれがショーマの素だ。
セリスの居ない男子寮ではいつもこんな感じだった。と、オルハは思い出す。
「ちょっと待て!」
今度こそ扉を閉めかけたショーマの手がしょうがなくも止まった。
「あぁ、何だ?!」
仕方が無い。
最終手段を使う。それしか、この状態をどうにかする事は出来ない。
「お前、魔族だろ」
「え?」
フレイアは驚いた様子でショーマを見た。
「……それがどうした?」
当のショーマと言えば、そんな視線には慣れているといった風に、態度を崩さない。
「他の人にばれてもいいのか?」
「別に」
まったく興味が無いようだ。
しかし、本番はここから。
「そう。でも、お前は良くても、セリスはどうかな?」
「っ?」
かかった。
セリスの名前を出せば、絶対変わるとは思っていたが、かなり効いたようだ。
フレイアは、全てオルハに任して黙っている。
ただ、魔族と聞いて、ショーマを見る視線には恐怖が映っている。
「どういう事だ」
「つまり、お前は良くても、セリスは魔族を使い魔にしている張本人だぞ? 魔族がどれほど人間に嫌われていると思っているんだ?」
「……」
もうひと押し。
「嫌いどころじゃない。憎んで世界から抹消すべき存在だとまで言う輩もいるんだぞ? その憎しみが、魔族を使い魔にしている魔術師に向かないはずが無いだろ? もし、君が魔族で、セリスがその魔族と契約している魔術師だなんて気付かれたら、どうなるだろうな?」
「……何が目的だ」
ここからは簡単だ。
「取引をしよう。なに、簡単なことだよ。ショーマはオレたちをここから助ける。そしたらオレたちはショーマが魔族だと言う事を言わない。な? フレイア」
「え、えぇ」
「……」
「どうだ? 悪い話じゃないだろ?」
ショーマは、迷っている。
セリスにとって不利益。
それに、酷く動揺しているようだった。
でも、ここで気を抜けない。
自分たち二人を殺して秘密にしてしまう、そんな結末になってしまうかもしれないのだ。
だから、慎重に。
「……ふざけんなよ。そんなことで」
「へぇ……言っとくけど、つい最近隣の国で大規模な処刑があったんだ。その当人は魔族を従えていた魔術師」
「……」
「この国だって、十年くらい前には魔族と交流を持っていた町人全員が刑に処された」
「っ……」
「無論、知っていてもなお言わなかった人達もろともだ」
「だから、なんだよ」
「こちらも被害をこうむるってことだよ。それでも、黙っている。だから」
助けろ。
これ以上こちらにかまっていられない、そんな思いもあったのだろう。
いらいらと舌打ちをしながら頷いた。
「っち……解ったよ」
取引成功。
思わず大きく深呼吸をする。
よかった。自分が失敗する事によって、フレイアにまで被害が及ぶかもしれなかったのだ。
何も無く、一番ベストな解決ができた。
「……で、なんで俺が魔族だってわかったんだ?」
「あ、いや……ちょっとそう言う系は他の人よりも敏感だから?」
「結界は気付かなかったのにな……」
オルハとフレイアに結ばれたロープを、ショーマは切り裂きながらぼそりと言った。
「とにかく、セリスを追うぞ!」
「言われなくたって!」
何も言わないフレイアを心配しつつも、オルハは時計台を飛び出した。
「やめなさいっ!!」
凛としたセリスの声が響いた。
「なんだ、こいつ」
「? さっき捕まえた奴じゃねえか」
「何やってんだよ、きちんと縛っとかなかったのか」
男たちが、唯一人で立ち向かうセリスをあざけるように会話を始めた。
そりゃそうだ。
まだまだ魔術師なんて名ばかりの学生一人。それにどう警戒しろと言うのか。
「あなた達は、ソルディア家の魔術師なのですか?」
それに気にせずセリスは前に進む。
「そうだよ、嬢ちゃん」
やはり、あざけるような声。
「セリスさん?」
アルクが逃げるようにとアイコンタクトをしてくるのが見えた。
それでもセリスは止まらない。
止まれない。
それは埃の為だ。そして、矜持のため。
「……お前たちゴトキが、ソルディアの魔術師を愚弄するのは、やめてほしいのだけど?」
「お前たちゴトキぃ?」
男たちが反応する。
「そうよ。ソルディア式魔術の本懐も知らないお前たちゴトキが、粋がるなと言っているのよ!!」
セリスの周りに生れたのは真紅の炎。
全てを焼きつくすかの如く、男たちを燃やそうと火の手を伸ばす。
演唱なしに燃え上がった魔術に、彼等は頭に血が上っているために気づかない。
「このガキっ!!」
何人かの男たちが一斉に腕を上げた。
その途端、幾つもの水の魔術が展開され、炎を打ち消す。
「調子に乗るな!」
さらに、風がセリスを切り裂こうとする。
「……バカバカしい」
しかし、風は突然止まり、勢いを徐々に亡くしていく。
「これが、正真正銘の、ソルディアの魔術よ!」
セリスの頭上に光の球が幾つも浮かび上がる、その間にも、男たちの間の地面から、生物の摂理を無視した生え方で蔦が現れると、男たちを拘束していく。それが終わるか終らないかのうちに少し離れたところで何人もの悲鳴が上がり、魔術師らしき男たちが風に切り裂かれて逃げて来る。さらに魔術を使い、逃げようとした者達を、光の球が光の尾を引き追いかけて潰していく。
ほとんどセリスの一人舞台だった。
男たちが演唱無しで魔術を発動していたのは、少し離れたところで魔術を展開していた別の魔術師が居たからで、ソルディアの魔術師でも、魔術のスペシャリストでもない唯の魔術師の彼らでは――対応できなかったのだ。
当たり前だ。
セリスが目線を動かしただけで、魔術が駈け廻り、男たちをのしていく。
あまりにも幻想的な魔術をエンドレスに見せつける様は、後の語り草にまでもなったと言う。
「お前は、何もんなんだ!!」
男が息も絶え絶えにセリスに問う。
ただの学生と油断していたとはいえ、こんな一方的な攻撃……。
まさかと。ありえないと。
「私は……」
セリスは応えた。
「私は、ソルディア家最後の魔術師にして、44代目、当主。セルシアス・ソルディアよ!!」
凛とした声は、そばにいたアルクはもちろん、結界によって足止めされた魔術師や騎士達に、セリスを追ってやって来たショーマ、オルハ、フレイアに、そしてエルディス学園に届いた。
「この小娘が!!」
「っ?!」
まずい!
完全に油断していた。
近くで倒れていた魔術師の一人が、いきなり起き上りセリスを襲ったのだ。
いくら演唱なしのソルディア式魔術の使い手とは言え、不意をつかれてはすぐに魔術を発動する事は出来ない。
魔術は演唱が無いとは言え、発動するためには数秒時間が必要だ。
それゆえに。
「――……?」
が、何時まで待っても男はおろか、衝撃も来なかった。
ただ、何かが燃えるような音が、あたりに落ちた。
「貴様、セリスになにしやがる」
低く、得物の利いた声。
ショーマだ。
眼を開けると、セリスをまもるように紅蓮の炎が燃えている。
そして、男は少し離れた場所で火だるまになっていた。一応、すぐに消えて焼け死ぬなんてことは免れたが、しばらくは起き上れないだろう。
「ショーマっ」
走ってきたのはショーマだった。この炎もきっとショーマが作ったものだ。
「セリスちゃん、大丈夫だったか?! 怪我はしてないか? てか、俺様を待ってろよっ。なんで一人で……俺はセリスの使い魔なのに、なんでおいていくんだよ……」
「ご、ごめん」
怒っている。
両肩を掴んで、じっとこちらを見て来る。
そのまま
「はい、ストップストップ。大丈夫だった、セリス? ごめんね。いろいろ手間取っちゃって今来たところなんだけれど、なにがあったのかしら?」
ショーマ同様、いつの間にか近くに来ていたアデルシアが、いつものように平然と笑った。
「でも、私の出番はもうないわね」
そう言って、セリスが魔術で倒したのとショーマに焼かれてあやうく全身やけどになりかけていたエルディス学園への侵入者を見る。
死屍累々、いや、死んでいないからこの表現は正しくない。
が、見た限りはそんな様子だった。
その時、狂わされていた結界が消え、騎士や魔術師たちがエルディス学園の敷地に入って来る。
「セリス!」
「オルハ君……」
声の方を見れば、オルハとフレイアもいる。
オルハもフレイア……アルクも魔術師や騎士たちが私を見ていた。
「……」
「ソルディアの魔術師、だったの?」
「う、ん」
フレイアが、震える声で聞いて来る。
ソルディアの魔術師は、イルローガ王国では完全になかった事にされている。
存在を、消されている。
なぜなら、魔族のように嫌われているから。
王家に反逆を企て、しかし内部のいざこざでほとんどは同士うちをして、ソルディア家を赤く染めた。生き残ったのはわずか数人。
狂っているとしか言いようがない。
同族殺し。王家の反逆者。
そして、なにより恐ろしい、演唱なしの未知の魔術を使う魔術師。
そんな彼等に、人々は恐怖を抱いている。
何年もたった、今も。
「やめなさい」
静かな青年の声が聞こえた。
「ルシルさん……」
いつの間にかルシルがセリスの近くまで来ていた。
「危険です!」
「王!」
その声を黙って手を上げて制す。
周りが止めるのも聞かずに馬から降りると、セリスの前まで来た。
「御苦労さま」
「ルシルさん。そ、その……全員、倒した筈です。林の後ろにも数人倒れています」
「そうか……ありがとう。ほら、何をしている? さっさとこいつらを拘束しろ!」
二人のそんな会話に、辺りがざわめく。
命を受けたというのに、それすら忘れて。
「ど、どういう事ですか!」
セリスは知らなかったが、そう言ったのはランカだった。
「あぁ、皆に入って無かったね。彼女は先ほども言ったが、セルシアス・ソルディア。ソルディア家の現当主だよ」
「そう言う事じゃなくて!!」
「ランカ達の心配は無用。彼女は私がこの学園の入学を許可したんだ。ただ、こういう時に学園を守ってもらう、っていう約束付きでね。それでもなんか在るのなら、彼女がイルローガに来てからずっと様子を見てきたアデルシアに聞けばいい。エルディス学園に来てからは、弟も見ていたしな」
弟?
セリスは首を傾げた。
そう言えば、王には二人の弟が居ると聞いた事がある。二男のクレス・G・イルローガ。三男の……オルハ・D・イルローガ……お、オルハ?!
今まで気づかなかった事に、愕然として、思わず振り返る。
「ま、まさか、オルハ君は……!!」
今までそんな事考えてなかったけど、まさか、オルハが……?
「ちょ、兄さん! どういっ―――ふがふがっ」
「すいませんオルハ様」
何故かアルクがオルハの口をふさいでいた。
なるほど、アルクがオルハに様つけているのはそういう事か。
「そうだよ、セリス。オルハは私の弟だよ」
「オ、オルハが王子……」
似合わない。
「名前が同じだけだと思っていた……」
フレイアの傲然とした声も聞こえてくる。
知らなかったようだ。
「あー……だからなんか気配が似てたんだ」
「しょ、ショーマ、何故言わなかったの?!」
「えー、だって、聞かれなかったし?」
ショーマのあまりの話に思わず脱力する。
……そうか、私は視張られていたのか。
ま、当然だろう。
なにしろ、あの、ソルディアの最後の魔術師なんだから。
「まあ、これからも頼むよ、セリス」
「っ……はい!」
これからも……その言葉が、あまりにも嬉しかった。
嬉しすぎた。
「これからも、ここに居て……いいんですね」




