赤い街道の狩り
アシェルは、宿を引き払い、森を抜けて『赤の街道』へ向かった。
道中、彼は追剥ぎに襲われていた薬師を、半ば衝動的に助けてしまった。
薬師から、傷薬と痛み止めの丸薬を受け取り、アシェルはこの「人助け」が彼の復讐とは無関係だったが、彼の内に残る「情」と「罪」を深めたことを知った。
さらに二日後。
アシェルは、ついに目的の『赤の街道』に面した森に到着した。
森は不自然なほど静まり返り、鳥の声すらしない。「狩り場」の空気だった。
そして、わずかに血の匂いが風に乗って漂ってくる。
森の奥、わずかに開けた場所。
そこで彼が目にしたのは、まさにあの「噂」の現場だった。
数名の灰色の外套をまとった男たち――『灰衣団』の隊員たちが、一人の少女を追い詰めていた。
少女は十歳ほどか。ボロボロの服をまとい、枝で体を傷つけながら、必死に逃げ惑っている。
アシェルは、木陰に身を隠し、息を殺した。
あの灰色の外套は、かつて彼自身が誇りを持ってまとっていたものだ。
隊員の一人の横顔は、見覚えのある、かつての「部下」だった。
隊員の一人が、嘲笑うように剣を少女に向けた。
「ようやく見つけたぞ、イリス。最後の『血』め。おとなしく死ね」
少女が恐怖で転倒し、隊員が剣を振り上げた瞬間。
(止めろ。ここで飛び出せば、俺は死ぬ。復讐は終わる)
彼の頭が、冷静な判断を叫んだ。
(だが...エヴァを見殺しにした罪を、再びこの手で重ねるのか)
失われた娘エヴァの最後の顔と、目の前の少女イリスの絶望が、彼の網膜の上で重なる。
感情的な拒否反応が、合理性を焼き尽くした。
「―――!」
声にならない咆哮を上げ、アシェルは木陰から飛び出し、隊員と少女の間に割り込んだ。
アシェルが森から飛び出したことに、最も驚いたのは『灰衣団』の隊員たちだった。
彼らは、目の前に現れた「片腕の男」が、数ヶ月前に「処分」したはずのかつてのエース、アシェルであると瞬時に気づき、動揺した。
「……アシェル!? 貴様、生きていたのか!」
「片腕で……何を!?」
だが、彼らは『灰衣団』の精鋭だった。動揺は一瞬。
三人の隊員は、即座にアシェルを「排除対象」として認識し、完璧な三方向からの包囲網を敷いた。
「愚かな。あの時、川に落ちずとも、ここで死ぬ運命だったと知れ!」
かつての部下だった男が、アシェルの剣筋を熟知した動きで、最短距離の突きを放つ。
アシェルは、それを紙一重で回避する。
マクシムの元での訓練は、無駄ではなかった。だが...
相手は盗賊とは違う。オルデリア王国最強の秩序そのものだ。一撃の重さ、速さ、連携。すべてが、アシェルの片腕の限界を上回っていた。
「ぐあっ!」
一人の攻撃を避けた直後、別の隊員の剣の柄が、アシェルの脇腹の古傷に深々と叩き込まれる。
呼吸が止まる。
体勢を崩したアシェルに、三人目の剣が迫る。
彼は残った生命力を義手に注ぎ込んだ。
「――『パルソ』!」
増幅された印の力が、隊員を吹き飛ばす。
だが、その代償。アシェルの心臓が軋み、視界が白く染まる。
彼はその場に片膝をついた。
「……その力……!」
吹き飛ばされなかった二人の隊員が、アシェルの使った異端の力を見て目を見開く。
「貴様、マクシムの禁忌にまで手を出したか!」
「やはり、生かしておくべきではなかったな」
脇腹を押さえ、荒い息を繰り返すアシェル。
生命力を使い果たし、もう剣を握る力すら残っていない。
(……ここまで、か)
彼は、また、守れなかった。
隊員の一人が、アシェルにトドメを刺すため、無情に剣を振り上げる。
その光景を見ていた少女イリスが、恐怖の糸が切れたように絶叫した。
「―――やめてっ!!」
その瞬間。
イリスの絶叫に呼応し、アシェルや隊員たちではない、まったく別の「何か」が森の空気を震わせた。
音はなく、ただ純粋な「圧力」が、少女イリスを中心に爆発した。
「――なっ!?」
アシェルに剣を振り下ろそうとしていた隊員が、まるで目に見えない巨人に殴りつけられたかのように横合いに吹き飛んだ。
残りの二人の隊員も、何が起きたか理解できないまま、自らの灰色の外套が、鎧が、内側から押し潰されるような圧力に悲鳴を上げる。
それは、ヴィクトルが追い求めた「血統の力」。
『灰衣団』の精鋭たちは、その人知を超えた現象の前に、鎧ごと歪み、あるいは木々に叩きつけられ、沈黙した。
そして、力を放出したイリス自身も、その膨大なエネルギーに耐えきれず、アシェルの目の前で糸が切れたように倒れた。
彼女の鼻と耳から、細く血が流れていた。
力の暴発は、彼女自身の肉体を内側から破壊しかけていた。
森は、再び静寂を取り戻した。
残されたのは、かろうじて息をしているアシェルと、全滅した『灰衣団』の部隊。
そして、意識を失い、微かに血を流す一人の少女。
アシェルは、脇腹の痛みと印の代償に苦しみながら、悟った。
ヴィクトルが、エヴァを「失敗作」と呼び、この少女を「最後の血」として追い求めた理由。すべてを理解した。




