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元平民だった侯爵令嬢の、たった一つの願い  作者: 雲乃琳雨


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8、ニナリアの決意

 王子の婚約発表の後、バートン家の三人は静かに逃げ帰った。それを、アレンと王子はそれぞれ横目で見ていた。

 馬車の中で叔父が、シェイラを叱責する。


「とんでもないことをしてくれたな」

「あなた、シェイラを怒らないで。それよりも王子に婚約者がいたことのほうが問題よ!」

「そうだな。そっちを父さんに報告して、シェイラのことは黙っていよう。きっと、父さんが何とかするはずだ」


 シェイラは呆然としていたが、ようやく口を開いた。


「あの子、背中に傷がなかったのよ。変よ」

「そんなことはどうでもいいだろ。ストラルトは隠居した魔法使いがたくさんいるんだ。魔法で治したように見せかけたんだろう。これ以上あいつに関わるな」


 叔母は黙っていた。それにシェイラはイラっとした。


(舞踏会でも伯父様のことでかばわれていた。お母様も、伯父様の面影をあの子に見ていて何も言わない。ヒース王子ですら、伯父様に憧れている。伯父様の子だからって、あの子ばかりいい思いをしているわ……)


 シェイラの脳裏に、突然アレンの顔が浮かんだ。自分は王子との婚約がなくなったのに、立派な騎士を夫にしたニナリアに嫉妬した。



 舞踏会の会場では、シェイラがいないことで余裕ができたこともあり、ニナリアは何とかダンスを数曲踊ることが出来た。結婚している者は他の相手と踊らなくてもよいので、これで終わってほっとしていた。

 王子が二人のもとにやってきた。ニナリアは、王子を初めて見る。茶色い長い髪を束ねて、端正な顔立ちをしていた。メイドたちの間でも、ヒース王子は一番人気だ。ニナリアは古参のメイドから、


『あなたのお父さんに少し似ているのよ』


 と言われたことがあった。ニナリアは、侯爵家で父のことを覚えている人がいて少しうれしかった。


(本当だ。なんとなくお父さんに似ている)


「こんにちは。かわいい奥さん」


 王子がニナリアに挨拶する。ニナリアは顔を赤くして挨拶する。


「初めまして、ニナリア・ラディーです」

「そうだ、君にはその名がふさわしい」

「?」(王子から結婚の話があったって言ってから、そのことかな?)


 王子は優しく微笑んだ。アレンが二人の間に割って入る。


「あまり見るな」

「おや、嫉妬かな」


 王子はアレンをからかった。美しい二人をニナリアは、ぼうっと見ていた。それから王女がいないことに気が付いた。


(王女様はもういないのね)


 アーシャ王女は早々に退席していた。ニナリアは本物の王女も間近で見たかったと思った。王子の言葉に引き戻された。


「とても賢い夫人だ。今日のことは助かった」


 今日の計画はアレンに話して、安物のストールを用意してもらっていた。それで今日は魔法石も持っていない。アレンはこの計画を手紙に書いて王子に伝えると、王子はそれを喜んでいた。


(シェイラを退(しりぞ)けて、婚約者を紹介したかったからなのね)


「今日はあんなことがあったから、もう帰ったほうがいい」

「ああ、そうだな」


 侯爵がどう行動するか分からないと二人は思っていた。


「では、また会いましょう。かわいい奥さん」


 王子はニナリアの右手を取ると、手にキスをした。ニナリアは頬を赤らめ、アレンは二人を見てムッとした。王子は手を軽く振り、二人のもとを去った。



 バートン侯爵家の執務室には、祖父と叔父夫婦とシェイラがいた。執務室には、ニナリアの父クリストファーの大きな肖像画がかかっている。

 叔父が舞踏会の報告をした。当然、祖父はギラリと目を光らせ、静かに怒りをにじませた。


「なんだと、王子に婚約者がいただと」

「はい、突然の発表でして……」


 叔父は冷や汗をかきながら、父の様子を伺っていた。


「分かった。それは何とかしよう」


 三人は問題なく部屋を出ることができて、ほっとした。


「今日は王子の発表に助けられたな」

(父が無能だから、王子と結婚しないといけないのよ)


 シェイラは、父の背中を見ていらだった。母は言っていた。


『本当なら、私はお義兄様の婚約者だったのよ。でもお義兄様が体調を崩されて、あなたのお父様と結婚したの』


(本当なら、私が伯父様の娘だったのよ。そうなら、お祖父様ももっと私をかわいがってくれたはず。肖像画を飾るぐらいに!)



 その日の夜、ニナリアはかわいい寝間着を着て、ホテルのベッドの上に座っていた。舞踏会のことを思い出していた。美しい王女、きらびやかな王宮と貴族の世界。どの人もきれいな衣装を着て優雅にふるまう。まるで、母が寝る前に話してくれたおとぎ話の世界だ。その中でも引けを取らないアレン。アレンが見つめると、どの女性も頬を赤らめる。それを思い出したニナリアは、自分がまだ小さい子供で、ただの田舎の平民にすぎないと感じて、田舎に逃げ帰りたくなった。

 ニナリアの心は決まった。ストラルトに帰ったら、故郷に帰ろう。首都からだと10日はかかるが、ストラルトからだと6日ぐらいだ。


(今日、王宮を見れたことはいい思い出になった)


 アレンが部屋に入ってきて、ベッドに横になった。ニナリアがアレンを気にしなかったので、他のことを考えていると分かる。アレンは指でニナリアの髪を一筋すくう。


「何を考えている?」


 アレンの美しい瞳を見て思わず答える。


「自分がちっぽけな存在だと思って」

「——お前は、母親を守った強い女だ」


 ニナリアはそう言われて、ドキッとした。言葉に詰まる。アレンから目をそらせなかった。


(言わないと)


「……そのうちあなたが、私を必要としなくなると思うの。あなたは他の人にとって、重要な人だわ。……私は違うもの」


(アレンの周りにはたくさんの人がいる。きっと私のことなんか、すぐ忘れることができる。寂しく思うのも始めだけ)

(——私のかわいい旦那様。私はきっとこの人のことを忘れない)


 ニナリアは、寂しさと愛おしさでアレンを見つめた。アレンもじっとニナリアを見つめて穏やかに言った。


「なら、俺にとってお前は重要な人物だ。俺が欲しかったパートナーであり、安らぎであり、家族だ」


(……そんなこと言われたら、もう離れられないよ。……だめだ)


 ニナリアは涙ぐんだ。


「まだ、俺から逃げたいのか?」

「私が、裸で抱き着くのはアレンだけです。——これからも!」


 ニナリアはアレンに抱き着いた。アレンは優しく抱きしめる。


「そうでなければ困る」


(この人が、私を必要としなくなるその日まで、ずっと一緒にいよう)


 ニナリアの逃走計画はものの数分で、あっさり崩れ去った。その日からニナリアは、アレンの求めに素直に応じるようになった。

 アレンはやっと、ニナリアを手に入れることができた。


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