18、祖父の野望
首都のサロンで、ニナリアの祖父オーギュスト・バートン侯爵は酒を飲んでいた。定期的にここに来ては、仲間と情報交換をしている。そこへ、配下のペンネ伯爵が手を上げてやって来た。
「お久しぶりです。オーギュスト様」
「ああ」
ペンネ伯爵は50代ぐらいだ。注文を取りに来た給仕に酒を注文する。
「ニナリア夫人を見ましたよ。かわいらしい方ですね。うちの息子に紹介してくれたら良かったのに」
その言葉にオーギュストはギロリと目を向けた。ニナリアを隠していたのは家の恥を隠すようなものだった。伯爵は冷や汗をかいてすぐに話題を変えた。
「王女の件は上手くいったようですね。メリフィ国との関係のため表向きは無事とされていますが、容態は思わしくないのでしょう?」
「そのようだ」
「でも、シェイラ嬢が舞踏会で失態したのは残念でしたね」
その言葉に、オーギュストの目はギラリとした。静かに聞く。
「なんのことだ?」
「ご存じないんですか? シェイラ嬢が、ニナリア夫人を転倒させる無礼を働いて、それを王子がみんなの前で咎めたんですよ」
「なんだと⁉」
いつも外では静かに話すオーギュストだったが、驚いて声を荒げた。周りにいた者たちもこちらに注目した。伯爵はその剣幕に縮こまった。
「マコール殿は話さなかったようですね……」(やれやれ、とんだとばっちりだ)
マコールは叔父の名だ。オーギュストは杖を突いて席を立つと急いで店を出て行った。従者に急ぎ帰ると告げると、馬車に乗り帰路に就いた。
(マコールの奴、何も言わないとは! ローサもシェイラも黙っているとはな!)
(ニナリアはただ突っ立っているだけで褒められるのに、シェイラは黙っていることもできないとは)
ローサは叔母の名だ。オーギュストは杖を握りしめて、息子家族にイライラした。ニナリアが褒められるのも、クリストファーの娘だからだろうと思った。
(妻のオリアナはクリストファーを育てることで、母としての役目を果たしたが、マコールというダメな息子も置いて行った)
ニナリアの祖母でもあるオリアナは、実はクリストファーが15歳のときに家出して行方不明だ。1か月捜したが、クリストファーが「捜索を止めましょう」と進言したので、オーギュストはそれに従った。立派に育った息子がいれば、十分だと思ったからだ。
(だが、結局残ったのはマコールだけだった。——その後、クリストファーの父親が私ではないという噂が立ったが、むしろマコール方が私の息子ではなかったんじゃないのか?)
オーギュストが侯爵邸に帰ると、すぐにシェイラを呼び出した。メイド長のマーゴットがシェイラを呼びに行く。
「なにかしら」
「分かりません」
マーゴットは冷たく答える。シェイラは祖父に呼ばれると気が重かったが、仕方なくマーゴットに付いて行った。祖父の執務室に着くと、マーゴットがノックをする。
「お嬢様をお連れしました」
「入れ」
祖父から返事が返るとドアを開け、シェイラだけ中に入った。オーギュストは執務机の椅子に座っている。シェイラは机から少し距離を置いて、ソファの横に立った。
「お呼びでしょうか、お祖父様」
「なぜ舞踏会のことを言わなかった。それになぜそんなことをした」
「!」(バレてしまったのね。今日はサロンに行っていたから、他の方が話したんだわ……。どうしよう)
シェイラは、祖父がニナリアを嫌っているのが分かっているので大丈夫だろうと思い、素直に謝ることにした。
「申し訳ありませんでした。背中の傷を見ようとストールを引っかけたんです。そしたらニナリアが転んでしまって」
「子供みたいなことをするな。——背中に傷があったのか。それで、結婚式であのドレスを着ていたんだな」
ニナリアのウェディングドレスは、ハイネックで背中も覆われていた。オーギュストは結婚式の日、玄関先で無事に引き渡すのを見届けていた。
結婚式に参加しなかったのは、アレンが簡単に済ませてすぐにストラルトに戻ると伝えていたからだった。こっちにとっては手間が省けて都合が良かった。
オーギュストは王子が参加したことを知らない。そう伝えるように言ったのは王子だった。王子が参加すると分かったら、家族総出で参加しただろう。王子は、二人のためにそれはしたくなかった。
(お祖父様は傷があることを知らなかったの? 本当にニナリアのことに関心がないのね)
シェイラは呆れたが、祖父の注意が自分からそれたのでほっとした。
「傷があっても子爵は返さなかったということだな」
「ええ、でも傷がなかったんです。お父様は魔法でそう見せたのだろうと言っていました」
「そうか」
オーギュストは何かが引っかかったが、とりあえずシェイラを下がらせ、窓の外を眺めながら考えた。そして分かった。ニナリアの背中の傷と、クリストファーが思ったより長生きをしていたこと……。
「そうか」(あの女とニナリアは聖女なのか!)
オーギュストはすぐにシェイラを呼び戻した。シェイラは二度の呼び出しに落ち着かなかった。両手を前で握り黙って祖父の言葉を待った。
「お前とニナリアの結婚を入れ替えることにした。お前はすぐにストラルトに向かうんだ」
「⁉ どういうことですか?」
シェイラはとんでもない命令に驚いた。
「このままだと、お前は王子と結婚できないから、先にラディー子爵と結婚するんだ。子爵は王子のお気に入りだから、上手くいけばお前の印象が変わるだろう。このまま王女が死んだりすれば、子爵と離縁してお前を王子と結婚させることもできるだろう」
「そんなことができるのでしょうか?」
突拍子もない話だった。シェイラは、アレンがニナリアを大事に扱っているのを見ていた。
「もちろん、子爵がお前を気に入ればの話だ。侯爵家の娘であればよいのだから、国王も納得するだろう。
シェイラ、マコールを後継者にしなかったのは、あいつでは侯爵家が潰れるからだ。この侯爵家はお前の子供に継がせる。私が頼れるのは、もうお前しかいない」
(お祖父様が私を頼る? 私を認めたってこと?)
「お前の子なら、父親が王子でも子爵でもかまわない。子供が男でも女でもお前の子に継がせる」
「……分かりました」(どの道、お祖父様の命令には逆らえない)
シェイラは執務室を出た。
(お祖父様が大事にしていたのは、お祖母様と伯父様だけだった。お祖母様の肖像画は、今も机に小さいものが置いてある。でも二人とももういない……。私がとうとう、一番になったのよ!!)
シェイラは言い知れぬ不安があるものの、自分を奮い立たせた。
執務室のオーギュストは笑みを浮かべていた。
(この侯爵家はシェイラ、お前にくれてやる。——私が欲しいのは王座だ!)
(クリストファーは、やはり最高の息子だ。私に、ニナリアという駒を残してくれたんだからな)
「アハハハハ」
オーギュストは高らかに笑った。




