よくある話と、弱肉強食
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「その人はわたしの首を絞めて楽にしてくれて、そしてわたしの身体をどこかに捨てた。その後その人も首を吊って死んだらしいんだけど」
マイカ本人の口から語られる事件の全容は、淡々としていながらもだからこそ真実の持つ迫力に満ちていた。しかしながらカラハはそんな物語をつまらない講義でも聞くかのようにポケットに手を突っ込んで聞き流し、ぼんやり立ったまま口許を歪めていた。
「……まあ、よくある話だよなァ。で、怨霊になったお前は、ここで目覚めたと」
カラハの言葉に異を唱えるでもなく、地面に寝転んだままマイカは薄らと笑い、穏やかに軽く頷く。カラハのお陰で体内に孕んでいた物を全て吐き出せた所為か、更には自分の持つしこりのような記憶を吐露出来た事も大きかったのか──マイカは先程までと比べ随分と楽になったようにカラハには見えた。
「そう。そして自分の死んだ経緯を思い出したわたしは、あいつらに、わたしをこんな風にした全員に、復習してやろうと思った」
マイカの顔が邪悪に歪む。ドーラは彼女から引き抜かれたバットを杖代わりに、ただ黙って二人の様子を伺っていた。──本当に、カラハの言う通り『よくある話』だ、などと思いながら。
「しかし全員となると多くねェか? 警察の調べたところによると、一回でも関わった奴まで含めると確か……四十三人。その殆どが大した罰も受けずもう普通に暮らしているって聞くぜ」
「わたし、記憶力良いの。一度でもわたしに害を為した奴の顔、──絶対に忘れてなんてやらない。だから復習するのに、力が、もっと力が欲しかった」
喋るのに夢中な彼女は恐らく気付いていない、カラハの額の瞳が、──細く、傷と見紛う程細く、開いている事に。カラハはその妖しい瞳で彼女を捉えながら、気怠げな姿勢で会話を続ける。
「だから、『喰った』のか?」
「そうよ。何が悪い? 生きてる人間だって弱肉強食なんだから、死んだらそれこそ、強い者が弱い者を取り込むのは当然でしょ。油断する方が悪いのよ。あのシズヱって女、わたしが弱ってる振りしたら同情して優しくして、──甘いのよ! 怨霊になってる時点で、まともじゃないのに」
マイカはそうやって一気にまくし立てると、少しだけ、ほんの少しだけ苦しそうに顔を歪めた。彼女にもまだ人の心があって、罪悪感が精神を苛んだりするのだろうか。ドーラはこの不安定な存在の彼女を思い、静かに溜息を吐く。
「へェ。じゃあ、シズヱとか、他の肝試しの連中とか、その辺の霊とか、……そういうの全部、お前が喰ったって認めンだなァ?」
挑むようなカラハの視線にもマイカは怯まず、四肢に力を込めた。身体を束縛していた鎖はもう解かれている。マイカはゆっくりと身を起こし、口を吊り上げながら目の前の男を睨んだ。ドーラはそっと姿勢を伸ばし、持っていたバットを後ろ手で構える。
「そう。でも、まだ足りない。足りないの。もっともっと欲しい。力が欲しい。もうトイレで待ってるだけじゃ駄目、もっともっと、一杯、一杯、──喰わなきゃ!」
その瞬間、ドーラはバットをカラハ目掛けて力一杯投げた。回転しながらバットは真っ直ぐに宙を舞い、マイカがカラハに飛び掛かるのと、ステップを踏んだカラハが右手でバットを掴んだのがほぼ同時だった。
「──見え見えなんだよッ、手前ェらの行動はよォッ!」
そしてカラハは楽しそうに叫びながら、マイカの顔面に、体重を乗せたバットを思い切り、渾身の力で振り下ろした。
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「──で、結果的に実態の無い霊だのあやかしだのに、実態を与えて触れられる効果が出ンだよ。後はまァ、相手の能力の効果を相殺したりだとか」
「ああ、やっぱりそうですよね。私が触れなかったあの人に、所長が現れてから触れられるようになりましたし。それで『源』は何なんです? その力の」
「それはまァ……話せば長くなるし。また後でな、後」
「またそうやってはぐらかす。──いいですけどね、話したくないなら」
「ま、そのうちな」
そう言って伸びをするカラハの明らかに誤魔化す為の笑みを見ながら、ドーラは彼の置いたバケツの横に自分が運んできたバケツを並べた。
先程、襲ってきたマイカの頭をバットの一撃で殴り割ったカラハは、彼女が気を失っている隙に、次に必要な物としてバケツ二杯分の水を用意した。トイレの掃除用具入れからバケツを持ち出し、旧校舎から少し離れたグラウンド脇の手洗い場で水を拝借する。
水など一体何に使うのかは不明だが、カラハに明確なプランがあるのは間違い無さそうだった。少なくとも仕事に関しては信頼出来る、そうドーラの勘が告げている。重いバケツの運搬も、だからこそドーラは大人しく従った。
「じゃ、そろそろやるか。ドーラ、ちょっと頼まァ」
「了解です」
ドーラは打ち合わせ通りにマイカの傍に歩み寄ると、そのぱっくりと割られた頭をチラリ眺め遣る。そしておもむろに右手の中指と薬指の爪を左手首に宛がい、手首の皮膚を自ら引き裂いた。
ポタリ、ポタリ、ポタ、ポタ……。少し歪つな傷に滲み沁み出した血の赤は滴となり、マイカの割れた頭に流れ落ちる。回復させすぎてもいけない、しかし動けないのでは意味が無い。慎重に、慎重に──。
「ドーラ、そうだ、そのまま……後数滴、……ああ、そこでストップ。よし、良くやった」
カラハの細かな指示が飛ぶ。指定された通りに血を落とし終わると、ドーラはサッと傷口を押さえながら一歩後ろに引いた。
見ると、マイカの頭はもう傷口がほぼ塞がっている。……自我と目的を取り戻した所為だろうか、あれだけ悲惨だった陵辱の痕跡は跡形も無く消え、服こそ着ていないものの、再び綺麗な身体に戻っていた。
ドーラはすっかり傷の治った手首から手を離し、少し離れた位置に佇む。そして再び拾い立てたバットに両手を載せて弄び、静観を決め込んだ。
「さて。じゃア仕上げといくか」
嬉しげに笑いながらカラハはマイカの上にしゃがみ込み、そしておもむろに彼女の頬を張った。バチッ、バチィン、と小気味良い音が何度も響き、苦し気な呻きと楽し気な笑い声がそれに重なった。
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油断も隙も無いマイカを手玉に取りながら、カラハは次の準備に余念がありません。
次回も是非、乞うご期待、なのです!
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