睨む瞳と、笑う牙
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「何で窓ガラス壊したんです。ちゃんと鍵開いてたのに」
「なんか鍵硬くて上手く開かなかったんだよ。ガタゴトやってたら気付かれちまうだろ? 割った方が手っ取り早ェって思ってさ」
「それにしてもあんな粉々にしなくても。依頼主に怒られちゃいませんか?」
「そりゃ昔のガラスだからなァ、割れ易いんだよ。気持ち良くガッシャーンて派手にやっちまったけど、まあ多少は何してもいいって了解取ってあるから平気だろ。結界張ってあるから騒いでも外には聞こえねェし」
「それならいいんですけど……それにしても、そもそも都合良くバットとか転がってましたね。何処で拾って来たんです? アレ」
「最初は石でも投げようかと思ったンだが、何か無ェかと探したらそこの脇に隠すように置いてあったんだよ。バット」
「へえ。隠すように……ですか」
「何か関係あンのかもなァ」
そんな遣り取りを続けていた時の事だ。ニヤリと楽しそうに笑うカラハのポケットから突如、無愛想な電子音が流れ始めた。カラハは取り出した携帯電話を確認すると、来たメールをドーラにも見えるよう、ホラ、と画面を突き出す。
「これだな。間違い無ェ」
「ああ、そうみたいですね」
組織から送られてきた資料は、『カガヤ・マイカ』という少女のものだった。
数年前に起きた集団暴行事件の被害者で、遺体はまだ見付かっていないという。──添付された写真の顔は、先程の『花子さん』そのものだった。
「にしても、相変わらず仕事が早えェなあ。ものの十分やそこらで特定しちまうんだから、組織の情報班の優秀さには恐れ入るぜ」
そしてカラハは電話を仕舞いつつ、窓の傍に転がしたままの、鎖でがんじがらめの『花子さん』を見遣るのだった。
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あの後二人は、気絶した『花子さん』をガラスの破片まみれの狭いトイレから引き摺り出し、非常口を通って旧校舎裏側の駐車場へと運び出したのだった。目が覚めても動けないよう鎖で拘束しながら、カラハはドーラの報告を聞いた。
有益な情報を入手する事に成功したドーラに、カラハは何でも無い風を装いながらも内心密かに驚嘆した。そんな心中はおくびにも出さずに、首を絞められた甲斐があったなァ、などとカラハがからかうと、ドーラは複雑そうな表情をしていた。
早速、該当しそうな人物がいないか組織に調査を依頼し、休憩や雑談を挟みつつ準備を終え、そして──今に至る、という訳だ。
ちなみにカラハの見せた能力『瞳』についてドーラからしつこく聴かれたが、面倒かつ詳しく話すと長くなりそうだという理由で、カラハは雑にはぐらかした。──まあ、そのうち必要があればその時に詳しく説明すればいいだろう、などと思いながら。
カラハはカガヤ・マイカ集団暴行事件の情報を頭の中で反芻しながら、すっかり短くなった煙草を靴底で潰す。準備は万端、さあ仕事の再開といこうか。
漂っていた紫煙が風に掻き消えるのを確認する事も無く、カラハはまだ意識の無い『花子さん』におもむろに近寄った。
「よォ、姫さん。そろそろお目覚めの時間だぜ?」
そして思い切り踵で腹を踏み付ける。体重を乗せた足は綺麗に鳩尾に入り、『花子さん』ことマイカは突然の苦痛に悲鳴を上げる。今自分の置かれている状況が解らず、ただ混乱し、闇雲に身をのたうたせた。
少し前にバットで砕いた頭は、ドーラの癒やしの血で既に強制的に回復させられていた。──あらましが解明されない内に滅ばれては困るのだ。それが本人にとっては、苦行の始まりでしかないとしても。
「ぁ……、ぅげ、……げほ、げほっ……」
カラハは痛みと苦しみに噎せるマイカの首を掴み、涙の滲んだ彼女の瞳と自分の視線を絡ませた。マイカの目が驚きに見開かれ、次いで恐怖の色がそこに浮かぶ。
「はン。やっと起きたか」
「あ、……あんた、さっきのバット男……!?」
「おお、覚えてンのか。一瞬だったのに。記憶力イイな?」
「……突然バットで殴り掛かってきた男の顔! 忘れる筈が無いじゃない」
怒りと悔しさに顔を歪ませるマイカを鼻で笑い、そういうモンか、とカラハは更に彼女の身体を持ち上げる。拘束されどうする事も出来ないまま、喉に掛かる負荷に、マイカは声にならない呻きを漏らした。
「ちィと訊きたい事あンだけどよ、素直に答えてくれりゃァ酷い事しねェって約束してやるが、……どうするよ?」
「っく、誰が、簡単に、……答えたり、うぐっ、するもんか」
「へえ、そうかい」
「うぐっ、くるし、……ぁ、……はなし……ッ」
ますます涙と涎を垂らし身を捩るマイカの様子に、首を絞める手を調整しつつも、カラハの口許に自然に浮かぶ嗤いは止まらない。身体の自由を奪われたままのマイカはぱくぱくと酸素を求めて口を動かすのみで、しかし睨み付ける目にはまだ強い輝きが灯っていた。
──上等だ。いいぜ、遊んでやるよ。カラハの口角がますます吊り上がる。
「そんなに苦痛を味わいてェってんなら、仕方無ェな? くっくっく、後悔すンじゃねェぞ」
カラハがドーラに目配せをすると、助手は少し呆れた顔をしつつも大人しくカラハの斜め後ろに控えた。察しが良い奴だ、出来た助手を持つとやり易くて助かる──カラハは牙を鳴らし笑った。
「まだ、夜は長ェからな。──さあ、始めよう……かッ!」
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言葉と共にマイカを襲ったのは、──一瞬の浮遊感と強烈な落下、追って自分自信の体重以上の圧力を掛けてコンクリートに打ち付けられる、背中の衝撃。
見開いたままのマイカの目は、一部始終を捉えていた。
即ち、マイカの首筋から手を離したカラハが流れるような動作で金属バットを後ろの少女から受け取り、そして凶器でマイカの胴体を思い切り打ち据え、地面へと叩き落としたその光景を。
もっとも視えたところで、対抗策を取れなければ意味が無いと、自覚する事しか出来ない訳なのだが。
先程喉を絞められていた所為で肺は空気を欲しているのに、背中を打った衝撃で喉が詰まる。
「……っ、……げほっ、っぇあっ……うぇぇ、がはっ……」
痛みとショックで言葉は出ず、息をする事もままならない喉に、逆流した胃液が込み上げる。胃の痙攣は抑えられず、痒みに似た痛みとも違和感とも取れない感覚に喉を侵されながら、酸素の足りないままにマイカはただただ液体を嘔吐した。
「う、……ぅえっ、げぼっ、──うぐ、……ごぼぇ、──ごほぅ、ごぼっ」
するり迸る感覚にある種の快感すら食道に覚えながら、ようやく灼けた喉に通る空気に爛れるような痛みを伴い、しかしもう咽せ込む事を止められずに身体が跳ねる。
その内、吐くものが無くなって胃の中の空気までもが全て絞り出されたような感覚を味わう頃には、ようやく嘔吐感も噎せ込みも収まりつつあった。仰向けに転がされたままの身体は相変わらず動かせず、様々な感覚に喘ぎながら肩で息をするしか術が無い。
「おうおう、イイ反応しやがるなァ。……数年程度じゃ、肉体の感覚を魂が忘れられてねェって感じなのかねェ──存在の強さとそこは別ってこったな」
くっくっく、と楽しげな笑いを喉で漏らすカラハに対して、涙と鼻水と涎と胃液でぐちゃぐちゃになりながら、それでもマイカは眉根を寄せて視線を叩き付けた。
その憎悪を込めた視線を真正面から受け止めると、カラハはますますもって嬉しそうに、屈託無く牙を剥き出しにして笑った。
「──イイ目、してやがる。ますます叩き潰し甲斐があるってモンだ。なァ?」
ニィッ、と目を細め、カラハはトントンと肩をバットで軽く叩きながら、マイカの胸に足を乗せた。
堂々としたその姿は黒尽くめと相まって、マイカにはまるで──魔王のように、見えたのだった。
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本日から毎日一話ずつの更新となります。
次話から本格的にマイカへの尋問が始まります。
乞うご期待、なのです!
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