満ちる瘴気と、裂く光
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噴き出した瘴気、疾駆する蒼白い斬撃。その二つがぶつかり合った刹那、空気を震わす衝撃と共に大きく火花が散る。眩い燐光と澱む瘴気が火の粉の如く舞い周囲を染めた。
笑うのは片足の女。暗く澱んだ目を歪め、嘲笑を含めて言葉を零す。
「──アンタ、生きてたのね」
その声にドーラが立ち止まり、片脚の女と対峙する。彼我の距離は十メートル余り、ドーラは油断無く霊気の刀を構えた。銀の瞳が強い意志をはらんで輝く。
「やっぱり貴女なんですね、私にあの呪いを掛けたの。お陰で死にかけました……ううん、私、あんなので死んだりはしませんけど」
「へえ、それは残念。死ねば良かったのに」
片脚の女が笑んだ。手には凝った瘴気が、剣の如く握られている。
いや、赤黒いそれは直ぐに瘴気で無いと知れた。不定型に蠢くそれは、──無数の百足が絡まり合い棒状に形を成した姿。それを証拠に、常にその剣めいたものからはボタボタと、小さな百足が湧き出しては落ち、また湧き出してを繰り返しているのだ。
「わたしの呪い、美味しかったでしょ? 大きな大きな可愛いわたしの子供。殺すつもりで特別にアンタにあげたアレ、確実に効いた筈だったんだけど……不思議ね、何でアンタ、生きてるの?」
「貴女に教える義理はありません」
「ふぅん、お高くとまって……やっぱり気に食わないわ」
女は身体を支えていた杖を放り出す。アルミで出来ているらしきそれは地面に転がると、カランと思っていたよりも軽い音を立てた。片脚の女がニイと笑うと、ずにゅり、と無い筈の片脚の断面から赤黒い何かが生えて、見る見る内に伸び脚の形となる。
「あの人がね、くれたの。この力。この紅い世界の中だったらわたし、何だって出来るんだって。自分であの時に切り落とした筈の足も、パパの親とかいう人に潰された目も、この中だったら全部、取り戻せるの」
笑う女の長く伸びた髪の隙間から眼窩が覗いた。本来濁り光を映さなかったその片眼があった左の眼窩は、今や赤黒い百足で埋め尽くされている。白眼の代わりに赤黒い百足が蠢き、その中央にはひときわ紅い百足があたかも瞳の如く、円くとぐろを巻いていた。
「やっぱりアンタ、殺したげる。今度はわたしの手でしっかりとね」
「お断りします。それに、私なかなか死にませんから」
「じゃあ、死ぬまで殺すわ。不死身って訳じゃないんでしょ? 何度でも何度でも、息の根が止まるまで、殺してあげる」
女がずるり、と一歩を踏み出す。もはや片脚ではなくなった女が歩く度、ボトリボトリと小さな百足が零れた。百足が絡まり合い固まって出来た義足が蠢きながら足の役割を果たしている。その表面は紅と黒で彩られ、腐った肉の表面に血管が走るかの如きおぞましさを有していた。
「大人しく殺される義理どころか、貴女に狙われる筋合いすら心当たりが無いんですけど」
瘴気を纏わせながらにじり寄る女を睨み、ドーラが刀を構え後ずさる。牽制にと何度か軽く斬撃を飛ばすが、それらは悉く百足の剣に防がれた。
ここからどうするか──ドーラは素早く周囲を確認する。二人が今居る場所は、左右が建物に挟まれた大きめの路地だ。表通りまでは遠く、少し走れば更に入り組んだ裏路地になっている。
カラハ達の霊気は遠く、他に人けも無さそうだ。それならばいっそ、とドーラは覚悟を決める。
軽く飛ばした斬撃を、退屈そうに女が散らした。燐光に照らされ千切れた百足が落ちるさまがよく見える。顔をしかめるドーラに、女が呆れたような口調で言い放った。
「何よ、戦う気あるの? こんなショボい攻撃ばかり……それならこっちから攻めようかしら」
「さあ、出来るものならどうぞご勝手に。でもその脚では、あんまり速くは走れなさそうですけどね?」
ドーラは尚もちまちました攻撃を飛ばしながら、じりじりと後退してゆく。気付かれないよう自然に慎重に、行く先を誘導する。もっと奥へ、もっと入り組んだ方へと。
「何よ馬鹿にして。そういうアンタだってそんな華奢な脚でかけっこなんて出来るのかしら? 腕も細くて武器振り回すのが精一杯でしょ、そんなのでまともに戦えるのかしらね」
長髪に乗りやすい性質なのか、女は少し憮然としながら歩みを速めた。恐らく、獲物だと思っている者にからかわれたのが我慢ならないのだろう。
──好都合だ。ドーラは女の上げた速度に合わせて、より後退を速める。もうすっかり道は細く路地は狭く、無機質なコンクリートの壁ばかりが周囲を囲んでいる。鬼さんこちら、などというフレーズが頭に浮かぶ。
入り組んだ裏路地では大きな武器は振るえない、むしろ長物などは邪魔となる。素早い身のこなしと小回りの利く武器、そしてトリッキーな戦法が最も生かされる場所だ。
──それこそが、ドーラの独壇場。
あの女の攻撃力や戦法は未知数だが、自分が最も得意なフィールドに引き摺り込めるならばどのような相手でも勝率はグンと上がる筈だ。自分がそもそも戦闘特化ではない以上、『癒しの血』以外に使える最大の武器は頭脳に他ならない。
女が充分に裏路地へと入り込んだ、そのタイミングを見計らい。
「──ッッ!」
気合い一閃、斬撃を繰り出すと同時にドーラが高く、跳んだ。
銀の残光が彗星の如く煌めく。ドーラは跳躍し壁を走り、斬撃を飛ばしながら路地を立体的に疾駆する。片脚の女は防戦一方、飛んでくる斬撃を防ぐので手一杯だ。
「っく、なっ、何なのよアンタ……!? ちょこまかと、っ、この銀鼠……っ!」
取り乱し叫ぶ女に冷静に斬撃を飛ばしながら、自在に駆けドーラが笑う。
「人のことは馬鹿にする癖に、反撃喰らったら罵倒ですか? いいですよ百足女さん、あの時のお礼、きっちり返しますから覚悟して下さい!」
「この……小娘ええぇええっ!」
鬼の形相で怒り心頭の女の傍を通り抜けざま、ドーラがわざと耳許で囁いた。
「──そんなのじゃ私は倒せないですよ、『おばさま』っ!」
「っっっ!?!? あ、あ、あああぁあああぁああっっ!!」
女が咆えた。髪が逆立ち、より一層濃い瘴気を噴き出す。百足が飛び散り、剣が伸びる。
「わたしはねっ、ここで全部取り戻すのよ! 妹も弟も、ママも、みんなでここで暮らすの! 楽しかったあの頃を取り戻すのよおおおおっ!」
「ママってもしかしてあの大きな百足の化物のことです? あんなのがママ? 貴女のママは貴女を捨てて男と逃げたんじゃなかったんですか? 妹も弟も貴女が食べた癖にですか?」
「違う、違う違う違うっ、あれはわたしに力が無かったからっ! だから今、わたしに力がある今! 取り戻すのよっ!」
怒りに任せ剣を振り回す女を哀れみと蔑みの目で睨みながら、ドーラが跳躍する。
「そのママは、うちの所長が倒します。あの人は強いんです。貴女のママなんて敵いっこないんです。──そして」
ドーラは斬撃を飛ばし、刹那素早く円月輪を引き抜いた。紅く澱んだ世界の中、銀の光が空気を裂く。
「私はあの人の助手。妄執に囚われた貴女になんて、負ける訳にはいかないんですよ……ッ!」
無数の斬撃と円月輪が、瘴気を薙ぎ払った。
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本日二話更新、一話目です!
今日はドーラチャンの戦闘回!
戦闘特化じゃないと言いながら、なかなかに善戦するドーラちゃんです。何事もコツを掴むのが早くて上手いので、大抵の事はそつなく人並み以上にこなせてしまうのです。
さてこの後、夜には二話目を更新。
次回も乞うご期待、なのです!
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