不気味な円と、紅い月
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「『結社』の活動が活発になっている……と、組織ではそう推測している訳ですね?」
「そうだ。お前を襲ったのも恐らく結社の者だろう。──お前が視たという夢、あれに出て来たという男。どうやらその男が結社でそれなりの力なり立場なりを持ってるとみて間違い無ェな」
カラハは本部からの資料を捲りながら傍らに座ったドーラにも資料を回す。
──事務所に戻ってから数日、ドーラの傷ももうすっかり塞がり体調も元に戻っている。そろそろ動いてもいい頃合いだろう、とカラハは仕事を再開する事にしたのだった。
「ホームレスや日雇い労働者、それに不法滞在の外国人……いずれも身元のはっきりしない奴らばかりが大量に見付かっている、例外無くこと切れた状態で、だ。死因は全て原因不明の心臓発作だが、死体には『呪詛』の痕跡が残っていた。──何かに利用されたのは間違い無ェだろうよ」
「利用──。何か、……それは呪術とかそういった類いという事でしょうか」
「恐らくな。というかそれ以外無ェだろう」
バサリと資料をテーブルに置くと、カラハは黒い煙草を咥え火を点けた。珈琲の香りと紫煙がゆっくりと絡み合う。ドーラはミルクと砂糖を入れた珈琲を啜りながら尚も資料を目で追っている。
「これだけ大量の魂となると、かなり大規模なものですよね、呪術に使うのであれば」
「街ごと隔離出来る次元決壊、異界との恒常的な通路を開く空間結合術式、邪なる存在を顕現させる為の召喚陣……。何を企んでるかは知らねェが、どれにしても面倒な事になるのは確定ってこったな」
ドーラがカラハの言葉に息を飲む。カラハは吐き出した紫煙を目で追いながら、最悪の事態を想定する。
「更にこれを利用して街丸ごと生け贄にでも使やァ、異なる宇宙の邪神の召喚すら出来る可能性があンな。そうなったらもう、事態はこの地域だけじゃ済まねェ。兵庫県内どころか西日本一帯が壊滅しかねねェ、ってな」
「そんな……!」
「それぐらいやりかねない連中だ、結社の奴らはな。俺らはそれを未然に防ぐのが仕事ってこったが……さて、どうしたモンかね」
短くなった煙草を揉み消して、カラハはふうと溜息を吐く。ドーラをちらり見遣ると、整った眉間に皺を寄せて考え込んでいる。それじゃ綺麗な顔が台無しじゃねェか、とカラハは苦笑を浮かべた。
──『結社』は今までも散々、各地で事件を起こしてきた。その根は深く、影響は広く、手管は巧妙だ。凄惨な殺人事件や小規模なテロ、カルトによる怪死事件や狂う人の無差別殺傷など、およそ原因が根本的に不明な事件の殆どには大なり小なり結社が関わっていると言われている。
しかし、この度のような大量の人死にが伴う大規模なものは初めてだ──。嫌な予感に鈍く痛むうなじをガリガリと掻き、カラハは再び煙草に火を点ける。
「資料によると、遺体が発見されているのはこの範囲……この区画だけなんですよね。となると、この区画だけに人員を増やして警戒するというのでは駄目なんでしょうか」
ドーラがこの街の地図に付けられたマークをなぞりながら問う。印が付いているのはいずれも先に述べた謎の死体があった場所だ。それは円を描くが如く、綺麗にこの街の一つの地域をすっぽりと覆うように配されていた。
「勿論、組織も幾つかのグループを派遣して警戒に当たっている。しかし正直、余り力のある術士をこちらばかりに回せないのも事実だ。囮か何だか知らねェが、他の場所で結社絡みと思われる事件が散発してるからな」
「……それじゃあ」
「この事件、俺が中心になって解決して欲しいってのが組織の奴らの本音だろうよ。このままいくと、その通りになっちまいそうだな」
「──所長」
カラハを見上げたドーラの瞳が不安げに揺れる。安心させるように彼女の頭を軽く撫でると、カラハは牙を見せて笑った。
「心配すンな、俺は強えェ。大抵のモンには負けたりしねェよ。だからこそ組織の奴らだって俺に押し付けようとしてンだ、あいつらだって勝てる見込みの無ェ奴に任せたりはしねェってな」
「は、はい、そうですよね、所長……!」
ドーラは綺麗な顔をくしゃりと歪め、泣き笑いの表情を浮かべる。カラハは苛立ちと諦めにまみれた本音を押し殺し、大丈夫だ、と尚もドーラの頭をくしゃりと撫でたのだった。
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そして何の成果も得られぬままに数日が過ぎた、満月の夜。
──それは突然街を、大地を、現実を揺るがした。
「……きゃあっ!?」
突然、建物全体が突き上げられるかのように激しく振動した。唐突な揺れにドーラが悲鳴を上げ、立っていられずに床にぺたんと座り込む。カラハも慌てて煙草を揉み消し、身を低くしながら様子を窺う。
「自信家?」
時計の針はきっかりと深夜零時を指している。──揺れはほんの十秒やそこらでおさまり、ほっと息を吐いた。四つん這いでテーブルの下に頭を突っ込んで丸まるドーラをそのままに、カラハは慎重に立ち上がる。
情報を得ようとリモコンを手に取るが、テレビは反応しない。耳を澄ますが、外からも一切音が聞こえてこない。嫌な予感にびりびりと神経がささくれてゆく。
カラハは舌打ちを零すとゆっくりと歩みを進め、事務所のドアを開け放った。
「……何だ、こりゃア」
そこに広がるのは、見慣れた風景の、見慣れない光景だった。
街並みはいつものままに、しかしそれを照らし出すのは、空を覆う程に大きく赤黒い月。紅く染め上げられた建物達はただ静かに佇み、人の気配だけが、一切合切消えていた。
「な、何なんですか、これ……」
四つん這いのままカラハの隣まで這ってきたドーラが、呆然と呟きぺたんと座り込む。カラハは取り敢えず取り出した煙草を咥え、火を点けると深く深く吸い込んだ。
「何だか分からねェが……ロクでもねェ事が始まったってのは確かだな」
血のように濁った空、赤黒く爛れた街。全ての照明が消え、虫の声一つしない澱んだ空気。腐ったどろりとした気配が闇を埋め尽くし、生ぬるい風が生臭い匂いを伴い漂っている。
「おいドーラ、準備はいいか。これから何が起こるか分からねェが、何かが起こるのは間違い無ェぞ」
「……大丈夫です。私はいつでも、準備出来てます」
カラハが皮肉げに笑って声を掛けると、ドーラも気を取り直し立ち上がる。この赤黒い世界の中でその姿は美しく、銀色に輝いて汚いものを拒絶する。
助手の凜とした佇まいに満足し、カラハは煙草を揉み消して大きく伸びをした。
「さァて──仕事の、始まりだッ!」
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二章も大詰め、ここからいよいよ、物語は大きく動き出汁ます。
次回も乞うご期待、なのです!
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