少女の目覚めと、夢の跡
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ドーラが目覚めたのは、それから丸一日以上経ってからの事だった。──しかし。
「まだ逢いに行っちゃいけねェってどういう事だよ」
苛立ちのままに、カラハは休憩所の灰皿で乱暴に煙草を揉み消した。テーブルを挟んで向かいに座ったナユタが、困ったように眉根を寄せる。
「まだ本人からの聞き取りも終わってないし……何より、身体の回復具合も検査しなきゃだし、ゆっくりお見舞いなんて出来る暇が無さそうだって、クレル先生が……」
「それってよ、あの小っこい先生が俺に嫌がらせしたいだけでそう言ってんじゃねェだろうな?」
「まさか……いや、うん、流石にそこまではしないでしょ。それに、重要な情報を夢で見たらしくて、情報部がドーラちゃんから離れないってクレル先生自身も愚痴ってたし」
「……夢?」
怪訝な表情を浮かべながらソファーに深く座り直し、カラハが新しい煙草に火を点ける。ナユタも深く頷くと、手にしていたカフェオレのカップをテーブルに置いた。
「そう、夢。恐らくは着けられた呪いの元凶、術士の思念にシンクロしたんだろうって事なんだけど……、どうやら『結社』が関わってるようなんだ」
「『結社』!? そいつは──厄介だな」
──『結社』。
それは近年存在が確認された、危険な思想を持った集団の事だ。正式名を『秘密結社アガルタ』と言い、組織の情報網を持ってしてもその規模や本拠地、明確な目的を特定出来ずにいる謎の存在。
彼らは危険な呪術や魔術を使い、幾度も事件を起こしてきた。組織はその都度沈静化を図って来たが、手段を選ばない、そして情報を一切漏らさない彼らとの攻防は、正直言っていたちごっこの様相を呈していた。
「夢の内容は大半が術士本人の過去と思しきものなんだけど、最後に結社の印を手の甲に彫った人物が出て来たらしくて。しかもまるで夢に介入されたかのように『弾き出された』感覚がしたって」
「夢にまで介入か。そりゃア──そっち方面の能力に長けてるか、相当に力のある術士ってこったな」
不機嫌そうに紫煙を吐くカラハの意見に頷き、ナユタも熱いカフェオレを静かに啜る。湯気で曇った眼鏡をハンカチで拭いながら、その声色は真剣そのものだ。
「だから情報部と解析班が躍起になって痕跡を調べてるって訳なんだ。ただ成果はかんばしくないみたいだけど……まあ、ドーラちゃんが思ったより元気そうなのが救いかなって」
「そうか。……ドーラは元気、つったら変かもだけど、大丈夫そうなのか」
「うん、やっぱり若いからかな、身体そのものの回復はかなり早いみたい。体力もそこまで落ちてないみたいだし、痛みが治まればすぐ動けるようになる見込みらしいよ」
ドーラの容態を聞き、カラハが安心したように深く息をついた。紫煙がゆっくりと昇り、直ぐに霧散し消えてゆく。
「……ドーラちゃんの事、本当に心配なんだね」
ほろり零れるナユタの言葉に、カラハは軽く睫毛を伏せてまた紫煙を吐く。
「関わった人間を、縁が出来ちまった奴を心配すンの、当然だろ」
そう、だよね、とナユタは淡く微笑み、カフェオレを口に含む。
「多分ドーラちゃんには今……、カラハしかいないから。だから、大切にしてあげてよ」
その言葉に滲む寂しげな色は一体何に対してのものなのか。カラハには分からず、ただ、ああ、とだけ返事を落とした。
カラハがドーラに面会出来たのは、それから丸一日以上が経過した頃の事だった。そして帰宅許可が下りるのはそこから更に半日後の事となる。
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「──ご迷惑をお掛けしました」
本部の地上部分にある玄関前。深々と皆に頭を下げるドーラに、カラハは首を振った。
「いや、お前が謝る事じゃねェ。そもそもこれはお前を一人にしちまった俺の責任だ」
「そうだドーラ君、君が謝る必要は無いんだぞ。悪いのはこの男なんだからな」
「……クレル先生、横から話をややこしくしちゃ駄目ですよ」
カラハの台詞に便乗してすかさずけなそうとするクレル医務室長に、ナユタが呆れたように釘を刺す。ドーラもカラハとクレルの二人の仲が悪いとは事前に聞いてはいたものの、二人の遣り取りを直接目の当たりにして、これは相当仲が悪いのだな──と目を丸くした。
「でも私、丸三日も寝込んでたんですよね。その間、業務とか滞ってしまっただろうし」
「それは仕方無いよ。労災みたいなものだから、ドーラちゃんは気にしなくていいんだよ」
ナユタの労わりに少し気が軽くなる。カラハはクレルとまだ何やら睨み合っていたものの、ナユタにつつかれると床に置いていた荷物を手にドーラへと向き直った。
「じゃアま、行くかドーラ」
「あ、ちょっと待ってカラハ! 思い出した、そうだコレ」
歩き出そうとしたカラハを慌ててナユタが呼び留める。彼はいそいそと袂から何かを取り出すと、カラハにずいと差し出した。
「──これは?」
「こないだ言ってたろ、小回りの利くのが欲しいって。ドーラちゃんの程じゃないけど、作ってみたから持ってってよ」
カラハが受け取ったそれは大振りのナイフだった。男性の大きな手を想定したであろう頑健そうなグリップにはまるで装飾のように術式陣と紋様が彫られている。
シースの留め金を外して引き抜くと、黒い刃がすらりと姿を現す。表面にびっしりと文様の彫り込まれたそれはドーラのものと違って真っ直ぐな両刃で、短い剣のような黒い剣身の周囲には薄く銀の刃が輝きを見せる。
「ありがとな、貰ってくぜ」
カラハは満足げにナイフをシースに戻すと、固定用の金具でジーンズのベルトにそれを吊り下げた。
再度別れの挨拶をして、ドーラとカラハは本部を後にした。駐車場に待たせてあった黒塗りのタクシーに二人は乗り込む。
静かに動き出すタクシーの中は無言で、カラハはシートに背を預け軽く目を閉じている。ドーラは隣に落ち着かなさげに座り、聞くとはなしに薄く流れるラジオの音を聞き流す。
そういえば、シルヴァ先生には会わないままだったな──ドーラは少し寂しさを覚えながらぼんやりと、車窓を流れる雲を眺めたのだった。
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やっとこさドーラちゃん退院です。
その間、カラハは強制的にナユタの部屋に同居させられ、そして昼間は本部内で雑用だ何ださせられてました。力もあるし器用だし頭の回転も速いから、何やらせても無難にこなせます。カラハ受難。
それでは次回も乞うご期待、なのです!
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