二人の少女と、みいつけた
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建物内は想像以上に綺麗なままで、埃は積もっているものの荒らされた形跡は無い。当然ながら電気も水道も止まっている為に、中は黒を塗り込めたが如き暗闇である。
二人は充電式のランタンを掲げ、資料にあった見取り図を思い出しながらゆっくりと歩く。幸い何者に邪魔される事も無く、しばらく通路を進んだ先に、目的の場所は呆気なく姿を現した。
二人は揃ってその扉の前に立つ。互いに顔を見合わせると、カラハは充電式のランタンをドーラに手渡し、軽いジェスチャーで作戦の開始を促した。
ここからは助手であるドーラの働きが鍵となる。──ドーラは覚悟を決めた顔で小さく頷くと、傍にある古びた扉に向き直った。一方、カラハは足音と気配を殺して素早く闇に溶け込んでゆく。
──カチャリ。
ランタンに照らされて仄かに光る、優美な曲線を描くドアノブの音だけが、静かな廊下に合図の如く響き渡った。
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カラハが姿を消すのを見送ってから、ドーラは握ったままのドアノブに意識を集中する。……私、頑張らないと。そう心の中で呟きながら、ドーラは意を決し、深呼吸を一つ。
気を引き締めゆっくりと扉を押し開く。少し錆び付いた蝶番は、キイ、と覚悟していたよりも小さな音を立てた。
ドーラがその中に一歩踏み込む。掲げたランタンに照らされた部屋の内部はタイル張りで、ここも他の場所と同様に荒れた様子は無い。しかし人の入った痕跡は見受けられた。埃の積もり方がまばらで、よく見ると幾つかの靴跡が薄らと確認出来たのだ。
周囲を見渡すと、左側は一面が薄水色の壁となっている。手前右側には手洗いが二つと掃除道具入れらしき小さなロッカーが見える。ランタンを持った手を伸ばし遠くを照らすと、奥に向かって二つ並んだ開けっ放しの個室、突き当たりには大きめの窓が、そして最奥には他の個室より大きめの閉ざされた扉が明かりにぼんやりと浮かび上がった。
──そう、ここは見渡す限り何の変哲も無い、女子トイレだった。
ドーラは入り口の扉を開けたまま、ゆっくりと歩みを進める。一歩、また一歩。念の為に覗いた二つの和式の個室は、綺麗とは言い難いが特に問題がある訳でも無い。
そして、とうとう一番奥の、閉ざされた扉の前でドーラは立ち止まった。ちらと窓を確認するが、鍵は開いているようだ。前に来た誰かさんもここから侵入したのだろう。──ここまでは順調だ。
ゆっくりと深呼吸をして緊張を抑え込み、ドーラは扉に近付いた。右手を握り込むと、コン、コン、コン、と慎重にノックを三回。次いで資料にあった『呪文』を、一言一句確かめるように大きな声で言い放った。
「花子さん、花子さん。いらっしゃいますか。いたら出てきて下さい、一緒に遊びましょう」
一気に言い終え、ゴクリ生唾を飲み込む。台詞の残響が少しだけこだまし、直ぐにまた周囲は静寂に支配される。……成功、するだろうか。ドーラは一歩身を引いて、ランタンの光に淡く浮かぶ扉を見詰めた。
──ぞわり。
え、と思う間も無く、突如広がった何かの気配にドーラの全身が総毛立つ。扉の向こうに出現した何か、それがゆっくりと音も無く、扉を押し開いた。
ランタンの光は届いている筈なのに、洋式便器がある個室の中は真っ暗のままで、暗幕の隙間から滑り出るかのようにぬるり、一人の少女の顔が現れる。
「──みいつけ、た」
少女は闇から上半身を覗かせて、ニタリ嬉しそうに、本当に嬉しそうに、笑った。
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『トイレの花子さん』。
全国いたるところ、数多の学校で噂されている、日本で一番有名な都市伝説。──そんな存在が、ドーラの目の前に、居た。
あやかしの存在というものは、神話などの古来のものを別にすれば、おおよそ信じている人の数や思いの強さによって存在の強固さが変化してゆく。噂が広まれば広まる程、信じて恐怖する程に、その存在は明確に、力強く、現実での影響力を増してゆく。
故に、──彼女は強い。ドーラはそう確信した。
通常ならばあやかしに直接対峙するのはカラハの役目だ。しかし今回はドーラが対処せざるを得なかった。何故ならば『花子さん』は女子トイレに出現するあやかしであり、特にこの学校のものは明確に『女子が呼び掛けた際に出現する』という指定があったからだ。
「あらあ、綺麗な娘。ねえ、……わたしと、遊びましょう?」
ねっとりと粘液のような声が耳に纏わり付く。ずるり、闇のカーテンから伸ばされる手は青白く、しかし爪には少し剥がれてはいるものの、許は綺麗だったであろう華やかげなネイルアートが施されていた。
……ネイル、アート?
ドーラはそれを不思議に思い、進み出てくる『花子さん』の顔を再度、じっくりと観察する。そこで、は、と息を飲んだ。
何故ならば彼女の風体は、資料にあった『花子さん』の特徴とは、全く異なっていたからだった──。
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お読み頂きありがとうございます。
花子さんの登場、いよいよ物語が動き始めたという感じです。
本日は夜にもう一話更新の予定です。
ここからどうなるのか、次回も乞うご期待、なのです。
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