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真っ白な部屋と、血の香り


  *


 カーテンもリネンも壁も天井も、降る光さえも全てが白い空間の中で、ぽつんとドーラは眠っていた。


 淡路島の某所に存在する『組織』の西支局本部内の医療フロア、そこに幾つも並ぶ入院用の部屋。その内の一つ、医務室からそう遠くない個室の中に、彼らは居た。


 カーテンで区切られた空間の奥、据えられたベッドに横たわるドーラはいつも以上に肌が白くて、この白い空間に儚く溶けていきそうで、そして自分だけが取り残されたような錯覚と疎外感にカラハは蝕まれる。


 左腕には点滴のチューブ、口許には酸素マスクが宛がわれ、胸元までシーツを掛けられて静かに眠っている少女。ベッドの脇で立ったままその光景を見下ろし、ああ、生きている──と自らが思っていたよりも安堵し、そしてそんな自分にカラハは狼狽えた。


 しばらく所在無げにうなだれたまま立ち尽くしていたカラハだったが、しかし諦めたように傍に置かれた椅子に腰を下ろすと、ドーラの右手をそっと握った。その暖かさに彼女の命を感じ、しかしふと指先にこびりつく血の跡に奥歯を噛んだ。


 今すぐにでも揺さ振り起こしたい衝動に駆られながらも、ただ待つ事しか出来ず、彼女の美しい寝顔を見詰めるしか術は無い。カラハは伏せ気味の睫毛の奥、深淵めいた瞳に祈りを込めながら、その小さく華奢な手を無言で握り続けていた。


  *


 ──此処は、何処だ。


 カラハは気付けば暗がりの中、酷い痛みに苛まされながら打ち捨てられていた。剥き出しの土にゴツゴツと露出する石ころが混じる地面は固く冷たく、自分のものと思しき血の臭いに混じって、どこか懐かしい気配が鼻をくすぐった。


 軋む身体を宥めそろり起き上がると、ああ、と眉をしかめた。記憶と寸分違わぬ光景に知らず心の中で舌打ちが漏れる。


 闇の中浮かび上がるのは、悪趣味に飾り立てられた十字架もどきに貼り付けにされた少女。


 その腕は直接拘束台に杭で打ち付けられ、腿から切り落とされた両脚は串刺しにされ槍のように十字架の傍に突き立て飾られていた。またその腹は大きく割り裂かれハラワタが溢れ引き摺り出されている。彼女の周囲はこの世ならざる炎に取り囲まれ、何体ものあやかしが少女の肝を喰い散らかしているさまがはっきりと見て取れた。


 ──これは、夢だ。


 自分の意思とは関係無く動く身体に、これが記憶の再現でしかない事を自覚する。そしてまた過去の絶望を体験させられるこの状況に、カラハは無性に腹が立った。


 恐らくはクレルとの諍いが引き金なのだろうと推測はつくが、人のトラウマを刺激する夢なぞ糞食らえだ──そう心では罵倒するも、無情にも舞台劇めいた物語は勝手に次へ次へと進んでゆく。


「が、が、……いぎゃあ、いだいっ、いだいぃいああ! だず、だずげっ! が、が、いぎいいっ、あぁあああぁ!」


 少女の濁った絶叫が周囲にこだまする。


 知っている、自分はこの少女の事を、知っている、彼女がどうしてこうなったのかを、知っている、誰に助けを求めているのかを──そして、自分と彼女の結末がどうなったのかも、カラハは全てを知っている。知っていながら尚、絶望に心が抉られる音を聞く。


 カラハの身体は歩くのさえやっとで、ボロボロの体内にはもう力なぞ一切残っていなかった。それでも必死にあれに近付こうとしたのは、少女が自分の恋人のサティで、あやかし共になぶられている彼女を助けたかったからに他ならなかった。


 醜い妖怪達が臓腑を少しずつ抉り引き摺り千切る度に、彼女は耐え難い苦痛に濁点だらけの悲鳴を上げた。愛らしかった顔は涙と鼻水と涎と吐瀉物でぐちゃぐちゃに乱れ、貼り付け台の足許には汚物と血で異臭を放つ溜まりが出来ていた。


 それでも彼女は死ねず、苦痛と絶望に悲鳴を上げ、死なせてと乞い願い続ける。自分の臓腑を咀嚼される音を聞きながら、気絶する事すら赦されずに、およそ人としての全てを蔑ろにされ続けていた。


 カラハは血の涙を流しながら、──必死に、手を伸ばした。


  *


 サティは、とても良い娘だった。


 たまたま夜の街で知り合った少し年上の彼女は、家族を立て続けに亡くして荒れ放題だったカラハに寄り添い、全てを受けとめ癒やそうと懸命に心を砕いた。やがて立ち直ったカラハの説得もあって、年齢を誤魔化し務めていた夜の仕事から足を洗った。


 幾らやさぐれていた時期があったとは言え所詮ティーン同士の恋愛はぎこちなく拙く、身体すら大人になりきれていない二人は剥き出しの感情を不器用にぶつけ合った。それでもあの頃は幸せだったと言える程度には、サティの事を少なくともカラハは本気で愛していたし、サティもカラハを愛してくれていた。


 そんな生活が壊されたのはいつの頃だったか。不意に、それは訪れた。


「──化け物?」


 彼女は怯えながら頷いた。怪物が自分を狙っているのだと、他の人には見えていない物たちが自分を影から見て嗤うのだと、サティは震えていた。


 サティの内包する霊力の高さには以前から気付いていたが、カラハはそれに見て見ぬ振りを続けていた。術の真似事が出来る程度の今の自分では、護ってやるなんて大層な口は利けなかったからだ。そして、そんなちっぽけな自分を認めてしまうのが怖かったのだ。


 だが、カラハの力に触発されたのか、それとも彼女の元々の資質だったのか、──とにかく彼女はあやかしが視えるようになり、そうなったが故にあやかしに狙われるようになっていった。身を守る術を知らぬ彼女は、格好の餌だったに違い無い。


 ──そしてついにある日、サティが消えた。


 カラハは思い付く限りの場所を探し、彼女の痕跡を追って這いずり回った。僅かな霊力の残り香を追い、血眼で走り続けた。まだ高名な術士である師匠に出逢っていなかったその頃のカラハには、頼れる者など誰もいなかった。


 やっと彼女を見付けたのは、瓦礫と荒れ地が広がる山裾の廃寺跡だった。剥き出しの土に覆われた土地は周囲の森に隠されて、およそこの世の物とは思えぬ雰囲気と瘴気を放っていた。


 砕け散った墓石がごろごろと散らばる中、あやかしが、サティがそこに居た。


  *




カラハの凄惨な過去の話です。

カラハは中学の頃、あやかしに家族を殺され、その後高名な術士であるアミダ老に引き取られたという経緯があります。

夢の話はその間に起こった出来事ですね。

次話も過去話です。

どうぞ次回も乞うご期待、なのです!



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