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黒い瘴気と、蛇の牙


  *


 あれからカラハはナユタと何か難しい話をぼそぼそと交わしていたが、少し躊躇したような顔で出掛ける旨をドーラに告げた。


「ドーラ悪りィ、しばらく事務所空けるけど留守番頼めるか? ナユタを送りがてら、ちょいと組織の方に顔を出しに行く事になってな……」


「ごめんねドーラちゃん、カラハ借りてくけど……大丈夫? 寂しくない? 心細くない?」


「大丈夫ですよ。むしろ所長がいない方がお掃除も整頓も捗りますし」


「まだ数日しか経ってないのに、カラハもうそんな風にドーラちゃんに扱われてるんだ……?」


「いやそんな憐れむような目で見るなってナユタ!?」


 しかしカラハはドーラを一人残して事務所を空ける事に尚も表情を曇らせる。帰りが遅くなる事に酷く懸念を抱いているようだった。


 ドーラはそんなカラハの憂いを払おうと、出来るだけ柔らかな笑顔でカラハの支度をてきぱきと手伝った。幼児に言い聞かせる小言のような注意を聞き流しながら、言外に自分は大丈夫だと伝わるよう、毅然とした態度で頭を下げた。


「いってらっしゃいませ。お気を付けて」


 ドーラがカラハの助手となってからもう何日も経つのだ。ある程度仕事にも慣れ、留守番程度なら平気だという自負がそろそろ芽生え始めてきた頃でもある。普段からドーラを女の子扱いする過保護気味のカラハに、自分はもう大人なのだから、と証明したい思いもあった。


 それでも心配げに何度も振り返るカラハを見送り、ドーラは慇懃な助手の顔を全うしたのだった。


 ──それが、数時間前の話。


 掃除や書類の整理など、日々の雑務を一通り手早く済ませたドーラは、独りの時間を満喫すべくコンビニへと繰り出した。ナポリタンとクリームコロッケ、そして期間限定のドリンクと少し奮発したスイーツを買い込む。ウキウキとした足取りで事務所の階段を登り、上機嫌で鼻歌を歌いながら鍵を開ける。


 電灯のスイッチを押しながら、ただいま帰りました、とドーラは返事の無い挨拶をする。内鍵を閉め、手洗いとうがいをすべく、取り敢えずテーブルに荷物を置こうとした。


 ──その瞬間。


「……っ、!?」


 背後から、ドス黒い気配が噴出した。


 照明を遮り、それはドーラに影を落とす。大きく、淀んだ圧がドーラに降りかかる。


 ドーラが振り返ろうとしたその刹那、──背中に途轍も無い衝撃が走った。


「……っあ、──!」


 声にならない空気の塊が口から零れる。背中の真ん中に太い灼けた杭が突き込まれ、それが内臓を引き千切りながら腹を突き破る、そんなイメージが脳を侵す。


 果たしてその想像はさほど間違ってはいなかった。どころか、実際はそれよりも数段上を行く酷さだった。


 ドーラの腹の肉を盛り上がらせ、服を突き破り、そして皮を汚らしく引き裂いて顔を覗かせたのは──野球のバット程の太さを持ち、硬い胴体を血に染めながら鋭い顎を鳴らす、大きな百足だったからだ。


「──ぃ、……ぁあ、あ……いぎゃああぁあああぁあ!?」


 余りの現実離れした事実に一瞬思考が追い付かず、数秒の後にそれを認識したドーラは、強烈な痛みも相まってただただ悲鳴を上げる。痛さという範囲を通り越してもはや熱いとすら感じる胴体は、そいつが鋭い足を蠢かせ身体をのたうたせる度に、掻き回される内臓の圧迫感と耐え難い苦痛を伝えて神経が擦り切れる心地がした。


 しかしそれ以上に、その元凶がおぞましい蟲であること、そいつの全身から禍々しい瘴気が毒のように滲み内から身体を穢していくことが、凄まじい嫌悪と恐怖となって更にドーラの理性をずたずたに引き千切る。


 数え切れない尖った足がドーラの中身を刺し引っ掻き、傷口と百足の隙間から爛れた身体の欠片と血の塊がボタボタと音を立てて落ち、床に濃く赤い溜まりを作ってゆく。


 ドーラはその光景が信じられずに立ち尽くす。あらゆる負の感覚にただ耐えながら、どうする事も出来ないまま、呆然と──。


 ──ジャラ。


 そんな自分を失いかけていたドーラの耳に、金属の音が唐突に響いた。はっ、と眼前に掛かったもやが僅かずつではあるが晴れてゆく。


 ──ジャラ、ザザザ、じゃららら……。


 それは空耳では無かった。正気を取り戻したドーラが音のする方へと顔を向けると、そこにあったのは──黒い鎖。先日、カラハがあやかしを拘束するのに使っていた鎖が、サイドボードの上に置かれていた筈の鎖が、ひとりでに動き出していた。


 その動作は優雅でしなやかで、立てる音は涼やかささえ感じさせる。身をくねらせる動きはまるで──と考えると同時に、それは姿を変えた。


「──蛇」


 鎖は大きく黒い、蛇に変化していた。光を受けて虹色にも輝く鱗は艶やかで美しく、その瞳は宝石の如き深い紅。ドーラが息をのむ目の前で、蛇は素早くとぐろを巻いて鎌首をもたげた。白い牙を生やした口を大きく開け、ドーラの腹から突き出た百足に襲い掛かる。


 ──ああ、この子は私を助けようとしてくれている。ドーラはその事実に気を持ち直すと、口許から垂れていた血を手の甲で拭い、歯を食い縛って腹に力を込める。


 黒蛇が百足の頭を噛み砕こうと牙を食い込ませる中、ドーラも手探りで上着から銀に煌めくナイフを引き摺り出した。黒蛇が攻撃している事で百足の動きはより激しさを増したが、ドーラは漏れそうになる悲鳴を押し殺し、逆手に握ったナイフに力を籠めた。


 爛れ突き刺されるのも構わず左手で百足の胴体を押さえ付ける。痛みに飛びそうになる意識を集中させ、ナイフに気を注ぎ込んだ。黒蛇はドーラの足に身体を絡ませ、蟲の青い体液にまみれながら百足の頭を押さえ込む。


 ナイフの刃が蒼白い光を帯びる。と同時に、黒蛇の牙が頭を砕く、ビキ、という音が響き、百足の動きが僅かに緩んだ。


 ──今だ。


 刃を振り下ろした瞬間、蒼い光が瘴気を裂いた。何の抵抗も無く真っ二つに分かたれた百足の胴の断面から、一泊置いてごぼ、と青い体液が泡立ちながら噴き出した。


 薄れ始めた黒い瘴気の霧の中、ドーラの血の紅と百足の体液の濁った青が混じり合い、床に紫じみた模様が広がっていく。ああ、これ掃除、面倒だなあ──そんな事を思いながら、ドーラは地に落ちた百足の半身がびくびくと痙攣するさまを、漫然と眺めた。


 徐々に緩慢になってゆく百足の動きに安堵しつつ、ドーラは血溜まりにへたり込む。気を抜けば途端に痛みに支配される事は解っていたので、それでも気を緩めないよう唇を強く噛んだ。


「ん、……っ、く、ぐ──!」


 黒蛇にも手伝って貰いながら、身体に突き立ったままの百足の半身を引き抜いてゆく。無数の足が肉や内臓に引っ掛かり、ざりざりとドーラの内側を引き千切る。動かなくなってもなお危害を加えるその忌まわしい蟲に、ドーラは顔をしかめながら痛みに耐えた。


ズ、ズズ、……ズリュ、 ──ズボリ。ようやく取り除いた死骸をどさり放り投げると、ドーラは大きな溜息を漏らしながら仰向けに身を横たえた。


 腹には大穴が空いたままだが、今までの経験から察するに恐らく死にはしないだろう、と投げやりに考える。気を緩めた途端、酷い痛みが全身を襲うが、耐えられない程では無かった。


 視界にちらと白い物が映る。──ああ、ご飯、食べ損ねたな……テーブル脇の床に落とし転がったままの荷物に思いを馳せ、ドーラは再度大きな溜息を溢した。


 ああ、──何でこんな、……。緊張が解けて弛緩する精神が、睡魔に引き摺られる。取り留めの無い思考が浮かんでは消え、……やがてドーラの意識は闇に引き摺り込まれてゆく。


 意識を失う最後の瞬間。──しゃらしゃらと鳴る鎖の音と、なーお、と黒猫の鳴き声が、遠く聴こえた気が、した。


  *




ドーラちゃんが酷い目に!!

一応、癒やしの血の力があるので腹に穴が開いても死にはしません。脳や心臓の大部分が一度に失われるような状況でなければ、怪我で即死はしない程度には再生機能は優秀です。

ただ、死なないとは言っても痛みはあるので大変です。

さて今後どうなるのか、お楽しみにです。

次回も乞うご期待、なのです!



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