呪いの枷と、壊す鍵
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本日二話目の更新です。
どうぞお楽しみ頂ければ幸いです。
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それは路地裏の奥の奥、道とも呼べない建物の隙間を縫って進んだ先。入り組んだ場所に偶然出来たであろう、僅かに開けたささやかな広場。
そのゴミ溜めの如き陽の差さぬ空間、家を持たない世捨て人たちがひしめく中央に、女は居た。
普段から漂う濃厚な不潔じみた臭いすら量がする程に、今そこは何十人分もの世捨て人から放たれた雄液の生臭い悪臭に満ちていた。溜まりに溜まった黄色じみた濃厚な白濁はねっとりと、中心にいる女の身体に絡み付き汚し溢れ溜まりを造っている。
しかしホームレスの男達は自らも汚れることなど厭わずに、女に群がり股に尻に口に己自身を捻じ込み、手に握らせ、胸に髪になすり付け、それにあぶれてすら自らで慰め汚濁を放出し続けていた。
そう、女とは──あの片脚の美女であった。この汚濁に満ちた宴の主人公たる女は、流し込まれ続けた白濁で腹をパンパンに膨らませ、身体中を白く穢されながらも、嬌声を上げ肌を紅潮させ悦楽に実をくねらせていたのだ。
身を責め続ける快楽に蕩け白痴めいた笑みを零し焦点の定まらぬ女とは対照的に、男達は皆一様にギラギラと劣情に目を血走らせ、今を逃せば女を抱く機会などもう巡ってはこないとでも言わんばかりに、出し尽くす勢いで自身を擦り続ける。
──一体その宴はどれ程続いたのであろうか。時計をもし覗いたならば恐らく行為の凄絶さとは比例する事の無い、そんな程度の時間であったに違い無い。
──そして、宴の終焉は唐突に訪れる。
突如、異変が起き始めた。一人、また一人と男達が倒れてゆく。個人個人を見れば精を吐き尽くしたとでも思うに違いない、しかしそれだけでは済まされないような奇妙な光景だった。
女を中心に、まるで恐ろしい速度で病が伝播していくかの如く、もしくは毒ガスでも広がっていくかのように。ぱたり、ぱたりと放射状に男達が気を失ってゆくのだ。彼らはその状態を疑問に思う暇すら与えられずに、白目を剥いて崩れ落ちてゆく。
やがてその場に居た男達全員が動かなくなり、静寂が広場を支配した。
女は静かに笑んだままゆっくりと身を起こし、腕の力だけで白濁の沼から這い出ると、ずるりずるりと折り重なる男達の山をよじ登り踏み越える。広場の隅、廃ビルの裏口近くに走る水道管に勝手に取り付けられたであろう取水口まで辿り着き、片脚で器用に立ち上がるとノズルを捻った。
ごぼ、と不快な音を立てて噴き出す錆臭い水を頭から被り、女は身を穢す白濁を手早く洗い流した。髪を絞り比較的まともな毛布で身体を拭うと、再びふらふらと這い始める。
広場の入り口近くに脱ぎ捨て放り出していた自分の服を纏い杖を握ると、女は宴の残骸を振り返る。
累々と倒れ伏す男達の隙間、影よりもなお濃い闇の中から、無数の小さな何かが這い出してくるのが見えた。
実態を持たない影の存在が数え切れない程湧き出し、未だ気を失ったままの男達に躙り寄り群がり、覆い尽くし始める。
「みんな、ありがとうね」
──その言葉は誰に宛てたものだったのか。
女は満足げな顔で艶やかに笑うと、何事も無かったかのように、杖とヒールの音を響かせながら路地の奥へと消えてゆく。
厚く雲の掛かる空の下、不穏な腐臭が広場から溢れ、路地を、建物の隙間を這い、流れてゆく。
それは音も無く、じわじわと浸食し忍び寄る影のように、夜の街に漂い始めるのだった。
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その娘を見付けたのは、いつものようにふらふらと路地を彷徨っている最中の事だった。
穢れた宴から幾ばくかの後。片脚の女が建物の隙間から見える大通りを何気なく眺めていると、自身と同じ気配を、ふと感じたのだ。
それは虐げられた者の匂い、嬲られ犯され叩き潰され、身も心も剥かれて誇りも人権も何もかも奪われ、生きる為なら糞尿をも啜った、そんな墜ちきった者の醸し出す、腐臭。
同じ地位まで堕とされたからこそ感じる、同族だけが理解出来る、気配。それはどんなに綺麗に着飾っても、どんなに美しく整えても消えない、隷属の烙印。
──そんなモノを漂わせた少女が今、道を歩いている。
女はそっと建物の隙間、澱んだ暗闇から顔を覗かせて、真夜中を過ぎてもまだネオンの幾つか照る通りを盗み見た。疎らとは言えまだ人の行き交う中、一際目立つ少女が歩道をてくてくと歩いて来る。
彼女は美しい銀色の髪を靡かせ、コンビニの袋を下げて機嫌良さげに靴音を鳴らす。端正な容姿も相まって、そのステップは道行く人を魅了していた。そこらのアイドルなど足許にも及ばない笑顔は、男性はもとより女性ですら見惚れるものであった。
しかしながら、女の目にはそうは映らない。彼女がどんなに美人でも、そんな事はどうでも良かった。
いや、むしろ逆だ。彼女の姿が美しければ美しい程、余計に憎しみが、湧いた。
自分と同じ、地を這いつくばり泥を舐めた経験のある者だからこそ、今のその姿が妬ましかった。そんな過去は無かったかのように顔を上げ、綺麗な服を着て、煌びやかな通りを歩く。まるで汚い思い出など忘れてしまったかのように。
女には、それが許せなかった。ふつりと、目の奥で何かの千切れる音が、した。
彼女と自分の惨めさを比較し、全身の血が沸騰する。──憎悪が心から溢れ出し、闇はとぐろを巻いてうねり、影は凝って形を成した。
女は興奮で荒くなった息を整え、その心の澱みとも言うべき影を自らの中から掬い上げる。びちびちと蠢くそれは、蟲の形をしていた。小さな小さな、それでいて途轍もなく重い、負の感情の塊。それは呪いの種、瘴気を吸って凝りいずれ爆発する、時限爆弾の如き呪詛。
そして通り過ぎるその少女に気付かれぬよう細心の注意を払いつつ、女は──その呪いという爆弾を投げた。それは音も気配も無く、少女の背中に付着する。
彼女に取り憑いた小さな蟲は静かに瘴気を放ちながら徐々に、徐々に大きくなってゆく。
少女は何事も無く歩み去る。大きく育つ穢れを背負ったまま、軽やかな足取りのまま。
女は密かに笑う。呪いの『鍵』を握り潰し、この世がもはや見えなくなって久しい左目を歪め、ニイ、と笑う。解除などは必要無い、鍵など要らない。──ただ、堕ちればいい。
その少女が充分に離れたのを確認し、女は表通りを歩き出した。磨り減ったヒールと杖の音を響かせて、彼女の後を追うように、同じ方角に歩みを進める。しかしそれは女の心の余裕を表すかのようにとてもゆっくりなものだった。
片脚の女は身体を揺らして進みながら、再び笑う。──焦る必要など無かった。だって、目印はもう、付けてあるのだから。
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謎の片脚の女が動き出しました。
どうやらたまたま見掛けたドーラを逆恨みした様子。
ドーラがこれからどうなるのか……それは今後のお楽しみ。
それでは次回も乞うご期待、なのです!
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