少女の翳りと、黒い猫
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お読み頂きありがとうございます。
ここから三話は、幕間話、カラハとドーラの二人のお話となります。
お楽しみ頂ければ幸いです。
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「──ふう……」
シャワーを終えたカラハはドライヤーもそこそこにソファに身体を預け、深く煙草を吸い込んだ。溜息と共に紫煙を吐き出す。剥き出しの肩にタオルを羽織り、まだ湿り気を帯びた髪を無造作に掻き上げた。
今回はやたら疲れたな、などと独りごちながら、カラハは身体の力を抜き手酌で酒を飲む。グラスに注いだジャックダニエルの中で氷がカラカラと音を立てた。
あの後、夜明けのファミレスで食事をし、コンビニで飲み物と軽食やつまみを買い込み、帰り着いた事務所でシャワーを浴び、そして──今ようやく人心地、という訳だった。
カラハと入れ替わりで浴室に消えたドーラの立てるシャワーの音が、時計の秒針と重なりながら静かな室内にゆっくりと響く。
あんな仕事の直ぐ後だと言うのに、オムライスを美味しそうに頬張っていたドーラの姿を思い起こし、カラハは複雑な心地に眉をしかめた。
普段は少女らしい無邪気さを垣間見せる傍ら、仕事となると豹変するあの凍てついた瞳。まだ十八そこそこだと言うのに異様な状況にも顔色一つ変えず、驚く程の冷静さと洞察力を発揮する並外れた精神。
あれは、一体何なのだろう。今までの過酷な環境の所為なのか、彼女の持つ異能力の影響か、それともそもそもの彼女自身の資質なのか──。
──カチャリ。
少しの間、取り留めも無く考えに耽っていたカラハの耳に、不意にバスルームのドアロックが外される音が響いた。次いで、開かれた扉からドーラがするり姿を現す。
「お、出たか」
「──ふぅ、さっぱりしました」
そう言いながらドーラはパタパタとスリッパを鳴らし、タオルを洗面所の籠に入れてからカラハの傍へ歩み寄った。
座るようカラハは顎でソファを示し、そして左隣に腰を下ろしたドーラに冷えたジュースのペットボトルを手渡した。プシュッと小気味良い音を立てて開栓された期間限定の苺味の炭酸飲料に、ドーラは幸せそうな笑みを浮かべる。
カラハは煙草を持った手でグラスを傾けながら、横目で彼女を盗み見る。風呂上がりで淡く上気した肌、その透明感を引き立てる薄いブルーのタオル生地のラップワンピース、すらりと伸びた手足はとても華奢で、簡素に結い上げた白銀の髪が繊細さを添えていた。
その姿は余りにも無防備で、カラハは目を逸らし煙草を揉み消すとまた新たな一本に火を点ける。
こくこくと喉を鳴らして三分の一ほどジュースを空けたドーラは、不意にカラハに向き直るとまじまじと視線を走らせる。小首を傾げた不思議そうな顔が、小動物を思い起こさせた。
「……何だ」
「いえ、──所長って、改めて見ると髪長いなぁ、って」
ああ、と曖昧な返事をしながらカラハは邪魔な前髪を掻き上げた。無造作な仕草に色気が漂い、切れ長の瞳と整った顔が露わになる。そんな横顔に、すい、とドーラは身を乗り出して手を伸ばす。まだ少し湿り気を帯びた髪に、ドーラの指が触れた。
「……ここ、」
ドーラの手がカラハの左の側頭部の一束を梳く。ストレートの髪の中でその一部分、パスタの分量で言うところの二人分程度の一房だけが、パーマを掛けたように強く縮れうねっていた。
「──あぁ、これか。何でか知らねェが、自然とここだけこうなっちまうンだ」
「そう、……なんですか。不思議ですね」
目を細めて髪を撫でるドーラは、無意識の内にカラハの腿に手を置いている事すら気付かず、桜色の唇から吐息を漏らす。風呂上がりの少女の香りに鼻孔をくすぐられ、カラハは無言のままそっと煙草を揉み消した。
「──おい」
眼を逸らし、髪を撫でていたドーラの手首を握ったカラハの行動に、ドーラは驚いたように動きを止めた。そしてオロオロと、見るからに狼狽を露わにし始める。
「あ、え、──つい。ご、ごめん、なさい……」
慌てて謝意を述べるドーラの泣きそうな顔にカラハはかぶりを振り、掴んでいた手首をそっと開放した。自分の中に芽吹いた感情を押し殺すように、低い声でぼそり呟く。
「いや、別に怒ってるとかそういうんじゃねェから……」
「あ、……はい、えっと、すみません」
しゅんとなったドーラの顔が俯く。気まずい空気が流れる。
──その時、場違いな声が不意に事務所に響いた。
「なーお」
鳴き声のした方向に同時に二人が顔を向けた。
のそり、とベッドの下から姿を現したのは、一匹の猫。一見すると黒一色に見紛うその身体には、金色で虎のような模様が入っている、黄黒逆転の虎猫だった。
「なお、なーお」
尚も猫は鳴きながらのそのそと近寄ってくる。その首には首輪の代わりにか鎖が二重に巻かれ、南京錠が動く度に鈴のようにしゃらん、と音を立てた。二人を見上げる金色の瞳が、明かりを反射してキラリと輝く。
「わあ、にゃーちゃん! おいでおいで!」
「なおー、なーおっ」
ぱっと花が咲いたように顔をほころばせたドーラが呼ぶと、猫はたたっと床を蹴り、軽快な身のこなしでドーラの膝に飛び乗った。ドーラは嬉しそうに猫を抱き上げるとわしゃわしゃと撫で、もふもふを堪能して目を細める。
「可愛い! この子、所長が飼ってるんです?」
「飼ってるってか、眷属みてェなモンかな」
「眷属……?」
猫に頬擦りしながら不思議そうに訊くドーラの言葉に、カラハは紫煙を吐きながら口を開く。猫の登場で元気になったドーラの様子に、内心で胸を撫で下ろしながら。
「そいつは黒い虎のあやかしなんだ。倒したら猫になって懐かれちまったんで、そのまま眷属にしちまったっていうか」
「へえ、名前は何て言うんです? ゴハンとかどうしてるんです?」
「カゲトラだ。別に餌は必要じゃ無ェし、事務所の周りでうろちょろ気ままに暮らしてるから、世話も要らねェ」
そうなんだ、とドーラがカゲトラを撫でながら無邪気に笑んだ。その表情は年齢よりも随分と幼く見え、カラハは溜息を飲み込むようにグラスを干した。
「……さて、と」
煙草を消してカラハが欠伸を零す。風呂の隣にある流しでグラスを手早く洗い、そして大きく伸びをした。
「あ、もう眠いです? 寝ます?」
慌てて立ち上がろうとしたドーラからするりカゲトラが飛び降りる。半分程中身の残ったペットボトルを冷蔵庫に仕舞い、ドーラがささっとテーブルの上を片付けた。一方、なーお、と床からカラハを見上げ鳴く猫を、長身を屈めカラハはわしゃわしゃと撫で回す。
「そろそろ寝るかな、って。お前も今日は疲れたろ、初仕事だったもんなァ」
そう言いながらカラハがちらり時計に目を遣る。仕事の都合上、昼夜逆転の生活を強いられるカラハ達にとっては、そろそろ潮時の時刻だった。
カゲトラを撫でるのに満足しカラハが煙草を取り出すと、立ち尽くすドーラにふと気付く。軽く息をつくと火を点けるのを止め、俯いたままのドーラに眉をひそめた。
「どうした。もう行っていいぞ? あっちの部屋で休むといい」
「……あのっ」
身を固くしたドーラが、意を決したように顔を上げる。その瞳は心なしか潤み、その肩は少し震えていた。
「しょ、所長、……あの、一緒に、寝て貰えませんか……?」
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もふもふ登場!
そしてドーラちゃんの発言の真意とは……?
ちなみにドーラちゃんは料理とかはあんまり得意ではありません。というか殆ど作った事が無いというか。
逆にカラハはかなり特異で、基本的に和洋中何でも作れます。しかし普段は面倒臭がりなのでまず作りません。
そんな感じです。
次回も乞うご期待、なのです!
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