渡す引導と、逝く魂
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「あのな、悪りィんだけど……」
「はい、どうぞ」
ドーラは上着の内ポケットから数枚の符を取り出し、カラハが何かを言う前にスッと彼の目の前に差し出した。『浄化』と『洗浄』の符をそれぞれ二枚ずつだ。
カラハはより汚れの少ない左手でそれを受け取りながら、まじまじとドーラの顔と符を交互に見比べて、ものすごく微妙な表情をした。
「……何で」
「それぐらい見ていれば判ります。あ、靴底もちゃんと綺麗にして下さいね? 忘れがちですから」
「──ホント、お前の洞察力というか、先読み能力には心底恐れ入る。それ、異能じゃねェんだろ?」
真顔で問うカラハを半ばスルーしながら、ドーラは周囲の惨状を元通りにするのに忙しい。ちょこまかと動き回り、せっせと白濁だの汚泥だのの穢れを浄化し、更に汚れを物理的に洗浄してゆく。
『組織』の用意したこれらの符は本当に役に立つ。これが無ければ後片付けは到底、一人で出来るものではない筈だ。ドーラはそれらの符と共に、上着に仕込まれた『収納』の術式で持参した掃除用具を駆使し、原状回復に勤しんだ。
一方カラハは符を一枚ずつ使って、自分の手や服、靴などを念入りに綺麗にし、次いで残りの符で動かないマイカの身体を同じように清めた。──意図がつつがなく伝わっているようで何よりだ、とドーラはその様子をちらり見遣り安堵した。
さほど時間を掛けず割れた窓ガラス以外を全て元通りにし終え、転がされていたバケツとバットを壁際に置くと、ドーラはようやく息をつく。
後は──マイカを『送って』終了だろう。旧校舎の壁に凭れながらドーラは、マイカと彼女の前に片膝を突くカラハを見詰めた。
──あれだけ鮮烈だったマイカの『存在』が揺らいでいるのだろう。まるで生きている人間かのようにくっきりとした存在感を放っていたマイカの身体は、しかし今は少し輪郭がぼやけ始めているようだった。
怨霊が此岸に留まる力の源は執着に他ならない。執着とは即ち自我。完膚なきまでに精神を破壊された彼女は、自己を失い怨念は失せ、この世に留まる理由をもう失い初めているのだろう。
カラハが何事かを囁くと、呼応するかのようにゆっくりとマイカが起き上がった。その朧な瞳は無垢な子供のように澄んでいて、そして胸元にはゆらり静かに灯る、小さな炎をそっと護るように抱えていた。
一言、二言、カラハが何かを告げた。マイカは穏やかな顔で目を閉じ俯き、カラハの長い指が何かの形をなぞり印を結ぶと、彼女はゆっくり、まるで泡が溶けるように、淡い燐光を零し消え始める。
──あれがいわゆる『引導を渡す』というやつだろうか。休憩中にカラハが何気無く漏らした言葉をドーラは思い出す。
曰く、力尽くでの除霊は簡単だが、自分は出来ればそうはしたくない、可能ならば怨みを消し罪を雪ぎ念を除き魂を浄化し、輪廻の輪に還してやりたいのだ──と。
極東と呼ばれるここ日本皇国において、こと対魔に関して『組織』内では神道系の派閥が幅を利かせている。その手法はとかく容赦が無く、罪穢れを祓うもの、つまり有無を言わさず怪異を祓い消し去るものである。
しかしながらカラハはその考えを是とせず、全ての魂は浄化され輪廻に還る事が最善であるという主義を貫いていた。回りくどいそのやり方に反発する者も多かったと聞く。だがドーラはその意見に、そして『理想論かも知れねェけどな』と自嘲するカラハに好感を持っていた。その手法は些か荒っぽく嗜虐趣味が垣間見えるものの、その思想は充分共感出来る物に思えたのだ。
やがて最後の燐光が散りマイカの痕跡が一切消えて無くなったところで、カラハは真面目な顔でゆっくりと立ち上がる。そして、真っ直ぐにカラハを見詰めるドーラと眼が合った。
「──お疲れ様でした」
「ん、……あぁ」
ドーラは深々と、最高の敬意を込めて頭を下げる。
カラハはかぶりを振り、照れ臭げに、面倒臭そうに、曖昧に笑った。
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組織への事後連絡をドーラに丸投げし、カラハはバケツとバットを持って再び校舎の中に足を踏み入れる。
ランタンの明かりを揺らし、女子トイレの扉の前まで来ると、おもむろに虚空に向かって声を掛けた。
「──先程は助かったぜ、『シズヱ』」
するとふわり、何も無かった筈の暗い廊下に人影が浮かび上がる。それは艶やかな黒髪を靡かせ、あでやかな着物に袴とブーツを合わせた、美しくも古風な令嬢の姿だった。
「お役に立てたようで何よりですわ、探偵さん?」
そしてこの上なく上品に、にっこりと笑んだ。探偵……まああながち間違っちゃいねェか──と、その笑顔にカラハは微妙な苦笑を返した。
「それにしても、アンタの情報が無けりゃア、マイカをあんなに穏やかに還す事は出来なかったろうからな。──しかし」
カラハは一旦言葉を句切り、真正面からシズヱを見た。
自分の推理ではマイカに喰われて消えたと思われていたシズヱ。それが何故かカラハ達の前に突然現れ、遺体の場所や妊娠の事を教えてくれたのだ。
マイカに告げた二つの『良いニュース』、あれはつまりシズヱから齎されたものだった、という訳だ。
「私が何故、未だに存在しているのか。何故、あの娘の秘密を知っていたのか、不思議で仕方無いという顔してるわ。……知りたいのね? 知りたいのよね? ふふっ」
「ああ、知りたいねェ。是非とも教えてくれるかい、お嬢さん?」
カラハの言葉にシズヱはふわり宙を舞うと、楽しげに笑いながら語り始めた。
柔らかな涼やかな、それでいて時折艶を覗かせる、極上の声で──。
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お読み頂きありがとうございます!
ようやくマイカの魂が浄化され、天に召されました。後は真相を知るシズヱによる種明かし。
次回も乞うご期待、なのです。
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