汚泥の闇と、導く火
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今回、汚物関連のシーンにつき、お食事中の方はご注意下さい!
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……っぐ……うぐ……。……ああ、誰か、誰か助けて──!
余りの苦しさにマイカの心が叫びを上げる。どろどろとしたおぞましい糞泥の溜まりに突き落とされ、頭からずぶずぶと沈むマイカは、混乱と恐怖に激しく身をのたうたせた。
予想以上にその粘度の高い闇は気持ちの悪い感触で、無意識の内に拒否反応を心が示す。浸かった部分から穢れが浸食し染まってゆくような感覚に、マイカの全身がぞわり総毛立った。
──こんなままでは、とても身体を探すどころでは……。一旦、戻った方が良いのでは──。乱れた思考を整理し気持ちを落ち着かせるべく、マイカは一度入り口に戻る事を思い立つ。
どろりとした粘い闇の中から浮かび上がろうと試みたマイカは、沈みきらず空中にまだ出たままだった足をばたつかせ、何とか方向転換をしようと藻掻く。──しかし。
あ、……っ足が、踏ん張れない……! 嫌、わたし、沈む……!? マイカの心が絶望と焦燥に染まってゆく。
暴れれば暴れた分だけ、ずぶりずぶりと身体は糞尿の沼に飲み込まれてゆく。踏ん張るものも無いのだから当然と言えば当然なのだが、恐慌にも似た状態のマイカには冷静に判断出来るような余裕は無かった。
頭が真っ白になり、無意識に息をしようと思わず唇を開け、口内に流れ込んで来た汚泥のぬめりに、内臓ごと引っ繰り返りそうな吐き気に襲われる。そしてえづこうと大きく広がった口にまた、余計に汚物が押し寄せる。
ぁ……くるし……。声にならない声が汚濁に飲み込まれる。
そしてマイカは、藻掻き、暴れ、──糞を、飲んだ。
瞬間、マイカの中の何かが崩れ落ちる気配に、意思など無い筈の糞尿汚泥の闇の固まりが、マイカの精神の最後の糸を、悪意を持って踏みにじり塗り潰したような気がした。
──マイカは、抵抗をやめた。
諦めすら通り越した虚ろな心。口に鼻に入り込んだ腐った糞尿を吐いては飲んでを繰り返す。
穴という穴を穢れた泥に侵されながら、壊れる事すら叶わずマイカはただ苦しみに身をくねらせた。
強烈な臭気と、苦み、渋み、えぐみ、ぬめり、刺激、ありとあらゆるマイナスの感覚。それらが身体の外からは勿論、飲み込んだ分が内臓の内側からもマイカを苛み、正常な思考を奪おうとする。
しかし強烈な刺激ゆえに意識は覚醒し脳は冴え渡り、現実逃避すら許してはくれない。
ぼろぼろと流れ出る涙で目に染みる毒素を洗いながら、マイカは必死で自由にならない腕を伸ばし周囲を探った。取り敢えず何かを探せば、一度ここから抜けられるだろう──そう希望を託し、ひたすらに闇雲に腕をかき回す。
……それは、奇跡だったのだろうか。
ゆるゆると振る手の甲に、何か硬い物が当たった感触がした。はっと空ろだった意識を取り戻し、マイカは慌てて周囲を探る。
いや、それすらも必然だったのかも知れない。あの人が沈めたマイカの遺体はただ真っ直ぐに底まで落ちていき、何物に邪魔される事も無く、穴の真下に佇み静かにただ虫に食われ分解されていっただろうからだ。
はたして、全部ではないもののマイカの骨は、ぼんやりとささやかに光りながらそこに固まっていた。頭蓋骨の片目の奥に灯る密やかな光を見て、マイカははやる気持ちで胸が満たされる思いがした。
腕を広げて掴めるだけを掴み、精一杯に足を動かして上を目指す。
早く、早く──。苦しさも忘れて、マイカは穢れた闇からの脱出を急いだ。
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「……お。見付かったみてェだなァ?」
──びちゃり。
穴の縁に掛かる手をカラハは鼻で笑った。思ったより早かったな、と目を細め呟く。──精神が壊れる可能性もあったが、そうはならなかったマイカをカラハは少しだけ見直し、しかしそんな事はおくびにも出さずただ穴から這い出る様子を見守っていた。
「……っ、はぁっ、はあっ──」
荒い息をつきながらずるりとマイカが自身の身体を地面の上に引き揚げる。と同時に、その腕の隙間から何かの塊がゴロゴロと零れ落ちた。
ずるり、ずるり。両膝まで完全にコンクリートの上に引き上げると、マイカは安堵の所為か力が抜け崩れそうな身体を、両の手を地面に突いて支え俯く。
ボタ、ボタ、と重みを持って流れる糞尿の雫に混じり、透明な涙が零れる。
──と、ビクン、と一瞬マイカの背筋が硬直した。何が起こるかを予想出来たカラハは、その様子に声を殺したまま、ただ眺め遣る。
「……ぅっ……、ぐ……」
何かを堪えるようにマイカの肩に無駄に力が篭もり、がくがくと腕が震えた。
「ごほっ、げほっ……うぅうっ……うぇっ……! うえぇぇえぇっ! お、げええええぇえええっ!」
咳込みに次いで、どぼ、と口から小さな塊が漏れる。──そこからは、濁流。
「うあぁ、げはぁ……! ぐぇえっ……うぇっえっ、げぼっ、げええええええっ!」
地面にぶちまける嘔吐は、腐り濁った糞便の色。マグマのような粘度の高いその汚泥をごぼごぼと噴き出しながら、マイカはただただ地面を掻き毟った。爪が剥がれる程に力を込め、ぼとりぼとりと小さな口から鼻から汚らわしい浸食物を垂れ流す。
見開いた目から流れる涙程度では、到底洗い流す事は出来ない、穢れ。それがマイカの全身を、内から外から侵していたという証拠が、地面に降り注ぎ続けている大量の糞尿汚泥だった。
「……っ、ごほっ、……」
そしてしばらくの後に、ようやく中の物を全て吐き戻したのか、もうマイカの口から流れるのは胃液と唾液の混じった、さらさらとした茶色じみた液体のみとなっていた。
ついにマイカはぶるっと身体を一度大きく震わせ、──そして彼女はなだらかな山と積まれた自らの吐瀉物の上に、ゆっくりと倒れ込んだ。
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お読み頂きありがとうございます!
第一章のハイライトその1、便槽落としの回でございます。
自分はこの糞便責めってのが大好きで大好きで……おっとこれ以上語ると止まらなくなってしまいます。
そしてようやく出られたと思ったのも束の間、マイカちゃんには更に酷い仕打ちが……!?
次回も乞うご期待、なのです!
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