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終わりの世界を求めて

作者: 全部ラック




 ミリアは小さな魔法使いでした。




 ミリア:ぅ~……んぅ……




 私の可愛い、かけがえのない娘でした。




 ミリア:ぅ……ぅぁ……




 それが、どうしてこんなことに、なってしまったのでしょうか……。




 想いは言葉にならず、悲しみに、涙がただこみ上げてきます。


 扉一枚(へだ)てた向こう側、暗い部屋に(とら)われた我が子の、その無惨な姿に、ズキズキと胸が痛みます。


 本当に心臓が、刺繍針(ししゅうばり)で「絶望」を縫われているかのように、痛いのです。




 ミリア:む……うぅ……




 そっと扉の小窓から、その向こう側を(うかが)います。


 まだ十一歳、私の幼い娘が、ほの暗い部屋の中で拘束されています。


 鉄製の椅子に座らされ、手足を椅子に縛りつけられて。


 だから身動きは、完全に取れなくなってしまっているのです。


 その上に……あの厳重な目隠しです。


 愛らしいその顔も、今は半分以上が見えなくなっています。


 だけどそれは間違いなく……私の娘、ミリアです。


 夫が、娘の父親が、ミリアをこんな風にしてしまいました。








 私、ミ()アの夫、ドルゲは、国の辺境であるこの土地の、領主です。


 同じくこの土地の有力者、その長女に生まれた私は、十四歳の時にこの家へ嫁いできました。


 しばらくは平穏無事な日々だった……と思います。




 ミリア:ほぎゃあ! おんぎゃぁ! ほんぎゃぁ!


 ドルゲ:でかした! 私の子だ! 私の子が生まれたぞぉ!


 ミシア:ああっ!……私の子、私の可愛い子!




 私が十六歳の秋、ミリアが産まれました。


 夫も、その時は手放しで喜んでくれたものです。


 夫は冷血漢で通っていましたが、私にとっては唯一の男性でした。


 私は、どこにでもいる、普通の女性で。


 子供を産み、健やかな人間に育てる……それだけが自分の使命と信じていました。


 ミリアの誕生は、その輝ける第一歩……そのはずでしたのに。




 運命の歯車が狂い始めたのは、いつの頃だったでしょうか?




 ドルゲ:どうして次の子が生まれぬ?


 ドルゲ:どうしてお前は女の子しか産めない?


 ドルゲ:私には跡取りが必要だ、私の全てを継ぐ息子が




 ミリアが生まれ、しばらくしても、次の子はいっこうに生まれてくれませんでした。


 私は男の子どころか、以降は懐妊することすらなかったのです。




 ドルゲ:なぜだ!? なぜ次の子が生まれない!?




 ミリアは健康に、大過(たいか)なく育ってくれました。


 むしろ順調すぎて、物足りなさを感じていたくらいです。


 ですが、大きくなっていくミリアとは裏腹に、私のおなかが大きくなることは、二度となかったのです。




 ドルゲ:何が悪い!? 私か!? お前か!?




 そうして一年が経ち、二年が経ち……やがて夫の、私に対する態度と言葉からは、次第に(いつく)しみや温かさが失われていき、妊娠できない私をなじる、罵倒する物言いが増えていきました。




 ドルゲ:私は健康だ! 身体も鍛えている!


 ドルゲ:ならば悪いのはなんだ!? お前か!? それとも……ミリアか?




 それに……ミリアには、普通の子供にはない、ある特徴があったのです。




 ドルゲ:どうしてだ! どうして次の子が生まれぬ! ミリアか!? ミリアがお前の(はら)に傷を付けたのか!? アレが悪魔憑きだったからなのか!?


 ミシア:ち、ちがいます! ミリアは私達の可愛い子です!……きゃあっ!!




 悪魔憑き……「魔法使い」の兆しを見せる子供のこと。


 ミリアは時々、その身体の周りに、細い、黒い線を浮かべることがありました。




 ミシア:ミリア……それ……


 ミリア:え?


 ミシア:大変……どうしま……しょう……


 ミリア:ママ? どうしたの? ミリア、へん?




 それは、将来的に、「魔法」を使えるようになる子供の、特徴なのだといいます。


 それは悪魔が、子供を「嘲笑い、呪った」結果なのだといいます。


 だから「悪魔憑き」……悪魔に魅入られてしまった子供……ミリアのような子は、そう呼ばれているのでした。




 ミリア:ミリア、わるい子なの?


 ミシア:そんなことないわ! あなたは私の大切な娘よ!




 魔法使いは……「魔法」は、とても危険なもの、なのだそうです。


 世の(ことわり)を逸脱する異能、時に万の軍勢をも、たったひとりが殺す恐ろしい力。


 万が一、国の中央より派遣される異端審問官に「邪悪」認定されれば、家ごと取り潰しとなる場合すらある……のだそうです。


 ですが、多くの魔法使いはそこまでいかず、小さな火を(おこ)したり、極僅かな傷を癒したり、コップ一杯程度の水を生み出したり、そうしたことしかできない……それが普通なのだとも聞いていました。


 その程度であれば「邪悪」認定はなく、男の子であれば家督を継ぐことだけは許されていないものの、女の子であれば何の制限もなく生きられるのだそうです。


 ……ミリアも、そうなるはずでしたのに。




 どこで歯車が、狂ってしまったのでしょうか?




 ミシア:ミリア、その黒い線は、お外では、出さないでね


 ミリア:えー、でもこれ、かってに出ちゃうんだもん!


 ミシア:お願い! なるべく、できる範囲で、我慢して……お願い……


 ミリア:んー、わかった……ミリア、がんばぅ……




 男の子を望む、夫の焦りは、ある意味では仕方の無いことでした。


 悪魔憑きの子しかいないというのは、地方を統べる領主にとって、致命的ともなり得ます。




 ドルゲ:私だってミリアは可愛い! だがあの子を跡取りとすることはできぬ! ミリアを幸せにするためにも! 誰の目にも正統なる後継者が必要なのだ!


 ミシア:うぐっ!……




 いつしか夫は、私を、言葉だけでなく、暴力でも責めるようになっていました。


 ですが……その非は、男の子を産めぬ私にあります。ミリアを普通の子に、産んであげられなかった私にあります。


 私が悪いのだからと……夫の暴力も、甘んじて受け入れていました。


 暴力がミリアへ向かないだけでも、十分と思っていました。


 その頃にはもう、ミリアは子供部屋で、ひとりで寝るようになっていました。


 暴力は決まって夜、ミリアが寝静まってから行われたのです。




 ドルゲ:私はそなたを愛している! 私の全てを継ぐのはそなたの子でなければならぬ! 産め! 男の子を産むのだ!




 私は祈りました。


 ミリアが、世の(ことわり)を逸脱する異能に目覚めないことを。


 そうしてまた私は祈りました。


 どうかミリアのためにも、ミリアに弟が、男の子が生まれてくれることを。




 ドルゲ:すまない……私はお前を苦しめたいわけではない……どうか許してほしい……ミシア、愛している




 夫の暴力は、私が誠心誠意謝り続ければ、やがて去るものでもありました。その後はきまって、人が変わったのかと思うくらい、優しく接してくれたのです。


 夫は、私を諦めたり、側室を持とうとはしませんでした。


 私が土地の有力者の娘であるから……そうした事情も、背後にはあったのでしょう。


 ブドウ畑の大地主でもあった実家は、ミリアが生まれてからの数年間で更なる発展を遂げました。その数年間で、この土地のお酒を、他領へと輸出するルートを開拓した商会があったのです。元は小さな酒屋に過ぎなかったそれは、あっという間に大商会となり、私の実家は、大口の取引先となったその商会の、その新進気鋭の商会長様へ、私の妹を嫁がせたのです。


 この結びつきは、もはや領主であってもその存在を無視できぬほどになりました。


 私が男の子を授かる前に側室を持ち、そちらへ男の子が生まれてしまったら……夫はそれなりに厄介な立場に立たされてしまったことでしょう。これを回避する手段は、数年前まではあったのですが……残念ながら私に妹は、ひとりだけでした。


 ですが私には、それら事実が、夫を信じられる、唯一の命綱のようにも感じられたのです。




 ミリア:ま、ママ!? どうしたのこのアザ!?


 ミシア:大丈夫、大丈夫だから、ミリアは気にしないで、ね?


 ミリア:ママ……うん




 ミリアの背が高くなるごとに、夫の暴力は激しさを増していき。


 ミリアが賢くなるごとに、夫の表情からは穏やかさが失われていって。


 そんな風にして、私は生傷の耐えない身体でミリアを育てていました。








 ドルゲ:ミシアぁぁぁ!!


 ミシア:ひっ!? あ、あなた!?




 それは、ミリアの九歳の誕生日を、一週間後に控えた日のことでした。


 つまり、私に子が生まれなくなってからもう少しで十年という時が経ち、かつてはあれほど密だった夫婦の営みも、段々と(まば)らになっていって、月に数回のその時でさえ、夫に、焦り以外の……時に殺気のような恐ろしいものを感じるようになり……しばらくしてのことでした。




 ドルゲ:ふざけるなぁ!!


 ミシア:やめて! おねがい! やめてください!


 ドルゲ:お前が! お前が!! お前がぁぁぁ!!




 ある時、夫は帰宅するなり私の非を……出迎えが遅かったとか、着ている服が気に食わなかったとか、そんなあやふやな理由で、責めてきました。


 夫は、ひどく酔っていたようで、その手には、どうしてか乗馬用の鞭が握られていました。


 あまり酒は飲めず、強くなく、それゆえに酒の席では不愉快なことも多かったと聞いていました。


 いつもより遅く帰ってきたその日も、何か嫌なことがあったのかもしれません。




 ドルゲ:お前が! お前が!! いつまでもそんな風だから俺が! 俺が!!……俺が馬鹿にされるんだろうが!!


 ミシア:そんな……あなた……


 ドルゲ:何が、こちらの名酒こそが今やこの地の救世主……だ!……どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!!




 ですが、私は……その時には、そのようなことにまで頭が回らず、夫の手にある物がただ恐ろしくて。


 慌てふためき、怯えたまま夫へ、許しを請うことしかできなかったのです。


 運悪く使用人も、病欠であったり時間外であったりして、誰もいない時間帯でした。




 ミシア:おねがいです! どうか落ち着いてください!


 ドルゲ:うるさい! お前が! お前がそんなだから!!


 ミシア:や、やめてくださ……ひぎゃぁ!?




 泥酔し、我を()くしていた夫は、手に持っていた凶器を、あっけなく私へと振り下ろしたのです。




 ミシア:痛い! 痛い! 痛いぃぃぃ!


 ドルゲ:待て! どこへ行く! 話は終わってないぞ!!




 乗馬鞭は、時に厚い馬の皮でさえ破くモノです。


 容赦なく振られた一撃は、私の服も肌も、簡単に破いてしまいました。


 私は……情けないことに、パニックに陥ってしまいました。暴力には慣れていましたが、そこまで容赦のない打擲(ちょうちゃく)を受けたのは初めてでした。泥酔した夫の目も、初めて見るもののようで、とても恐ろしかったのを覚えています。


 私は、転げるように夫から逃げ出し、恥も外聞もなく家の中を……領主に相応しい広さを持つ館の中を、上半身半裸のまま逃げ回ったのです。




 ドルゲ:お前が! お前がっ! そんな風だから!! 私が! 私の名声が! 人生が! 滅茶苦茶だ!! お前の妹の一家もだ!! この土地で一番偉いのが誰か知らないのか!! お前まで俺をバカにするのか!!




 後ろからは、逆上した夫が、真っ赤な顔で追いかけてきていました。




 ミシア:いやぁぁぁ! やめてぇぇぇ! こないでぇぇぇ!




 私はもう、抑えきれず悲鳴をあげて、みっともなく逃げ続けました。




 そうして、気が付くと……。




 ミシア:……ママ?




 どこを逃げ、どこの階段を登り、降りたのか……気がつくと、目の前にミリアがいました。


 すこしクセっ毛のブルネット、つんと上向きの鼻、控えめだけど形のいい唇。地味といえば地味な顔立ち。でも、私にはこの上なく愛らしい天使の似姿。


 ですが……その瞳が、恐怖に濁っていました。




 ミリア:ど、どうしたのママ?




 一瞬で私は、大きな悲鳴をあげ、家中(いえじゅう)逃げ回ってしまったことを後悔しました。


 私の声に、眠っていたはずのミリアが起きてしまったのでしょう。


 優しいミリアは、母親が心配で、様子を見に出てきてしまったのでしょう。


 白いネグリジェから伸びる、棒のように細いその足の脇には、ミリアのお気に入りの、大きなウサギのぬいぐるみが転がっていました。私はミリアを、どれだけ驚かせ、恐怖させてしまったのでしょうか。


 私は、身体の痛みすら忘れ、気が付けばミリアを抱きしめていました。




 ミシア:ごめんね、ごめんね、ごめんね


 ミリア:ママ? ママどうしたのその傷!?


 ミシア:大丈夫、大丈夫だから、何にも怖いことはないの


 ミリア:ママ、血が出てるよ!? なにがあったの!? ねぇ!


 ミシア:ママが愛している。だからお願い、泣かないで




 ですが。




 ドルゲ:ミシアァァァ!!


 ミリア:ひっ!?




 そうして抱き合う私達の後ろに、恐ろしい顔の夫が立っていました。


 振り返ればもう、それは獲物を見つけた猟犬のようでした。




 ミシア:ミリア!




 だから私はとっさに、ミリアを、より強く抱きしめたのです。




 ──ヒュッ!!




 ミシア:うぎぃゃあああああああああああああああ!!!!


 ミリア:ママ!? パパ!?




 ですが、その瞬間に、力いっぱい振るわれた鞭の痛みが、私の理性を粉砕しました。


 それは人としての、母としての尊厳までをも(えぐ)()っていくかのような、一切の容赦なく振るわれた、強烈な一撃でした。


 娘を抱きしめていた手が、片腕だけ、思わず自分の背に回ってしまいました。


 それは、それくらい耐えられない痛みでした。




 ミシア:ひぃ、ひぃっ……




 ──ヒュッ!!




 ミシア:ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!


 ミリア:ママぁぁぁ!?




 再びの打擲に、思わず身体が跳ねました。


 ウサギのぬいぐるみが、それによってどこかへ飛んでいったことを、ぼんやりと覚えています。


 私の背中からは、X字に開いた傷から、冗談ではない量の血が溢れ出たのでしょう。


 私はミリアを抱いていることもできず、血に濡れる床へ、うずくまってしまいました。


 少し顔を上げると、完全に我を忘れた夫が、濁った瞳で娘を見下ろしていました。


 それでもう、私の頭は、真っ白になってしまいました。




 ミシア:ミリ……ア……


 ミリア:いやぁぁぁ! ママ! ママぁぁぁ!!




 私は、半ば無意識のうちに、ミリアをかばおうとした……ミリアを背に守ろうとした……ような気がします。


 よろよろと立ちあがり……よろけ……もう一度立ち上がろうとしました。




 その時でした。




 ──びぎっ!


 聞いたことのない音を、聞いた気がしたのです。


 ──しゅるるるる! しゅわー……。


 つむじ風のような音。お湯を沸かした時の、蒸発音のような音。




 ミシア:な……なに?……


 ドルゲ:な、なんだ!? ミリアお前か!?




 涙で滲む視界に、大量の黒い線を見たような気がします。


 視界の端に映るウサギのぬいぐるみが、まるで傷だらけのように見えたのを覚えています。


 それは、今思えば……ミリアが初めて行使した魔法の、その前触れだったのです。




 ミリア:パパなんか! きらい!!


 ドルゲ:な、なにっ!? ぐっ!?




 ──ごっ!


 ドルゲ:うっ!?




 次の瞬間、夫の身体が、くるんと回転しました。


 それはもう、油をたっぷりと注した風車のごとく、くるんと回転したのです。


 そして。




 ──どごっ!


 ドルゲ:ぐぎゃっ!?


 夫は顔を、床に激突させました。




 ミシア:ミ……ミリア……?


 ミリア:パパきらい! ママをいじめないで!


 ドルゲ:お、お前……




 転倒から身を起こした夫の顔からは、鼻血が流れ落ちていました。


 その顔には、明らかな怯えがありました。


 娘を、理解できないものと(おそ)れる目で。


 娘を、意味がわからないと(おそ)れる目で。


 私の身体の傷以上に、夫の何かが壊れてしまったのではないかと不安になる、それはそのような表情だったのです。









 その日から夫と娘の、お互いを見る目が……変わってしまいました。








 幸い、私の傷は、急所を外れていました。


 背中に一生残る傷痕ができてしまいましたが、酔いから()めた夫は、土下座をして謝ってきました。


 夫の傷も、深刻なものではありませんでした。


 鼻が少し……低くなってしまったような気がしましたが……結婚して十年近くが経とうという時期のことです。私はそれを、なんとも思いませんでした。本人はそのことを大変気に病んでいるようでしたが……私は本当に、なんとも思わないと……思うようにしていました。




 ですがこれ以来、ミリアと夫の間に、剣呑なものを感じるようになったのです。




 ミリアは父親を敵視するようになりました。それを私へ、隠そうともしませんでした。


 私の前ではよく笑い、キスを欲しがり、抱擁を求める。いつもいつまでもと、一緒にいたがる。


 父親の前ではムスッとした顔を崩さず、時に皮肉を言い、時に怒鳴られ、手を上げられそうになるのを私が止める……そうしたことが、頻繁に起こるようになりました。


 私はミリアを愛していましたが、かといってミリアへつきっきりというわけにもいきません。月に数回と、(まばら)らになっていた夫婦の営みも、どうしてかまた密となり、私達はよく、夜の比較的早い時間帯から、夫婦の寝室へこもるようになっていました。


 時に寝室の外へ、気配を感じたこともあります。


 ミリアはもう、夜になればぐっすりと眠ってくれる幼子などではないということも、私は知っていた気がします。夫も……もしかすれば知っていたのではないかと思います。


 そうした気配を感じた次の日の朝は、ミリアは大抵、とても不機嫌で。それへ夫は、勝ち誇ったような表情を向けていることが多かったのです。








 ミリア:ママ! ママはあの男を甘やかしすぎだよ!


 ミリア:あの男はママを傷つけてばかり!


 ミリア:あんなの、「あの男」で充分だって! パパなんかじゃないもん!




 ミシア:そんなこと、言わないで


 ミシア:パパも昔よりは、やさしくなってくれたわ


 ミシア:ミリア……ママは、悲しいわ




 やがてミリアは、段々と笑わない子供になっていきました。


 私とふたりでいる時だけは、変わらず天使の笑みを浮かべてくれましたが、それにも段々と影が差すようになり、十歳になる頃には、それすらも稀になってしまいました。




 顔からは丸みが消え、手足の細さばかりが目立つようになっていました。


 長く伸びた癖のあるブルネットは、毛量も豊かにミリアの輪郭を膨らませるため、よりいっそうやせた肢体が際立って見えるのでした。




 気が付けば夫は、まったく娘を(かえり)みなくなってしまいました。


 元々、領主である夫と私達は、別々の食事をとっていました。


 夫の口に入るものは、全て事前に毒見役を通ってくるからです。


 朝の食事が終われば、夫は領主の仕事を執り行うため別館へと出向き、夜になるまで帰ってこないのが普通でした。そちらには夫の一族が十数人と住んでいて、私達の出入りは推奨されていませんでした。


 娘と夫は、その気になれば全く会わずに一日を終えることができたのです。


 とはいえ、私達はそれでも同じ家で暮らす家族です。早朝であったり、夜の、ミリアが起きている時間帯に、ふたりが鉢合わせることもたびたびありました。


 そうした時、ふたりは少しの間、睨み合い、剣呑な空気を出して、無言のままプイと顔を背け、別れるのでした。








 ミシア:お願い、あなた。もう少しミリアを見てやって


 ドルゲ:……ああ


 ミシア:ミリアは、二桁の掛け算ができるようになりました。あなたからも褒めてあげていただけませんか?


 ドルゲ:……それが、褒めるようなことか?




 私は、父娘(おやこ)の不和を解消しようと、ふたりへ色々な働きかけを行いました。




 ミシア:ミリア、お父さんのこと、嫌い?


 ミリア:嫌いで当然じゃない。ママに……あんなことをしたんだから


 ミシア:そんなことないわ、ミリアのお父さんは、立派な人よ?


 ミリア:……ママは間違ってるよ




 ミリアは、お外へのお出かけも、滅多にしませんでした。


 ミリアが「悪魔憑き」であるということ、それ自体は秘密というわけではなく、私の両親や、別館に住む夫の一族は皆知っていたことでしたが、かといってあまり(おおやけ)にしたいものでもありません。


 もともと、ある程度以上の家に生まれた娘は、私もそうでしたが、程度の差こそあれ、嫁ぐまでは箱入り娘のまま育てられます。家の中で、家庭教師による教育を受け、本を読み、音楽を嗜んで育つのです。


 ミリアも、お外に出て遊ぶのはお屋敷の、お庭まででした。敷地外へは、ミリアが「悪魔憑き」の証拠である黒い線を、上手く抑えることができなかったこともあって、あまり出さないようにしていました。


 ミリアもそれに不満を言うことはなく、むしろ家の中で、私と一緒に過ごす時間の方を好んでいた気がします。


 外で遊びたいと、街の人に会いたいと、そうしたことを強く求める子供では無かったのです。




 ……あの時を除いて。








 ミリア:会わせて!


 ミシア:え?


 ミリア:一週間後に、中央へ連れて行かれる子! 私と同じ悪魔憑きの子! 会いたいの!




 数ヶ月前のことです。


 夫の領地に、「邪悪」認定された魔法使いの少女が現れました。


 それは街で、女性の髪を切ったり結ったり整えたり、美容品を売ったり、人の顔へ化粧を施すことを生業(なりわい)とする化粧師(けわいし)の女性の……一人娘でした。


 歳はミリアよりみっつ上の十三歳、幼い頃から人前で母の仕事を手伝い、ミリアと同じように時折、周囲に黒い線を浮かべるところを見られていたため、何年も前から「悪魔憑い」であることが知られていた少女でした。




 ミシア:で、でも中央が危険と判断した子だから


 ミリア:危険? 治癒の魔法使いが? なんで!?


 ミシア:そ、それでも、中央のお役人さんがそう判断したことだから


 ミリア:そんなの知らない! ママの背中の傷! 治してもらおうよ!!


 ミシア:え?


 ミリア:ママの背中に、あんな傷痕があっていいはずがないもの! その子は、一週間後にはいなくなるんでしょう? だったらチャンスは今しかないじゃない!




 私は……複雑な気持ちになりました。


 ミリアの気持ちは嬉しい。私だって、背中の傷を消せるなら消したい。


 ですが相手は、異端審問官に「邪悪」認定をされてしまった魔法使い。


 ただ会うだけでも、中央の意思に反したとみなされ、罰せられる可能性がありました……普通ならば。


 しかしながら、私達は、この土地の領主の、家族です。


 会おうと思えば会えなくもない、その可能性がありました。




 ミシア:ミリア……なら、お父さんにお願いできる?


 ミリア:……え?


 ミシア:その子に会う権限を持っているのはお父さんだから、お願いするならお父さんにしなくちゃ……ね?


 ミリア:……ぅぅ




 厳密に言えば、私は、実家へと働きかければ、夫の力を借りなくとも、娘の願いをかなえることはできたのかもしれません。


 ですが私は、ふたりが話し合える場を作りたかったのです。ですから、こうした提案となりました。


 それは私にとって、背中の傷痕が治るかどうかよりも、よほど重要なことだったのです。








 ミリア:おねがいします。ママの背中を、キレイにしたいんです




 ドルゲ:なにをバカな……




 夫はミリアの真剣な声色に、戸惑ったような表情を見せていました。


 ですが、しばらくするうちにその顔は険しくなり、声に苛立ちのようなものが混じり始めました。




 ドルゲ:かの者がそれをしてくれるとは、限らないではないか。相手は「邪悪」認定された魔法使い、治すフリをして悪化させるかもしれぬではないか!


 ミリア:一生懸命、お願いしてみます。私と、さほど年の変わらない子って聞いてます。なら、大人の人がお願いするよりも、ちゃんと話を聞いてくれるかも


 ドルゲ:「邪悪」に! 話など通じるものか!


 ミリア:そんなの話してみなきゃわからないでしょ!?




 夫は少女のことを、あまりよく知らないようでした。異端審問には、その土地の領主も参加する権利があるのですが……ミリアとのことがあったからでしょうか?……立ち会ってはいなかったようでした。




 ミリア:なによ「邪悪」って! だったら私も「邪悪」!? お父さんの子は「邪悪」!?


 ドルゲ:お前の魔法は「邪悪」認定されるようなものではない! 人ひとりを転ばす程度の力だ! そのようなものなど、そこらの力自慢、ひとりにも劣るわ!




 言い争いは、段々とヒートアップしていきました。


 夫は「邪悪」な魔法使いへの接触は危険とつっぱねるばかりで、ミリアは、聞く耳持たぬ父親に苛立っているようでした。




 ミリア:お父さんは、ママの傷が残ったままでいいの!?


 ドルゲ:母を危険に晒そうとしているのはお前だ!


 ミリア:だから! 危険か安全かは私が調べるから!


 ドルゲ:どうやって!? お前がだまされないという保証がどこにある!? 思い上がるな! お前はただの子供だ! 半端な魔法使いだ! 悪魔に呪われた子供だ!!


 ミシア:あなた!!




 私は、失敗した……と思いました。


 私は、ふたりに仲直りをしてほしかったのです。


 ですがふたりは……おそらくは心にもないことを言い合い、溝を深めるばかりでした。


 もともと、背中の傷については、治せるなら治したい……その程度の気持ちでしかなかったのです。私は既婚者で、家から出ることも少なく、傷痕も、それ自体はそこまで深刻な問題とも思っていませんでした。




 ミシア:待って! ふたりとも待って!




 これ以上こじれたら、関係の修復がより困難になってしまう……そう思った私は、火花を散らすふたりの間にむりやり割って入って、仲裁を試みたのです。




 ミシア:もういいわ、ミリア、ありがとう。今回はお父さんの言うことに従いましょう?


 ミリア:なんで!? どうしてよ!


 ドルゲ:どうしたもなにも、本人がいいといっているんだから、もういいだろう


 ミリア:よくない!! どうして……わかってくれないのよ!


 ドルゲ:……なんだそれは、また私を転ばそうというのか?




 そうして気が付けばまた……ミリアの周囲に黒い線が、パシュパジュと浮かんでいました。


 ……本当にそのような音が、しました。




 ミシア:ミリア! だめ!


 ミリア:お父さんはいつもいつも……ママを苦しめて……


 ドルゲ:子供が何を言ってる。夫婦のことに口を挟むのではない


 ミリア:っ!……こ、この……


 ミシア:だめぇ! やめて!!




 私は慌てて手を大きく広げて、致命的なことが起きるのを止めようとしました。


 ミリアが父親を傷付けるのも、その逆も、見たくなかったのです。


 ……ですが。




 ミリア:つぁっ……


 ドルゲ:む?




 その時、不思議なことが起こりました。


 ミリアが……めまいでも起こしたかのように一歩後ろへ後ずさると、急に落ち着いた表情になったのです。




 ミリア:っつぅ……なら……それなら……


 ドルゲ:なんだ、急にどうした?


 ミリア:お願いします……お父さん。前に転ばせたことは……謝ります。私が悪かったです




 そうしてからミリアは、「悪いのはお父さんだから」と、一年以上、けして謝ろうとはしなかった過去の出来事を、唐突に謝罪し始めたのです。


 頭を床につけ、三つ指をついてのキレイな土下座でした。


 しばらく、父と全く喋ろうともせず、私の前でも悪態ばかりをついていた娘の豹変に、夫のみならず、私も面食らってしまいました。




 ドルゲ:お前……


 ミリア:謝ります。私が生まれてきたことからすべて。男の子に生まれなかったことも、悪魔憑きとして生まれてしまったことも、全部


 ドルゲ:い、いや、それは……




 さすがの夫も、毒気を抜かれた表情になっていました。




 ミリア:どうすれば私のお願いを聞いてくれますか? どうすればママの背中をキレイにする機会を与えてくれますか? どうすれば首を縦に振ってくれますか? 死ねというなら死んでもいいです。殺されろというなら抵抗はしません。これは、私の、一生に一度のお願いです。だからどうか、たった一回だけ、私のこのお願いを、聞いてください。もう、ワガママは言いませんから




 まだ幼い娘の、必死の訴えに夫は、気おされたのか、一歩二歩と、後ろへ後ずさりしました。


 それは未知の、不気味なものを見る視線でした。けして、父親が娘へ向けていい類の視線ではありません。


 ですが、どうしてかそれは、夫の弱い部分を正確に撃ち抜いていたようでした。


 今の私には、少しだけ理解できます。


 夫はミリアが、恐ろしかったのだと思います。




 ドルゲ:わ、私だってミシアの背中が元通りになるのならば……


 ミリア:なら! 私に任せて。私が説得してみせるから


 ドルゲ:だ、だが交渉で、逃がしてやるからであるとか、そうしたことは言えぬぞ!? それは中央への裏切りとなる! それは許されないことだ!


 ミリア:そんなの求めてない! それでしか説得できないんだったら私も諦める! それでいい!? 私にチャンスをくれる!? 他に条件があるなら言ってよ! 私はなにをすればいいの!? 教えてよ!!


 ドルゲ:……わ、わかった。会わせる、会わせるからやめよ


 ミリア:ホント!?




 交渉は、しかしながら私がそうして呆気にとられている間に、夫が娘に押し切られる形で終わっていました。




 ドルゲ:ああ、しかしなにかあったら責任は全てお前がとるのだぞ


 ミリア:それは最初からそのつもりだから!


 ドルゲ:なら、いい




 十歳の、母国語の修得すらまだ十全には終わっていない娘の、なにもかもを投げ捨てたような交渉は……ですが、まるで奇跡のように上手くいき、どうしてか夫を動かしたのです。


 最後はあっけない幕引きでした。


 私が何かをとりなしたり、とりもったりすることは一切なかったと付け加えておきます。娘が、自身の言葉と力だけで成したことでした。


 夫は、会わせるとだけ約束をして、ミリアに「いつ!?」と迫られて……「み、三日だ。三日のうちに会わせよう」と、まるで娘から逃げるように……その場を去っていったのです。








 ミリア:はじめまして、私はミリア、ここの領主の……娘です


 エミナ:……その黒い線……あなたも悪魔憑き……なのね




 そうしてその二日後に会った魔法使い、化粧師(けわいし)の一人娘、エミナは、頬にそばかすの多い、輝くような銀髪の、どこにでもいるような普通の少女に見えました。


 とても、「邪悪」な魔法使いであるようには、見えませんでした。




 エミナ:でも、あたしとは違って、邪悪認定はされてない


 ミリア:うん……あ、いぇ、はい


 エミナ:そう。いいね、それ。お母さんと一緒にいられるんだ。羨ましいな


 ミリア:……ごめんなさい




 ミリアは、初対面から私を連れてきたことを、後悔しているようでした。ミリア自身は、最初はひとりで会いたかったようです。ですが、それは私の傷を治してもらおうという話でした。私自身が、直接出向くのが筋であると思いました。


 それに……すこしでもミリアに危険の可能性があるのなら、私はそのそばにいたかったのです……その必要は、なかったようですが。




 エミナ:あなたのお母さんは……そっちの人? 背中の傷?……見せて……ああ、それくらいなら治せますよ、すこし痛い……かもしれないけど


 ミリア:ホント!? 治してもらえる?


 エミナ:話、聞いてね。治す時、また傷が開くから、結構痛いよ? いいの?……いいんですか?


 ミシア:え、ええ、治していただけるのであれば


 ミリア:痛くしないで治すことはできないの?


 エミナ:そういう傷だと、無理。打撲とか内出血は、むしろ治る時気持ちいいみたいだけど……試してみます?




 化粧師(けわいし)の一人娘、エミナは、十三歳の割に落ち着いた喋りをする子で、笑ったかと思えば妙に大人びた、皮肉な笑い方をする少女でした。


 ただ反面、それが妙に、彼女の無邪気さを感じさせたのも事実です。


 私の妹はイタズラ好きでした。幼かった頃はいきなりワッと脅かしてきたり、いきなり抱きついてきたりして、とにかく人を驚かせるのが好きな子でした。


 私がこの時、思い出したのは、その妹の、「してやったり」とでも言いたげな、その笑顔でした。そういえばその頃にも、妹の笑顔は大人びて見えたような気がします。




 エミナ:いいけど……条件がある


 ミリア:何?……ここから出してあげるのは無理……なんだけど


 エミナ:ああそんなことじゃない。それにあたしは、殺されるわけじゃないから


 ミリア:え?


 エミナ:あたしが言うことを聞かなかったら、そうなったみたいなんだけどね。お母さんも一緒に


 ミリア:そ、そんなっ


 エミナ:だーから、そんなことにはならないように、あたしが中央へ行くの。軍属の魔法使いになるの


 ミリア:ぐんぞく?


 エミナ:軍隊に入って、衛生兵になるの。戦場で、傷付いた兵隊さんを癒やすの。あたしみたいな魔法使いは、そうやって国へ奉仕することが義務なんだって


 ミリア:軍隊、衛生兵、戦場、兵隊……


 エミナ:現実感の無い話だよね。けど、北の国とは数年おきに戦争になってるんだって。あたしが小さい頃にも、店に来てたおじちゃんとか、あんちゃんが何人かいなくなってさ、帰ってこなかったことのを覚えてる。あれが戦争だったんだろうね




 確かに、北の国とは四年ほど前、小競り合いになりました。


 ただ、その時は、夫の領地では徴兵(ちょうへい)という形を()りませんでした。募兵(ぼへい)に応じた領民を、まとめて中央へ送るという形を採っていたはずです。


 エミナという少女の言う、おじちゃん、あんちゃんも、志願して戦場へ向かったはずです。




 ミリア:帰ってこなかった……って。その人達は、じゃあ……


 エミナ:どうなったんだろうね?……今も中央で軍人さんをやっているのか、それとも……




 エミナという魔法使いの少女は、しばらく遠い目をしていました。


 その姿は、妹よりも大人びて見えたのを覚えています。


 ですが……そう見えたのは、一瞬のことでした。




 エミナ:ま、その話はいいじゃない。母さんの傷を治す、条件の話をしよ?


 ミリア:……うん




 そうしてエミナが出した条件とは、彼女に残されたこの地での五日間、そのうちの三日を使って、エミナが彼女の母親へ伝えたいことを、ミリアが全て手紙にするというものでした。




 ミシア:わ、私が手伝ってはいけないのですか?


 エミナ:お母さんは、ちょっとね、大人に聞かれるのは恥ずかしいかな


 ミリア:やるよ、私が言い出したことだもん、私が全部やる


 エミナ:助かるよ。あなたは文字が書けるんでしょ?


 ミリア:ん……ある程度なら……


 エミナ:それで十分。あたしが喋る言葉をそのまま文字にしてくれればいいから。むしろ難しいとお母さんが読めなくなるかも?……じゃ、今日、これからお願いしていい? 出発の直前になると色々ゴタつくからね


 ミリア:うん、がんばる


 ミシア:ううっ……




 そうして私は家に帰され、ミリアがエミナの想いを、手紙にする三日間が始まったのです。


 その間、ミリア達が、どのような会話をして、どのような交流を持ったのかについては、私の知るところではありません。


 ただ、エミナの手紙は、なんというかとても実用的……だったと聞いています。


 あの棚にはこれがしまってあるからこういう時に使ってね……という内容であるとか。


 お母さんは仕事が忙しいと食事を忘れるから、この時間とこの時間には必ず食事をしてね、これとこれとこれなんかは作り置けるから便利だよ……といって十を超える軽食のレシピが添えてあったりだとか。


 こういうことで困ったら近所の誰それを頼ってね……であるとか。


 好きな人ができたら自分から行くんだよ、再婚をためらわないでね、あたしに遠慮なんて、する方が怒るんだからね……とか。


 叙情的でない、ですがどうしてかひどく心温まる、だからこそ私には聞かれたくなかったのであろう……そういう内容だったようです。


 私に話していいの? とミリアへ問えば、「だって口止めされてないし」と平気な顔で娘は答えるのでした。




 ミリア:明日、傷を治してくれるんだって


 ミシア:え、だって明日が三日目じゃない


 ミリア:もう大体書き終わったからいいって


 ミシア:……そう




 私への施術は、ミリアの筆耕(ひっこう)の、その終わりを待たずして行われました。


 確かに、すごく痛かったのですが、終わってみれば私の背中はまっさらな美肌となっていました。その夜、それを見た夫の顔が、ひどく複雑だったのをよく覚えています。




 ミリア:終わったよ




 そうしてミリアの「ひと仕事」は、何事もなく平和に終わったのです。




 ミシア:そう……エミナさんは……


 ミリア:あさって()つって。今日はお母さんとふたり、みずいらずで過ごすんだって……家の外には監視付きらしいけどね




 ですが……筆耕を終えたミリアは、いつの間にか、エミナという少女に何かしらの影響を受けたのか……妙に大人っぽく見える笑顔を、私へと向けました。


 なにかをやり遂げたという充実感もあったのでしょう。私も、ミリアを産んだ時のことをすこしだけ思い出しました。


 ですが……今にして思えばミリアのそれは、エミナという少女の無邪気なそれとは……おそらくは子を産んだ母のそれとも……少し違っていたようにも思います。








 ミリア:ねぇママ、私、ずっと思ってたの。


 ミシア:え?




 エミナの旅立ちを見届け、しばらくの後にミリアは、何かの折にぽつりと……こう言い出しました。




 ミリア:私は、なんでこんなにも他人ひとと違うんだろうって……なんでこんなに、不幸なんだろうって


 ミシア:えっ!?


 ミリア:悪魔憑きだから? 兄弟がいないから? お父さんの子供だから?


 ミシア:ミリア、何を言って……


 ミリア:違ったんだよ。それは私が魔法使いだから。そのことを恥じていたから、力を忌まわしいものと思っていたからなんだ




 ミリア:私には力がある。エミナ、言っていたの。自分の力は、悪魔に呪われた結果かもしれないけれど、自分はそれで人を癒してきたんだって。自分が初めて癒したのも母親だったから、それを邪悪とは思わないんだって。だぁらこれからも人を幸せにしたいんだって。だから自分は戦場へ行くことを、そこまで悲観してないんだって




 ミリア:ねぇママ……あの男は……お父さんは、やっぱりおかしいよ……お父さんはママを傷つけてきた。どうしてそんなことができるの? ママの背中の傷は、治ったけど、それは悪魔が「嘲笑い、呪った」魔法の力が、たまたまこの土地にあったから……でしょ? 一生治らなかった可能性だってあったよ? その可能性の方が高かった




 ミリア:ねぇママ、この家を出ない? ママの生活は、私がなんとかするから、なんとかできるようになるから、あの男からは離れようよ……




 ミリア:ねぇ、ママ。ダメなの?




 ミリア:ママ……ダメだよ……。あいつは、あの男はいつかママを殺すよ?




 ミリア:ねぇママ……黙って耐えているだけじゃ、事態は何も好転しないんだよ?




 ミリア:いつまでも悪い人の食い物にされちゃうんだよ?




 ミリア:ママ……ねぇママ、お願い……聞いて……ねぇ……








 私は、あふれてくる涙を抑えきれませんでした。


 十歳の娘に、そんなことを言わせてしまったことに。


 そこまで娘を追い込んでいたことに、気付かなかった自分にも絶望していました。




 ミリア:ミリアはイヤなの……。ママがあいつに食われるのはイヤ




 ミリア:ミリアはあいつが嫌い




 ミリア:ねぇ……ママは、ミリアより……あいつのことが大事なの?




 ミリア:ねぇ?……




 ミリア:ママ……ねぇ……ママ……




 ミリア:どうして?




 ミリア:どうしてなの?








 ミリア:どうしてそんなに、悲しそうな顔するの……?








 ――そうして運命の歯車は、決定的に狂ってしまいました。








 ミリアは小さな魔法使いでした。




 ミリア:ぅー……んう……




 私の可愛い、かけがえのない娘でした。




 ミリア:ぁ……ぅ……




 数ヶ月前のあの時と同じように、私は、あふれてくる涙を抑えきれません。


 変わり果てたミリアの姿に、涙を止められません。




 ミリアはつい先日……夫を殺そうとしました。


 外出しようと、馬車へ足をかけていた夫に、ミリアがどこからか、もの凄い勢いで走ってきたのです。


 私も傍らで、それを見ていました。ミリアの周りには黒い線が大量に浮かんでいました。娘はまるで、鳥籠に閉じ込められたまま、走ってきたかのように見えました。


 夫の周りの、護衛や運転手の方々が次々と回転し、転んでいきました。それは明らかにミリアの呪われた力でした。




 ドルゲ:貴様ぁぁぁ! やはり呪われた子か!


 ミリア:悪魔はあんたよっ!




 そうしてからミリアは、銀色に光るナイフを取り出しました。


 十一歳の子供が持つにはひどく不釣合いな、それは無骨で恐ろしいものでした。


 ミリアはそれを()に構えると、激しい表情を浮かべながら、だけれどもどうしてか泣いているように見えるその顔で、躊躇なく夫に向かって突進しました。




 ミシア:いやぁぁぁぁ!




 自らの悲鳴を、他人事のように聞いた気がします。




 ドルゲ:ぐっ……




 短い嘆息が、夫の口から漏れ。


 膝が折れ、その体重を受けた馬車がギシリと揺れました。


 夫の胸には、ミリアのナイフが刺さっていました。


 ですが、幸いなこと?……に……それは浅かったのです。


 心臓には達していませんでした。


 ミリアはナイフを、()に構えていました。


 それでは骨に邪魔され、心臓にナイフは刺さりません。




 ドルゲ:くっ……この……悪魔め


 ミリア:浅い!?




 いつ、拾ったのでしょうか?


 夫の手には、()()()が握られていました。


 そうして夫は、ギッ……と、恐ろしい顔をミリアへ向けると。




 ドルゲ:お前が! お前が! お前のせいで!!


 ミシア:やめて! あなた! おねがい!!


 ドルゲ:お前が生まれたせいで私の人生は滅茶苦茶だ!!


 ミリア:きゃあああぁぁぁ!!




 ──ビヂュ!!




 ミリアの肌が、服とともに破かれました。


 その威力は、私も知っています。


 あれは、人の限界をやすやすと突破してくる、限界を超えた痛みを与えるものです。


 肉が裂け、骨がきしむ、そういうもの。




 ミリア:いゃあああぁぁぁ!!




 ──ヒジュッ!!




 鞭は、一撃では止まりませんでした。




 ミリア:いゃあああぁぁぁ!! 痛い! いたいぃ!! やめてぇ!!


 ミシア:や、やめておねがい、あ、あなた、もぅ……




 ミリアの細い足が折れ、小さな身体がその場へうずくまります。


 小さく丸まり、無抵抗となったその身体に、しかし夫の激昂は止まりませんでした。


 今思い出しても、恐怖で動けなかった自分が情けなく、死にたい気持ちになります。


 どうして前のように、ふたりの間へ割って入る勇気を持てなかったのか……。




 ミリア:ひ、う、ぐっ……あ……ぁぁ……


 ドルゲ:お前がいなければ……お前がいなければ良かったんだ!




 鞭は数十発、雨霰(あめあられ)のようにミリアへと降り注がれ、ミリアはそのまま気を失ってしまったようでした。


 その身体からは、あちこち血があふれ、流れていました。




 ミシア:ミリア!!




 私は、呪縛が解かれたかようにミリアへと駆け寄りました……が。




 ドルゲ:お前が!


 ミシア:きゃあ!?




 その背中にも……ミリアのおかげでキレイになった背中にも……再び鞭が飛んできました。




 ドルゲ:お前が! お前とさえ結婚しなければ! こんなことにはならなかったのに!!


 ミシア:そん……な……


 ドルゲ:ミリアは異端審問官へ引き渡す! よくも私の人生を十年以上無駄にさせてくれたな! お前達は母子ともども悪魔に呪われているのだ! 私を(たばか)りおって!! 悪魔め! この悪魔どもめ!! お前達は「邪悪」な悪魔だ!!








 そうして、夫は……ミリアを地下室に閉じ込めました。


 異端審問官に来てもらい、「邪悪」認定をしてもらうのだそうです。


 だからそれが到着するまで、ミリアはここに拘束され、繋がれたままなのだそうです。




 私が泣いて縋っても、どうしようもありませんでした。


 夫にとっては私も、もはや妻などではないのでしょう。


 呪われた子を産んだ、汚らわしい悪魔と罵られました。




 私の実家へ、ドルゲが、どのような話をするのかはわかりません。


 ですがこのままいけば、離縁は(まぬか)れぬものとなるでしょう。


 それは構いません。もう、仕方のないことです。


 それは我慢できます。男の子を……世継ぎを産めなかった時点で、私は夫を裏切っていたのですから。




 ですが……どうしても我慢できないものが、この地下室にあります。


 私は、ドアノブに手をかけ、扉を開きます。




 ──カチャ。ギィ……。




 ミリア:っ?!




 部屋の中央で拘束されているミリアが、それとわかる反応を浮かべました。




 ──どこで歯車が狂ってしまったのだろう?




 一晩中考え続けた問いが、またも心に浮かんできます。




 私達は、幸せになれるはずだった。


 イヤなことはあるけれど、生きていれば、少しのことはしょうがない。おおむね幸せなら、それでいいでしょう?




 ──どこで歯車が狂ってしまったのだろうか?




 ああ……ダメ……悲しいことで心を満たしちゃ。


 私達は笑わないと。


 幸せにならないと。




 ミリア:誰っ?




 娘の声が、震えています。




 私は、それこそ悪魔に憑りつかれたように、部屋の中へと足を進めていきます。




 確かに。


 イヤなことはたくさんあった。


 好きでもなかった男に、身体をいいようにされること。


 政略結婚。


 いわれない暴力。


 結婚したばかりの私は、ただの臆病な娘でしかなかった。


 力も勇気もない、弱い女でしかなくて。




 けれど。




 娘が生まれてからは。


 自分を組み敷く男も、「許せる」気がした。


 私はもう「母親」なのだから。


 この小さな子を護る、「母親」なのだから。


 そう思ったら、なんだか心が晴れたような気がしたのです。


 男を、娘の父親となった夫を、愛せる気がしたのです。


 そう。


 愛せるようになろう。愛を育んでいこう。


 それが私の闘いでした。小さな世界で、自分の心と戦う、闘い。


 人に勝るものを、なにも持たない平凡で臆病な女でも。


 だけど幸せな家庭を築けば、きっとそれが宝物になると思っていました。


 信じていました。


 宝物にしてみせると、赤ん坊だったミリアに、私は誓ったのです。




 遠い幸せな……あの景色。


 ミリアがお腹にいた……あの頃。


 ミリアがちゅくちゅくとオッパイを吸っていた……あの頃。


 あの頃は夫も、まだ優しかった。


 それは子の世話をする母親へ、近づくことを遠慮してるだけだったのかもしれません。慈しみの言葉をかけてもらったわけではありません。でも、それだけで充分でした。


 ドルゲは、お産にも育児にも、金は惜しみませんでした。


 私へそれをふんだんに与え、自由にさせてくれました。


 夫は……色々と、問題のある人間なのかもしれません。


 でも、問題のない人間なんて、いるわけがないのです。


 愛さなきゃ。


 結婚したのですから、同じ子の親となったのですから、愛さなきゃ。


 ね?……ミリア。




 ──どこで歯車が狂ってしまったのだろうか?




 ミリア:誰なの?!




 ミリアの声は、はっきりと怯えていました。


 無理もありません、十一歳……本来ならまだ親の腕に抱かれ、幸せに暮らしているはずの年齢です。


 ミリア……愛しい……私の宝物……。


 おしめを替えたのもまだ覚えてる。


 だっこしすぎて、腕にコブのような筋肉がついた。


 あのコブが、一時期は私の誇り……でした。


 ……それも、今はもう、消えてしまいました。




 ミリア:いやっ、こないで! 誰なの!? 私に近寄らないで!




 私は、無言でゆっくりと、娘に近づいていきます。




 ──どうして何も言えないのでしょう?




 ぼんやりと思うが、答えは出ない。


 足取りは重い。引きずるように()を進めます。




 ──私はあの子を愛している。




 それは間違いない。


 それを、けれど、どう伝えればいいのでしょう?


 どう言えば伝わるのでしょうか?




 ──貴方には私がついてる。




 ミリア:いやっ! いやっ! いやぁっ!!




 ミリアは、狂ったように暴れだしました。


 手足の縄が、ミシミシいっています。それらが、ミリアの手首足首を傷つけています。




 ──まっててね、今、解いてあげるから。




 私は、ミリアを拘束するそれらを見つめます。




 それが、どうしてか不幸の源泉のように見えるのです。




 娘を縛り付けるもの、私を縛り付けるもの。




 私を?……なぜ?……。




 私は、懐からナイフを取り出し、刀身を抜いて鞘を投げ捨てます。




 ──カーン……。




 鞘が床に落ちた、その音が、地下室に響き渡ります。




 ミリア:い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああぁぁぁぁ゛ぁ゛ぁ゛!!




 ミリアは絶望を叫び、その周辺へパシュパジュと黒い線を、悪魔憑きの証を浮かべます。




 大丈夫だから、ママが、ミリアを自由にしてあげるから……。


 だから、待ってて……もうすこしだから、ほんのすこしだから……。




 そうしてまた一歩、私がミリアへと、娘へと……近付いた……その時です。




 ミリア:こないでぇぇぇ!!




 くるんと、世界が回転しました。




 ミシア:ぁう……っぅ!?




 理解する時間すらなく、私の視界は高速で動いて、一瞬の後に身体の前面に強い衝撃、それから次に、鋭い痛みを首に感じました。


 回転は、三百六十度以上回ったようで、私は床につま先が滑るのを感じました。そしてそのまま前に倒れこんでしまったようです。


 そしてやはり首が痛い。焼けるように痛いです。


 熱いです。首が焼けるように熱いです。




 ミシア:あ……


 ミリア:え……?




 やがて理解が追いつき、私は持っていたナイフを落としました。


 見ればそれに、鮮やかな赤が……付着しています。


 首に手をやると、そこからは後から後から……血が。




 ミシア:ぁあ……


 ミリア:ま、ママ?




 ああ……私は、持っていたナイフで、自分の首を、斬ってしまったようです。


 回転した際、変な風に手を捻り、妙な風にナイフが動いてしまい、それが首を斬りつけてしまったのでしょう。


 ああっ……どうして私は、こんなにも愚かなのでしょう。


 どうして私は、大事なことはなにひとつ成せないのでしょう。


 私は、娘を縛り付けるその拘束すらも……解いてあげることができなかった。




 ミシア:ごめ、んなさ……ぃ……ミリ……ア……


 ミリア:ママ? ママなの!? ねぇどうしたの!? ママ! ママ! ママぁ!!




 ダメ。


 泣かないで。ミリア。


 ママは大丈夫、大丈夫だから……逃げて、ここから逃げて。


 私は急速に失われていく意識の中で手を伸ばし、ミリアの足を縛る縄を、ざっくりと斬りつけます。


 まずは右足、それから左足。


 そうしてから私は……ミリアの手の縄をも斬ろうと、椅子の後ろの方へ、回り込もうと、這って少し、少しでもミリアの近くへ進んで、進んで。




 ミリア:ママ? ママ!? ねぇどうしたの!? 見えないよ! 何も見えないよ!




 進んで。


 進んで。


 進んで。


 かたつむりよりも遅く、進んで。




 ――ガゴン!




 なにか、金属製の重い物が倒れたような音がしたところで、その歩みも、できなくなりました。




 ミリア:んっ……こんなの……こんな縄なんか




 身体がもう、動きません。




 ミリア:ママ!? なんで! なんでよぉ……




 どうしてでしょう。


 どうしてか、私の身体が、ミリアの胸に抱かれてる気がします。この細い身体と、すこしクセッ毛のブルネットの感触は、ミリアです。




 どうしてでしょうか。


 もう、音が聞こえません。




 どうしてでしょうか。


 もう目も、見えません。




 ただ、ミリアの体温と柔らさだけを感じます。


 ミリアに触れていない全ての部分が、氷にように冷たいです。


 だけどミリアが触れているその部分の体温と柔らかさだけは、文字通り天使に抱かれているかのようでした。




 だから。




 ああ、幸せだと、思いました。




 この温度に包まれて眠るのは、それはきっと、天国にいるのと同じこと。




 そう思いました。




 ミシア:ね、ぇ……、ミリ、ァ……




 ママはもう幸せだから、だからもうママのことは気にしなくていいから……ミリアも、どうか幸せに……誰よりも幸せに、なってね……。




 そう思い、口にした気がします。




 ねぇ、ミリア。




 ママの子に生まれてくれて、ありが、と、ぅ……。






 ミリア:


 あああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛いやああぁぁああああぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あああああああぁぁぁぁぁぁう゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛嗚呼嗚呼嗚呼嗚ぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あああああああぁぁぁぁぁぁい゛や゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛やああああああぁぁぁぁぁぁあ゛い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あああああああぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛














 ──その時、世界は回転した。


 ──歯車は止まり、逆回転が始まる。


 ──それは、これまでにも、何度かあったことだった。


 ──だが、今度はその時の比ではない。


 ──ひと巻きは、四秒。


 ──これまでは、せいぜい百か二百だかで回転は終わった。


 ──それが今度は……千を超え、万を超え、億の桁に至る……回転。


 ──それだけの数、時の歯車は回転した。


 ──逆回転した。


 ──あらゆるものを回転させる。


 ──世界の時の歯車でさえ、逆回転させる。


 ──それがミリアの魔法の、本当の「姿」だった。











 ミリア:こんにちは、マ……ミシア、さん


 ミシア:え……どなたでしょうか? はじめまして……ですよね?


 ミリア:え、と……ミシアさんは十三歳、ですよね?


 ミシア:え?……はい、そうですが……


 ミリア:来年頃には結婚をする予定、ですよね?


 ミシア:え!?


 ミリア:この時期には婚約の話が来ている……んですよね?


 ミシア:あの、本当に、どなたでしたでしょうか?


 ミリア:私……は、ミリアです


 ミシア:ミリア?……知らない名前、ですが……


 ミリア:ですが? なに?


 ミシア:なぜ、でしょうか……ミリアさんとは、どこかで会ったような、ずっと昔から見知っていたような、不思議な気がします


 ミリア:……ふぅん。鋭いんだ?


 ミシア:いえ、思い出せないのですから、鋭いということには……


 ミリア:鋭いよ。冴えてる。マ……ミシアさんは、そんな風によく自分を卑下するけど、それって、良くないことだって思うよ?


 ミシア:……あの、なんとなく、ミリアさんとは浅からぬ縁があるような気がしてならないのですが、やっぱりどうしても思い出せません、あなたは、誰なんですか?


 ミリア:私は、幽霊かな


 ミシア:えっ!?


 ミリア:未練があってこの世界に留まってる、幽霊。でも、私はそろそろ成仏しなくちゃいけないの。そのためにミシアさんの前に現れたの


 ミシア:どうして……私に?


 ミリア:私の未練っていうのが、ミシアさんに、幸せになってもらいたいってこと……だからかな


 ミシア:……あの、失礼なことかもしれませんが……ミリアさんは、私のご先祖様なのですか? ミリアさんの顔は……よく見れば私のマ……お母さんに、そこそこ似ている気がします。目の形や、髪の色は違いますが、つんと上向きの鼻、控えめだけど形のいい唇、顔の輪郭が……そっくりです


 ミリア:うーん、まぁ、それでほとんど正解かな? そうだよ、私はミシアさんと同じ血族の人間……の幽霊だよ……って、わっ!? い、いきなり何?


 ミシア:幽霊なのに、(さわ)れますね?


 ミリア:……ミシアさんって結構大胆だったんね、頬にいきなり手なんて当ててくるから、キスでもされるのかと思っちゃった


 ミシア:キス……って


 ミリア:うわ、キスって単語だけで赤くなるとか、ウブにもほどがあるでしょ


 ミシア:からかわないでください。幽霊というのは、嘘ですよね?


 ミリア:そんなのは当たり前じゃない。信じたの?


 ミシア:……あなたが言ったことじゃないですか


 ミリア:もののたとえだってば。でも、私は幽霊みたいなもの……そのことに嘘はないよ。私は想いを遂げたら成仏する、消えちゃうの


 ミシア:……想い、ですか


 ミリア:うん


 ミシア:失礼ですが、それが何か聞いても? 私に幸せになってもらいたい……って具体的には?


 ミリア:うーん。それを話す前に、もうすこし私は、ミシアさんに信頼してもらう必要があるかなって思うんだ


 ミシア:……たしかに、嘘をつかれたばかりですから、今、何を言われたとしても、あなたの言葉は信用できない……かもしれません


 ミリア:うん、わかってる。だからとりあえず、私の力を見せるよ


 ミシア:力?


 ミリア:私にはね、未来を見通す力があるんだ。絶対に外れない占いの力を持っているの


 ミシア:占い、ですか……


 ミリア:胡散臭いって思ったでしょ? じゃ、とりあえずジャンケンしよう


 ミシア:え?


 ミリア:ジャンケン。私は絶対にミシアさんには負けない。なぜならミシアさんが次に出す手を読めるから


 ミシア:……はぁ


 ミリア:ほらほら~、さーいしょーはグー


 ミシア:え、あ……ほ、ほいっ!


 ミリア:ほら勝った


 ミシア:い、一回だけじゃないですか


 ミリア:なら何度でもやるよ、さーいしょーはパー


 ミシア:え、ええっ!?……ほ、ほいっ!




 ミリア:そろそろ満足した? 今ので十三回目だけど、意外と疑り深いね


 ミシア:やめ時を与えてくれなかったの、ミリアさんじゃないですか!?


 ミリア:いやー、ただのジャンケンがこんなに楽しいとは思わなかったです。ミシアさんがあたふたしながら手を出す姿が、可愛くて


 ミシア:ば、バカにしないで下さい。こんなの、ミリアさんが、ただジャンケンが強いってだけじゃないですか


 ミリア:まぁそうだよね。でもこれは小手調べだから。ジャンケンだけに


 ミシア:え?


 ミリア:そして次は小手調べだけに、手を出して


 ミシア:え? え? え?


 ミリア:あんむ


 ミシア:ひゃぁっ!? な、なんで私の指を舐めるんですか!?


 ミリア:はい、その指を立てる。ふぁっきゅーって感じにどうぞ


 ミシア:ふぁ、ふぁっきゅー?


 ミリア:小さい頃やらなかった? 指を舐めて、それをかざして、風が吹いた方向を知るってヤツ……ほら、五秒後に、ミシアさんの背中から風が来るよ


 ミシア:え? あ……本当に……


 ミリア:五秒後、右からに変わる……また背中から……また右……斜め前


 ミシア:……ミリアさんは、天候を操る魔法使いなんですか?


 ミリア:それなら信じるの? 占い師だって言ってるのに


 ミシア:……だって


 ミリア:あ、左から突風、スカート抑えておいて


 ミシア:え、きゃっ!?


 ミリア:うーん、飾りっけのない白が目に眩しい


 ミシア:み、み、み、未来が見えるなら、なんで目を逸らしてくれないんです!?


 ミリア:え? かぞ……女の子同士だからいいじゃない。なんなら私、ミシアさんのおっぱいのどこに何個ホクロがあるのかも知ってるし。一個は左胸の下乳の少し左寄りの辺り


 ミシア:そ、それも占いですか!?


 ミリア:あーうん、そう。占い占い


 ミシア:どうしてそこで目を逸らすんですか……


 ミリア:よーし! じゃあもっとミシアさんに、私の占いのすごさを見せちゃうぞー


 ミシア:えええええ!?




 ミリア:信じた?


 ミシア:信じます……ミリアさんの占いは、すごいです……


 ミリア:やったぁ! うーん……でもまさかこんなに時間がかかるとは。一日では済まないかも、とは思っていたけど、まさか三日もかかるとは


 ミシア:二日目からはもう、ただ遊んでいただけの気がしますが……。トランプ、すごろく、猫捜し、お互いに好きな言葉を書いて伏せてそれを当てるゲーム、くじを引いて王様を引いた方が奴隷側になんでも好きなことをできるゲーム、ガレット・デ・ロワのフェーヴ(アタリ)引きゲーム……今日はもう最後のでおなかパンパンです


 ミリア:最後のふた切れになるまでアタリはでないよって、その通りになったでしょ?


 ミシア:それ、占いでそうなったというよりも、ミシアさんに誘導されてそうなった気がします……


 ミリア:楽しかったね。これだけで成仏してもいいやって思えるくらい楽しかった


 ミシア:幽霊の設定、まだ引きずってたんですか……


 ミリア:想いを遂げたら成仏しちゃうのは、本当だからね


 ミシア:もう! ホント嘘ばっかり!……楽しかったのはミリアさんだけですよ……どうやら未来を見る力はあるのは本当のようですね。認めます、それは認めます。……それで、ミリアさんはそれを使って、どう想いを遂げて、どう私を幸せにしてくれるというのですか? 少なくともこの三日間は、ゲームに負け続けて不幸でしたよ?


 ミリア:それはまぁ、最初の言葉通りなんだけどね。ミシアさんは最近、この土地の領主さんと婚約したでしょ?


 ミシア:……はい


 ミリア:ドルゲって男はひどい男だから、結婚すると不幸になるの。私には、ミシアさんが最高に不幸な死に方をする未来が見える。私は、その運命からミシアさんを救いたくてここへ来たの


 ミシア:……私も、最初の言葉を繰り返します。ミリアさんは……何者なのですか?


 ミリア:だから幽霊だって。なんなら、将来に不安を感じているミシアさんが生み出した幻と思ってくれてもいいよ。イマジナリーフレンドちゃん、イフちゃんと呼んでくれてもおーけー


 ミシア:イマジナリーフレンドなら、もう少し私に都合のいい存在であってください……


 ミリア:別に、ドルゲを好ましい相手と思ったわけじゃないんでしょう?


 ミシア:それは……


 ミリア:親が言うから仕方無く……今はまだそういう気持ちでしょ? アイツはね、兄弟へも暴力をふるっている。私はそれを知っている。少しでも不安を感じているなら、()……ドルゲの弟達、妹達に話を聞いてみて? 三つ下の弟なんか、この時点からだと……七年後にドルゲの暴力が原因で、片足を引きずって歩くはめになるんだから


 ミシア:そんな……


 ミリア:ま、そのせいで、弟妹(ていまい)全員から恨まれて、一族の中では孤立していっちゃうんだけどね。そのストレスも、全部将来のミシアさんへ降りかかってくるよ?


 ミシア:あなたは……私の婚約者の、一族に連なる誰かなのですか? そういえばミリアさんの目元は、紹介された妹さんに、似ている気がします


 ミリア:そう思うならそう思ってくれてもいいけど、だったらドルゲがそういう男だってことも、信じてくれる?


 ミシア:でも、今はそんな風でも、将来までそうだとは……あ


 ミリア:うん、だから私には未来が見えるの、ドルゲは結婚しても、ミシアさんがどれだけ尽くしても、そういう男のままなの、ミシアさんは不幸になる、ねぇ、ミシアさん


 ミシア:……はい


 ミリア:私はミシアさんが、結婚して、将来に幸せな家庭を築くことを夢見る、とても素敵な女性だってことを知ってます


 ミシア:そんなの……


 ミリア:素敵な夢だよ。少なくとも、ミシアさんの子供は、そんな風に生きようとするミシアさんのことを、尊敬してくれる。私にはその未来が見える。ミシアさんの娘は、ミシアさんを……愛してくれるよ


 ミシア:子供……娘?……だけ?


 ミリア:うん、ミシアさんは娘しか産めない。そのことでもドルゲから責められるようになる。毎日のように殴られ、罵倒される。幸せな家庭なんか築けない。子供も不幸になる。この世で最悪の不幸に、その袋小路(ふくろこうじ)に迷い込むことになる


 ミシア:そ、そんな……袋小路?


 ミリア:娘は父親を、ドルゲを殺そうとするの


 ミシア:えっ!?


 ミリア:でもね、それは何度やっても上手くいかない。時にはミシアさんにも妨害されて、全部が全部失敗しちゃうの。やっと刃が届いた時には、全力を使い果たした後だからもう何もできなくて、反撃を食らって意識を失っちゃうの


 ミシア:……娘は、どうなるのですか?


 ミリア:この世からいなくなる。父親を殺そうとした罪で、地獄へ落ちるよ


 ミシア:そんな!?


 ミリア:ねぇ、幸せな家庭を築きたいミシアさん、私にはその未来が見えるの。見えてしまったの。ミシアさんの結婚は、幸せな家庭どころか、地獄しか生み出さない。自分も子供も不幸になる、そんな未来で、本当にいいの?


 ミシア:信じ……られません


 ミリア:あれだけ私とのゲームに負けて、まだ疑うの?


 ミシア:未来が見えるというのは、もう疑っていません。私の未来が、そんな風だというのが信じられないだけです


 ミリア:信じたくないよね、わかるよ。でもこれは本当。……ねぇミシアさん


 ミシア:……なんでしょうか


 ミリア:ドルゲは……なんていうか……たぶん悪人ではないんだと思う


 ミシア:え……


 ミリア:領地の統治は、嘘みたいにちゃんとするよ? 汚職の証拠を探して、失脚させようとしても、何も見つからないくらいに。でもそういうのって、一緒に仕事してる人からは嫌われるみたい。どうして甘い汁を吸わせてくれないんだ、どうして権力のおこぼれに(あずか)らせてくれないんだって。生憎ここはコネと人脈が頼りの辺境の土地、そういう人を切ることもできない。自分は正しい統治をしているはずなのに、周りの連中は無理ばかり言ってくる、もっと自分をえこひいきしろって要求してくる……そりゃあ歪むよね、どこかにそのシワヨセが来るよね。ミシアさんに待っているのは、シアワセな家庭なんかじゃないの、シワヨセの家庭だよ、ドルゲのストレスが、際限なくぶつけられる妻という立場、サンドバック


 ミシア:そん、な……


 ミリア:ミシアさんみたいに、男を立てます、一歩引きますってタイプは、ドルゲみたいな男とは相性が悪いんだよ。どんなのだったら相性いいかなんてのは知らないけど……少なくとも、ミシアさんは、ドルゲを好ましい男性とは感じていないんでしょ? 結婚後のミシアさんにとって、夫婦の時間は苦痛で、それもまたドルゲを苛立たせる、殴られる、罵倒される……ミシアさんは結局、どれだけ苦痛に耐えても誰も幸せにできないんだ。ドルゲと結婚したらそういう未来になっちゃうよ? それでもいいの?


 ミシア:やめて!


 ミリア:ん


 ミシア:もうやめて! 嘘ばかり言わないで! そんなの嘘よっ、そんなの嘘……ありえない……


 ミリア:……じゃあどうすれば信じてくれるの? どうすればミシアさんはドルゲとの結婚を諦めてくれるの?


 ミシア:……でしたら


 ミリア:うん?


 ミシア:それなら私を、今ここで、幸せな気持ちにしてみてください! 今、ひどいことを言われて! 傷ついている私を! この心を……幸せな気持ちで一杯にしてみてくださいよ!!


 ミリア:あー……


 ミシア:未来が見えるなら、できるんじゃないですか!?


 ミリア:うーん……それは簡単なようで、難しいな……今の魔力の状態だと……三百巻き……限界は二十分……一回五分として、四回……


 ミシア:……何を小声で呟いているのですか?


 ミリア:失敗したらチャンスは?


 ミシア:……あるわけないじゃないですか


 ミリア:だよねー……よしわかった! じゃあこのチャンスに賭けるよ! 覚悟はいい? ミシアさん


 ミシア:やれるものならやってみてくださいよ!


 ミリア:よーし! イックゾー!!











 ミシア:信じます……


 ミリア:難しいと思ったら簡単だった!! チョロインだった!


 ミシア:どうして、わかったんですか?


 ミリア:わかったっていうか……二回目の失敗後に教えてくれたっていうか……


 ミシア:二回目?


 ミリア:なんでもない。なによ、結婚前に好きな人、ちゃんといたんじゃない。貧乏だから親が許してくれない? そんなのより、ミシアさんの気持ちの方が大事でしょ。あのねぇ……その人、将来、結構立派な人になるよ? 今はしがない酒屋の若旦那様候補でしかないのかもしれないけどね、未来が見える私にはわかるの。その人は大金持ちになって、立派な家の人と結婚できるような立場を手に入れるの


 ミシア:そうですよね!? やっぱりあの方は立派になられるんですよね!?


 ミリア:喰いつくなぁ。どうしてその想いを諦めて……ドルゲなんかと結婚しちゃうんだろう……なによ、男を見る目、ちゃんとあるじゃない……と・に・か・く! 今、言った通り! ミシアさんが憧れている、今はしがない酒屋の若旦那様候補も、ミシアさんのこと、実は憎からず思っているよ? これはミシアさんの妹が将来、夫にそう聞かされて嫉妬したことを話してく……その姿が見えるから間違いないです


 ミシア:夫!? 妹があの人と!?


 ミリア:うん、ミシアさんがドルゲと結婚すると、そういう未来になる


 ミシア:よりによってあの子が……ぐぬぬ


 ミリア:ぐぬぬって


 ミシア:……わかりました。私はこの想いに、素直になればいいのですね。ですがその場合、ドルゲには妹が嫁がされることになりそうですが……


 ミリア:妹さんなら大丈夫じゃない? 殴られたら殴り返しますってタイプだし、なんとかなるでしょ。ミシアさんが気にすることじゃないよ。というか、気になるなら気にしてあげれば? 姉妹なんだから


 ミシア:そう……ですね……ありがとうございます、おかげで、吹っ切れたような気持ちです


 ミリア:いえいえ、どういたしまして




 ミシア:ところで結局……


 ミリア:ん?


 ミシア:ミリアさんは、何者なんですか? ミリアさんは何を求めて、こんなことをしてくれたんですか?


 ミリア:んー、だから幽霊だよ、ミシアさんを幸せにしたら、成仏する類の


 ミシア:もうっ、本当のことを教えてくださいよ


 ミリア:本当なんだけどね~。じゃ……証明してあげようか?


 ミシア:え?


 ミリア:今から私、消えるから、ミシアさんの目の前で


 ミシア:……嘘……本当に?


 ミリア:ホントホント、でも私が消えても、私が言ったことは忘れないでね。じゃ……


 ミシア:え?


 ミリア:さよなら




 ミシア:え?




 ミシア:え? え? え? え? え? ミリアさん!? 嘘……本当に消えちゃった? 目の前で……瞬きもしてないのに!? こんなに唐突に!? ミリアさん!? どこですか!? ミリアさん!? ねぇ! どこに行っちゃったんですか!?








 ミシア:ミリアさん!


 ミシア:ミリアさん!! どこ!?


 ミシア:ミリアさぁぁぁん!!……どこぉぉぉ!?……



































 はい、ミリアです。


 そんなわけで、ひと仕事終わりました。


 ミリアがミシアへ干渉するのは、ここまでです。


 なので、ママの前からはさっくり消えることにしました。


 カラクリは簡単。


 五分移動を、二回で終了できたので、私には十分の時間移動が可能でした。


 今回は十分「未来へ」やってきました。


 ミシアさん……ママがこの場所に十分以上留まっていたら、鉢合わせになるところだったけど……まぁ問題はなかったみたい。もう、どこにも姿が見えない。しばらく私を探したら、その足で想い人のところへ行ってくれたら……いいね。




 それにしても。


 未来を、ママとパパが結ばれない世界に変えてしまえば、その瞬間に、私という存在は、なくなってしまうんじゃないかって思っていたけど、どうもそれは、違ったみたい?




 まぁ、魔法の力は……人の世の(ことわり)を超えるもの……だっけ?




 だったら、人である私が理解するなんて、できなくて当然か。




 自分の存在が消えてしまうのだとしても、私は私の贖罪(しょくざい)のために、ママがパパと結婚しない世界を選んだと思うけど……それだって私が消えるってことは、すなわち目的が達せられてるってことだから……それでいいと思ってた。




 消えないのであれば、私は私の行ったことの結果を、見届けることができる。


 魔力が溜まるのを待って……三ヶ月ごとくらいに、ママの様子を見よう。


 生活は、まぁこの力があればなんとかなる……元の時間軸に行くまでは、えっと十四年だから……三ヶ月の時間移動は二百万回転くらい……だから一週間くらいでチャージできるとして……三ヵ月おきに一週間、ママの様子を見て……十四年分は私の体感で五十六週か……一年と少し頑張ればいいってことだね。


 やれるやれる。犯してしまった罪を考えれば、軽いすぎるくらいだ。




 ミリア:……あれ?




 と、握り拳を固めたところで……視界に違和感。




 ミリア:おかしいな、なんで私の髪の毛が金色に……って金髪(ブロンド)!?




 それなりに長い、自分の髪の毛をすくいあげる。


 それは、どこからどう見ても……金色。




 ミリア:はへ!? なんで!? 脱色なんてしてないよ!?




 ポケットに忍ばせてあった小さな鏡で、自分の姿を確認してみる。




 ミリア:目も変わってる!?……なにこのまつげビローンな奥二重のパッチリオメメ……




 どうしたことか、私の外見は、顔の輪郭や鼻や唇の形はそのままに、ブルネットだった髪は金色に、小づくりだった目が、猫みたいに大きなモノへと変わっていた。




 ミリア:え、まさかこれ、お父さんが変わったからってこと? お父さんが変わったのに私は私のままなの? いや外見が変わってるから、私のままってのもおかしな話だけど……あの男の娘であった時の記憶はそのままなんだけど!?




 思い出す。あの男……私のお父さんは、やっぱりドルゲだ。暗い髪色の、小づくりな目をした、陰気な顔をした暴君。その記憶はある。


 あるのに……。




 ミリア:いやおかしいでしょ、ドルゲの娘じゃなかったら、私がここにいる理由自体ないのに




 どゆこと?




 うーん……。


 うーん……。


 うぅん……。




 ミリア:……ま、いっか?




 よくよく考えてみたら、だからといって、私のこれからが変わるなんてことはない。


 ママの幸せを見届ける。それはもう決定事項だ。


 髪の色が、目の形が変わったからといって、それは何も変わらない。


 元よりもちょっと可愛い、目立つ外見になっちゃったせいで、多少、隠密行動なミッションはやりにくくなったかもしれないけど。




 ミリア:この魔法があれば、それくらいのハンデはいくらでも取り戻せるよね?




 あれ?


 でも……外見が変わったってことは、さよならを言って別れたミシアさんとも、また会っていいってことかな?




 ミリア:……いやダメか、未来の娘と同じ外見ってことなんだから……十四年後に戻った時、そこにいる私と、この私が統合されるのか、それともふたりになっちゃうのか、それはわからないけど……




 というか……もしかして、ママに金髪の娘が生まれた瞬間に統合されちゃうのかな?


 そもそも、どうして私は、私が生まれる前の時間に来れたの?




 うーん。


 うーん。


 うーん。




 ミリア:ま、今考えても仕方無いか




 よくよく考えてみればそれは、別にどちらでもよかった。


 ふたりのままなら、私は私のままママを見守ればいいし、ママの娘として、その立場へと統合されるなら……それはこの私には、勿体無いくらいに幸せな未来だった。




 ミリア:色々、予想外のことが起きるな、さすが魔法、世の(ことわり)を外れすぎてる




 あの、十四年を一気に渡った時のようなことは、たぶんもうできない。あれは私からしても奇跡だった。意図せず行ってしまった、限界を、はるかに超えた能力の行使だった。


 あれは一生に一度だけの奇跡。


 そんな気がする。




 ミリア:あー……そういえばママが最後に言ってたっけ。何を求めて、こんなことをしてくれたんですか?……って




 これは贖罪。


 犯してしまった罪へ、(あがな)(あらが)求道(ぐどう)




 そのつもりだったけど。




 でも、もしかしたら。




 こんな風に、予想よりもいい方へ道が続いているのなら。




 まだ、ママが幸せになっていくその姿を、そばで見てていいのなら。




 ミリア:ねぇママ、私が求めているのは……終わりの世界


 ミリア:私が終わってもいい世界


 ミリア:満足するまで生きて、自分がそのまま終わってもいいって思える世界を、求めているんだ




 ママが幸せで、私も幸せで、周りのみんなも幸せで。


 そういう世界を、見つけられたらいいなって思う。




 ねぇママ。




 私は悪魔憑きだけど。




 ミリア:なら……これは悪魔みたいに強欲……ってこと?




 そうなら私は、せいぜい色んなことを、世の(ことわり)とかを嘲笑(あざわら)いながら、みんなを幸せにしてあげようと思う。




 いいよね、ママ。




 悪魔がみんなを幸せにしても。




 そういうことで、いいでしょう?




 ね?




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