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作者: しのぶ

 俺が抑うつ状態になってからしばらく経った。


 それにしてもこの状態では本当に何もできない。

 椅子から立ち上がるのにさえ時間をかけて心を整えないといけないし、近所のさびれたスーパーに行くのにも心の内で「やるぞ!やってやるぞ!!俺はやるぞ!!」と何重にも気合を入れないと行けなかったりする。

 やらなきゃいけない仕事も手を付けないまま放置しているし、郵便物として届いた封筒も、表面に「大事なお知らせ」と書いてあるのに封を開けないまま一週間以上放置している。部屋の掃除もしばらく出来ていない。

 人によっては入浴もなかなかできない人がいるようだ。俺はまだそこまでじゃないからまだマシな方だが。


 そんなある日、近くのさびれたスーパーに買い物に行くと(本当はもっと遠くに安くて品揃えのいい店があるが、遠くまで行く気力がないのだ)、そのそばで帽子をかぶった黒っぽいジャージの男が話しかけてきた。


「やあ、こんにちは。あなた疲れた顔してますね」


「え、はい」


 男はポケットから小さなビニールパックを取り出して見せると、言った。


「そんなあなたに、いい薬があるんですよ。この薬を使うと疲れなんて吹き飛びますよ。これはお試し用なんで、今回は無料で差し上げます」


(あっ、これヤバいやつだ)


「い、いえ、結構です……」


 俺は足早にその場を立ち去った。


 危ない危ない……しかし、正直さっきは、多少は心が揺らいだ。この苦境を脱することができるなら、とにかくなんでもやってみようという気になったものだ。昔、もっと激しい仕事をしていた時期なら、手を出していたかも知れない。心が弱っていると、そこに付け込む輩もいるものだ。


 そこからしばらく歩いていると、近くで猫の声がした。


 見ると、電柱の影から猫が出てきて、鳴きながら俺の周りを歩き回っている。


「野良猫かな……」


「ニャーン」


 猫はその場で寝そべって尻尾を動かしていた。


 野良猫の割にはずいぶん警戒心がないというか、人に馴れている感じがする。俺は近寄ってみたが逃げる気配もないので、猫を撫でてみた。

 猫はやはり逃げない。


 俺は猫を撫で回して、思った。


(ああ、こういう癒やしだったらいくら来てもいいのになあ)




 ところが、それから数日して、異常が起こってきた。手と腕に赤い発疹ができて、それが広がって赤い輪になった。そしてとても痒い。おまけに、爪も白く変色して分厚くなってきた。


 明らかに皮膚の異常だったので病院に行くと、俺を診察した医者は言った。


「これは白癬(はくせん)ですね」


「白癬?」


「そう。カビの一種によって起こる皮膚の病気です。数日前に、猫を撫でたと言ってましたね?」


「はい」


「犬や猫は病原体を持っていることがあるので、その時に感染したんでしょう。まあ命に関わる病気ではないので、塗り薬と飲み薬を出しておきますね」


「ありがとうございます」


 やはりあの猫のせいだったか……いや、別に猫自身が悪いというわけではないけど、軽い気持ちで触ったのはやはり間違いだった。

 医者はさらに言った。


「……しかし、白癬程度で済んだのはある意味ラッキーだったかも知れません。動物はもっと危険なウイルスや寄生虫を持ってる場合もありますからね。

もしこれが犬やキツネで、エキノコックスに感染していたら、数年潜伏したあとで発症して、放置すれば死に至っていたかも知れません。あと日本では1957年以来症例がありませんが、動物に噛まれて狂犬病を発症したりすれば、ほぼ確実に死に至りますからね」


「そ、そうなんですか……」


 あの時はこういう癒やしだったらいくら来てもいいとか考えたが、そうではなかったようだ。心が弱っていると癒やしを求めたくなるが、そこにもまた危険が潜んでいたりする。何かと世知辛い世の中だ……

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