家族に虐げられた子爵令嬢は、辺境の修道院で聖女となって幸せになります
ブレンダム王国の東部の穀倉地帯のひとつ、ディール伯爵家の長女、アンジェリカ・ディール伯爵令嬢は、政略結婚で王都のハウアー子爵家へと嫁いで来た。
元々は前ハウアー子爵の強い希望であり、押し倒されるような形で承諾したものの、王都に繋がりが欲しかったアンジェリカは二言返事で了承してしまった。
目に見えた愛は無くとも、無下にされることもなく、自由にさせてくれたので、夫のことは特に嫌うこともなかった。
小さな領地を盛り立てようと、領民達と一緒に奔走し、新たな商会を立ち上げることもできた。
夫は滅多に帰ってこなかったが、気にすることもなく、娘が生まれた時も使用人と領民達に祝って貰い、それだけで幸せだった…
産後の養生のため離れに移ってからは、夫が多少冷たい態度を取るようになったがそれも気にせず、事業と領地経営に明け暮れていた。
かわいいかわいい娘と、信頼できる仲間がいれば、アンジェリカの人生は薔薇色だった…
まさか自分が幼い娘を置いて天に召されるなど、考えもしなかっただろう。
本当に呆気なく、アンジェリカは皆の前から居なくなった。
残された娘のメリッサは、母を慕う使用人達にはじめこそ守られていたが、気が付くと邸の中は知らない使用人ばかりになり、新たにやってきた義理の母娘に目の敵にされて育った。
ドレスやアクセサリーはあっという間に無くなった。
母との思い出の詰まった離れも、前妻の所有物は気に入らないと取り壊され、義母好みの派手なサロンに作り変えられてしまった。
部屋を追い出されたメリッサは使用人部屋に追いやられたが、味方になってくれる者はいなかった。
主人の不興を買いたくない使用人達は、率先してメリッサに冷たく当たり、面倒な仕事を押し付けた。
それでも婚約者がいたため、月に一度は仕方なくドレス姿で送り出されたが、ドレスは常に同じ物で、アクセサリーすら着けさせては貰えなかった。
始めこそ心配していた婚約者も、次第に月に一度の顔合わせも断るようになり、あっさり義妹の手に落ちたことを知った。
何もかもを奪われたメリッサは、婚約者からも捨てられ、ついにはでっち上げの罪で家からも勘当され、辺境の修道院へ送られることになった…
なんとか持ち出せたのは、ずっと隠していた母が生前よく着ていた簡素なドレス一枚だけ。宝石が付いていなかったので、見逃された物だった。
身一つで窓も無い移送用の馬車に乗せられ、昼夜無く揺さぶられ、身体のあちこちが軋むように痛かった。
街に寄ってもメリッサだけ街の簡易牢に入れられてしまい、ひたすら耐えるしか無かった。
一週間程進むと、道がいくらか平らになり、伸び上がって通気穴から外を覗くと、周りには山と森が見えるだけの辺境地が広がっていた。
その時、メリッサの目に信じられない光景が写った…
兵士が通りすがりの荷馬車を止めたかと思うと、荷台にいた女性を強引に引きずり降ろし、こちらへ連れてくるのだった。
そして乱暴に馬車の戸が開き、エプロン姿の女性が乱暴に放り込まれた。
「こんにちは!私リナリア・ボーデン!よろしくね!?」
兵士達の蛮行に身を竦ませていると、放り込まれた女性が、更に信じられない事に、にこやかに自己紹介を始めた。
それは、メリッサの運命を大きく変える出会いだった。
連れてこられた修道院での生活はとても穏やかで、王都での辛かった記憶など簡単に薄れてしまう程だった。
母の事を知る年上のシスター達に可愛がられ、久方振りの人の温もりに胸がいっぱいになった。
ルームメイトになったリナリアは、なんとここら一帯の領地を治めるボーデン辺境伯の娘だという。
おまけに気になることがある!と言って放置されていた裏庭を耕し、畑を作ってしまった。
リナリアが攫われた経緯を調べると、高位貴族の子息達により、罪人となった聖女の身代わりにされていたことが分かり、そこから国王承認の魔導師庁の長きに渡る不正が発覚し、果ては騎士団長、魔導師長に宰相まで関わる大きな陰謀に巻き込まれ、それを解決すべく、次々とリナリアの仲間達が集まってきた。
とんでもない大事件の渦中で、メリッサは生きている中で一番楽しい時間を過ごした。
裏庭で作る豪快で美味しい料理。
人に慣れた魔物達は、外見とは裏腹にとても甘えたがりで可愛かった。
心から信頼し合える友達もできた。
高位貴族達と渡り合うリナリアとすり替わった時は、本当にドキドキした。
魔力の効率の良い練り方や、魔石の安全かつ合理的で難易度の高い磨き方も習得した。
そして、まさかの聖女認定まで…
毎日が目まぐるしく、初めての体験だった。
偽聖女の裁判が終わった次の日。ディール伯爵のタウンハウスには人々が大勢集まっていた。
伯爵が孫娘を養子とし、かつて愛娘が立ち上げた商会を引き継いで、ディール領の新たな事業に加えると宣言したのだ。
十年以上会えなかったという孫娘との対面に、伯爵は号泣していたそうだ。
「お祖父様…ずっとお会いしたかったです!」
「メリッサ…すまない!迎えに来るのが遅くなって…もう…もう二度と辛い目には遭わせないと誓おう!」
久方振りの家族の再会を皆が祝福し、ディール領の更なる発展を祈って乾杯しあった。
その後、ディール伯爵令嬢となったメリッサは、ボーデン家の三男、リナリアの兄、ロビンス・ボーデンと正式に婚約し、二人で世界中を飛び回って新商品の開発に明け暮れた。
二人の結婚式はボーデン領で行われ、それはそれは盛大な式だったという。
新郎新婦が魔鷹の運ぶカゴに乗って上空から現れ、真っ白な花を振り撒いたそうだ。
大勢に祝福され、メリッサは喜びで何度も泣いてしまっていた。
家から独立した二人は、改めて商会を立ち上げた。
商会名はメリッサの母にあやかってアンジェリカ商会と名付けた。
二人の商会はどんどん大きくなり、ついには王家のお抱えに選ばれた。
これはと思う物が出来上がると、必ず真っ先に王太子殿下に贈り、手紙であれこれ感想や要望を貰うのが通例となると、益々有名になっていった。
王都でアンジェリカ商会を知らない者は、もはや居ないだろう。
暖かな日差しの中で針仕事をするメリッサに、夫のロビンスが蜂蜜入りのミルクを持って現れた。
「一休みしないかい?」
「ありがとう。ここだけ縫ったら終わりにするわ」
リナリアと出会ってから2年後。
メリッサは新たな命を宿し、生まれてくる子の為に色々な準備を始めなくてはならなくなった。
明日は大切な親友にして義姉のリナリアに、その報告をする日だ。
彼女は驚くだろうか。喜んでくれたら本当に嬉しい…
メリッサは、それを考えるだけでとても嬉しくなるのだった。




