リナリアとメリッサ(2)
メリッサ・ハウアーはハウアー子爵の長女として生まれたが、8歳になるまで父親のを知らなかった。
王都郊外の小さな領地で、屋敷を切り盛りする母と使用人達だけが家族だと思っていた。たまに訪ねて来る祖父母に会いに来ていた男性が、自分の父親だと知った時は本当に驚いたくらいだ。
母はとても温かい人だった。柔らかな栗色の髪に優しい鳶色の瞳がいつもメリッサを見守っていてくれた。
母そっくりのメリッサも、穏やかで優しい少女となり、屋敷の者達に愛されて育った。
その母がメリッサが12歳の時、流行り病に掛かり呆気なく天に召されてしまった。
母の葬儀から一月後、父がいきなり屋敷に帰って来たと思ったら、知らない女性と女の子を連れて来て、新しい母親と妹だと告げられた。
化粧の濃い吊り目のキツそうな顔の女性と、緩やかな金髪に青い瞳をしたお人形の様な少女。
おずおずと挨拶をしたが、返される事はなく、仲良くはなれそうになかった。
父はそれから毎日屋敷に帰って来るようになったが、メリッサのことはまるで居ないものとして扱った。
継母はメリッサを目の仇にし、毎日の様に罵り、ドレスやアクセサリーを取り上げ、部屋を追い出し、使用人と同じ事をするよう命じた。
いつの間にか仲の良かった使用人達は居なくなり、継母の連れてきた者ばかりになり、誰も庇ってくれる者はなく、メリッサは広い屋敷の中で孤立させられてしまった。
義妹も母親同様、始めからメリッサを嫌っていた。
「私、お姉様に嫌われているの」が口癖で、やってもいない苛めや暴言をでっち上げられ、周囲に言い回るため、メリッサの評判はどんどん落ちて行った。
そしてあの日。
義妹の婚約者が決まったとかで開かれたパーティーで、飲み物を運んでいると、知らない男に悪女と呼ばれ、振り向くといきなり突き飛ばされた。
どうやら義妹の婚約者の様だったが、名前もわからない男に乱暴され、とにかく恐怖が先立った。
割れたグラスが手に刺さり血が流れても、誰も心配などしてくれない。
冷ややかな視線の中、全てが他人事のように過ぎて行った。
長い罵倒を要約すると、義妹に対する嫌がらせと苛めを咎に、勘当されることが決まったようだった。当主の父は目さえ合わせてくれない。気づけば全てが終わっていた。
行き先は辺境の修道院。
入ったら二度と出られないと言われているそうだが、メリッサはそれでもいいと思った。
(どんな地獄だろうと…ここよりマシだわ……)
そうして僅かな身の回りの物と、唯一隠し持っていた母の形見のドレスを纏い、見送る者も無く迎えの馬車に乗ったのだった…
〜〜〜〜〜
「大変だったのね!メリッサ!!」
馬車の同乗者は潤んだ目でメリッサの手を握った。
「しっかしハウアー子爵家でそんなことが起こってたなんて!貴族の噂なんてホント当てにならないわよね。あの土地で特産品を作ってブランド化までしたのは一体誰だと思ってるのかしら!」
「以前は…お母様が領地の事もしてたって聞いたけど…」
「そうよ!何にもない土地からハーブの生産に打ち込んで、一大産業にまで押し上げて、香水に薬にスパイスまで!ハーブで国中を魅了したのは他でもないアンジェリカ夫人じゃない!?」
「!!っお母様の名前!…知ってるの…?!」
「家の母さんの友人だったんだって。そもそもハーブの苗を最初に提供したのが家だったそうよ。仕事でいらした時、何度かお会いしたの。すごく優しい人だった。私より少し年下の娘さんが居るって、あなたの事だったのね」
「私…知らなかった…そんな事…誰も教えてくれなくて…」
「ハウアー領の特産品には必ずブランドマークが付いてるのは知ってるでしょ?!レモンバームと蜜蜂の印。あれはねメリッサ、あなた名前から取ったのですって。レモンバームも蜜蜂も古い言葉で“メリッサ”と言うんですって」
それを聞いたメリッサの目から涙が溢れた。
何年もの間、まともに泣く事すら忘れていたはずだったのに。
「メリッサ…あなたは本当に愛されていたのよ」