売られた喧嘩
「え?!じゃあさっきまでお父様がここに居たの?」
「はい、森の調査をされた帰りにお立寄りになりまして…ですが危険な魔道具もお持ちだったので、お呼びできず申し訳ありません」
水を汲んできたリナリアに、サラダを運んで来たバートが頭を下げた。
今朝の朝食は、バート特製ミネストローネにタオ爺の燻製チーズと炙り肉。マッシュポテトに赤カブとニンジンと豆のサラダ、それから窯焼きパンが3種類。
「いいのよ、今は皆忙しいもの。それより、手紙は置いて行ってくれたんでしょ?後で読ませて!」
「さぁて、話は朝飯を食べながらにしますかい?」
タオ爺が鍋を下ろし、ドロシーが窯からパンを取り出した。
「これはクルミ、こっちはレーズン、手前のがチーズ!熱いから気を付けな!?」
「焼き立てのパンが…こんなに美味しいなんて…」
「いや、食堂のパンも毎朝焼いてんだけど…」
「ここまでサクフワではありませんでした」
「舌の肥え方が急展開!」
「燻製の香りが食欲を引き立てますね!お肉と野菜たっぷりのスープも最高です!」
シルヴィアとメリッサもやって来て、湯気の立つ朝食を堪能していた。
「兄さんの植えた豆がすごい勢いで伸びてるの。
急がないと収穫する前に固くなっちゃうかも」
「カブもだいぶ育ったな!一度全部引っこ抜かないと実が割れちまいそうだ」
「たった一週間でここまでとは…魔素は昔から有害とされてきましたが、使い方次第では多様な効果が見込めそうですね?!」
「しかも美味しいのよ!野菜が甘くて瑞々しくて、おまけに売り物より大きくて実が詰まってるの!」
「魔素様々だな?!」
「兄さんも埋めといたら少しは良くなるかしら?」
「いきなり始まるディスリスペクト…」
その日の昼前頃。
バジルとコーネリアスは無事、王都のアルバトロス邸に到着した。
「あなた、お帰りなさいませ。お待ちしておりましたわ、森林地帯の様子はどうでした?」
「いやぁ、それがもう大変でね!保護区は荒らされてるし、謎の魔道具は仕掛けられてるしで思った以上に被害が出てたな。なるべく人の手を入れまいとしたのが裏目に出た…少し放置し過ぎたようだ」
「…リナリアが密猟について報告してきた件と関係があるのですね?!」
「あぁ…だが、これは密猟なんて生易しいものでは無い!組織的な国家に対する反逆だ」
「あなたがそう言い切る程の根拠があるのね…」
「その物証と大義名分は揃った!後は黒幕を焙り出すだけなんだが…」
その時、アレクサンダから降りたバジルの背中に激痛が走った。
「この大馬鹿者が!!」
「いっったい!!姉上?!いきなり鞭でシバかないで下さい!!何事ですか??」
「何事だと?何事か分かっていないのはお前だろう!!」
振り向くと乗馬用の鞭を手にしたアイビーが、鬼の形相で立っていた。
「お前が!領内の警備と軍事を束ねるからと!アルメリアが領地の経営と外交を担ってくれているのだろう!?王都など足元にも及ばぬ発展と!隣領ばかりか周辺の大国からの信頼まで保っておる細君に!まんまと下衆共の食い物にされおって!申し訳が立たぬと思わんのか!この!ボンクラが!」
「痛い!痛い!姉上!鞭が折れてます!長鞭に交換しないで?!痛い!ヤメテ!ぶたないで!ぎゃぁぁぁぁ!!」
抵抗もできず動かなくなったバジル。
ようやく止まったアイビーの手にもまた血が滲んでいた。
「どうしてくれようかこの自体…多少の恩恵は受けたものと国に尽くして来たが、この始末!頭の悪い貴族ばかりが蛆虫のように湧き出て私欲に権力を振るっておるようだな?!いよいよ潮時やもしれぬ…ソニア!急ぎ子供等と侯爵閣下へ文を!これより我が侯爵家は私の権限により領地を封鎖する!場合に寄っては王侯貴族を相手に起兵も有り得る故、覚悟せよと!」
「理由は如何なさいますか?」
「…国家転覆を狙う不届き者が野放しになっていると伝えなさい。反逆者を放置する国と共に沈む気は無い!袂を分かつ時が来たと」
上気するアルバトロス夫人を横目に、ボーデン伯爵夫人アルメリアが動かない夫に声を掛けた。
「私達は如何なさいます?」
「…もちろん…やり返すつもりだよ…ここまでコケにされたんだもの…売られた喧嘩だ…こちらも全力でお返ししよう…」
顔が腫れて青痣まみれのバジルがふらふら起き上がり、アルメリアの肩を借りてやっと立ち上がる。
「この軟弱者!」
「姉上が異常らんでふよ…義父上の一番のお気に入りらったひゃないでふか」
「だんだん舌が回らなくなってきましたね」
「ふちのらかがはれへひた」
「ひとまず冷やしましょう、お義姉様も少し落ち着いて具体的な対策を話し合いましょう?!」
微笑みを絶やさないアルメリアも、今回ばかりは静かに怒りを湛えていた。
「まずは例の魔道具を調べます。袋をここへ」
庭先に急遽設えた作業台に、袋の中身を出していく。
「なんて愚かな…」
まず出てきた人骨を眺め、アルメリアは珍しく顔をしかめた。
「恐らく、彼らは捨て駒として送られたのでしょう。知ってか知らずか、保護区に入り込み魔素に曝されて朽ちたものと思われます…」
「紋章等が無いのは万が一にも身元が割られないためでしょうね。そしてこの剣の刻印は8年前のもの…あの時の魔獣の暴走は人為的に引き起こされたと考えて間違いないわ!」
「あれはお義父様が退いてすぐの頃でした。あの時から既に始まっていたのですね…」
「そしてこれは…バートの仕業ね?中身は何?」
アイビーが扇の先で押しやるように木箱を指した。
「魔道具れふ…」
「この術式は只事ではありませんね?!下手に開ければ魔力持ちは影響を受けてしまうのでしょう…お義姉様は下がっていて下さい。ソニアさん、例の物を!」
「こちらに」
アルメリアはソニアから銀のケースを受け取ると、中に入っていた大きな封の付いた魔石を取り出した。
「合図と同時に開けて下さい!よろしいですか?せーのっ…今っ!!!」
ソニアがバートの結界付きの箱を開けると同時に、アルメリアが魔石の封を切る。
バチン!と大きな音と共に術式が作動し、吹き出す魔素を魔石が吸収していく。
しかし、魔石は次第にどす黒く曇り、容量がいっぱいになってしまう。
「なんて濃い魔素でしょう…予備を使います!」
急いで追加の魔石の封を切り、残りの魔素も吸収していく。
「はぁ…はぁ…なんとか…全て取り除けましたわね…」
「なんて恐ろしい…あんな物が万が一町中で使われたらどれ程の被害が出ていた事か…」
アルメリアはすっかり黒くなってしまった魔石に再び封を施し、厳重に箱にしまった。
「これは見た事の無い術式です…魔獣除けにやや似ておりますが、魔素をあれだけ溜め込むなんて異常です…父に見せましょう!」
「その前にゆっくりお休みなさいアルメリア。漏れた魔素を受けたのでしょう?顔色が悪いわ」
「ありがとう…ございます…お義姉様…」
「わらひもやふんれいいれふか?」
「勝手になさいっ!」
こうして、その夜の内に郊外のアルバトロス領は静かに門を閉ざし、集まった兵達は王都に残る夫人の合図を待つのであった。




