兄 来たる
「走れ、スレイプニル!風のように!!」
「やぁぁめてくれぇぇぇ!!!!」
猛進する馬車の荷台にへばりつくジェイの叫びと、イキイキと馬を操るタオ爺の厳つい笑顔と、真顔で荷物を押さえるバートが、ボロネーズ修道院への一本橋を渡ってくる。
「ジェイ様、止まりますので、振り飛ばされませんように」
「振り飛ばす気満々の忠告!!?」
橋を渡り切ると、砂利と砂埃を巻き上げ、スレイプニルの蹄が地面を激しく削り、繋がれた馬車は横薙ぎに滑り、荒々しく揺れながら止まった。
「ホッホー!!久々の早駆けだったな!スレイ!」
「ブルルルルッ!!」
その荷台にジェイの姿はなく、近くの生け垣の藪の中にその足が突き刺さっていた。
「…ジェイ様、人が来ますよ!?いつまでそんな所で遊んでいるんです?」
「誰のせい??!!!」
蔦と枯れ草まみれのジェイがゴソゴソ這い出てくるまでに、修道院の扉が開き、院長が顔を出した。
「良くおいで下さいました!リナリア様よりお伺いしております。お初お目に掛かります、当修道院の院長をしておりますベロナと申します。領主様のご子息様でいらっしゃいますね?!」
「いえ、私は侍従のバートと申します。こちらは庭番のタオ。どうぞよろしく」
「…こちらこそ…」
「あ、初めまして!当主代理の次男、ジェイ・ボーデンと申します!妹がお世話になっております!」
土まみれで頭に小枝を突き刺したままジェイが挨拶すると、下げた頭を侍従がバシバシ叩いて埃を払っていく。
「痛い!痛い!!痛い!!!いや、痛いって!!ヤメテ?!」
院長はその光景を気にせず、一行を建物の中へと案内した。
「……ようこそ、ボロネーズ修道院へ…奥でリナリア様がお待ちです…」
中へ入ると、ここでは珍しい外からの男性の登場に、視線がちらちら、話し声がヒソヒソ聞こえてきた。
「すみません、来客など滅多に無いもので…」
「いえ、お気に…」
「お気になさらず、急な訪問をお許し頂けただけでありがたいです」
「なんで被して話してくるの?」
「いえ、火急の事とお聞きしております。裏手の森で異変が起きているらしいとか…」
「そして誰にも気にされない………」
北側の塔を抜け、いつもリナリアが出入りしている厨房横の洗い場から外へ出た。
「兄さーーーーん!!」
そこへ、小ナイフを片手に振り回しながらリナリアが駆けてきた。
「リナ…!」
「お嬢様っ!!ご無事で…本当に良かった!ワシが付いていながら…申し訳ないことをしました…」
「お元気そうで何よりです、リナリア様。お呼び下さりありがとうございます。」
「タオ爺!バートも!来てくれてありがとう!私ひとりじゃどうしようもなくて!」
「リナリア…最初に呼ばれた兄さんもいるよ…」
「兄さん!!金鹿どうなった?!キレイに捌けた?!肉は??」
「…………頼まれた肉は持って来たよ…あと…捌くのも…なんとか…」
「毛皮に穴あけなかった?」
「うん………いや…ちょっとだけ……」
その途端、妹の目から兄への興味が失せた。
「そう………それよりも、ねえ、タオ爺!コレを見て!?今朝、ルーが獲ってきたヘビなんだけど、大きい上にホラ、背中にビッシリ魔石が生えてるの」
「ほぅ…鱗が魔石化してしもうたのでしょう…小粒だが
、この量となるとかなりの魔素に侵されとったはずですじゃ」
「これは異常ですね…目の中まで石化してしまっている…こんなのは見たことがありません。」
「完全に魔獣化しとる…さぞ苦しんだろうに…」
ヘビに手を合わせるタオ爺に習い、リナリアも手の平を合わせ黙祷する。
「それでは、私はこれで…必要な物があればお持ちします」
院長が下がると、リナリアは再び魔獣化したヘビの解体を始めた。
「ねぇタオ爺?魔獣化すると、動物の肉質って上がるの?」
「そうじゃなぁ…昔、魔力持ちの奴に聞いたんじゃが、魔素が体に凝ると体熱を奪われて、夏でも凍えそうになる事があるらしい。体が真冬と同じ状態なら脂が乗る事もあるじゃろう…」
「どの魔獣も、こってり脂肪がついてて、この時期の獲物じゃないみたいだったの。すごく美味しかったわ!」
「ふむ…どの道、魔獣は討伐対象ですからね。魔石が取れて旨味が増すなら一石二鳥じゃないですか?!」
「それにしてもこの森はどうなってるのかしら?こんなに魔獣化って起こるものなの?」
「魔力の無い方には分かりづらいかと思われますが、かなり濃い魔素が広がっているようですね」
「この辺りの森の中には、杭が打ってあるんだって、でもルーも出入りしてるし、どこか壊れてるみたい」
「よし、今から少し見てみるか!」
早速タオ爺が哪吒を腰に下げ、バートは背中のバンドから手斧を取り外し、森に向かう。リナリアが口笛を吹くと、茂みからルーが走り出てきた。
「ルー!森を案内して!?」
「ワウワウッ!ワフッ!」
修道院の周辺は、随分前から人が入っていた跡が残されていて、下草が少なく歩きやすくなっていた。
木もまばらで、以前は管理されていたというのは本当なのだろう。
しかし、50mも歩くとルナリアの背丈程の大きな太い杭がズラリと並んでいて、その先は薄暗く、鬱蒼としていた。
杭には、古い鳴子がいくつも結び付けられていて、縄が張り巡らされていた。これが大型動物の侵入を防いでいたのが分かる。
「ふ〜む…こりゃ確か、前領主様のお得意の方法じゃったな…こうして人と動物の領域を分けて、森を共有しとるんじゃ」
「この先までずっと続いてるのかしら?」
「恐らく、修道院の壁沿いに測量したんじゃろう。森に面した建物に沿って、ぐるり囲っとるはずじゃ」
「それなら、一番近い端っこはあっちよ!ゴミ捨て場があって、その先が壁だったから」
リナリアの言う通り、杭に沿って北に少し歩くと、すぐ建物の壁に突き当たった。
「ここが端のようですね」
壁に登って向こうを覗くと、明るい林が広がっているが、修道院の立地を考えると林の先は恐らく崖だろう。奥に見張り台の名残の様な建物が見える。元は兵士などが修練を積む場所だったらしく、あちこちに的の跡や、剣で付けられた傷が残っていた。
壁の先に厨房の裏とゴミ捨て場が見える。
「あのゴミ捨て場で、色んな苗を拾って育ててるの!後で見せるわね?!」
「あぁ…例の…って、ゴミから育ててんのかよ……」
「すっごい良く育つし!土もすっごい良いの!!!」
そこからまた森の中へ戻って行き、今度は南端を目指し、杭に沿って歩いた。
途中、鳴子が取れたり、縄が千切れた箇所を直しながら進む。
すると半分くらい歩いた所に、杭が何本も折れて倒れ
ている所があった。
「何かが通った跡かしら?」
「いんや…ご覧なせぇ、こりゃぁ斧か何かで叩き折った跡ですわな」
「こちら側から杭をへし折ったのでしょう。直ぐにでも森に入る必要があったか…あるいは…密猟か…」
「何にせよ直さないとだし、他にもやられてないか早いとこ見ていこう」
結局、杭が折られた場所はそこだけで、後は縄を巻き直したり、鳴子を吊るすだけで済んだ。
南端は、森を抜けて橋桁の手前まで続き、不格好な木戸のような物で終わっていた。本来はこれが森の奥への入口だったのだろう。
それを知らない何者かが杭を壊したのか、あるいは、森に入るのを見られては困る者の仕業だろうか。
折られた杭は引き抜いて、空間に太い綱を張り、人が通れる程度の隙間を残す。こうしておけば今後の調査にも使えるし、ルーが獲物を引きずって通ることも出来るだろう。
「しかし、何者でしょうね?!シスターの仕業とは考え難いですし、一体どこから来たのか…」
「しかもそう昔の傷じゃない…少なくとも数年の内に付けられたものじゃろう。何者かがこの修道院の敷地に入り、森の境を破壊してここの人々を危険に晒した!この罪は重いぞ……」
「院長に確認してみましょう。この何年かの間に、何か変わった事や、怪しい者が訪れなかったかと」
それからルーは早速新しい出入り口から森の探索へ出ていった。
一行はルーと分かれると、北の塔の裏手に戻り、今度はリナリアの畑にやってきた。
「見て!この畑!!この土の素晴らしさ!!起こして3日目とは思えないわ!」
「ほう!畝もしっかり立ててありますなぁ!何よりこの黒々と栄養の行き届いた土!見事ですお嬢様!」
「領地のコンポストもここまで良質のものは難しいですよ!?何か特別な条件があるんですかね?」
「なぁなぁ、畑もいいけど、この小屋の中で干してる皮、全部ここで捕れたの?」
ジェイが、小屋の中で陰干し中の板に張り付けた毛皮を見つけてきた。
「そう、みんなルーが捕まえてきたの。全て魔石入りだったわ…」
「お嬢様、解体の腕も上がりましたな!」
「内側の処理も見事です!丁寧な仕事ですね!何処かの誰かと違って…………」
「突き刺さる一言!!」
「鞣し剤になる物が無くて、生革を乾かしたままなのよ」
「良ければ回収させましょう、これくらいの量ならコーネリアスに運ばせられるでしょうから」
「頼りになるわね!流石我が領地自慢の伝書鳥だわ!」
「ええ、頼れる奴ですよ?!誰かさんと違って………」
「最早遠慮も無い!!!」
「コイツぁ、金鹿の背中のど真ん中に穴あけましてね」
「…信じらんない……」
「いや、もう…ホントに……その説は申し訳ないことをしました………」
4人が話をしていると、洗い場から誰かが走り出してきた。
「リナリアァァァッ!!助けてぇぇ!!」




