院長の懺悔
ボロネーズ修道院の執務室には、いつになく緊張感が漂い、重い空気で満ちていた。
(まさか…本当にこんな事が……)
院長のベロナは机に並べられた資料を、ひとつひとつ念入りに読んでいた。しかし、読めば読むほど自分の求めている答えから遠ざかっていく。
裁判所と王家の印が入った裁判の記録。
貴族学校から送られた生徒情報。
そしてこの修道院に入所が決定し、その手続きが終わったとされる書類。
そして何より、そこに添えられた本人の写真。
ルナリア・ローレン(元)伯爵令嬢 17歳。
王太子殿下とその側近らを誑かし、高価な品を貢がせ、その婚約を不当に破棄させた事による王侯貴族への反逆罪。また多くの暴言、虚言、脅迫により風紀を乱した罪により、貴族籍の剥奪、王都からの追放が決定している。
ふんわりとしたドレスを身に纏い、背中まである淡い栗毛をカールさせ、ややタレ目がちな大きなアンバーの瞳と長いまつ毛。さくらんぼ色の唇に細く白い指を添えていると、確かに庇護欲をそそられるだろう。
写真を眺めながら、一昨日の昼頃、兵士によりここへ連れて来られた令嬢を思い出す。
焦げ茶色の髪をひとまとめに結い上げ、薄い唇を引き結び、気の強そうな細い鳶色の目と、日に焼けた手足。そして飾り気の無いワンピースに、薄汚れたエプロンを掛けた田舎娘の様な出で立ち…
(似ても似つかないわね…一体誰が間違えるというの?!)
元より、普段から先入観を捨てるため、ここへ送られてくる者達については、本人との対面まではあまり資料を読まない事が多い。
メリッサの様な、他の貴族から保護を求められた特殊な場合なら、不備なく本人が安心して滞在して貰えるよう環境を整えるため、隅々まで読み込むのだが、罪人として送られて来る令嬢達には、ひとりひとりと向き合い、対応を変えていくようにしていた。
しかし、今回は裁判所と王族からの書面があり、目を通さずにはいかず、情報が返って中途半端になり、それが仇となってしまった。
(王都直属の兵が!直接ここまで連れて来たのよ?!疑う余地が無いでしょうに!!)
院長は、机の上に紙の束を乱暴に叩きつけた。
(よりによってあの方の一族だなんて……どうして気が付かなかったの?)
院長が見上げた壁には一枚の写真が飾られていた。
そこには、この修道院の創立者にして初代院長のグロリオーサ・ボーデンが写っている。
セピア色に焼けた写真の彼女は、確かにリナリアとよく似ている。目元など本当にそっくりだ。
(あぁ…申し訳ありません…グロリオーサ様……私はとんでもない過ちを犯しました……)
王都の裁判所とローレン伯爵への報告書、それから王都の兵士をまとめる騎士隊へ抗議文を書き上げると、ベロナ院長はその場でひとり静かに懺悔した。
(あの子をすぐにでも開放して、ボーデン伯爵へ謝罪と…罰の受けるのは私一人で済ませて頂けるよう、なんとかお願いしなければ……)
貴族の娘を幽閉し、酷い仕打ちをしたのだ。
最悪でも、この首ひとつで収まれば御の字と言うもの。
(ここを守るのが私の使命…ならこの命も惜しくはないわ…ましてや私自身の過ちですもの…)
院長は静かに立ち上がると、窓の外を眺めた。
(まずは明日、あの子に精一杯謝罪しましょう…)
夜空に登った細い三日月に雲が掛かり、院長の気持ちは更に没んでいくのであった。
〜〜〜
院長が窓辺で己の罪と向き合っている頃。
「曇ってきたな?!振らなきゃいいが、田舎の天気は本当にアテにならん!」
「まぁ、明日には王都に着くんだ、一晩くらい持つだろう?」
王都と辺境を繋ぐ一本道を、簡素な馬車が走っていた。
リナリアとメリッサが乗せられてきた、王都の裁判所から出された護送車である。
修道院に向かう罪人に同行していた兵士が二人。王都に戻るため、道を急いでいるのであった。
「しかし、あの途中で捕らえた女、本当に留置所から逃げたご令嬢なのかね?」
「…おい、今更何を言い出すんだ?!」
「いやぁ、前に見た時と雰囲気も違うし、顔も…あんなだったかなぁって、ふと思ってな?!」
「罪人の顔は俺が把握している!間違いない!変装していたが、あれが逃げた女だった!」
「まぁ、直接確認したお前が言うんなら間違いないだろうし、まさか人違いなんて事になったら、それこそ俺達が掴まっちまう!悪かったよ、変な事聞いて」
「ならいいさ。その事は他所で言うなよ?罪人に逃げられたなんて、裁判所の恥だからな?!」
「あぁ、言わないよ!俺の評価まで下がっちまいそうだしな?!」
(そうだ、罪人はあの女と言う事で、全て丸く収まる。ひとまずブライアン様にご報告と…後始末をどうするか相談せねば……)
進む馬車の中で、密かに不穏な闇が動き出すのであった。




