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院長とリナリア



コーネリアスに二度目の手紙を託したその日の夜。

リナリアはドロシーと夕食の支度をしてから、大鍋に湯を貰い、ついにイノシシ皮を剥がしにかかった。


イノシシは皮と肉の間に厚い脂の層があるため、触れる程度の湯をかけながらゆっくり丁寧に皮を削いでいく必要がある。

硬質化した皮は肉まで食い込んで、臓器まで達している部分もあった。正常だったらどれ程の痛みだったろうか。


「魔獣化ってホントに酷いわね…」


皮を剥がし終えると、肉を枝肉と塊に切り分け、味見にリブの辺りを焼いてみる。

脂が滴り、焦げ目がついたら塩を振って食べてみると、味はイノシシだが肉質が以外にも柔らかく、脂が甘くて美味しい。


「この時期だとまだ脂も乗り切らないはずなのに、魔獣化すると美味しくなるの?不思議ね!?」


肉は全て塩を揉み込み、布で包んで良く洗って乾かした木の板に並べて、小屋の日影側に置いておく。

こうしておけば2〜3日は保つだろう。

痛む前に早く他の加工もしたいが、時間が取れるだろうか。


作業が終わる頃にはすっかり夜になり、焚き火と月明かりだけがリナリアを照らしていた。


「今日はよく働いたわね!畑に、獲物の解体に、手紙も出したし、何より友達もできた!さぁて、部屋に戻って休みましょ!」


リナリアが洗い場の裏口から中に入り、厨房を抜けようとすると、ドロシーがバタバタ走ってきた。


「リナリア!!良かった!院長が夕刻の点呼に必ず出ろってさ!新人はアタシがこき使ってるって吹き込んどいたからすぐ来て!?」


ドロシーはリナリアの返事も待たず、手を引いて講堂に向かった。


講堂では10数人程のシスター服の女性たちが集まり、ドロシーが中に入ると一斉に視線が集まった。


「ほら、連れてきましたよ!?」


ドロシーがリナリアを前に促すと、貶すような蔑むような視線が、リナリアに突き刺さる。


「これはこれは、お久しぶりですね?ルナリアさん?!点呼に現れないので心配しておりましたよ?」


「お久しぶりです院長先生、相変わらず名前を覚えて頂けないので残念です」


隣でドロシーが“止めとけ”と目で訴えるが、リナリアは院長に正面から向かって行った。


「私の名前はリナリアです。大切な名前ですので正しく覚えて頂きたいですわ?!」


院長が目を細めてリナリアを睨みつけた。


「貴族院の家系名簿が間違っているとでも?貴族学校のサインにもあなたの名前がしっかり書いてありますよ?!」


「残念ながら、私は貴族学校に通った事はありません。魔力も無いし、元より王都の学校では辺境での生活に必要な知識は養えませんので。」


「貴方の愚行は学校の大勢が目撃しているのですよ!?」


「いいえ、入学の有無を問われた際、父から辞退の書類が送られたはずです。当然、貴族学校に行った事も、ましてやそこでサインをした事などあるはずもありません!私は修道院に入れられる様な事は何ひとつしておりませんもの!ここに連れて来られたのも人違いです!」


「嘘を吐くのもいい加減になさい!」


「いいえ、嘘は一言も申しておりません!私はリナリア!バジル・ヴァン・ボーデン辺境伯爵の娘!リナリア・ボーデンでございます!!」


リナリアは叫ぶように言い切ると、院長に向かって青いリボンを差し出した。

コーネリアスが伝書の際に持って来るリナリア用の目印には、端にボーデン伯爵家の麦に鷹の羽をあしらった焼印が押されている。


「そんな…そんな事があるはずは……」


狼狽える院長にリナリアが畳み掛ける。


「兄と父にも連絡は取っております。私が突然居なくなって、今頃どんなに心配されている事でしょうね?!」


「それこそ嘘です!手紙は定期便でしか送れませんよ?!」


「我が家の伝書鳥はとても優秀ですの。私の居所など直ぐに見つけてくれましたわ!明日も必ず来てくれる事でしょう。良ければご覧になりますか?」


「…そこまで言うなら、この修道院の創立者がどなたかご存知のはずよね?貴族学校では当時の皇后陛下と教えておりますが、真の創立者の名前は別にあるのですよ?あなたに答えられますか?」


「……この修道院は、当時他国から嫁がれたばかりで後ろ盾の薄かった皇后陛下の功績になるよう差し出されたものです。当然、箝口令も敷かれたそうですわ。創立者の名はグロリオーサ・フィカス・ボーデン!私のひいひいお祖母様に当たる方です。グロリオーサは古い貴族の習慣で、成人後に与えられた名前。幼名はリナリア・ボーデン!私の名前の由来です!!」


真っ青になった院長を他所に、リナリアはくるりと向きを変え、他のメンバーを見渡した。


「皆様、初めまして!もうしばらくここでお世話になりますね!?よろしくお願いします!」


にっこり笑って深々と礼を取ると、踵を返して廊下に出ていく。と、後ろからドロシーが慌ててついてきた。


「あ、あなた…ここに来たのは訳ありって、そういう事?!!」


「そうなのよ!今、王都で何が起きてるのか調べてもらってる所なの!」


「どうやって来たの…?」


「王都の兵士に荷車から引き摺り降ろされて、ここに向かう馬車に詰め込まれて来たのよ?!」


「普通はもっと泣き叫んだり怯えたりしない?」


「お供も一緒だったし、もっと重大な事件があった後だったから…」


「…貴族の娘が攫われるより重大な事件って…??」


「兄が金鹿を捕まえたのよ!」


「きん……じか……??」


「ドロシーなら食べた事あるんじゃない?」


「あ…うん……いやぁ…あるけど…誘拐より重大かなぁ…?」


「すっごく美味しいよね!?」


「まぁ…美味しいけど………なんて言うか、あたしその…金鹿絡みって言うか…それが原因でここに来たもんで…ちょっと苦手……かな…?」


「悪い事きいちゃった?」


「うーん…正直に話すとさ、高位貴族家のお坊ちゃんに金鹿って嘘付いて赤鹿の肉食べさせて、赤っ恥かかせてやろうとした事があってさ…それが元でそのお坊ちゃんが王族の前で大恥かいたって騒ぎになってね…そのせいで…。まぁ騙した私が悪いんだし、納得はいかないものの、大人しく受け入れてここに来たのよ…ちゃんと大人してるし」


「そっか………~でも、そのおかげで私達ここで友達になれたのよ!?過去はどうあれ、悪い事ばっかりじゃないでしょう?」


「ねぇ…リナリアは…誤解が解けたら、すぐここを出ていくの……?」


「ううん!?少し調べたい事があるからできるだけ居させてもらうわ!」


「それって例の貴族の事?」


「全然?!これはもっと深刻な領地の問題よ!」


「リナリアの“深刻”って、わかんないよ!」


「色々わかったら説明するね!それじゃお休みなさい!」


そう言ってリナリアはドロシーと別れ、メリッサの待つ部屋へと戻って行った。





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