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孤高の太刀

 その男は、いつも集会所の一番奥まった椅子に腰掛けていた。

 青毛熊かと見紛うほどの巨軀である。全身を覆う蒼角竜の鎧が男の剛毅をいや増していた。

 蒼角竜の鎧は、その堅殻を隙間なく継ぎ合わせてあって、左右の篭手と脛当てにそれぞれひとつずつ、胴にはめ込まれた三つを合わせて、七つの宝玉が鈍い光を放っている。宝玉を体内に宿すほどに老成した蒼角竜を七頭倒さねば、その鎧を造ることができぬのだから、男が手練れの狩人であることは誰の目にも明らかだった。

 蒼い双角をあしらった兜の下には、厳つい漆黒の面を着けており、男の表情を読み解く術はない。

 大木の根を切り取って平らに削っただけの椅子、どっかと座った男は、腕組みをしたまま微塵も動く気配がない。

 癖の強い狩人ばかりのいる集会所とは言え、男に声をかけるのには、皆、躊躇する。かく言う私も、数日の間、遠巻きに見ていることしかできなかった。

 とはいえ、

 本人に問わずとも、狩人などという連中は口の軽い奴らばかりである。無論、私も含めての話しだ。酒の一杯も振る舞えば、男に関する噂はいくらでも聞くことができた。

 見た目にそぐわず、男は気さくなたちなのだそうだ。

 そうめったに声をかける者はいないが、誘われれば誰とでも狩りに行くという。

 そりゃあそうか、

 狩りの相棒を探しているのでなければ、集会所に来るわけがない。

 当たり前のことに気づかなかった私は、少し恥ずかしくなった。

「けどよ」

 と、私が二杯目を奢った双剣使いが言う。

「アイツと狩りに行くんなら、ちょっとばかり考えてからのほうがいいぜ」

「どうしてです?」

 いやなに、たいしたことじゃねえけどよ、と口の端を濁しながら双剣使いが続ける。

「二度目がねえんだよ」

「二度目、とは?」

 私の問いに、彼は杯の底に残った酒を飲み干してから答えた。

「アイツと狩りに行ったことのあるヤツは何人かはいる。けどな。狩りから帰ってきた後で、もう一度行こうってヤツァ、一人もいねえのよ」



「あとの話しは別のヤツに聞けよ」

 双剣使いは言った。

「オレはアイツと狩りしたことねえから」

 まあ、道理ではある。

 それから、集会所で聞き込みをしてみたが、埒はあかなかった。

「アイツと仕事したことのあるヤツは、もうここには来ねえよ」

 短筒の手入れをしている男が言うので、声を潜めて「死んだのですか?」と尋ねて見た。

「死んだのもいるけどよぉ」

 気をつかったのが馬鹿らしいほどの大声で、男が笑う。

「ま、良い目みたヤツもいないわけじゃないらしいから、死神ってほどじゃないだろ」

「良い目?」

「延髄採ったとか言ってたヤツがいた」

「延髄と言うと、火竜の延髄ですか?」

「おうよ、他の延髄じゃあ、さすがに自慢にゃならねえだろ」

「あの男と狩りに行ったことのある人を知りませんか? 」

 ダメモトで尋ねてみると返事があった。

「延髄採ったヤツじゃねえけど、いま雑貨屋にいるヤツが確かそうだ」

「狩人をやめて雑貨屋になったんですか?」

「いんや」男は短筒の撃鉄を戻しながら首を振った「狩人やめたのはあってる。雑貨屋やってんのはそいつのオフクロだ」

 礼を言って立ち去ろうとすると、背中に男の声が響いた。

「だって、狩りなんて、そもそもがそんなもんだろ」

 そうですね、と振り向いた私も笑顔で答えた。



 行ってみると、雑貨屋の倅はまだ床を出られないという。こちらも言わば物見遊山の輩である。雑貨屋の店主である母親の嫌そうな顔を無視してまで、無理強いするほどのことでもなかった。

 雑貨屋の周りの村人にも話しかけてみたが、土地の者でもない狩人など、胡散臭げな顔をされて追い返されるのがオチだ。

 けっきょく、また集会所に戻ってきた。

 あまり、こそこそ嗅ぎ回ったところでどうなるわけでもなかろう。

 私は意を決して男に話しかけてみることにした。

「鋼鱗竜を一緒に狩りませんか?」

 鋼鱗竜か、と即座に返答があったのには、逆に驚いた。

「鋼鱗竜…、鋼鱗竜もいいな」

 言いながら立ち上がった男の背に一振りの太刀を見た。

――何故、いままで気づかなかったのだろう。

 背に斜め差しの太刀は男の巨軀よりも大きく、呆れるほど長い。こんな蒼角竜の太刀を見たのは初めてだった。

 鋼鱗竜もいい、と呟きながら、扉の外に向かって歩き出した男を、私は慌てて追いかけた。



 男の足は速い。

 あれほど重装な鎧を着込んでの、この足取りは脅威である。

 男に追いすがるだけで私の息は上がってしまう。

 正直、こんなにすぐに狩りに出ることになるとは思ってもいなかった。さりとて、この機会を逃すのはやはり惜しい気がした。

 白状すると、私の狩りの実力からすれば、鋼鱗竜は大物過ぎる。近隣にいる竜で目立つやつだから言ってみた、というだけである。

 私の得物は弓だから、遠巻きに射かけて状況が悪くなったら逃げよう、などと算盤をはじいていた。

 卑怯、であると思う。

 それでも、男の狩りの様を見てみたいという気持ちだけは本当で、その思いだけで必死に後を追った。

 気づくと私の横に二人の狩人が併走していた。

 大剣と片手剣の二人だ。

 集会所で見かけた顔のような気がする。

 おそらく、男の評判を聞いて、おこぼれにでもあずかろうというのだろう。

 他人のことをあれこれ言える立場ではないが、少しだけ腹が立ったのも事実である。



 竜の咆哮が辺りにこだました。

 一瞬、隣を走る狩人たちの足が止まったが、私はかまわず突き進んだ。



 でかい。

 他に言いようもない。

 鋼鱗竜の姿が見えたときには足がすくんだ。

 知り合いに見られたなら「弓の間合いだから」と足の止まった言い訳をしたかもしれない。

 先頭を行く蒼角竜の男は、走りながら背負った太刀を抜き放ち、飛び跳ねると何の躊躇もなく動く大山に切りつけた。

 一瞬、

 何が起こったのかわからなかった。

 突然湧き起こった凄まじい風圧にこらえきれず、私は尻もちをついた。非力な私はそれだけでは止まらず、なおも吹きすさぶ強風に受け身も取れぬまま、したたかに背中を地面に打ちつけられた。

 あまりの痛みに息が止まったままのたうっていると、二迅、三迅の突風が私を襲う。

――鋼鱗竜はこんな攻撃はしてこないハズなのに

 なかば朦朧とした頭にそんな考えが浮かんだ。

 歯を食いしばって竜のほうに視線を向けると、

 鈍色に輝きを放つ長蛇の太刀が虚空を切り裂いていた。

 その太刀は一閃する度に鋼鱗竜の竜鱗をえぐる。が、あまりに強すぎる太刀筋が勢いを持て余して風を裂き、周囲に竜巻を撒き散らす。

 ああ、これか。

 男の振るう太刀の風圧に翻弄されつつ、蒼角竜の男の謎が解けた反動であろうか、私の口許から無意識に忍び笑いが漏れた。

 これでは矢など射てみたところで、剣風に煽られて竜に届くはずもない。

 他の武具であっても似たようなものだろう。

 一度狩りに同伴した者は、二度は声をかけない。

 雑貨屋の倅が床に伏せっているのも竜のせいではなかったのだ。

 ようやく風の届かぬ場所まで退いた私は、男が太刀を振り続ける様を呆けたように眺めるより術がなかった。



「まあ、鋼鱗竜も悪くはない。悪くはないが、もう少し、なんだ、歯ごたえがあったほうがいいな…」

 倒れた竜の前で、男は独り、呟いていた。

 私はというと、鋼鱗竜の死骸の喉元に光る赤い鱗を見つめている。

 ほとんど、というか、男が全部一人で狩ったのである。

 その鱗を剥ぐ権利が私に無いことは明白に思えた。

 それは男以外の他の者についても同じはずで…

――そう言えば、あの二人は?

 ここでやっと、私は他の狩人たちのことに思い至った。すっかり忘れていたのである。

 死闘(と言っても闘っていたのはあの男だけだが)の最中、大剣も片手剣も剣影のひとつすら見かけなかったから、あるいは私が尻もちをついた壱の太刀の暴風で二人とも吹き飛んだのかもしれなかった。

 これは、あの二人がいなくなったから言うわけだが、たとえば彼らがその逆鱗をこっそり持ち帰ったのなら、私も別の意味で落ち着けたかもしれない。

 だが、鋼鱗竜の逆鱗である。

 いちおう狩人の端くれである私は、その赤い鱗から目を逸らすことができなかった。

「あ? おお、すまんな」

 何かを勘違いしたらしい男が、その巨軀を竜の前から動かし、私の前に道を開けた。採取すれば? と言わんばかりだ。

「え、…でも、あなたのですよ」

 かろうじて、遠慮する程度の矜恃は私にだってある。

「い、いや、その…」

 不思議なことだが、男は何か狼狽えているようにも見えた。

「俺は、その…、いっぱい持ってるから」



 押し問答をしても始まらない。私は男の好意を受け逆鱗を持ち帰った。本当に、男は逆鱗には興味なさそうだった。当然と言えば当然なのかもしれない。

 かくして、蒼角竜の男の謎の半分は解けたわけだったが、そうなると私は残り半分の謎がかえって気になってしまい、また集会所へと足を運ぶことになってしまった。

 男はいつもの奥まった椅子に腰かけている。

 もちろん、私ももう男に声をかけたりはしない。

 黙って様子をうかがっていると、入り口のほうで大声で叫ぶ者がいる。

「探したぞ」

 声のほうに顔を向けるより早く、男が椅子から立ち上がり入り口に駆け寄った。

 声の主と男は互いの右腕を差し出してがっしりと掴むと、大声で笑いだした。

「金狼龍だ」入ってきたばかりの男が言う「やっと見つけた」

 兜で覆うこともなく、きれいに禿げ上がった頭が灯火に燦燦と照る、私はこの男を知っている。

 名の知れた長筒使いだった。()()()()の異名を持ち、ある意味その辺りを跋扈する竜よりも、はるかに狩人たちに恐れられている男だった。

「金狼龍」蒼角竜の男が唸った「ついに金狼龍か」

「そうだ」

「そうか」

「行こう」

「行こう」



 高らかな笑い声を残して二人が消えた後、しばし私はその場に立ち尽くしていた。

 二人の狩猟を見たいという気持ちはある。

 だが鋼鱗竜ですら手に余る私に、金狼龍など、まるでおとぎ話のような世界だ。

 そう、私には手の届かない、冒険者たちの世界。

 私は懐の鋼鱗竜の逆鱗を握りしめる。いまは此れのみ。



――けれど、いつか、きっと



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