第二十五章「水晶の龍」(3)
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『あー、聞こえるか、メックリンガーだが』
『えっと誰でしたっけ』
『……』
『じょ、冗談ですよ』
ゾフィア・テレサ姉妹が、ジェルディク産の果物とヨーグルトで作ってくれたスムージーを飲みながら中庭のロッキングチェアでくつろいでいると、メックリンガー先生からの通信が入った。
クッキーの話を聞いて、ゾフィアだけならちょっと不安だったけど、しっかり者のテレサ監修なら安心だ。
『おまえ……歴史と権威ある魔法学院のグラウンドを穴だらけにして、よくそんな冗談を言ってられるな……』
メックリンガー先生が疲れ果てた声で言った。
『……私はお前のせいで髪が薄くなったぞ』
『やだなぁ、先生、元から薄いじゃないですか』
『薄くないわ!!! 私の名前も知らなかったクセに適当なこと言うな!』
先生のツッコミで頭がキンキンした。
『わはは、で、何か御用ですか? ジュボボボボボ』
『……お前、ストローで何か飲み尽くしながら先生と話してるだろ?』
『そういう細かいことを気にしてるからハゲるんですよ。ヘットルンジャー先生』
『まだハゲてないし!! 減ってないし!!』
「殿、どうだろうか……その、スムージーの味の方は……」
もじもじした顔でこちらを見るゾフィアに親指をぐっ、と突き出して微笑むと、テレサと二人で抱き合って喜んでいる。
かわいいなぁ、この姉妹。
『で、何か御用ですか? 僕はクビですか』
『退学をクビって言うな。危うくクビになりそうだったのは先生のほうだ』
『ってことは、クビにならなかったんだ、よかったですね』
『貴様……他人事みたいに……。まぁいい。お前の相手をマトモにやっていたら、本当にハゲてしまいそうだ』
先生はそう言ってから、ようやく要件を切り出した。
『結論から言うと、お前の今学期の魔法科の単位は無事修了だ。退学の心配はなくなった』
『そうですか』
『なんだ、そのうっすい反応は』
『先生からうすいとか言われると、ちょっと……』
『いいか、おっさんの薄毛をいじるな。お前も私の年になったらわかる』
『なんかすいませんでした。実感がこもってますね』
そうか、おっさんはハゲにナイーブなのか。
ガンツさんとかめっちゃハゲだけどいつも明るいから気にしたこともなかった。
僕は性格的にハゲなそうだし。遺伝的には……どうなんだろう。
『退学じゃなくなるの、嬉しくないのか?』
『そういうわけじゃないんですけど、帝国元帥閣下に気に入られちゃったし、このまま娘さんの入婿になってジェルディク帝国でのんびり暮らす人生も悪くないかなぁって、あっはっは』
『その年でゲスいこと考えてるんじゃないよ! ちゃんと学生らしく学業を積めよ!』
『それで、僕はもう魔法学院の特別講習は受けなくていいんですか?』
『ああ。お前が派手にやらかした後、向こうの事務員さんが即日修了証を発行して、必死な形相で士官学校まで届けにいらした』
『校則に書いてませんでしたもん。『隕石群召喚魔法を撃ってはいけません』って』
『あ、それ校則になったぞ。ちなみに、当士官学校もだ』
『ええ……故意じゃないのに出ちゃったらどうするんですか……』
『そんな奴はお前だけだ!! 魔法学院の先生に皮肉交じりに言われたぞ。『先生の授業をどう学んだら、火球魔法の詠唱で隕石群召喚魔法が出るんですか』って』
『なんて答えたんですか?』
『私が聞きたいですって』
『わはは』
『わははじゃない! いいか、お前は今後、魔法学院と士官学校での攻撃魔法の使用は禁止だ』
『えぇー』
魔法を学べって言われて講習を受けたのに、今後の攻撃魔法の使用禁止ってひどくない?
『えぇーじゃない! 当たり前だろう?! ファイアーボールを撃って隕石を落とすような危険な奴に魔法を使わせられるわけがないだろう!』
『まぁ、魔法学院はもう出禁だろうし、仕方がないとして……』
『いや、その話なんだがな……。逆だ。魔法学院から特別講習修了の条件を出された』
『条件?』
『月に1回は、魔法学院にも登校し、特別授業を受けること』
『うわ……めんどくさ』
『あのな……大魔導師として名高い学長先生かジルヴィア先生の個人授業を受けられるんだぞ? これがどれほど光栄なことか……』
『ジルヴィア先生と個人授業って、もうなんか、イケない何が起こってもおかしくない雰囲気が……』
『お前までルクスみたいなこと言うなよ……』
『僕はルッ君と違って、本当にそういうことが起こるんですってば! アウローラがすぐいらんことするから……』
『……今、何かとんでもない名前が友だちみたいに出てきた気がするが、先生の毛根のために聞こえなかったことにするからな』
『ほらアウローラですよ。混沌と破壊の……』
『あーあーあー、聞こえない、何も聞こえないー!!』
『世界の秩序より己の毛髪を取ったか……』
『うるさい! 秩序をぶっ壊すのはだいたいお前なんだから、お前がなんとかしろ』
『無理ですって、アウローラですよ?』
『聞こえん聞こえん!! とにかく、特別授業には必ず参加するように! これは、お前がうっかり隕石群召喚魔法をそのへんでぶっ放さないようにするためのものだから、義務だ。怠ったら退学だ』
『やっぱりジェルディクでのんびり入婿生活を……』
『いやほんと頼む。お前が退学しても、隕石をぶっ放しても、私の教師生活は終わりなんだ。私の残りわずかの毛髪にかけて、きちんと授業を受けて、士官学校を真っ当に卒業してくれ……』
「ふぅ……」
懇願するメックリンガー先生との通信を終えて、僕は一息ついた。
とりあえず、なんとか学期末を終えることはできたらしい。
「お、エレイン」
「ん」
隣のロッキングチェアに座ったエレインに挨拶をすると、スムージーをストローで飲みながら、エレインが返事をした。
「ゾフィアにもらった。おいしい」
「よかったね」
「うん」
エレインがにこにこしながらスムージーを飲んでいる。
「試合、すごかった」
「ゾフィアのパパ、やばいでしょ」
「やばい。強すぎ、身体、大丈夫?」
「それがね、逆にいい感じなんだ。あの発勁とかいう技で、『気脈の乱れ』とかいうのを良くしてくれたんだって。よくわからないけど」
「私、それ、なんかわかる。あなたの気と、別の誰かの気、今、調和取れてる」
なるほど。
別の誰かの気というのがアウローラなのは間違いないだろう。
……もしかして、僕が火球魔法を撃ったら隕石群召喚魔法が出たのは、そういうのも原因だったんだろうか。
それで元帥閣下は病み上がりの僕に稽古をつけてくれたのか……、相変わらず、むちゃくちゃだし超おっかないけど、あったけぇ人なんだなぁ。
(にしても、エレインは今の僕からアウローラの存在を感じ取れるのか。すごいな)
「でも、別の誰か、あなたとよく似てる。相性いい」
「あはは、あんまり嬉しくないけど、ありがとう」
あんまり嬉しくないという言葉はよくわからなかったのか、ありがとう、っていう言葉にだけにっこりと反応して、エレインがちゅーちゅーストローを吸った。
言うまでもないけど、めちゃくそかわいい。
「おはよ、ベル、エレイン」
「おー、メル、おはよ」
「おはよ、メル」
眼鏡をかけた小リスのようにスムージーを飲みながら、メルがやってきて、僕の右隣のロッキングチェアに座った。
「身体は大丈夫?」
「うん、むしろ快調みたい」
僕はさっきエレインと話した内容を聞かせた。
「昨日の試合、良かったわよ。とてもキレイだった」
「ホントに?」
「ほんと」
メルはまだちょっと眠そうだ。
いつもキリッとした雰囲気のメルが、ぼへーっとしながらスムージーを飲んでいる姿はなかなか新鮮だ。
結婚して一緒に暮らしたりしたら、こんなメルの素顔を毎日見られるのだろうか、と少し妄想してしまった。
「魔法が枯渇して、あんまり力が入らなかったのが逆に良かったのかな」
「うん、それもあると思う。あとは、迷いがなかった」
「迷い……」
ああ、元帥閣下の目を見たら、何をすればいいかわかるからかな。
「ベルって、長所と短所が同じぐらいすごいのよ。とっさの判断力はすごいけど、それって、普段からものすごく考えるからでしょ」
「うん」
「それってすごいことだと思うんだけど、戦いの時にはそれが迷いになって出ていたの」
「なるほどなぁ」
ぼへーっとしながらも、メルの言うことはとても的確だった。
「メルの剣技、すごくかっこいい。キレイ。好き」
「あ、ありがとう」
エレインのストレートな称賛に、メルが顔を赤くした。
「エレイン、メルの剣技を見たことがあるの?」
「うん。見た。昨日練習してた」
「キレイだよね。メルの剣技は僕のあこがれなんだ」
特に、盾を使うようになってからのメルは、最初は扱いづらそうだったけど、今ではさらに死角がなくなった感じがする。
剛柔併せ持つスタイルになって、若獅子戦でもどれだけ頼りになったか、わからない。
「私を目標にしてくれるのはとても嬉しい。けど……」
メルはほんのり顔を赤くしながらも、銀縁の眼鏡を押し上げて、まっすぐに僕を見た。
「昨日の試合を見て、思った。あなたにはきっと、あなたにしかできない剣技があると思う」
「……あんなにボロ負けだったのに?」
「試合時間、短かったでしょ?」
「うん、あっという間だった」
「それだけ、ベルは元帥閣下を追い詰めていたのよ」
「あはは、まさかー!」
そう言う僕のほっぺを、真面目な話なんだとばかりに、メルが軽くつねった。
「最後の卑怯なやつは別にして、途中の右袈裟斬りと見せかけての突きはよかったわ。危ない!って思ったもん」
「危ない? 元帥閣下が?」
「ううん、あなたが」
「ワイ?」
「あんな突きを打ち込まれたら、元帥閣下も手加減できないもの」
「頑張れば頑張るほど死に近づくって、なんか理不尽だな……あ、そういえば」
僕はエレインの方を向いた。
とっくに飲み終わったかと思ったけど、まだストローで一生懸命ちゅーちゅーしてて、しつこいようだけどむちゃくちゃかわいい。
メルとエレインは、なんか雰囲気が似ているのかも。
何かを食べている時に小動物みたいになるところが特に。
「エレインって、魔法学院に通っているってことは、魔法がメインなの?」
「ううん、私は弓。補助のため、学院で風魔法覚える」
「弓なのか。イメージぴったり! ゾフィアと同じタイプかな」
「ううん。ゾフィアは近、中距離用の合成弓。剣も使う。私は長弓と短剣」
「長弓?」
「大型の弓よ。遠距離狙撃や大型獣の狩りに使ったり、戦時には弓兵が使う、長射程用の弓。一発の威力が大きいの」
メルが補足してくれた。
「ゾフィアと違って連射できない。1本1本が大事。だから風魔法、使う」
「へぇー、一度見てみたいなぁ」
「あらあら、学期休暇に帝国元帥閣下のお宅の中庭で、娘姉妹の入れたスムージーを飲みながら、他のお嬢さん二人を侍らせて談笑とは、いいご身分ね、まつおさん」
突然、よく通る凛とした声がした方向を見ると、黒髪のショートカットの大人びた美人が、こちらを見て笑っていた。
真紅のマントに、光沢のある黒い革鎧。
「うわっ、ミスティ先輩?!」
士官学校の二年生で、大陸でもごくわずかしかいない金星冒険者でもあるミスティ先輩が、いきなりロッキングチェアに座る僕の膝の上にひょい、と座ったので、メルがスムージーをブバっと吐き出した。
ふわっとする薔薇の香りが鼻孔をくすぐって、頭がクラクラしそうになる。
「聞いたわよ? 魔法学院でもオイタしてきちゃったんですって?」
ミスティ先輩が僕の身体にもたれながら、ジョセフィーヌみたいなことを言った。
ちなみにジョセフィーヌはミスティ先輩のファンらしい。
同じ女子として生き方に共感できるとか、まったく意味のわからんことを言っていた。
「若獅子祭でA組を差し置いて若獅子になるどころか、暗黒卿を倒してヴァイリスの大公まで失脚させちゃって、今度は魔法学院で隕石群召喚魔法を撃ったんですって?」
僕の肩に頭を乗せて、見上げるようにしてミスティ先輩が言った。
「先輩、近い。近いです。メルが茹でダコみたいな顔色になってます……」
「なによう、たまには先輩に華を持たせなさいよー」
「イヴァ、周りの人、みんなキレイ」
「イヴァ? 僕のこと?」
エレインは、こく、とうなずいた。
魔法伝達を使っていないので、エレインの表情が読めない。
「ふふ、イヴァってのはエルフ語でね……」
ミスティ先輩はそう言って、メルにごにょごにょと言った。
その瞬間、メルの眼鏡がピシッ、と音を立てたような気がした。
「え、なに?」
「……絶対教えない」
メルがぼそっと言った。
……なんなんだろう、イヴァって。
「それにしても、しばらく見ない間にずいぶん強くなったのね」
ミスティ先輩が僕にもたれながら言った。
「背中越しに当たる、キミのオッパイの感触でわかるわ」
「……おっさんみたいなこと言わないでください。あと、男の胸板をオッパイって言うのやめてくれません?」
「あ、あ、あ、あ、あ、あ!!! あああああ〜!!!!」
その時、スムージーを片手にユキがやってきて、こっちを見て大声を上げた。
「あ、あんた、あんたね……!! 姉妹がうきうきスムージー作ってる間に、なんちゅう女の侍らせ方をって、うわあああっ!! ミ、ミスティ先輩?!」
「お久しぶりね、えっと、ゆゆゆちゃん、だったかしら?」
その瞬間、ユキが僕を鬼のような形相でにらみつけたので、あわててフォローした。
「いえ、ミスティ先輩、ユキです。彼女、ミスティ先輩の大ファンなんです」
「嬉しい。ユキちゃん、よろしくね」
「は、はいっ!!」
上級生の女子が僕の膝の上に乗っているという、普段のユキならツッコミ度120%の状況にも関わらず、ミスティ先輩から名前を呼ばれて舞い上がってしまっている。
(今のうちに、状況を変えなければ)
僕はミスティ先輩に椅子を譲ろうと、膝をゆっくり動かして起き上がろうとする。
「あんっ、もぞもぞしないでよ、えっち」
「あの、変な声を出さないでください……」
「べル……」
「ち、違うから!」
メルの永久凍土のような視線を感じて、僕は椅子から動くのをあきらめた。
「それで、何の御用なんですか?」
「そうそう。あのね、これからみんなで冒険に行かないかな、と思って」
「冒険?」
「若獅子祭でキミ、メルちゃんの盾を借りてたでしょ?」
ミスティ先輩が言っているのはギルサナス戦と暗黒卿戦の時のことだろう。
「あれを見て思ったの。キミは盾を使った戦いに向いているんじゃないかなって」
「それ、私も思いました」
「さすがね。あなたの剣技、すごくキレイで好きよ。ファンになっちゃった」
「そ、そんな、ありがとうございます」
「メル、ずるい!」
ミスティ先輩にメルが褒められて、ユキが頬をふくらませた。
「ううん、ユキちゃんもすごかったわよ? ただ、徒手格闘は私の専門外だから……」
「ミスティ先輩って、やっぱり剣なんですか?」
僕が尋ねた。
「……あら、どうしてそう思うの?」
「どうしてって……、身体がしなやかで、身軽な革鎧を使っていて……、でもユキほど軽装ではなくて、防御も重視しているというか、そのマントも魔法防御高そうだし」
「ふふ、私はね、斧使いなの」
「斧?!」
ミスティ先輩は僕の上に座ったまま、虚空に向かって右手を伸ばした。
その瞬間、どこからともなく白銀の刃に、黄金の装飾が施された美しい手斧が回転しながら飛んできて、ミスティ先輩の細い指におさまった。
「す、すごい……」
「天雷の斧……ザウエル……」
ユキがうめくような声でつぶやいた。
ミスティ先輩が片手で平気で持ってるから手斧と表現したけれど、その刃はとても厚く、重そうに見える。
「斧って、もっとゴツい人が使うイメージでした。花京院とかジョセフィーヌみたいな……」
「あら、こう見えてすっごく軽いのよ。ほら」
ミスティ先輩はそう言って、僕の右手に天雷の斧を持たせた。
「うっわ、重ッッ!!!」
僕はあまりの重さに、思わず先輩の斧を取り落しそうになった。
「あ、ゴメン。これ持ち主指定型の宝具だから、私以外が持つとすっごく重いんだった」
「そんなこと言って、先輩の腕力がゴリラなだけなんじゃ……げふぅっ」
余計なことを言った僕のみぞおちに、ミスティ先輩の肘打ちが入った。
いや、本当にいるんだよ。見た目はすごく華奢なのに、ゴリラみたいな腕力の王女殿下が……。
「私の得物はコレで、盾を使って戦うの。だから、あなたの戦いを見てピンと来たのよ。あなたは盾向きだって」
「盾かぁ……」
そういえば、ジルベールも言ってたっけ。
君主っていう職業には片手剣、両手剣、盾に適性があるって。
両手剣を振り回すのは、僕にはとても無理だと思うけど。
「そんなわけでね、これからみんなで一緒に、キミの盾を探しに行かない?」
ミスティ先輩は僕を見て、にっこりと笑った。
とても一つ上とは思えない大人びた雰囲気なのに、わくわくを隠せない少年のような瞳。
子供の頃から高名な探検家である父のお供をして9歳で冒険者になったというミスティ先輩には、どうやら、父親と同じ探検家の血が流れているらしい。
「噂を聞いたのよ。君主専用の盾があるんだって。その名も、『水晶龍の盾』」




