第二十一章「若獅子祭」(18)
18
「ベルゲングリューン伯! 大公爵に対し跪礼を強いるとは何事か! 分をわきまえよ!」
「ははっ! 大変申し訳ございませぬ」
アルフォンス宰相閣下の一喝に僕は素直に謝罪の意を示すが、あえて起立を続けた。
「大公閣下もどうされたのだ。起立なされよ」
「……ッ」
アルフォンス宰相閣下の呼びかけにも関わらず、ジルベール大公は膝を上げることができない。
大広間にどよめきが広がった。
「伯爵に大公爵が跪礼などしていては内外に示しがつきませぬ。陛下からもどうか、起立をお命じくださいませ」
「う、うむ。大公、起立せい」
「……できませぬ……」
「……なんじゃと?」
絶対である王命に逆らってまで僕に跪礼を続けるジルベール大公の姿に、近衛兵たちも狼狽しはじめた。
「これは一体どういうことじゃ、ベルゲングリューン伯。余にわかるように説明せい」
「はっ。おそれながらジルベール大公閣下は、私に『支配の王笏』を用いようとしたのでございます」
「何!? 支配の王笏じゃと?! 先の大戦で消失したヴァイリス王家の宝具か? どのような相手も意のままに従わせることができるという……」
「はい。大公は常にそれを隠し持っておられます。膝を付いているので陛下からもご覧になれましょう。大公閣下が腰に差しておられる、黄金の王笏が……」
僕がそう言うと、エリオット陛下は玉座から身を乗り出してそれを覗き込んだ。
「こ、これが……支配の王笏……、し、しかし、なぜそんなものを大公が……」
「これはヴァイリス士官学校の13期生にして若獅子だった春香という生徒が魔法宝物庫から与えられた所有物です。当時同学年だった大公閣下は若獅子祭の翌日に、賊の仕業に見せかけて彼女を殺し、この王笏を強奪。現在の地位にまで上り詰められました」
「陛下、こやつの世迷い言などお聞きになりますな! 小生の忠義は……」
ジルベール大公が膝を屈したまま、エリオット陛下に弁明しようとする。
だが、エリオット陛下は玉座の傍らに立ててある王杖を手に取ると、それで床を打ち鳴らした。
カーンッッ!!
大広間に鳴り響く王杖の音に、家臣たちのざわめきも弁明する大公の声も、まるで時が止まったかのようにかき消された。
(これが本当の、エリオット国王陛下か……)
陛下の表情はこれまで見たことのある朗らかなものではなかった。
でも、厳しい表情というわけでもない。
ただ冷然と、王としての有り様だけを表したような顔。
「事の真偽を詮議する時ではない。……ベルゲングリューン伯よ」
「はっ」
今のままでは大公にひざまずく形になるので、僕は大公から少し横に離れて、陛下に跪礼した。
そうして僕が移動すると、大公は屈辱に顔を歪めながらも、僕の方向を向いてひざまずき続ける。
「そなたが主張する通り、大公が『支配の王笏』を所持し、それを行使したとなれば、なぜそなたらにはそれが通用せんのだ。神代に作られたとされる宝具の魔力は強力無比。余人で抵抗でき得るものではあるまい」
「仰せの通りにございます」
僕は頭を下げたまま陛下に答える。
そういえば、陛下の口調がいつもと微妙に変わっている。
「〜じゃ」と言う時は優しい王様モードの時なのだろうか。
「返答によっては、そなたの出処進退どころか生命に関わると心得よ」
王として、ハッキリと僕にそう告げながら、エリオット陛下は問うた。
「そなたの言う通りであるなら、なぜ、そなたらには支配の王笏が効かぬのだ」
「おそれながら陛下、まずは、私めの魔法情報票をご覧いただきたく存じます」
「魔法情報票、だと?」
エリオット陛下が言われるまま、僕の魔法情報票を
見る。
先にそのことに気付いたユリーシャ王女殿下が、あっ、と小さく声を上げた。
僕の魔法情報票には、以下のように表示されていた。
氏名:まつおさん・フォン・ベルゲングリューン
爵位:伯爵
称号:爆笑王
買い物上手
若獅子
「なっ……『買い物上手』が増えている……?」
「陛下、そこではありませぬ……」
ユリーシャ王女殿下にこっそりたしなめられて、エリオット国王陛下が魔法情報票を見直した。
氏名:まつおさん・フォン・ベルゲングリューン
爵位:伯爵
称号:爆笑王
買い物上手
若獅子
職業:士官候補生1年
君主
「なっ!! 君主だと?!」
エリオット国王陛下がガタン、と音を立てて玉座から立ち上がった。
「っ――!!?」
同様に、こちらにひざまずくジルベール大公の目が飛び出さんばかりに見開いた。
「それも黄金色に輝いておる……。馬鹿な……君主は『地上に玉座は二つ無し』と呼ばれる、世界で現世のただ一人のみに与えられる唯一職業であったはず……」
「古き伝承では、唯一職業の名は黄金色に輝いていると言い伝えられておりました。ジルベール大公が君主となられて、それが寓話にすぎなかったのだと思っておりましたが……」
驚愕を隠せない様子のアルフォンス宰相閣下が陛下に言った。
「い、いつからじゃ……、いつからそなたは気付いたのだ? 私がそなたの屋敷に行った時にはそんなものは……」
「屋敷に、行った?」
「わ、しまった」
何かを問い詰めようとするエリオット陛下に、ユリーシャ王女殿下はあわてて顔を扇子で隠した。
「ギルサナスと対決した時です。暗黒騎士になった彼と戦っている時に、突然表示されました」
僕は答えた。
「侍やニンジャといった上位職業は、当然ながら伸び代の大きさは一般職業の比ではないが、その分成長速度が非常に遅く、同時期に修練を積んだとしても、成長が早く先に数多く技能を習得する一般職業に遅れを取ることが少なくないという」
王から発言を許されたわけでもないのに、偽ジルベールがしれっと発言した。
このなんとなく許されてしまう感じがとてもうらやましい。
「ましてや、世界でただ一人の唯一職業である君主なら言うに及ばず。卿が皆と同じぐらい努力しても落第生のままであるのはそういうことなのだ」
「……あのね、僕はまだ落第してないんだけど。赤点取ってもちゃんと補習受けてるし……」
何が悲しくて国王の前でこんなみじめな弁明をしなきゃいけないんだ。
「え、まつおさんはオレぐらいアホってことじゃなかったってことか? 仲間だと思ってたのによ……」
「……花京院、勝手にヘンな仲間意識を持たないでくれ」
「……コホン、諸君、王の前で自由に発言をしすぎだ」
ほら、怒られた。
あ、ユリーシャ王女殿下も宰相閣下に謝ってる。
王様は無表情だけど、きっと心の中では笑っている。
そんな気がするな。
「ベルグリューン伯、つまりこういうことか? そなたが本物の君主であり、そこの大公は支配の王笏の力を借りた偽物。仮初の君主であると。それが理由に、真の君主であるそなたに大公はひざまずいているのだと。また、真の君主たるそなたに王笏の力は通用せず、臣従しているC組の生徒にも同様であるということか」
「……大変恐れ多いことながら」
「ふむ」
表情を変えず、エリオット陛下はアゴに手をやり、考える仕草をした。
「ジルベール大公を解放してやれ、ベルゲングリューン伯」
「かしこまりました。お手っ!」
僕がそう言うと、ジルベール大公がしつけをされた犬のように僕の腕にちょこんと手をのせた。
「あ、間違えた。立ってよし」
「貴様……っ」
屈辱に顔を歪ませながら、ジルベール大公が立ち上がった。
『……おまえは私を笑い殺したいのか? そうであろう?』
『すいません。ちょっとした憂さ晴らしです』
扇子で必死に顔を隠すユリーシャ王女殿下に魔法伝達で答えた。
「ジルベール大公、近う寄れ」
「はっ! ただちに!」
ジルベール大公が真紅のマントを翻して、エリオット陛下の前に近づきひざまずいた。
エリオット国王陛下は鷹揚にうなずくと、ジルベール大公に命じる。
「まずはそなたの持つ王笏を余に預けよ」
「……」
王による命は絶対。
だが、ジルベール大公はその場を動かない。
「どうした、大公」
「……できませぬ」
ジルベール大公はそう言って素早く支配の王笏を取り出すと、国王陛下とユリーシャ王女殿下に向かって突き出した。
「そのままそこに座っておれ!!」
「……!」
「っ……!!」
「ジルベール大公、お気は確かか!!」
「貴様もだ! アルフォンス!!」
アルフォンス宰相閣下に支配の王笏をかざし、同様に貴賓席の賓客や周囲の貴族たちすべての動きを封じる。
「くっ……!!」
その様子を見て、ヴェンツェルが突然背中を向けて駆け出していった。
「ヴェンツェルくん?!」
驚いたユキが呼び止めるが、ヴェンツェルは脇目もふらず走り去っていく。
「ふふ……臆病者が一人逃げ出したようだぞ、ベルゲングリューン伯」
腹の底が冷えるような低い声で、ジルベール大公が言った。
「あの、大公閣下。こんなことしたらもう、あなたの人生、詰みだと思うんですけど……」
王命に逆らうばかりか、その動きを封じるなど、どれほど位が高い貴族にも許されることではない。
しかも、その様子は映像魔法を通して、ヴァイリス中の国民が目にしているのだ。
「詰み、だと……? ふふふ、そうは思わんな。ただ、私の計画がほんの少し早まっただけのこと」
ジルベール公爵は僕の方を振り向くと、ゾッとするような笑みを浮かべた。
口が裂けたかのように大きく歯をむき出した、恐ろしい笑み。
……いや、実際に口が裂けている……!?
「グゥオオオオオオオオオオオッッ!!!!!」
およそ人間とは思えない、獣じみた雄叫びと共に、今度はジルベール大公の眼尻が裂け、こめかみが裂けて、そこから巨大な山羊の角のようなものが生えてきた。
盛り上がる筋肉に、大公爵の象徴でもあった黄金の鎧とマントは弾け飛び、黒光りする鱗のようなものが全身を覆い尽くす。
眼球が潰れ、そこから赤黒い光が放たれるその姿は……、まるでおとぎ話に出てくる……。
「デ……デーモンロード……」
アリサが、うめくように声を漏らした。




