第二十一章「若獅子祭」(15)
15
異変は、すぐには気づかなかった。
(血が……止まらない……?)
暗黒騎士となったギルサナスも、剣技自体はさほど変わった印象がなかった。
ただ、凶々しい紫色の剣気を放つ剣で受けた傷から、なぜか出血が止まらない。
どんなに浅い傷でも、なぜか血が乾かないのだ。
その一方で、同じぐらい負傷していたはずのギルサナスの傷口がどんどんふさがっていく。
(なるほど……これが暗黒騎士の特性ってやつなのか)
僕はギルサナスに表示されている魔法情報票を見て、唇を噛んだ。
氏名:ギルサナス・フォン・ジルベール
爵位:公爵
称号:
魂喰らい
職業:
士官候補生1年
暗黒騎士
(魂喰らい。こっちを攻撃したら回復するのか……。ズルいじゃん! 指輪いらないじゃん! 無限指輪じゃん! しかも出血効果付き……)
少し気付くのが遅かったな……。
僕は心の中で舌打ちをした。
血を失いすぎて、身体に力が入らない。
「フッ! ハッ!」
上体がフラつく僕に、ギルサナスの強烈な連撃が叩き込まれる。
これ以上攻撃をもらったら危ない。
僕は慣れない盾を振り上げて連撃を防御する。
だが、僕の恐る恐るの盾防御は、カァン! という音と共にギルサナスに弾かれ、大きく後ろにのけぞってしまった。
(強い……)
ギルサナスはもう一人の僕。
だからこそ、最弱の僕でも次に何をしてくるか、手に取るようにわかる。
僕はそう思っていた。
僕のことをわかっていないギルサナスと、ギルサナスをわかっている僕。
その差は、剣技を上回ると僕は思っていた。
(僕はいつも、計算間違いばかりだ……)
僕はギルサナスの闇の深さを測り間違えていた。
彼のことをわかっていると思っていた。
だけど、自分の深い闇を受け入れ、それを弱点ではなく己の武器としたギルサナスは、何も演じることなく好き勝手に生き、友達に恵まれてのほほんと生きてきた僕よりも頭一つ抜きん出いている。
(彼は右目を犠牲にした。僕は何を犠牲にすれば、彼に勝てるというんだ)
「どうした、まつおさん。剣に迷いが出ているぞ?」
「うるさいなぁ。勝手に一人で大人の階段上りやがって……」
「……あのな、私の命がけの変身を、童貞を捨てたみたいな一言で済ませないでもらえるか」
「今はそんな気分だよ。同じだと思ってた奴に先を越されたみたいだ」
「ああ、なるほど。……ようやく、さっきの君の言葉が腑に落ちたよ」
「どういうこと?」
「自分のことは、自分ではよくわからない。今の君がそうだ」
ギルサナスはそう言って、にっこり笑った。
悪意でもない、挑発でも嘲りでもない。
……まるで友を諭すような微笑み。
自分をわかっていないだって?
コイツは何を言っているんだ。
僕のどこが自分をわかっていないんだ。
士官学校生の中で最弱で、剣にも魔法にも恵まれず、できることはせいぜい、意識を失いかけた時に友達の技をパクるだけ。
ギルサナスのように過酷な人生を送ってきたわけでもなく……、ん、いや、待てよ……。
僕はそこまで考えて、ふと自分の人生を思い返した。
(送ってきたわ……、よく考えたら、僕の人生もそこそこ過酷だったわ……)
僕はギルサナスと違い、両親から愛されて育った。
でも、父親は酔うと豹変し、母親に暴力を振るった。
普段の父親は大好きだったけど、酔った父親はどんな怪物よりも恐ろしかった。
幼年期に僕は一度だけ、母親を守ろうとして、父親に立ち向かった。
恐怖でガクガクと足を震わせながら、それでも恐ろしい父に立ち向かった僕。
普段の父親だったらきっと、そんな僕の勇敢さを誇りに思い、称賛してくれたに違いない。
だが、泥酔していた父は、僕を憎むべき敵とみなし、半殺しにした。
父親を憎むことができれば、僕はきっと、もっと気が楽だったろう。
だけど、父は僕と母を深く愛していた。
普段の父と母との暮らしが楽しくて幸せであればあるほど、酔った時の父を見るのは、まるで心が引き裂かれるような思いだった。
少し大人になり、親元を離れて学校に通っていた僕は、母が父に殴られて大ケガをしたことをきっかけに、大きな決断を下した。
母を匿い、父から引き離したのだ。
恐ろしい父が僕のいる学校までやってきて、どれだけ問いただしても、僕は決して母の行き先を教えることはなかった。
やがて絶望した父はかつて僕らが住んでいた家に一人で帰り、酒に溺れ、やがて病で死んだ。
僕は母と引き離したら父がそうなることは、なんとなくわかっていた。
「お前は、人を殺したことがあるか?」
士官学校に入学する時に、ボイド教官から最後にされた質問を、僕は思い出した。
そう……、僕は父を殺した。
誰よりも恐れ、愛していた父を。
僕は最弱だけど。
どんな強敵が相手でも、どんな権力者が相手でも、本気で恐れたことはない。
なぜなら、父親より怖い存在を、僕は知らないからだ。
「ふふ、なんだ。僕もそこそこ重たい奴なんじゃないか」
「ほう……、顔つきが変わったな」
「ちょっと昔のことを思い出しただけだよ。なんで君と僕が同じだと思ったかっていうクソ話さ」
子供は無力だ。
大人には勝てない。
だから子供は無意識に、大人を怒らせないように心がける。
殴られることから身を守るため。
大人から守ってもらうため。
女はたいてい皆、男より賢い。
賢いのに皆、頭の悪いフリをする。
偽ジルベールから貸してもらった本に書いてあった。
女は子供の頃から、男を怒らせないようにする術を学ぶのだと。
そうしないと殴られるから。
ひどい話だ。
ウチのクラスの女子はみんなその辺の男より強いから、つい忘れてしまいそうになるけど。
子供はいずれ大人になるけど、女性は女性のまま生きなくてはならない。
それどころか、成熟していくほど毒牙にかけられる。
子供たちや女性が、心から笑って、安心して暮らしていける世の中は、いつかやってくるのだろうか。
ギルサナスのような子供が、人を愛することができる世界が。
「愛されていたから……、僕は君と違うんじゃない」
爆笑王と呼ばれて、最初はとても恥ずかしくて、みっともなくて嫌だった。
でも、だんだんそう感じなくなっていた。
爆笑王って声を掛けてくれる人が、みんな笑っていたから。
みんなが僕を愛してくれていたから。
でも……。
みんなが僕を愛してくれたのは、僕が爆笑王だからじゃない。
僕が、そんなみんなに負けないくらい、みんなを愛していたからだ。
(……何を犠牲にすれば勝てるか、だって?)
僕はさっきまで考えていた自分の思考のバカさ加減に思わず苦笑する。
これ以上犠牲にするものなど、あるものか。
「ギルサナス。僕は君を愛しているからね」
「……急に気持ち悪いことを言うなよ……」
暗黒剣を構えたギルサナスが、僕から三歩ぐらい後ずさった。
「い、いや、そういう意味じゃないから! ただ、これだけは言っておきたくて」
「なんだ?」
「目ン玉、後でクソ悪魔からちゃんと返してもらいな」
「何……?」
「僕たちはもう、十分色々なものを犠牲にしてきた。目ン玉は支払いすぎだ。返してもらえ」
「フッ、血の盟約は絶対だ。返せと言って返せるわけがないだろう」
「だったら、僕が32個の石鹸だかなんだかに返してもらいに行ってきてやる」
「72柱の魔の眷属だ……」
ギルサナスが呆れたように言った。
「なんでもいいよ。わかったな? もし若獅子祭が終わっても目ン玉がそのまんまだったら、卒業したらそいつらぶっ倒してお前の目ン玉を取り戻す旅をするからな。学校で気まずくなって、勝手に行方をくらましたりするなよ?」
「ふふっ、あははははは!!」
ギルサナスは可笑しそうに笑った。
凶々しい姿とはまるで似つかわしくない、少年のような笑顔。
「献上したものを取り消すために魔王退治とは、傍若無人にも程がある。どっちが魔王かわからんな」
「魔王か……、それも悪くないね。爆笑魔王」
「魔王を名乗るからには、まずは私を倒さなければな」
「ああ、それもそうだね」
僕は改めて、小鳥遊の柄を握った。
あれこれ考えているうちに、思いついたことがある。
自分のことはよくわからない。
よくわからないけど、わかっていることも少しある。
なぜ、最弱の僕がギルサナスとここまで渡り合えるのか。
彼の考えがわかるというだけで対応できるほど、彼の剣技は甘くない。
僕は最弱の存在だ。
みんなと同じぐらい鍛錬したし、身体も鍛えているはずなのに、なぜかどれもみんなほど上達しない。
だから、常に他の誰よりも考えた。
考えて考えて、考えて、悩んで悩んで悩み抜いた。
ゾフィアと戦っていた時だって、リョーマの時だって、「どう行動すれば最良」かはわかる。
決して身体が追いつかないんじゃない。
だってみんなと同じぐらい鍛錬したんだから。
思考を身体に伝達する「速度」の問題だ。
ただ、自分の思考速度に身体が間に合わなかっただけだ。
いつも「もっとこうすれば勝てたのに」って思うことばかりの人生だった。
わかっているのにその通りにできないのが、とてももどかしかった。
似たもの同士のギルサナスと渡り合えるのは、その速度が短縮できているだけのこと。
つまり、僕の課題は思考伝達の速度だ。
「あなた自身の力」
僕が魔法宝物庫から与えられた竹の扇子を、無慈悲にも粉々に粉砕したメルが言った言葉を思い出す。
「そろそろ、自覚して」
(自覚、か……)
僕が感情を込めて言葉を発した時のキムや、ゾフィア戦でのみんなの姿を思い出す。
無理やりひざまずかせるのが僕の能力なんだとしたら、そんな力に何の意味があるというんだ。
ユキの言う通り、何らかのハラスメントと言われても仕方ない。
でも、あの力の本質とは何か……。
伝達速度……。
魔法伝達……。
(あれを自分に使ったら、どうなるんだろうか)
そんなことを考えてつい油断していると、不意にギルサナスから鋭い突きが繰り出された。
「まっちゃん! 危ないっ!!」
(ッ……早いッ!!!)
盾を振り上げても間に合わない。
剣も下段に構えてしまっている。
必殺の突きが喉元をまさに突き破ろうとするその瞬間。
僕はそれを試してみることにした。
『膝を使え! 後ろに跳躍しろ!』
脳内に響く自分自身に送った魔法伝達に、僕の身体は考えるより先に動いて、膝の屈伸で背中を限界まで反り返らせ、そのまま後方に跳躍する。
「殿!! お見事!!」
「マ、マジかよ……」
「……あいつ、今バク転したよな? それも二回……」
ゾフィア、ルッ君、キムが驚きの声を上げる。
人生初のバク転に、実際にやった僕がビックリだ。
「どうやら、ようやく自分の『力』に気付いたようだな」
「……ええ」
偽ジルベールとメル。
『気を抜くな! 追い打ちが来るのを忘れたか!!』
自分の心の声に叱咤され、僕はギルサナスの腕の動きに集中する。
ギルサナスの肘が曲がり、手首を返して軌道が変化した。
切り返して横薙ぎに払ってくる!
『いや、違う!! 手首の返しが逆だ!! さらに突きが来る!! 突進してくるぞ!!』
ギルサナスは肘を曲げながら手首を外側方向に曲げながら顔の近くに引き寄せてタメを作ると、一気に暗黒剣を前に突き出した。
身体がとっさに防御しようと盾を動かしかけて……。
『その盾は大盾じゃない! そんな防ぎ方をしたら体勢が崩される!! メルの盾の使い方を思い出せ!』
僕は盾を引き寄せ、突きが来る瞬間にその盾を大きく振り上げた。
カァーン!!、と高い金属音が鳴り、体重を込めた突きの軌道が大きくそれて、ギルサナスは大きく体勢を崩す。
「何っ……!」
「い、今のは……盾を使ったパリィ……?!」
体勢を崩したギルサナスの懐に入り込み、左下から右上に向かって僕はサーベルを振り抜いた。
ザシュッ、という、明確な斬撃の感触が指先に伝わってくる。
「グウゥッ!!」
赤い光を放つ小鳥遊の剣閃でギルサナスの漆黒の鎧に大きな亀裂が入り、鮮血が噴き出した。
『左手がまだ使える!! キムの動きを思い出せ!! 相手が体勢を立て直す前に、盾で押し込め!!』
「ウオオオオォォ!!!!」
僕は盾を握り直して、体当たりの要領でのけぞったギルサナスに突撃する。
「グハッ!!!」
ギルサナスが吐血して、さらに後方へと吹き飛ばされる。
脳髄が焼ききれてしまいそうな疲労感。
限界まで脳を酷使することに、まだ身体が慣れていない。
「あいつ……、人の技をパクりたい放題だな……」
「す、すげぇ!! あいつやっぱすげぇよ!!」
キムとルッ君の声が聞こえる。
ゾフィアのおかげで、戦闘中に耳がよく聞こえるようになった気がする。
「だが、距離がここまで開いたのは今回が初めてだ。……奥の手があるかも知れん」
偽ジルベールがそういってルッ君をたしなめるのも聞こえる。
そうだ。ギルサナスとはそういう男だ。
その証拠に、鮮血を垂らすヤツの口元が……、ニヤリと笑っている。
「万物の根源に告ぐ……、常闇の深くより混沌を生み出せし……」
「っ!? 暗黒魔法の詠唱!!」
アリサの声が聞こえる。
ギルサナスの頭上に、紫色の剣気をまとった暗黒剣が、何本も出現する。
僕は悟った。
詠唱が完了する前になんとかしないと、僕は串刺しになって負ける。
だが……、この距離を詰めるような技を、僕は何も……。
『お前は見たことがあるだろ。あの時も、自分の汗で滑って転ばなければ、お前はおそらく死んでいた』
そうだ、そうだった。
僕はあまりにも恥ずかしくて、ただ滑って転んだだけだってことは誰にも言わなかった。
きっと、メルや偽ジルベールあたりにはバレていると思うけど。
『足音を立てないすり足で、腰を限りなく低くして……、大地を蹴った力を利用して無拍子で突けッッ!!!』
僕はゾフィアの黒豹のようなしなやかな動きを脳内で再現する。
『違う! そんなんじゃない! 恐る恐るでやるな! あの時のゾフィアは捨て身だった!! あの一撃に命を賭けていたんだ!!』
僕は暗黒剣の前に身体をさらすことを恐れずに、ギルサナスの懐に入り込んで、全身全霊の力をその一突きにこめた。
ヒュンヒュンヒュン――ッ!!!
「がはっ!!!!」
虚空から飛来する暗黒剣が僕の左肩に貫通して……。
「見事……だ」
喉元を小鳥遊で貫かれたギルサナスが、そう言って微笑んだ。
第34回若獅子祭は、C組が優勝した。




