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第十六章「鷹と小鳥」(4)


「君の方から私を呼び出すなんて、珍しいこともあるものだね」

「こんなところにお呼び立てして申し訳ありません。ジルベール公爵」


 カフェテラスの椅子に腰掛ける真ジルベールに、僕は言った。


「いや、かまわない。私が君に一目置いているのは知っているだろう?」

「ありがとうございます」


 優雅な仕草で紅茶のカップに口をつけながら、真ジルベールが爽やかに微笑んだ。


「それで、今日はどういった用向きかな?」

「いえ、もうすぐ始まりますよね、若獅子祭」


 若獅子祭という単語が出た途端、真ジルベールが持つカップの手がぴたり、と止まった。



「そういえば、もうそんな時期だったかな」


 真ジルベールがやれやれと言った風に肩をすくめた。

 なかなかの役者だ。


「私としてはさっさと終わらせたいものだがね、あんな退屈な出来レースは」

「ええ、まったく」


 僕と真ジルベールは笑い合った。

 貴族たちはいつもこんなウソ笑いで会話をしているのかな。

 ものすごく疲れる。


「そんなジルベール公爵に、少しでも気晴らしをしていただければと思いまして」

「ほう、それは嬉しい申し出だが、何をしてくれるんだい?」

 

 にこにこ笑う真ジルベールをさらに上回る笑顔で、僕は言った。


「次の若獅子祭は、Cクラスが勝ちます」

「何……」


 真ジルベールの笑顔が一瞬止まって、低い声を出した。

 が、すぐにいつもの爽やかな笑顔に戻る。


「ふふっ、ははははは!! やはり君のジョークは一流だね!! さすがは爆笑王」

「あははははは! 恐縮です、ジルベール公爵」

「ははははは! まったく、君にはいつも驚かされてばかりだよ!」

「あはははは! 本気です」

「ははははは! なんだって?」

「本気で言っています。ジルベール公爵。次回の若獅子祭はCクラスが優勝することになるでしょう」

「それを冗談と言うのだよ!!」


 パリィィン!!!

 真ジルベールの手の中でティーカップが割れ、繊細な右手から鮮血が噴き出し、その上を熱い紅茶が浸した。

 だが、中指にはめた黄金の指輪がまばゆく光ると、真ジルベールの右手の傷口がみるみるふさがっていく。


「君は、春香(はるか)という人物を知っているかね?」

「いえ、知りません」


 僕はけろりとすっとぼけた。


「我らがヴァイリスに今の士官学校が創立して34年。A組が優勝したのは32回だ。本年度は第34回だから、つまり、たった1度だけ、A組が敗北を喫した年がある。第13回の若獅子祭の時だ」

「……」


 僕は黙って続きを促した。


「その年に勝利したのは、C組。そう、上級貴族どころか貴族でもなんでもない、ただの薄汚い冒険者志望の平民たちだった」


 真ジルベールの語気がやや強くなる。なるほど、脅迫の圧力を強めていくのがなかなか上手い。


「C組を優勝に導いた級長は、一人の生徒だった。名前は春香(はるか)。彼女はそう、生真面目で、高潔で、そして、平民にしておくのはもったいないほど美しかったのだそうだ」


真ジルベールは続ける。


「それほど美しかったから、A組はともかく、B組の下級貴族の低俗なボンクラ達は、次々と彼女に縁談を申し込んだ。……だが、彼女は生真面目で高潔だったから、そのすべてをにべなく断った」


 生真面目で高潔という言葉からは、真ジルベールの強い侮蔑の感情がにじみ出ている。

 彼にとって、そうしたものは憎悪の対象なのだろう。


「それほど生真面目で高潔だったから、彼女はA組の連中から若獅子祭で負けるように幾度も示唆されても、そのすべてを突っぱねた。……そしてクラスをまとめ上げ、見事に勝利した」


 そこまで話すと真ジルベールはこちらの顔をゆっくりと見上げた。


「……続きが、聞きたいかい?」

「いいえ」

「そうか」


 僕の反応に、真ジルベールは酷薄な笑みを浮かべた。


「だが続けよう。彼女は若獅子祭の後、間もなく、死んだよ。人通りのない裏路地で。胸には盗賊団が使っていたナイフが刺さっていた」

「……」

「脱走した盗賊団に襲われたんだろう。憲兵隊はそう判断した。……でもね、ベルゲングリューン伯。私には少しだけ気になることがあるんだ」


 真ジルベールは、まるで口づけでもするかのように、僕に顔を近づけた。


「彼女は剣技の達人だったそうだ。ゾフィアと戦った君の腕前もなかなかだが、それでもとても及ばないであろうほどのね」

「……」

「そんな彼女が、たとえ不意を突かれたとしても、落ち延びた盗賊ふぜいに遅れを取るだろうか。返り討ちをするのが関の山だとは思わないかな? それに……」

「……」


 真ジルベールは、蛇のように目を細めながら言った。


「殺される時に彼女はね……、一切抵抗していなかったのだよ。まるで自らが()()()()()()()()()()()()()()()ということを、今更思い知ったかのようにね」

「……ふっ」

「ん?」


 思わず失笑した僕の態度を怪訝に思い、真ジルベールが距離を離す。


「あははははは!! なるほど。仰っしゃりたいことがよくわかりました」

「ははははは!! そうか、わかってくれたかい」


 真ジルベールの表情が一変し、万人を惹き付ける爽やかな笑顔に変わる。


「ええ。自らが何をすべきか、何をすべきでないか、よくわかりました」

「ははは! やはり君はとても賢い男だ。この世の道理、そして、従うべきが何かというものをよくわかっている。君のような人間こそ貴族にふさわしい」

「ありがとうございます。私もこれで、安心して若獅子祭に臨むことができます」

「安心したまえ。その後の君のことは悪いようにはしない」


 握手を求めて、真ジルベールが右手を差し出した。

 僕はそれを無視すると、席を立ち上がった。


「いえ、僕が安心したのはそこではありません。ジルベール公爵」

「何……?」


 僕は考えられる限り最も邪悪そうな笑顔を作って、真ジルベールに笑いかけた。


「クソ親父に育てられたせいで屈折してしまった可哀想なボンクラ息子ということならば、なんとかお救いして差し上げようかと思ってお呼び立てしてみたのですが、親子揃ってビチグソ野郎共だということがわかったので、安心してボコボコにできるなって思ってね」

「き、貴様……ッ、父上を愚弄するかッ……!!」


 真ジルベールが眉間に青筋を立てて立ち上がった。


「おっと、本性丸出しのお下品な顔を周りに見られちゃいますよ。ジルベール公爵閣下」

「ッ……」


 周囲を気にして、真ジルベールがさっと顔を隠した。


「そうそう、僕が貴族にふさわしいと言ったね」


 僕は真ジルベールをさらに挑発することにした。


「僕もそう思う。一方で、おまえは貴族にまったくふさわしくない」

「黙れェッ!!」

「おまえみたいなビチグソ親子が大貴族様だっていうなら、この国はどうかしている」

「黙れと言っているッ!!」


 粉々になったティーカップをテーブルから払い落として、真ジルベールが叫んだ。

 すっかり真ジルベールはカフェテラスの注目を集めているが、激昂した彼はもう、周囲を取り繕うことを忘れている。


「潰してやる……!! 貴様ごとき、簡単に潰してやるからな……ッ!!」

「好きにするがいい。だが、これだけの衆目を集めた中で宣言するんだ。君の大好きなパパがやったように暗殺しようとしても噂は一気に広まって、翌日には噂好きの貴族たちが王宮で大騒ぎするだろうな。若獅子(グン・シール)になろうとなるまいと、君は華やかな世界から姿を消すことになる」

「くっ、……貴様、そこまで考えて、私を挑発したのか……ッ」


 声を押し殺して、真ジルベールが言った。


「……僕を潰すと言ったな」


 僕は真ジルベールを振り返り、まっすぐにその顔を見据えた。

 真ジルベールがやったように口づけでもするかのように顔を近づけて、言った。


「ならば僕はおまえとおまえの父上を潰そう。ジルベール公爵家の歴史はまもなく終わる」

「ッ――!!」


 僕はそれだけ言うと、真ジルベールに背を向けて、カフェテラスを後にする。


「し、()れ者めがぁぁッ!!!」


 そんな僕に背中に向けて、真ジルベールが何かを投げつける気配がした。


(えっと、右手が長くなったと思うんだっけ)


 僕は偽ジルベールに言われたことを思い出して、右手で小鳥遊(たかなし)の柄を握ると、そのまま腕を振るように、振り向きざまに刀身を振るった。


 シュパ――ッ!!


 (あか)い閃光とともに、真ジルベールが投げつけたカフェテラスの椅子が、まるでバターでも切るように僕の眼前で真っ二つに割れた。


「なっ……」


 周囲がどよめく中で絶句する真ジルベールを一瞥すると、僕はそんな彼に手を振った。


「じゃあな、ビチグソ野郎。……パパによろしく」


春香さんについての描写部分を少し変えました。

英雄を書くために、女の子をひどい目に合わせるのはどうなんだと作中に書いておきながら、過去の話とは言え、真ジルベールを悪く書くために自分がそうしている矛盾に気付いたので。


そういう部分で安易な方向に逃げずに書ける作家を目指したいです。

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