第三十一章「作戦名:ベルゲングリューンの井戸」(7)
7
「おそーい! 何やってたのよー」
「ごめんごめん、ちょっとルッ君と最終確認を……」
ユキに適当に答えて、僕はルッ君を先に客席に座らせた。
「ふぅっ、どっこいしょっと……うわわっ!!」
そのまま、僕も座席に座ろうとしたら、隣に座っていた人物にどん、と背中を押された。
柑橘系の匂いと息遣いでなんとなくわかる。
アリサだ。
「あ、あれ……僕、アリサに何かしちゃったっけ?」
僕がそう言うと、アリサがくすっと笑う音が聞こえた。
「何か心当たりでも、あるの?」
「まったくない。……強いて言えば……」
「強いて言えば……?」
「お昼にヒルダと腕を組んでお買い物したことと……」
「それは万死に値するわね……」
「ふふ、生徒会長命令でそうさせたのだ、許せ」
奥に座っているヒルダ先輩が笑いながら言った。
「他には?」
「メルの眼鏡を借りてかけてみたら、くらくらして、距離感がわからなくて宰相閣下のお鼻をぺちぺち触っちゃったこととか……」
「それ、私に関係ないわよ……」
「ベル、その後、私の眼鏡を宰相閣下にかけさせたのよ……。『ほら、距離感がわからなくなるでしょう?!』って」
「ぷっ、祖父殿はなんと言ったのだ?」
「『私は老眼だから、そもそも距離感などない。それより、君と私の距離感の方に関心がある』って」
メルの言葉にみんなが爆笑した。
「それで、僕が何をしたの?」
「くすくすっ、冗談よ。そうじゃなくて、……あなたがいるべき場所はここじゃないでしょ?」
「へ?」
「ベルゲングリューンランドのパレードなんだから、あなたは外でみんなに手を振って」
「そうだぞ! そのために俺と花京院で御者台の後ろにお立ち台まで作ったんだからな!」
「キムって大工仕事すげぇんだよ。ソリマチのおっつぁんが褒めてたぜ」
キムと花京院まで同調したので、僕は焦った。
「えええーっ、やだよ!! 僕はそういうのはちょっと……。ほ、ほら、ここでみんなと座って窓から手を……」
「……それはそれで、国王のパレードみたいで不遜な感じがしないか?」
ぐっ、ヴェンツェルが的確なツッコミを入れてきおった。
「だ、だったらほら、ベルゲンくんにやらせりゃいいでしょ。ちょっとベルゲンくんを魔法伝達で連れて……」
「連行!」
問答無用のヒルダ先輩の指示で、花京院とキムが僕を担いで馬車の外に降りて、御者台に放り投げた。
「ひ、ひどい……あんまりだ……」
「ご愁傷さまだね。……だが、私をあれだけ目立たせておいて、自分はこっそりというのは、もっとひどいと思わないかい?」
御者台に座っていた男が、僕に話しかけた。
闇に溶け込むような漆黒の甲冑を身に纏っている男。
「はは、それもそうだね。ギルサナス」
「さ、そろそろ出発だ。準備はいいかい?」
ギルサナスがそう言って手綱を握ったので、僕は観念して、キムと花京院特製のお立ち台に上った。
「ああ、はじめよう!! 本当のパレードの始まりだ!!」
僕はそう言って、小鳥遊を引き抜いて、周囲の観客に聞こえないギリギリぐらいの大きさで、「ウン・コー」と唱えた。
漆黒の闇に包まれた世界に、赤い炎の球が天に向かって上っていく。
次の瞬間。
ヒュルルルルルルルッ……!
ヒュルルルルルルルッ……! ヒュルルルルルルルッ……!
ボンッ!!
ボンボンッ!!
「ベルゲングリューンランド」の各所から、大きな花火が打ち上がった。
漆黒の空に広がる、色鮮やかな大輪の花のような光。
元アルミノ荒野の空はとても広く、まるで手を伸ばせば届きそうな花火の彩りに、観客たちの目が奪われる。
「花火って、見たことある?」
「貴族の祭典で、幾度かはね。だけど、こんなに美しいのを見るのは初めてだよ」
「うん、僕も」
僕とギルサナスは、しばらくその光景をぼんやりと眺めていた。
「今回のプロジェクトで一番お金がかかったの、コレかもしれない……すぐ消えるのに」
「おいおい、生々しいことを言うなよ。せっかくの風情が台無しじゃないか」
「セリカの職人さんしか作れないらしくってさー。でも、本当にキレイだなぁ……」
「これがやりたくて、私を呼んだのかい?」
「そう言ってしまえば、まぁそうなんだけど……、ちゃんと、意味はある」
「そうか」
ギルサナスはそれ以上何も言わず、花火をじっと眺めていた。
花火が上がるたびに姿がはっきりと見えるけど、右半面が隠れているので、その表情まではわからない。
大輪の花火の連発が一通り落ち着き、断続的なものに切り替わった頃。
バンバン!! バンバン!! バン!!
バンバン!! バンバン!! バン!!
ババババン!!
ババババン!!
ババババン!!
ババババン!!
毒島応援団の太鼓の音に合わせて、先頭のジョセフィーヌ軍団から後列に向かって次々とライトアップがされていき、観客たちが再びこちらに注目する。
漆黒の闇から突如として出現したジョセフィーヌ率いるオネエマッチョ軍団は、その衣装のいたる所から赤やピンク、青、緑、紫などの極彩色で発光していて、その踊りに合わせて揺れ動く、キラキラと鮮やかな点滅が見る者たちを楽しませる。
「あれは、どうやってるんだ?」
「砂粒みたいに細かい魔法石に魔法付与させて発光させているんだ。メッコリン先生にやってもらった」
「メッコリン先生……、そんな教師、士官学校にいたかな……」
ギルサナスの言葉に、僕は思わずぷっ、と噴き出した。
ちなみに、この自由自在のライトアップはヴェンツェルのお姉さんであるジルヴィア先生によるものだ。
そうして、これまでにパレードに登場した様々な団体へのフォーカスが馬車の前まで続いていき……。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドンドンドンドンドンドンドンドンドン……!!
一際大きく叩かれた毒島応援団の太鼓が、会場一帯に響き渡って……。
馬車が一気にライトアップされた。
「お、おいっ!! ベルゲングリューン伯だ!! 本人だよ!!」
「うおおおおおっ!! 爆笑王だー!!」
「あんたスゲェよ!!! なんだよこのパレード!!」
「「「きゃーっ、ベル様ー、ギル様ー!!!」」」
「聞いた? ベル様、ギル様だって」
「私は士官学校でも女子たちからそう言われているよ」
「……あっそ」
モテ王はこいつの方だった。
あまりヘラヘラしないように気を付けながら、僕が観客たちに手を振ると、ちょっとびっくりするような大歓声が上がった。
『みんな、盛り上がってる―?!』
ためしに魔法伝達を観客全員に飛ばしてみたら、びっくりしたのか、反応がいまいちだったので、耳に手を当てて、よく聞こえない、というジェスチャーをする。
『ちゃんと盛り上がってくれてんのかーい!!』
その途端、ウオオオオオオオオオオオオオオッ!!!と地響きがするような大歓声が巻き起こった。
「大将!!!盛り上がってるぜえええええ!!!!」
「わはは!! 急に魔法伝達送ってくんじゃねぇよ!! びっくりしただろー!!」
「ベル様ー!! こっち向いてー!!!」
「爆笑王!! メイドさんのクッキーのおかわり食わせろー!!!」
『わはは、クッキーはまた今度ね! アサヒの機嫌がいい時にお願いしてみるよ』
「アサヒちゃんっていうのかー!! くぅー!! 名前からして可愛いぜ!!」
観衆たちの言葉に反応すると、会場にどっと笑いが起こった。
うーん、いいお客さんたちだ。
『古代迷宮で探索してくれている冒険者の皆さん、これから行く冒険者の皆さん。本当におつかれさまです』
僕がそう言うと、観客の中の大勢の冒険者たちからウェ~イ!!!と声が上がった。
『そんな冒険者の皆さんに、三つだけお願いがあります!』
「多いわよ―!!」
「二つにしろー!!」
冒険者たちから明るいヤジが飛んできて、また笑いが起こる。
『一つ目は、『ベルゲングリューン市ではいい子にしてね』ってこと! ほら、冒険者って聞こえはいいけどさ、みんなちょっとしたゴロツキみたいなもんでしょ?』
僕がそう言うと、会場全体に爆笑が起こる。
『冒険が終わってお酒呑んで酔っ払ってはしゃぎ回るのはいいけど、ケンカしないでね! ケンカする相手はほら、古代迷宮にワンサカいるから!!』
「ガハハ!! あの若造、いいこと言いやがる!!」
どこかで見たことがある、すんごいあごひげのドワーフの冒険者が言った。
ああ、前に王女救出の後に連れ出された酒場にいた人だ。ギムって言ったっけ。
『ギムさん、来てくれてたんだね。ジェルディク産の麦酒なら山程用意してあるから、冒険の後は是非ウチの酒場に寄って、ガッポリ稼いだお金をじゃびんじゃびん落としていってね!』
「ガハハハハ!! 任しとけい!!!」
「ね、ねぇ、ギムって……、100匹竜殺しのギム?」
「まじかよ……、俺たち、『竜殺ドワーフ』のギムと一緒に迷宮行けんのか?! うおおお、俄然やる気が出てきたぜー!!」
きっと名のある人だろうとは思ったけど、会場の反応は予想以上だった。
『で、お願いの二つ目は、なるべく死なないでねってこと。冒険者が死ぬのは当たり前だし、それがカッケーって思ってる人もいると思うけど、お祭りで人が死んだらつまんないでしょ? だから、ヨロシク!!』
「それは保証できないわよー!!」
ワイルドなお姉さんがそう言って、周囲から笑い声が上がった。
『なるべくでいいから! ほら、他の迷宮と違って今回は施工目的だから、死体とかそのままにできないの。ちゃんと片付けしなきゃいけないんだよ』
「なんか世知辛いこと言ってるぞー!!」
「私達のことを心配してくれてるんじゃないのー!!」
ギャハハ、と冒険者たちから笑い声が上がる。
死ぬことを恐れない勇敢な戦士たち。
でも、だからこそ、釘は刺しておきたかった。
そして、こういう荒くれ者たちに、僕がただ身を案じるようなことを言っても、同じ穴の貉、素直に受け取ってくれるはずがない。
だから、僕はこの人の名前を出す。
『正直、僕はまぁ、しょうがないかなって思ってるけど、ウチのギルドマスターのソフィアさんが悲しむ顔は見たくないんだよねー。だから、なるべくお願い』
「ああ、ソフィアさんか……、たしかに、あの人に迷惑はかけたくないな……」
「まぁ、なるべく気をつけるわ!」
「あのお姉さんにはなんか逆らえないのよね……、忙しそうな時は特に」
ソフィアさんの名前を出すと、冒険者たちが素直になった。
この短期間で、すっかり名物になっているらしい。
『で、三つ目。僕も後で迷宮に行くから、僕のぶんのお宝も残しておいてね。あ、罠は外しておいてくれると助かる』
そう言ってから、僕は補足した。
『あ! あと強い人たちはポイズンジャイアントも倒しといて!! あいつの顔はもう見たくない!! この中にポイズンジャイアントの顔におしっこひっかけた人いる? 階段からいきなり、『ぬっ』って顔だしてきてさ、もう大慌てで口を塞ごうとしたんだけど、もうそれしか思いつかなくて……』
僕がそう言うと、冒険者たちから爆笑が起こった。
「ぎゃはは!! そんな奴が他にいるわけねーだろ!!」
「うはは、よくそれで生きてたな!!!」
「イグニア新聞で読んだけど、あれ本当だったのね……」
メアリーめ……。
『そんなわけで、皆さん、改めて我が領内にようこそ!! 冒険もお祭りも、全力で楽しんでいってね!! あと、気に入ったら引っ越してきて!! 領民大募集中です!! 税金やすいよ!! なんもないから!!』
僕がそう言って手を振ると、冒険者からも、観光客からも、惜しみない拍手と大歓声が起こった。
『ジョセフィーヌ、よろしく!』
合図を送るや否や、ジョセフィーヌのホイッスルがピィィィィッ、と会場に鳴り響いた。
ピーッ!! ピッピッピピッピピッ!!!
ピピッピピッピ!! ピピッピピッピ!! ピピッピピッピ!! ピピッピピッピ!!
バンッ!! バンバンッ!! バンバンババッババンッ!!
ピピッピピッピ!! バンバンババッバ!!
ピピッピピッピ!! バンバンババッバ!!
ピピッピピッピ!! バンバンババッバ!!
ジョセフィーヌ軍団の衣装や各部隊の紋章旗、馬車などが、メッコリン先生お手製の砂のように細かい魔法石によってさまざまな極彩色に点滅しながら、パレードが行進を再開する。
「ブッチャー、盛り上げてー!」
ミヤザワくんが馬車の窓から顔を出してそう言うと。
「ぐえ」
ブッチャーがぱたぱたと小さな翼で太い身体を馬車の天井の高さまでゆっくりと上昇して、ブオオオオオオオッ!!!!っと火炎ブレスを馬車前方の斜め上空に向かって吐き出した。
ジョセフィーヌと毒島応援団のリズム。
参列者からキラキラと点滅する色とりどりの魔法石。
仮初めの夜空に打ち上がる花火。
そして、馬車の上から立ち上るドラゴンの炎。
そんな非日常の空間に、冒険者と観光客は熱狂し、止むことのない大歓声が続いた。
「ふぅ……」
お立ち台で愛嬌を振りまくのが一段落した僕は、御者台のギルサナスの隣に座った。
もちろん、観光客に笑顔で手を振るのは続けている。
「おつかれさま。見事なものだね。私にはとても真似できないよ」
「僕も苦手だよー。できれば、二度とやりたくない」
ギルサナスに答える。
「まさか、君とこうして馬車で隣同士に座って、パレードをやる日が来ようとは」
「はは、まったくだ」
手綱を握るギルサナスの言葉に、僕は思わず笑った。
「それで、僕を誘った意味について、聞かせてくれないのかい?」
「ああ、それね……」
しばらく人がいない道を通るので、僕は御者台に深くもたれて、頭の上で腕を組み、真昼の夜空を見上げた。
「ギルサナスがこの空を真っ暗にした時にさ、みんな怖がっていたでしょ」
「そうだな」
「悲鳴を上げている人までいた」
「……ああ」
ギルサナスが静かにうなずいた。
「闇ってさ、基本的にみんなから恐れられ、忌み嫌われる存在なんだよね」
「ああ、君の言う通りだ」
「たしかに、闇は怖い。真っ暗な建物に一人でいると、幽霊がいるかもしれないと思うし、悪意のある誰かが潜んでいるかもしれない。つい、色々な想像をしてしまう」
「ああ、おそらく、それが夜目が利かない人間の本能なんだろう」
僕の言葉に、ギルサナスが応じる。
「でもさ、木漏れ日があんなに美しいのは、そこに木陰があるからなんだ」
「……」
「まぶしすぎる光の中では、とても過ごしていられない。……闇っていうのはさ、時として木陰のやすらぎのようなものなんじゃないかと、僕は思うんだ」
ギルサナスにそう言って、僕は空を指差した。
「それに、あの花火を見てみなよ。漆黒の闇に打ち上がる花火の、あの美しさ……」
「ああ……。ただの火花の集まりに、なぜこのように心が揺り動かされるのだろうね。右目を失ったことを、今日ほど悔やんだことはない」
ギルサナスがぽつりと言った。
「君が作ったんだ」
「うん?」
ギルサナスに向かって、僕はにっこりと笑いながら言った。
「この素晴らしい空を、君が作ったんだ」
「ベル……」
「そして、その瞬間を、その奇跡を、今日この日、多くの人が目の当たりにした。もう君の闇を恐れ、怯えるだけの人はヴァイリスにはいないんだ」
驚いたように顔を上げたギルサナスに、僕は言った。
「ギルサナス。僕や仲間たちと、そういう生き方をしてみないか?」
「……」
ギルサナスはそれには答えず、ゆっくりと前を向いた。
それから、しばらくして。
「……ああ」
小さい、震える声で、だが、ギルサナスはハッキリとそう言った。
右半面を覆う仮面で、ギルサナスの顔は見えない。
だが、打ち上がる花火の光で、手綱を引き寄せるギルサナスの手の甲に滴り落ちた雫が、きらりと光るのが見えた。
ベルゲングリューンランドと、その名物になるパレードの、それは始まりの物語だった。




