第二十七章「クラン戦」(9)
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「うわああああもうだめだぁぁぁぁぁぁぁ!! ケツメッコリンのあほ! ユリシールのあほ!!」
僕は絶望した。
『全員! 大魔法が来るから離れて!! 今回は防げないかもしれない!! 各自魔法抵抗を!!』
大魔法発動の成立を示すように、足元の魔法陣が発光した。
高台にいる二人の大魔導師らしき男女の杖から、極太の雷光と、その周囲を巨大な炎の渦が、まるで天高く昇る龍のようにぐるぐると螺旋を描いて上空まで上っていき……。
ズダァァァァァァンッ!!!
「っ――!!」
エレインが振り絞った矢が男のハイウィザードの喉元に命中し、アリサの螺旋銃による遠距離射撃の弾丸が女のハイウィザードの胸元を貫通したが、もう大魔法は成立してしまっている。
(ああ、あかん。これはもう、あかんわ……)
僕は敗北を確信した。
これは直撃したら即死級の範囲魔法だ。
しかも、たとえゾフィアが全速力で走ったとしても、範囲外に出ることは不可能だろう。
仮に即死を免れたとしても、弱った所をヘルハウンドに喰われる未来しかない。
(もう少し……、いや、もう少しでもないか。はは、まだお城にも到達してないもんな)
僕は覚悟を決めて、正面のヘルハウンドに向き直った。
せめてお前だけは、僕の手で葬ってやる。
「……おや、もうあきらめるのかね?」
その時、ふいに隣から声が掛けられた。
軽く振り返ると、それは一体のリザーディアンだった。
(ああ、さっきいたリザーディアン……、っていうか、なんでヴァイリス語が話せるんだ?)
今となっては考えるのも惜しいので、僕は手早く答えた。
「残念ながら。もっと時間さえあれば……」
「ほう、時間さえあればどうにかなるのだね?」
リザーディアンはそう言うと、パチンと指を鳴らした。
「なっ?!」
その瞬間、空気が急に粘度を帯びたような感覚が全身を襲った。
いや、実際にそうなのだ。
空気ではなく、時間そのものが……。
僕とリザーディアン以外の周囲すべてが、ものすごくゆっくり動いている。
今まさに頭上から叩きつけられようとしている極太の雷と炎の渦も、ヘルハウンドも、その周囲にいるメルやゾフィア、ジルベールも、僕を信じて炎魔法専用の広域魔法防壁を展開しているオールバックくんも、遠くでケツを貫かれて悶絶しているメッコリン先生も……。
「さぁ、君の望みは叶った。どうするんだね?」
「あなたはいったい……いや、それどころじゃないな」
僕は考える。
(時間があるなら、ユリシール殿を連れてこれるんじゃ……)
いや、だめだ。
僕とリザーディアンの男以外の動きは25分の1ぐらいの速度になっている。
ユリシール殿はだいぶ近付いて来ていたけど、遅すぎて完全に止まって見える。 あれを僕の力で運搬することも現実的じゃない。
もう、誰の力を借りることもできない。
(……そうだった。僕は結局、自分一人じゃ何もできない奴なんだった……)
周りがスゴいことを当たり前のようにできる奴らばかりだったから、そんな基本的なことを忘れていた。
みんなの力を頼るばかりで、一人になったら、僕は何一つまともにできない。
士官学校の劣等生だ。
(今のうちにヘルハウンドたちを全滅させるか。それなら、魔法の威力次第では、全員瀕死ぐらいでなんとかなるかも……)
そこまで考えてから、僕はその案も放棄する。
なんとなくだけど、この魔法は万能じゃない気がする。
ヘルハウンドに一太刀与えた瞬間に、魔法は解けて時間が戻る。
仮に僕だけ範囲外に逃げようとしても、その前に魔法は解ける。
そんな予感がした。
できることは、ただ一つの行動。
……僕にできる、ワンアクション。
「……その槍、貸してもらっていいですか?」
「これはただの木の槍だが、いいのかね?」
「ええ。穂先は金属ですから」
僕はリザーディアンから槍を受け取った。
よかった。
なんとなく大丈夫だとは思っていたけど、このぐらいの動作では解けないらしい。
きっと、時間の法則を変える大きな行動を一つ行った瞬間に、魔法が解けるのだろう。
僕はユリシール殿に近付いた。
(ユリーシャ王女殿下、お許しを……。これしか思いつかないんです)
僕は兜の天辺に付けられていた黄金の羽飾りをむしり取って、羽飾りを差していた穴にリザーディアンの槍をぶっ挿した。
穴のサイズはぴったりで、無理やり押し込むと兜の上から槍がまっすぐに伸びた異様な姿の騎士になった。
「ぷぷっ……、大ピンチなのはわかってるんだけど、この光景はおもしろすぎる……」
重たい甲冑姿のままこちらに駆け寄る、子供のように小さい騎士。
その頭からは壮麗な羽飾りではなく、槍が天に向かって突き出ている。
さて、ここまではいい。
これだけなら、僕はただ、ヴァイリス王国で100回死刑になってもおかしくない悪戯をやっただけだ。
「魔法はイメージ。魔法はイメージ……」
僕は雷魔法を防ぐ魔法の詠唱を知らない。
オールバックくんは無詠唱だったし、そもそも属性変更という離れ業で発動させたものだから、参考にならない。
でも、その時の光景だけはハッキリと覚えている。
あの光景だけをイメージして、僕はユリシール殿から身体を離し、彼女……、いや彼に向かって独自の魔法詠唱を行った。
(どうせ他に思いつかないんだし、バカバカしくてもやってみるっきゃない)
「万物の根源に告ぐ……、其を天雷を招く針とし、その御雷を我が物とせよ。雷吸収!!」
僕がそう叫んだ瞬間、顔に当たる風が一気に強くなるのを感じた。
時が、戻った!!
バシャアアアアァァァァァァンッッッ――!!!
炎と雷の合成大魔法が炸裂するすさまじい轟音が響き、周辺一体を閃光が包み込み、ヘルハウンドも周囲の仲間たちも思わず眼をそむける。
次の瞬間、巨大な炎の渦が完全にオールバックくんの魔法防壁によって無効化され……。
「おわあああっ!!! な、なんじゃこりゃあああああ!!!??」
極太の雷が途中からねじ曲がり、ユリシール殿の甲冑から突き出た槍に落雷した。
ほぼ鉄壁の属性耐性を誇るユリシール殿の甲冑は大魔法の雷を完全に絶縁し、急に頭上に生えた、帯電して周囲に放電しまくっている槍を見上げて、ユリシール殿がうろたえてガシャガシャと走り回っている。
「「反射!!」」
「なっ?!」
駆け寄ったアーデルハイドがこちらを見て唖然とする中、僕はオールバック君と同時にその言葉を発した。
「おわあああああああああああっ!!! な、なんじゃーっ!!?」
ユリシール殿の頭上で帯電していた槍から天空に向かって極太の雷が真っ直ぐにほとばしり、数秒して高台で待機していた騎兵団の中央あたりに落雷、続いてオールバックくんの頭上に舞い上がった炎の渦が、今度は高台に布陣していた重装騎士の集団に命中して、甚大な被害をもたらした。
「あ、貴方……今のは……」
何か言いかけたアーデルハイドの声を、ガシャガシャという甲冑の音がかき消した。
「まーつーおーさーんー!! おのれかー!!! おのれの仕業なんだな!!!!!!」
「ユ、ユリシール殿、は、話は後で!! ヘルハウンドが復帰したから!!」
「きさまは……きさまはヴァイリスの至宝たる私をよ、よりによって……囮どころか、避雷針がわりに使いよったのか!!!!!」
「ヴァ、ヴァイリスの至宝?!」
「なっ……」
「嘘でしょ……」
ギュンターさん、メッコリン先生、ジルヴィア先生あたりから驚きの声が漏れる。
もう何もかもがボロボロになってきた気がするけど、もはやなり振りをかまっていられない。
「しっかし、しつこいなぁ!! 全然倒れないぞ、こいつ。おわっ!!」
「殿のおかげで九死に一生を得たが……、これでは身動きが取れんな」
「卿よ、そろそろユキと交代してはどうだ」
「うん、私も同意見」
「まっちゃん、私はいつでも代われるよ!」
ユキの言葉に、僕は少し考える。
「そうだね、それしかないか……」
僕がそうつぶやいた瞬間。
ヒュルルルルルルルッ!!!
シュパァァァァァァァン――ッ!!!!
うなるような風切り音と共に、藍色の大蛇のような何かが、すさまじい勢いでヘルハウンドを打ち付けた。
「ギャウッ?!」
「テレサッ?!」
僕が振り向くと、リザーディアンの鱗で作られた鞭を握ったテレサが立っていた。
眼が据わっている。
「……お兄様に逆らう悪い犬コロちゃんたちって、あなた達なのかしら?」
シュパァァァァァァァン――ッ!!!!
ヘルハウンドの手前の地面を鞭で打ち付けながら、悠然とした足取りで、テレサが近付いてくる。
「お兄様、合流が遅くなって申し訳ありません。もう大丈夫ですから」
「テレーゼ、よせっ! コイツらは獣ではなく魔獣だ!! ましてや召喚で使役されているのだ!! 獣使いの手に負えるわけが……」
シュパァァァァァァァン――ッ!!!!
「お姉様はああ仰っているけれど……、どうなの?」
テレサが不敵な笑みを浮かべながら、ヘルハウンドに近づく。
ヘルハウンドはウウウウウッ、と歯をむき出しにして威嚇しながらも、テレサに対しわずかに後ずさっている。
「私にはあなたたちが可愛らしい犬コロちゃんにしか見えないのだけれど……、どうなの?」
シュパァァァァァァァン――ッ!!!!
「ウウウウ……」
狼狽する三体のヘルハウンドに向かって、テレサはひときわ鋭い眼光を放った。
「獣なの! 魔獣なの!! どっちなの!!!」
ヒュルルルルルルルッ!!!
シュパァァァァァァァン――ッ!!!!
「「「キャ、キャイイイインッ――!!」」」
「「「「「ふ、服従したァー!!!!!」」」」」
僕とゾフィア、メル、ジルベール、ユキが揃って叫んだ。
「さぁ、お行きなさい!! 仮初めの主人に、本当の主はお兄様だと教えてやりなさい!!」
シュパァァァァァァァン――ッ!!!!
テレサが命じると、ヘルハウンドたちはまるで雷鳴におののく羊のような表情で敵陣に向かって駆けていき、進路上にいる敵の冒険者たちに次々に襲いかかり、あわてて静止しようとした灰色のローブを来た召喚魔法師を食い殺した。
「サ、召喚魔法師を……召喚獣が食い殺しよった……」
召喚主が滅びたので、ヘルハウンドたちは実態を失い、共にその姿を消滅させる。
(獣相手にはテレサ。……覚えておこう。魔獣だろうが、ヘルハウンドだろうがケルベロスだろうが召喚獣だろうが、獣相手にはテレサ。獣相手にはテレサ)
僕は心の中で、念仏のように唱えた。
「ふぉっふぉっ、どうやら上手くいったようだね」
リザーディアンが僕の肩に手を置いて、そう言った。
「ええ。ありがとうございます」
僕はリザーディアンに深々と頭を下げてから、言った。
「来てくれたんですね。……学長先生」
「はっはっは、賢い生徒は化け甲斐がないなぁ」
リザーディアンがクックッ、と笑った。
「……しかし、リザーディアンという身体は実によく出来ておるな。舌の構造が違うからヴァイリス語は難しいかと思えば、口の内部に空気を震動させるエラがたくさんあるのだ。もしかしたら、覚えればジェルディク語も堪能かもしれんぞ……」
「は、はぁ……」
学長先生がリザーディアンの瞳を輝かせて言った。
この人は根っからの研究者なんだなぁ。
「さて、この後のキミたちの奮闘は、遠見の魔法を使って、学長室で観戦させてもらうとするよ」
「えー、ここからが本番なんじゃーん。ノリ悪いよー」
「友達を二次会に誘うノリで魔法学院の学長を引き止めるでない」
僕はリザーディアンの肘で学長先生に小突かれた。
「……私がキミを一番評価している部分がわかるかな?」
「うーん、アーデルハイドとオールバックくんを誘ったことかな」
僕がそう言うと、リザーディアンは大きく眼を丸くした。
「これは驚いた。キミが見事正解を答えた結果、不正解になってしまった。キミが言ったことを一番評価していたのだが、二番になってしまった。キミが正解したその能力が一番になってしまったよ」
リザーディアンが朗らかに笑う。
「君は相手になって物事を考える能力に長けているようだ。『相手の立場になって考える』といった道徳的な話ではなく、『相手そのもの』になって考えるんだね。それは魔法で心を読むことよりも素晴らしい能力だよ」
「そうなんでしょうか……。人の技をパクってばかりな気が……」
「ふぉっふぉっ、だったらアレもパクってみてはどうかね?」
「アレ?」
「召喚魔法師の仕草を観察していただろう? キミもやってみたらどうだい?」
「えっ?!」
「『魔法はイメージ』なんだろう? ベルゲングリューンくん」
「い、いや、そんなことを言ったって……学長先生?」
僕が振り返ると、リザーディアンの姿はもうそこにはいなかった。
「学長先生……、ありがとうございます」
僕はリザーディアンが立っていたその場所に向かって、そっとつぶやいた。




