忘れられない
今週は人と会話をしていない事に気がつく。
やたらとテレビ番組で流れるセリフを真似するようになった。
たぶん、声を出さなすぎて声帯が退化しないように、本能的に声を出しているのだろう。
深夜にピザポテトの新味が食べたくなりコンビニへ行く事にする。
この時間帯に働いている年配者を見ると、なんだか悲しいような切ないような気持ちになってしまいやりきれない。
感情って本当に余計だなとつくづく思う。
専門学校まで自転車で15分。世田谷区の陸の孤島で一人暮らしが始まった。
6畳ロフト付きユニットバス築年数30数年。最寄り駅まで徒歩30分の好立地で家賃は5万5千円だ。
少しでも早く家を出たかったボクは、4月入学だったが、2月には一人暮らしを始めた。
引っ越し業者が来る前日の夜には家にいたのだが、初めての一人暮らしで本当に何もない事を知った。
毛布もなければエアコンも電気もない。何か温かいものでも買いに行きたいが外は雨が降っていて、傘すらなく外にも出られなかった。
何もない部屋で一人ガタガタと震えながら朝を待つ。
そしてついに始まる一人暮らし。毎日何時でも自由でボクの心は満たされていく。
ずっと憧れていた自由をやっと手に入れた気がした。
毎日あてもなく歩き回り、近所の小学校の子供を自分の過去を重ねる浮浪者のように
眺めていた。インテリアには拘ろうと思っていたが、色々手を出した結果まとまりない部屋になる。自炊も始めた。
やがて専門学校生活が始まる。
人が多いのは嫌だったので、なるべくクラスメートが少ない学校学科を選んだ。
インテリアの内装や外観、看板などのデザインを学ぶ学校だ。
20歳から入学するのは気が引けたが、クラスは30人程度で、3分の1が高校卒業後にストレートで進学したもの、もう3分の1がボクのようにドロップアウトした者・社会人を経験してから入学したもの、そして残りが留学生だった。
気があったり合わなかったり、そこそこに楽しい日々が続いた。
大学と比べて様々な経験を持つ人が集まっているからか、騒がしい事もなく、また本気で学びたい人が多かったため、あまり周りを気にする必要もなかった。
授業は難しく、中々ついていけなかったけれど、徹夜で模型を作ったりパソコンで図面を引くのは楽しかった。
やがてボクは、入学式で仲良くなった1つ上の友人と、そして18歳の女の子5人ほどのグループで連むようになった。
といっても、ぐだぐだと話しをしたり、課外授業で一緒に回ったりしていただけだが。
課外授業といえば、強制ではない事が嬉しかった。
厳密に言えば強制ではあるのだが、サボるのも自分の責任だし、現地集合現地解散なのがありがたかった。
楽しい日々が続いたが、苦手な授業があった。
それは課題ごとのプレゼンだ。
約2ヶ月で課題に沿った図面・模型・デザイン絵をクラスメートと教員の前で発表するのだが、当然人前に立つのは苦手だったため、相変わらずトイレに篭ってから挑んでいた。
それでも何度も経験したおかげで「人前に立つ」という力が少しは付いたように思う。
アルバイトもいくつか経験したのだが、すぐに面倒になりやがて逃げグセがついてしまっていた。
なんとか一年を終えて、二年目に入ると、クラスメートが数人学校を辞めていた。
辞めたのは大抵18歳の子で、ボクも同じ経験を持っているからこそ止める事ができなかった。
また、某チェーンのカフェでアルバイトを始めた。
ここのバイトで知り合った人達は基本的に年下だったが、皆よく慕ってくれたし、ボクも彼らとよく居酒屋へ行ったり公園で子供みたいに無邪気に遊んだ。
少しずつお酒を飲む機会が増えた頃、「嘔吐」という行為についてボクなりの見解が出てきた。
ボクが怖いのは、嘔吐してしまい周りに引かれることだった。
そのため、嘔吐しても仕方ない状況。例えば居酒屋で酔いつぶれた場合などであれば吐いたとしても異常だと思われないという歪んだ考えから、ボクはお酒の席では食事を取れる機会が増えた。
学校生活とやっと続くようになったアルバイトを楽しみながらも、二年生になると就職活動が始まった。
消去法で、外に出る仕事や大勢の人と会う仕事は無理だと思っていたので、内勤で過ごせる業種を探していた。
そこでボクは授業で習ったCGパースという建築物の完成予想図を描く仕事を探す事にした。
1度、大手企業の説明会へ行ったのだが、皆同じ姿でズラッと並んでいる姿が気持ち悪くて途中で帰った。
それ以来、就活生を見かけると気持ち悪くなってしまう。ボクも大概だが日本の就活制度もなかなかだと思う。
テレビのインタビューで「俺の人生、全部順調ッス!w」みたいな顔した新入社員を見かけると脳内で撲殺する。
何社か受け、落ちたり面接に通ったりしたりを繰り返し、なんだかんだで第一志望だった会社から内定をいただいた。
時を同じくして、アルバイト先の1つ年上の女性に恋をした。
高校生ぶりに恋愛のドキドキや嫉妬を感じた。仲良くなれたと思ったら急に距離を置かれたり、相手の気持ちがわからず、辛くなった。何百年かに一度しか見られないという(よく聞くが)なんたら流星群に彼女がボクを好きになってくれますようにと本気で願ったりした。
アルバイト終わりには、彼女の住むシェアハウスまでの約2キロを一緒に歩いて送り届け、その後2キロかけてアルバイト先まで戻ると
3キロ先のボクの家まで歩いて帰る日々が続いた。
この7キロはボクにとって幸せな時間だった。このおかげで、今でも長い距離を歩く事ができるのだと思う。
2度フラれていたある日、いつものように彼女を家まで送り届け、一人肉まんを齧りながら歩いていたら、
彼女が後ろから追いかけてきてボクの背中に飛びついた。
ボクは無言で肉まんを半分渡して、手を繋いで再び彼女を送り届けた。
なんたら流星群への願いは届き、無事ボクらは恋人となった。
それから過ごす、彼女との半年間は切なくもとても大切な思い出となる。
彼女は感情の起伏が激しく、ボクにとってはなんともない出来事でも急に怒り出したり、かと思えば泣き出してもう別れると言い出す事が多かった。
それでも好きだったので、彼女が落ち着くまで手を握って「大丈夫だよ」と言い続けた。
この「大丈夫だよ」はやがてボクの口癖となり、彼女が寝ているボクにわがままを言うと、無意識で「大丈夫だよ」と言っていたらしい。
ボクの部屋に初めて連れ込んだ女性も彼女だった。
あのボロ小屋に呼ぶのは気が引けたが、彼女はロフトを無邪気に楽しんでくれた。
彼女はワインが好きで、ボクも様々な種類を飲むようになった。
1口のIHコンロで食事を作り、ワインを飲んだ。
眠る時は3畳のロフトにめいいっぱい布団を敷き詰めて、二人で抱き合って眠りについた。
相変わらずすぐに別れると言われていたが、別れたかと思えば何もなかったように過ごしたりを繰り返した。
ある休みの日、彼女とロフトで過ごしていた所、学校に置いてある模型を持ち帰るようにと指示があり、ボクは一人学校に荷物を取りに行った。
模型は必要なかったので野良猫の家にして急いで彼女の待つボクの家へ向かった。
この家で初めて「ただいま」と声にした。
見上げると、彼女はロフトから身を乗り出し、眠そうな目で「おかえり」と言った。
なんだかとても愛おしくて、ボクはもっと彼女に自分の事を知って欲しくなり、ついに病気の事・父との事を打ち明けた。
言葉にして誰かに説明するのは初めてで、どもったり何を言っているのか自分でもわけがわからなくなったけれど、彼女は真剣に話を聞いてくれた。
ボクは外で食事が取れない。一緒に電車に乗って遠出が出来ない。
当たり前のデートを楽しめないかもしれない。それでも彼女はボクと一緒に居てくれた。
打ち明けたおかげか、段々と外でご飯を食べられるようになったり、電車でも気を使ってくれて、混んできたら彼女から降りるか声をかけてくれて、山手線半周くらいなら乗れるようになった。
新宿にある、小さなフランス料理屋がボクらの行きつけの店となった。
ワインを飲みながら、彼女が美味しいよと勧めてくれたオリーブを初めて食べて、
ボクは険しい顔をしながら美味しいねと言った。
父との関係も、仲直りした方が良いと言ってくれた。
ボクは彼女に安心してほしくて、もう普通に話しができるようになったと伝えたが、今でも父の前では萎縮するし、許せない言葉も胸に残っている。
「家族だから」という理由でなんでも許すのは間違っていると思う。
ただ血が繋がっているだけ。長い時間を共に過ごしただけ。
書類上「家族」という関係になっているだけで所詮は別の人間だ。
父にはボクの理解できない部分があるし、ボクは父の許せない部分がある。
心がキツくならない距離感でいる事の何が悪いのか。到底理解出来そうにないししたくもない。




